黒騎士 幻想紀
──幻想紀──
珍しく亜獣に襲われることなく次の街へと辿りついた貴方は、早々に取った宿の一室で、この間手に入れた本を読んでいた。
内容自体はそうおかしくない筈なのに、何故だか奇妙な程に内容が頭の中に入ってくる。貴方は自分でも不思議に思いつつ、急くように頁を捲る。
そして読了。書物を閉じて一息ついた貴方は、
「…………」
先刻まで懸命に読んでいたその本の内容。それを全く思い出せないことに気づく。
「──は?」
思わず出た声と共に、慌てて本を手にとり、そして夢中で読みふける。
そして読了。書物を閉じて一息ついた貴方は、
(……そんな馬鹿な)
内心呻き、更にページを捲る。そして読み終わり、本から視線を外すと同時に、まるでその記憶が丸ごと消し去られているかのように、その中身について思い出せなくなる。
つい数秒前まで読んでいた本の内容が、どうしても思い出せない。そんなことが、ありえるのか?
・
「ただいまー! ……って【NAME】、どしたの?」
そんな時、薄く開いた鎧戸の隙間から突然室内へと飛び込んできたのはリトゥエだ。あまりのことに茫然としていた貴方は、小さく首を傾げている彼女に手短に事情を話す。
「……ふーん。で、えーっと、その本は? これ?」
ひらひらと背中の羽を揺らしつつ本の上で停止したリトゥエは、浮んだまま器用に本を開いてみせる。
「ん、んー。書いてあるお話自体は普通だね。リトスって島を舞台にした大きな物語の一部って体裁みたいだけど。──でも、確かにこう、なんか匂うねこれ」
言われ、貴方は反射的に鼻をひくつかせた。
「いや、そういう意味じゃなくて。人の【NAME】にはわかんないかもしんないけど、私たちみたいな概念に強く依存してる存在だと、そっち関係の品にはちょっと鼻が効くの。それにちょこっと引っ掛かったって話」
彼女の言葉に貴方は暫し眉を顰め──そして問う。つまるところ、この本はやはり普通の書物ではないのか、と。
「多分ねー。詳しくはわかんないけど……そだね。人間の言い方に合わせると、えーと、ノロイの本?」
とそこまで言って、ひぃ、と引きつった貴方の表情を見てリトゥエは慌てて言葉を続ける。
「あー、違う違う! 呪いじゃなくて、えーと、えーと、どういえばいいんだろ。気合の入った本っていうのかな」
それもまた微妙だった。
「まぁ、取り敢えず放っといて良いんじゃないかな。どっちにせよ私もはっきりとはわかんないし、なんかヘンなことになったら、その時考えれば良いんじゃない?」
つまりは行き当たりばったりの出たとこ勝負、ということか。そうリトゥエに問えば、
「それだとなんかお馬鹿みたいでヤだ。前向きっていってよね」
との返事。前向きといえば前向きだが……何かが少し違うような気がする。
黒騎士 前哨節
──前哨節──
次の街へと向うため、大街道を歩く。いつもの旅路であり、どうせ現れる亜獣達も既に戦い慣れた者達。さして苦労することもないと、のんびりと歩いていた訳ではあるのだが。
「霧、だね」
肩上に乗っていたリトゥエが呟く。彼女の言うとおり、薄曇りの空に触発されるように、徐々に徐々に、周りの景色を薄い霧が覆いはじめる。霧はそのまま濃度を増して、気づいた頃には濃霧と呼んでも差し支えない程のものとなっていた。
