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異端神官   桃色スライムの暴走

──桃色スライムの暴走──


 テュパンで食事をとるならばマリハンスの繁華街へ行け。

 これはテュパンに住む人間ならば誰もが知っていることだ。建ち並ぶ店はどこも安くて美味く、そして独特の活気がある。

 取り敢えず、軽く食事をとっていく事にしよう。



 マリハンスの昼下がり。軽く昼食でも取ろうとこの大通りへと訪れたのだが、なにやら街路の奥が騒がしい。

 街路を歩いていた街の住人が悲鳴をあげてこちらへと走ってくる。

(……なんだ?)

 首をかしげ、そちらへ目を凝らすと──なにやらピンク色の身体を持つ巨大なゼリーが、ぶにゅぶにゅとこちらに向かって転がってくる。

「あれは……サーヴィターの『プリュクル』、だね。どっかの宝精召士が暴走でもさせたのかな」

 肩の上に乗っていたリトゥエが前に身を乗り出して呟く。

 

 ──サーヴィター。

 宝精とも呼ばれるそれらは、他概念世界、そして『奈落』と繋がる性質を持つ『宝石』を介してこの現世界に呼び出される使役霊の一種だ。宝精を呼び出す者たち、俗に言う『宝精召士』が操る存在は一般的には七つの種類に分類され、上位の召士ならば、召喚時に触媒とした宝石固有の強力な宝霊を呼び出すことも可能と云われる。

 あのプリュクルというタイプは、その七種類の属性には分類されない、宝精の中でも最下級に位置する宝精だ。存在概念が希薄であるため、宝精召士の制御を受け付けない事から、普通は呼び出されることは無い。余程粗悪な石を使ったため誤って召喚されたのか、元々制御をするつもりがなかったのか──

 

「ち、ちょっと【NAME】! こっち来てるよ、早く逃げないと!」

 と、物思いに耽っていた貴方の耳をぐいぐいと引っ張り、リトゥエが大声で叫ぶ。

 気づいたときにはその桃色の物体は間近にまで迫っていた。既に逃げ出せるような距離ではない。貴方は素早く武器を引き抜き、迫るゼリー状の物体と相対する!



battle
桃色スライム


 ぶにゅぶにゅと震えるゼリーを滅茶苦茶に砕いてやると、ようやくその物体は動きを止めた。

 同時に、周囲から大きな喝采が上がる。プリュクルと貴方との戦闘を見物していた通行人達だ。彼らにとっては良い見世物だったのだろう。

 そこに、空中で待機していたリトゥエが、ひらりと、肩の上に降り立つ。

「へぇー。これをサクっと倒しちゃうなんて、【NAME】って結構ヤルんだねぇ」

 彼女が軽い調子で云い終えるか終えないかというタイミングで、周囲の歓声にどよめきが混じる。妖精を連れているという事に対する驚き、か。

「……なんかこう、目立ってるみたいだね」

 リトゥエは少し困ったように眉を顰め呟く。賞賛と好奇が入り混じった視線。そう悪い気はしないが、良い気もしない。貴方は軽く周囲を見渡し──ふと、周りを囲む見物客の隙間からこちらを覗きこんでいる娘と目が合う。

 彼女の視線から感じるのは賞賛でも好奇でも無く──

(戸惑い、か?)

 視線が絡むと娘はびくりと肩を震わせ、次の瞬間には人ごみの中へと走り去っていった。

「? 【NAME】、どしたの?」

 リトゥエの声に、ちらりと妖精のほうへ視線を送り──「何でもない」と答える。怪しくはあるが、既に彼女は立ち去った後だ。追いかけるにしても間に合いそうに無い。


 とにかく、今は昼食だ。先程無駄な戦闘を繰り広げたおかげで酷く空腹だった。

 周りを囲んでいる人の群を泳ぎ、さっさと食堂へと向かうことにした。

異端神官   おかしな二人、リベンジの挑戦状

──おかしな二人、リベンジの挑戦状──


 どこかで、おかしな二人が話している。



「しかし、ヒドイ目にあったッスね~、アニキ」

「全くだ。つーか酒場の姉ちゃん口説いてたら、いきなりズボンが下着ごとズリ降ろされるとか有り得なくねぇか? アレでキレない奴はいねぇだろ? ったくあの妖精め……」

「まぁ、アニキがしつこすぎたって気もしないでも無かったッスけど」

「バーカバーカ! ああいうのは嫌よ嫌よも好きのうちっつーんだよ! こう、表面では拒否しつつも心の内ではオレに──アッーってな! どうよ! どうよ!?」

「いや、フランさん思い切り退いてましたし。というか酒場で働いているような女性の方はああいう真正面な攻め方してもまずオチませんよ。捌きにも馴れてますし、ちゃんと商売として線引いてますから。本気ならもうちょっと搦め手使って、上手くその仮面を崩さないと」