どろりと、粘り気を帯びているような錯覚さえする程の霧。単なる自然現象、と片付けてしまえる程度のものではあるのだが──どうも、気になる。
「うん、なんか、ヘンな感じがする。【NAME】、気を抜かないでね」
言われるまでも無かった。貴方は武器の柄に手をかけつつ、深い霧を見透かすように視線を走らせる。
「──【NAME】、誰か居る。正面!」
緊張の色濃いリトゥエの声に、貴方は注意を前方へと向けた。貴方の正面、灰色にも近い霧の中に浮ぶのは、厚い雲に覆われた真夜中の闇よりも濃い黒色の人影。全ての光を飲み込みそうな程の黒に染め抜かれた甲冑と外套。その二つに身を包んだ姿は、騎士と表現するのが最も適切に思えた。だが、纏う気配が並のものではない。
「なに、こいつ……。ヒトじゃないの?」
貴方の背後へと隠れるように移動したリトゥエが訝しげに呟いたその時、黒色の騎士が初めて声を発した。
「オマエノ『チカラ』、タメサセテモラウ」
背筋が凍る。異質極まりない声音。
言葉と共に、影色の騎士が手に下げた鞘から長大な剣を抜き放つ。柄はおろか刃まで黒色のその剣からは、尋常の物とは思えない強烈な気配が漂っていた。
(……これは)
明らかに『危険』な相手だ。油断をすれば、恐らく命は無い。
そう判断し、慌てて武器を構えた貴方の脳裏に、とある物語の粗筋が浮んだ。唐突に冒険者の前に姿を現し、勝負を挑んでくるその姿は、以前にどこかで似たような内容の物語を──
「【NAME】、ぼーっとしない! ほら、来るよ!」
リトゥエの声が貴方の思考を遮る。全身黒色の騎士は、既にその剣を振りかぶり、貴方に向って勢い良く振り下ろそうとしていた!
貴方の渾身の力を込めた一撃を受けて、黒騎士の身体がどろりと解けて単なる平坦な影と化し、そして地に散って消え去った。
「一体なんだってのよほんとにもー。何が力試しよ、スカしちゃってさ。ばーか」
ぶつぶつ言うリトゥエを引きつれ、貴方は傷ついた身体を引きずるようにして目的の街を目指した。
黒騎士 追哨節
──追哨節──
次の目的地を目指し黙々と街道を進んでいた貴方の周囲を、徐々に深い霧が包み込み始める。
「【NAME】、この霧って確か──」
リトゥエの言葉に貴方は無言のまま立ち止まり、武器に手を掛け待つこと数瞬。
予想通り、というべきか。
灰色の霧の中からゆっくりと姿を現すのは、黒の甲冑に身を包んだ一人の騎士。しかも前回よりその姿はくっきりと見え、更に騎士が纏う異質な気配も、より濃くなっていた。
「【NAME】、ぼーっとしない! ほら、来るよ!」
貴方の渾身の力を込めた一撃を受けて、黒騎士の身体がどろりと解けて単なる平坦な影と化し、そして地に散って消え去った。
「【NAME】、気づいてる? 普通じゃないよ、あれ」
確かに彼女の言うとおり、あの黒の騎士は普通の存在とは思えない。
あのような存在に遭遇する原因はいくつか思い当たるが、そのなかで最も確率が高いと思われるのが。
「…………」
無言のまま背嚢から取り出したのは、一冊の書物。
(やはり、この本が原因なのか……?)
黒騎士 白空隙
──白空隙──
何事もなく街へと移動でき、貴方はほっと息をつく。最近はあの訳の判らぬ黒づくめの騎士に戦いを挑まれることが多々あり、正直辟易していたからだ。
「でさ、【NAME】。いい加減、ケリつけたほうが良いんじゃないかなーって思うんだけど。私もそろそろ飽きてきたし」
【NAME】の肩上に座り、少し真面目な調子で尋ねてくるリトゥエに、貴方は無言で頷いた。
できることは色々ある。
まず、一番手っ取り早い方法は、未だに持ち歩いているあの本をさっさと捨ててみる。何となく、これが一番確実な気がする。
次に、あの本の出所──アグナ・スネフの商店へと直接出向いてみて、本をどこから仕入れたのかを聞き出す。そのまま手繰っていけば、誰があの本の著者なのかが判るだろう。そうすれば、何らかの対策を立てることができるかもしれない。
他にも、こういった異常な出来事の専門家、例えばラケナリアにある聖アルマナフ大神殿やルアムザの昂壁の翼などに頼ってみるという手もあるが。
貴方がそこまで呟いたのを聞いて、横のリトゥエはふむふむと頷き、そして。
「うん。それで、【NAME】はどうしたいの?」
問われて、迷うように軽く腕を組んだ貴方に、リトゥエは両足をふらふらと揺らしつつ、少し大きめに声を張った。
「んー、んじゃ方法そのいーち! 本をぽいって捨てちゃう。もうぽいぽいって感じで」
捨ててしまうくらいなら今まで持ち歩いてはいない。そう答えると、リトゥエは「そりゃそーね」と頷く。
「では方法そのにー! それっぽいのが専門そうな人に助けてもらう。もうタスケテーって感じで」
それは冒険者としての矜持に関わる。出来れば自分達の手で解決したい。そう答えると、リトゥエは「あーそーですか」と頷く。
「……ならやることはもう決まってるでしょ。悩む必要ないじゃん」
呆れたようなリトゥエに、笑いながら小さく頷く。
そう、悩む必要は無い。こういった奇妙な出来事を、己の力で解き明かしてこそ冒険者だ。
まず、この本の出所。それを探る必要がある。となれば──。
「次の目的地はアグナ・スネフ。で、良い? 【NAME】」
黒騎士 調査録
──調査録──
アグナ・スネフへとやってきた【NAME】は、冒険者御用達の店へと出向き、件の本の出所について尋ねてみた。
製本技術が然して発達していないこの世界において、こういった店で扱えるような本を作成出来る場所は限られている。恐らく著者は五王朝の旧貴族連か、どこかの魔術学院等の大規模な組織に属している者との予測を立てていたのだが、店主の話によればそうではないらしい。
「なんでも自筆だとさ。術式を使った自動筆記が高価なのは確かだが、わざわざ一人で写本までして自分の書いた話を他人に読ませたいってのは、ちょっとオレには考えられん話だな。まぁ、場所代は受け取ってるし文句は言わんが」
店主から聞き出した作者の住所はガレクシン。タラス山地の合間にある、五王朝カルエンス領の首都。その外れに住んでいると聞いたとか。
「しかしこの本、オレが読んでも別になんともないんだがなー。ちゃんと内容も思い出せるぞ? カッコいいじゃねぇか、黒騎士。あんた頭大丈夫か?」
そう言われると何だか自信がなくなってくるが、とにかくこの本の作者とやらに会いに行ってみることにしよう。
黒騎士 異界綴
──異界綴──
ガレクシンの都の外れに建つ、一軒の屋敷。そこで貴方は、あの本の著者だという奇矯な男と出会う。
本の著者から聞かされる書物の真実。彼がイェハルーダと名乗る女に埋め込まれた『筆者としての概念』、物語の綴り手としての役目を担わされたこと。高速記述を齎す翠の筆。