「…………」

「何ッスか。唐突に黙って」

「いや……なんかお前エライ詳しいな。しかもフランさんってダレよ」

「アニキが口説いてた酒場の店員さんッス。ちなみに38歳」

「38マジか。どうみても20半ばにしか──」

「あと既婚者で子持ちッス。旦那は海の男だそうスよ。お子様とお会いした事もありますけど、笑窪の可愛い元気な男の子でした。親子の仲も良好らしくて、微笑ましい話スね」

「はぁ!? つーかなんでそんな詳しいんだよお前!!」

「その辺は深く突っ込まない方が幸せスよ。──まぁそれは良いとして、自分等はこれからどうすんです?」

「え? あー、どうすっかな。お嬢は夜の闇市の方行ってんだっけ?」

「ええ。粗悪な宝石を格安で仕入れてくるとか何とか。しかし、あの人独りで行かせて大丈夫ッスかね? 石買いに出てったのに、帰ってきたら粗悪な絨毯を大量に抱えてたとか普通に有り得そうなんスけど」

「…………。つーか今更追いかけてっても多分見つからねーんだからさ、そう不安になるような事言うなよ、お前も」

「まぁそれもそッスね。で、話戻しますけど、今から何するんスか? 取り敢えずメシでも──おや?」

「ん、どうしたよシモンズ」

「え? あ、ああいや何にも無いッスよ、何にも」

「何言ってやがる。確か、あっちの方を見て──あ~!? あいつ等は!!」

「……あちゃあ」

「おいおいおいおい、運が良いな! 前見た感じじゃ流れの冒険者っぽかったからもうテュパンじゃ会うチャンスがねぇと思ってたら、普通にうろついてやがるじゃねぇか! しかも妖精も一緒と来た!」

「む? アニキ、妖精居るんスか?」

「ああ、肩の上でぷらぷら足振ってやがる。楽しそうにしてやがって何か見ててムカツクぞ」

「自分には見えないんスけど」

「ああ、お前にゃ見えんだろ、シモンズ。どうも流動系の隠匿結界張ってやがるみたいだから、お前の眼じゃ見えん」

「ふむ、成る程。それにしてもあの冒険者の人、結局助けた妖精に憑かれちゃったんスかね。可哀想に、なむなむ」

「……しかし、アレだな。この機会は逃す訳にはいかんよな、やっぱり」

「ええー? ヤルんスか?」

「何だよそのやる気無い返事は。きっちり前回のお礼をしてやらん事には気が済まんだろお前も」

「自分的には正直どうでも良いんスけど、まぁそれは横に置いとくとして。取り敢えずアニキ。前にアイツと戦った時の状況を思い出すに、ぶっちゃけ話オレ等とアイツって、かなりその、腕っ節に差がありすぎると思うんスが」

「わーかっているぅ。皆まで言うなシモンズよ。オレもタダやり合うつもりもない。ていうか多分マトモにカチ合うと確かに負けそうだしな」

「じゃあ、どーするんスか。アニキのその言い方から察するに『我に策あり』って感じッスけど」

「無論! っていうか耳貸せ耳。まずだな。お前が今からテュパンの衛──」

「マジッスか? そうなると自分は──」

「そうだ。で、オレが──」

「────」

「──」



 夕刻を過ぎて、夜の闇が徐々に帳を下ろし始めたマリハンスの繁華街。

「むー。お腹すいたねぇ」

 晩の食事にと宿を出て、ぶらぶらと大通りへと続く細道を歩いていた貴方は、右肩の上でごろごろと身体を転がしているリトゥエを指で突く。

「んむ、ったいなぁ。何よ」

 ここは既に宿の外だ。今居る街は田舎の寂れた村という訳ではなく、五王朝の一角を担う都の一つ。妖精である彼女がふらふらとうろついていると、要らぬ厄介事が舞い込んでくる可能性も高い。

 なのにそんな無用心な態度でふらふらとしていていいのか?