彼がイェハルーダから手渡された、どことも知れぬ島で繰り広げられる様々な物語を綴った本。その物語の内の一つから生み出される、孤高の強き力の象徴である『黒騎士』という存在。その存在概念をこの世界で確固たるものにするために、読み手を選び、そしてそれを喰らって現世界における物語の力を強くする。そのための写本。
そして彼が産み出す書物の大元となった幻想紀原本の存在。黒の章の原本は四つに断章されており、彼は写本に認められ──そしてそれが産み出す騎士を退けた貴方に、自分が所有している最後の一つを譲るという。それがイェハルーダとの約束だと。
「世界を廻り、原本を所持する者からそれを奪い、全てを集めろ。お前にはその資格がある。……もっとも、そんな本など捨ててしまっても構わない。お前の自由だ。この茶番に付き合いたいというのなら、集めてくるがいいさ。そうすれば、あの女もお前の前に姿を現すだろう」
そこまで語り終えた男は、深く椅子に腰掛け直して大きく息をついた。そして数瞬のあと、小さく、そして徐々に大きく、声を荒げはじめる。
「く、ハ。これで……これであの女との約束は終わりだ。さぁ、もっと……もっとあの本を書かなければ……ヒは──ヒ、ハヒヒヒヒィヒヒァァヒ──」
男は奇声をあげつつ身体を揺すり、手に持った翠色の筆を空中で滅茶苦茶に振り回す。そして椅子から跳ね上がるように立ち上がると、呆気に取られ固まった【NAME】のことなど完全に無視して凄まじい勢いで隣室へと駆け込んでいった。
「…………」
後に残されたのは【NAME】達と、机の上に置かれた一冊の本。隣室から響く奇声を苦労して無視しつつ、貴方は机の上の本を手に取る。地味ながらも微細な装飾が施されたその本の表紙には、流麗な字体で書かれた一行の文。果たしてどこの国の──いや、どこの世界の文字なのか。【NAME】には全く見当がつかなかった。その筈なのに、迷う事無くこう読めてしまったのは何故なのだろう。
幻想紀──黒の第四章、と。
黒騎士 永舞踏
──永舞踏──
次の目的地を目指し黙々と街道を進んでいた貴方の周囲を、徐々に深い霧が包み込み始める。
「【NAME】、この霧って確か──」
リトゥエの言葉に貴方は無言のまま立ち止まり、武器に手を掛け待つこと数瞬。
予想通り、というべきか。
灰色の霧の中からゆっくりと姿を現すのは、黒の甲冑に身を包んだ一人の騎士。しかも前回よりその姿はくっきりと見え、更に騎士が纏う異質な気配も、より濃くなっていた。
「【NAME】、ぼーっとしない! ほら、来るよ!」
貴方の渾身の力を込めた一撃を受けて、黒騎士の身体がどろりと解けて単なる平坦な影と化し、そして地に散って消え去った。
「……ハズレみたいね。本なんか全然持ってない──っていうか」
深く息を吐いた後、リトゥエはほとほと呆れたように言葉を続けた。
「ホント、物好きだよね、【NAME】って。こんな厄介ごと、関わらないほうが良いに決まってるのに……」
自分でもそうは思うが、一度首を突っ込んだ事だ。途中で投げ捨ててしまうというのは面白くない。
黒騎士 堕騎士1
──堕騎士──
現れたのは黒騎士。しかし、今まで貴方が出会ったものとは異なり、それは絶対的な質量をもって、そこに在った。
濃い黒色で構成された兜の隙間から見えるのは、意思というものを感じさせない濁った両眼だ。明らかに、正気とは思えない。
「……あの物書きの人が言ってた通りだね。多分、こいつは原本から出てきた黒騎士の影に負けて、存在概念自体がそれに食われちゃったんだ」
そこまで言って、リトゥエは少し怯えの混じった声色で【NAME】に尋ねてくる。
「【NAME】、どうしよう? 確か、原本を持つ他の人間を倒せとかどうとか言ってたけど──」
この相手が原本を持っているかは知らないが、素直に逃がしてくれるような相手には到底思えない。あの騎士が下げた巨大な斧で背中から切りつけられるよりは、正面から受けて、その刃を受け流した方が良い。
「判った。……じゃ、気をつけて、【NAME】」
戦闘の邪魔にならぬよう後方へと下がるリトゥエ。それを合図に貴方は武器を構え、そして黒騎士も行動を開始する。
戦いの始まりである。
貴方の渾身の力を込めた一撃を受け、騎士の身体が跳ねる。騎士が纏っていた黒の甲冑がどろりと溶けて消え去り、同時に周囲に満ちていた異質な気配も消え去っていった。後に残ったのは弛緩した死体と、そしてその傍に転がっている一冊の書物。
「あれが原本、かな。……でも【NAME】。あれ、ホントに持ってく気?」
露骨に嫌そうな表情を浮かべるリトゥエだが、あの小説家は「原本を集めろ」と言っていた。彼の話に乗るなら、持っていかないわけにはいかないだろう。
ぶつぶつと呟くリトゥエを無視し、貴方は死体の懐から転がり落ちていた原本『幻想紀原本・黒の第三章』を拾い上げた。
黒騎士 堕騎士2
──堕騎士──
現れたのは黒騎士。しかし、今まで貴方が出会ったものとは異なり、それは絶対的な質量をもって、そこに在った。
濃い黒色で構成された兜の隙間から見えるのは、意思というものを感じさせない濁った両眼だ。明らかに、正気とは思えない。
「……あの物書きの人が言ってた通りだね。多分、こいつは原本から出てきた黒騎士の影に負けて、存在概念自体がそれに食われちゃったんだ」
そこまで言って、リトゥエは少し怯えの混じった声色で【NAME】に尋ねてくる。
「【NAME】、どうしよう? 確か、原本を持つ他の人間を倒せとかどうとか言ってたけど──」
この相手が原本を持っているかは知らないが、素直に逃がしてくれるような相手には到底思えない。あの騎士が下げた細長の突剣で背中から切りつけられるよりは、正面から受けて、その刃を受け流した方が良い。
「判った。……じゃ、気をつけて、【NAME】」
戦闘の邪魔にならぬよう後方へと下がるリトゥエ。それを合図に貴方は武器を構え、そして黒騎士も行動を開始する。
戦いの始まりである。
貴方の渾身の力を込めた一撃を受け、騎士の身体が跳ねる。騎士が纏っていた黒の甲冑がどろりと溶けて消え去り、同時に周囲に満ちていた異質な気配も消え去っていった。後に残ったのは弛緩した死体と、そしてその傍に転がっている一冊の書物。
「あれが原本、かな。……でも【NAME】。あれ、ホントに持ってく気?」
露骨に嫌そうな表情を浮かべるリトゥエだが、あの小説家は「原本を集めろ」と言っていた。彼の話に乗るなら、持っていかないわけにはいかないだろう。
ぶつぶつと呟くリトゥエを無視し、貴方は死体の懐から転がり落ちていた原本『幻想紀原本・黒の第二章』を拾い上げた。
黒騎士 堕騎士3
──堕騎士──
現れたのは黒騎士。しかし、今まで貴方が出会ったものとは異なり、それは絶対的な質量をもって、そこに在った。
濃い黒色で構成された兜の隙間から見えるのは、意思というものを感じさせない濁った両眼だ。明らかに、正気とは思えない。
「……あの物書きの人が言ってた通りだね。多分、こいつは原本から出てきた黒騎士の影に負けて、存在概念自体がそれに食われちゃったんだ」
そこまで言って、リトゥエは少し怯えの混じった声色で【NAME】に尋ねてくる。
「【NAME】、どうしよう? 確か、原本を持つ他の人間を倒せとかどうとか言ってたけど──」
この相手が原本を持っているかは知らないが、素直に逃がしてくれるような相手には到底思えない。あの騎士が下げた大弓で背中を射られるより、正面で見切り、弾いた方がマシだ。
「判った。……じゃ、気をつけて、【NAME】」
戦闘の邪魔にならぬよう後方へと下がるリトゥエ。それを合図に貴方は武器を構え、そして黒騎士も行動を開始する。
戦いの始まりである。
貴方の渾身の力を込めた一撃を受け、騎士の身体が跳ねる。騎士が纏っていた黒の甲冑がどろりと溶けて消え去り、同時に周囲に満ちていた異質な気配も消え去っていった。後に残ったのは弛緩した死体と、そしてその傍に転がっている一冊の書物。
「あれが原本、かな。……でも【NAME】。あれ、ホントに持ってく気?」
露骨に嫌そうな表情を浮かべるリトゥエだが、あの小説家は「原本を集めろ」と言っていた。彼の話に乗るなら、持っていかないわけにはいかないだろう。
ぶつぶつと呟くリトゥエを無視し、貴方は死体の懐から転がり落ちていた原本『幻想紀原本・黒の第一章』を拾い上げた。
黒騎士 古賢属
──古賢属──
途中、「あそこ居心地悪いし」と嫌がるリトゥエと別れて、貴方は一人、小説家の家へと訪れる。
と、そこには先客が居た。緑色の長衣に身を包んだ、黒い黒い髪の女。
彼女と共に居た小説家は、尊大な態度をとりつつも、内心彼女に怯えているのは手に取るように判った。
女は貴方を一目見て、何とも表現しがたい表情を浮かべて軽く笑い、
「どうやら、こちらの考えていた以上に綺麗な概念が育ったようだ」
彼女はそう呟くと、未だ何事かを喚き散らしていた小説家を無視し、外へ向って歩き出す。戸口に立っていた貴方の横をすれ違ったその時、耳元で小さく囁かれる言葉。
「枯れた大地、刻まれた流れを越えて更に進め。その先で、我がお前さんの──いや、お前さんの中で育っている概念のための舞台を、直々に作ってやろう」
女の黒髪が通り過ぎ、そして背後へと流れる。その合間に聞こえた声。彼女の発した最後の言葉はこうだ。
「その時こそ、我の求めていた概念。真の『黒騎士』が生まれる瞬間だ」
振り返った時には既に女の姿は無く、ただ開け放たれた木製の扉がキィキィと寂しげな音をあげるだけだった。
黒騎士 黒翳城
──黒翳城──
砂流を抜けた先に聳えるは、上空より降り注ぐ強い陽光を余す事無く身に受けて溜め込み、その熱と共に揺らめく巨城。砂漠の只中にある筈なのに、場違いな緑の蔓に包まれた城壁は黒い。空の深い青と、地の水枯れた黄色に埋め尽くされた風景の中で、全身を黒に染めて佇むその城はただひたすら遊離していた。
「多分、あの城だね」
貴方の肩上で呟くリトゥエの顔色はあまり良くない。調子でも悪いのかと彼女に問えば、
「なんていうか……こう、歪みが酷いのよ。『芯なる者』が作った芯形機構とかの周りより、土地の概念が捻じ曲がってるよ、この辺」
顰め面でそう呻く。
確かに、あの城へ向い歩を進めるにつれ、周囲に漂う気配──のようなものがどんどんとズレていくのは貴方にも感じられた。彼女のような、肉体などの物理的な器で己を証明できない、概念的な存在と言える妖精にとって、こういった特異な領域へと足を踏み入れるというのは、過度の負担を強いるものであるらしい。
・
大きく開け放たれていた城壁の門をくぐり、城の庭へと足を踏み入れる。そこには砂漠の強烈な日差しも乾ききった空気も無く、あるのは暗く澱んだ、他者を圧迫し威圧する『力』の気配だ。
用心深く辺りを見渡した【NAME】は、真後ろに聳える城門の上に腰掛け、こちらを睥睨していた一人の女の姿を捕らえた。緑色の長衣を纏い、黒の髪を壁の黒に馴染ませたその女は、貴方の視線に気づき、軽い笑みを含ませて唇を開いた。
「ようこそ、戦いの舞台へ。久方ぶりだね、【NAME】君──で良かったかな」
そこまで言って、女はどこか皮肉めいた笑みを強くする。
「そういえば、まだ名乗っていなかったかね。我は古き民の系譜に連なる者、魔女ベルナデッド・イェハルーダ。イェハルーダ、と呼んどくれ」
「──ちょ、ちょっと!」
どこか気軽な調子で話し掛けてくるその女に、敏感に反応する者が居た。リトゥエだ。
「【NAME】! あいつ、知ってるの!?」
リトゥエに耳を引っ張られ、小声で怒鳴られた。上から見下ろす女──イェハルーダは、その時初めてリトゥエのことに気づいたらしく、少し眼を見開いて、貴方の肩上に立つ妖精へと視線を向けた。
「なんとまぁ。お前さん、地母の加護を受けているのか。……にしては、付いている概念の階位が低い、『守霊』ですらないように見えるが──それとも、単に取り憑いているだけか?」
「取り憑いてないってば! っていうか会う人会う人そればっかだし!」
イェハルーダの言葉に反射的に怒鳴り返すリトゥエ。耳の近くで怒鳴られ、一瞬気が遠くなった。
そういえば、あの女と出会った時にリトゥエは一緒に居なかったか。そう気づき、貴方は彼女と顔を会わせた時の事を簡単に話す──と、
「あぁん、もう馬鹿馬鹿! あいつ『古賢属』じゃないの! 古賢属が関わってるって知ってたら意地でも止めたのに!」
と、怒鳴られた。
「ふむ。なかなか酷い言われようだな」
そう他人事のように呟く魔女に、リトゥエがきゃんきゃんと噛み付く。
「ったりまえでしょ!? あんた達古賢属のやることなんて、大概ロクでもなくて、それでいて全然実にならないことばっかなんだから! いっつも引っ掻き回すだけ引っ掛け回して。付き合うだけ無駄! 【NAME】、帰りましょ」
と、リトゥエは言うのだが……折角来たのにそういう訳にもいくまい。このまま何もせずに戻るという選択は、既に城の外で切り捨てていた。視線を逸らして肩を竦め、「まさか、あいつに付き合う気なの!?」と叫び出すリトゥエを適当にいなし、そしてイェハルーダに問う。どうすれば良いのか、と。
魔女は満足げに瞳を細めると、歌うように言葉を繋ぐ。
「既に用意は整っている。この城の至るところで漂い待つのは、お前さんの中に育った『力』の概念を育てる為の、敵という名の餌だ。それらを打ち倒し、己の概念を育てながら我の下へ──城の最上へと参られよ。その頃にはお前さんの概念も成熟し、収穫の時を迎えることとなろう」
勿体つけた言い回しではあるが、要は城にうろつく『何か』をぶち倒して城の天辺まで来い、ということか。
「では、待っているよ」
そう言い残し、城門上の人影は何の余韻も残さずに消え去った。
・
「あーもー、気分わるー。タダでさえここ概念が歪みまくってて最悪なのに、あいつに引っ掛けられたってので余計気分悪いわ」
半ば迷宮じみた構造となっている庭を進み、城を目指す間。リトゥエは仕切りに愚痴を溢す。
そうまで言うのならば、わざわざ付き合って一緒に来る必要もないだろうに──そう考えて彼女に言うと。
「【NAME】が行くって言うのにこっちだけ戻るって訳にもいかないでしょ? ほら、あんなんがうようよしてんのに私だけ帰んのも途中が怖いし」
彼女が気だるげな調子で指を差した先には、通常のモノとは明らかに異なる、圧倒的なまでの威圧感を放つ亜獣の姿があった。
──あれが、イェハルーダの言っていた『敵という名の餌』か。
貴方は無言で武器を構え、油断無く亜獣達を見据えた。
・
城の内部を走る貴方の前に、今まで生まれた黒騎士の概念の中で、最も優れた力を示したという一つの概念が姿を現す。
そして、どこからとも無く響く、イェハルーダの声。
『それは過去に我が求め、作り上げた概念。この『力』を破り、そして己の中にある力の──『黒騎士』の概念に取り込んでみせよ。それで全ては整う』
声が空間に溶け消えると同時に、黒色の影が一歩、貴方へ向い音も無く足を踏み出す。
黒騎士の概念を打ち破り、貴方は遂に城の最奥──謁見の間へと続く大扉の前に辿りついた。
「…………」
一度大きく深呼吸し、覚悟を決める。そして武器を手に構えたまま、貴方は眼前にある大扉を蹴破るような勢いで開き、その奥へと飛び込んだ。
──黒騎士──
城の上層『謁見の間』で、その魔女は待っていた。
「……来たね。早速始めようか」
自らを魔女と称した女の指が小さく鳴る。と、同時に貴方の中でゆっくりと、しかし着実に力をつけていた一つの概念がその内から遊離し、そして眼前に明確なカタチを持って具現化された。
『…………』
現れた黒騎士は、今までに見た騎士達とは全く質の異なる気配を纏った気高き騎士。極めて純粋な強者としての風格を備え、手にしている剣からは尋常ではない力の波動が感じられた。
「ではまず、その力を貴様等との戦いで見せてもらおうかね」
怯む貴方を無視して、イェハルーダが告げる。同時に、眼の前に立つ騎士がゆっくりと剣を持ち上げ、身構えた。
「うあ……【NAME】、あれ凄くヤバい。絶対気を抜いちゃダメだよ」
完全に怯えて後方へと下がるリトゥエに、軽く手を振り了解の合図。そして【NAME】も武器を抜き、戦闘態勢へと移行する。
(勝てるかどうかは判らないが……)
とにかく、やるしかない。
貴方は黒騎士の放つ尋常ではない猛攻を凌ぎ切り、生まれた刹那の隙を逃さず、全精力を込めた一撃を叩き込む。その一撃を受け、殆ど正真正銘の人間と思えた騎士の身体が一瞬で霞み、霧散した。後に残るのは空間に満ちた形無き力の気配と、貴方の一撃を喰らっても然してダメージを受けた様子を見せず、ただ訝しげに眉を顰めるイェハルーダの姿。
「何故だ? あのジェムを巡る黄昏の世界で生まれた、全てを打ち倒す騎士の概念。──その『力』の概念のみを抽出したものとはいえ、部分だけ見れば、かの世界の騎士と同等に近いモノを現世界に創り出すことができた筈。なのに──何故、敗れる?」
首を捻るイェハルーダに、リトゥエはふんと鼻で笑ってみせる。
「馬鹿ね、そんだけじゃダメに決まってるじゃない。大体『力』っていうのはそれひとつだけじゃ維持できない。いろんな経験や努力、そして想い。それらが複雑に絡みあったものが下地となって、やっと生まれるものでしょ。あのお話に出てた『黒騎士』だってきっとそう。なのに貴女みたいに、ただ『力』っていう部分だけを取り出して他の部分を削ぎ落としちゃうと、カタチになったソレは自分が持つ『力』を維持するだけの土台が無いから、てんで歪んじゃって、全く話にならないってこと。判った?」
小さな妖精の言葉に、イェハルーダは虚を突かれたように表情を無くし、そして薄く笑った。
「……なるほどな。まさか、地母の眷属にそのようなことを指摘されるとは、我も少々鈍ってきたようだ」
「そりゃどーも」
少し憤慨した様子のリトゥエを無視し、イェハルーダは溜息を一つついた後、顔をあげた。
「まぁいい。しかし……となれば、この作り出した『黒騎士』の概念も、もう我には不要のものか。──ならば、持ち主に返すことにしよう」
イェハルーダが小さく指を鳴らす。すると、貴方の身体を色濃い闇の輝きが包み込んだ。
「育てた概念から、『黒騎士』と『物語』との繋がりを解いておいた。これならばお前さんの意思で、育てた力の概念を使いこなせる筈だ。……我が伝え聞いた『黒騎士』には遠く及ばぬ力ではあるが、役に立つこともあるだろう。……どうだ?」
内から生まれてくる力は膨大ではあるが、あやふやではあるものの確かに意識でイメージするだけで、ある程度制御できているような気がする。その力に困惑しつつも、貴方はイェハルーダに頷いてみせた。
「そうか。──では、お別れだ。今回は無駄なことにつき合わせて済まなんだね。だが、また別の件で出会うことがあれば……そうだな、その時は宜しく頼むよ」
彼女が再度指を鳴らすと、城は跡形もなく消え去って、焼けた砂漠の上には【NAME】達だけが取り残された。
「つーか、ここから歩いて帰らないとダメなのかなぁ……」
リトゥエは心底嫌そうに、深い青色の空に浮ぶ真円の太陽を見上げる。
「古賢属の力があれば、街まで送ってくれるくらい簡単でしょうに。ったくもー」
とはいえ、愚痴っていても始まらない。貴方はまだぶつぶつと文句を言っているリトゥエを連れて、街を目指して歩き出した。