「何いってんの、別に無用心なんかじゃないよ。もう隠匿結界だって敷いてるし、貴方だって私が傍に居るって事が頭に無かったら、もう私の事を見つけられない筈だよ」

 言って、ふんと胸を張ってみせるリトゥエ。

 ──しかし、この妖精も色々と芸達者である。

 飛行能力は当然として、こういった身を隠すような結界を容易に操り、以前には瞬間転移じみた事も見せられた気がする。

「にへへ、でしょ? 普通の花の妖精ってのは香りを利用した幻惑幻覚の使い手ってのが相場なんだけど、私は『観察者』だから。それ以外にも色々とね」

 観察者──そういえば初めて会った時にもそんな名乗りをしていたか。

「へぇー。【NAME】、よく覚えてるねぇ」

 心底意外、といった調子の声を上げるリトゥエに、貴方は非難の半眼を向けた。その程度の記憶力はあるのだ。見くびってもらっては困る。

 まぁ、それは良いとして、と貴方はこほんと喉を鳴らすと、改めて訊ねてみる。

 リトゥエの言う『観察者』とはどういう意味なのかと。

 まさか、そのままの意味という訳でもあるまい。

 しかしリトゥエは貴方の言葉に「うーん」と小さく唸り、

「いや、結構そのままなんだけどね。こういう風にうろうろとうろついて世の中を観察する者って意味」

 何だそれは、と思わず拍子抜けした声を漏らした貴方に、リトゥエは「何か期待させちゃった?」小さく笑う。

「ま、でもやってる事はホントにそんな普通なんだよ。重要なのは内容じゃなくて、私がそういう『役目』を負わされているって事」

 役目?

「そう、特別な御役目。妖精って言うのは、それぞれが化身となる存在や自然現象の飽和状態から生まれるような存在なのね。で、その行動は元となった現象やらを円滑に動かそうと補助するものが殆どで、それがお仕事なの。例えば湖の妖精は自分が生まれた湖が美しく綺麗に存在できるように頑張るし、風の妖精は自分が生まれる契機となった季節の風がいつも安定して流れるように気を配る。山も、森も。嵐や雨だってみんなそう。そして、それ以外の行動を取る事はあまり無いし、自分が生まれた場所から動こうとする者も当然無いの」

「…………」

 ならば。

 今、肩の上でちょこんと座って話し続ける、花の妖精と名乗った彼女。

 この自然に咲く花など皆無に近い都会の街中に存在し、しかも自分と共にあらゆる場所を旅する彼女は一体どういう存在なのか。

「それが、『観察者』ってこと。私はエルセイド──つまり森の地母種に繋がるアルストロメリアの花の妖精で、自分の原型が咲いた場所でのんびりお花を護って生きるのが普通なんだけど……その本来の仕事よりも優先すべきモノに『観察者』ってのが来てるの」

 判る? という風にこちらを見上げてくるリトゥエに、貴方は小さく唸る。

 言い回しが何やらややこしくて正直判り辛いのだが。

「どう言えばいいのかなぁ。まぁ、判りやすく言うと、名前と自分の生まれた所属以外の他に何か名前がついてると、その子はちょっと特殊って訳。自分の存在に関わる役目の他に、別の役割が存在する妖精って事。例えば私は『観察者』で、下界のいろんな情報を仕入れて上の人──って言い方して良いのか良く判んないけど、そんな人達に伝えるのが仕事。他にも周辺環境の要となる土地を破壊しようとする、所謂鬼とかあの辺りの連中に対する守護力を備えた、戦闘特化の『守霊』とか。ま、色々ね」

 そこまでの説明を聞いて、貴方はふむと一息。

 つまり、リトゥエの言う処の『妖精の上の人』みたいな者達から力を貰って、特殊な仕事を任された者達が持つ名があり、その一つが『観察者』という事だろうか。

「そーそー。だから、私って一応花の妖精ではあるんだけど、他の花の妖精達と比べると結構別物なのね。いろんな処をウロウロするのが仕事だから、植物の妖精なのに土地に根差してる訳でもないし、花の妖精が普通は持ってないような力も幾つか使えるし。勿論花の妖精が普通に持ってる力だって──」

 と、リトゥエお馴染のちょっと良い話がまだまだ続こうかというそんな時。



「おい、そこの妖精憑き!!」


 マリハンス繁華街の中心である大通りはまだ遠く、辺りには店も人通りもない、裏手と言っても良い場所で。

 脇に伸びる街路の影から、唐突にそんな怒鳴り声を掛けられ、貴方は硬直した。

「…………」

(妖精、憑き?)

 掛けられた声に、まず疑問が浮ぶ。

 記憶を探るが、響いた声に聞き覚えは無い。なのに自分を『妖精憑き』と呼んだとなると、つまりリトゥエが見えているという事なのだが──先刻リトゥエは「もう結界敷いているし」とか言っていなかったか?

 余裕でバレている訳だがどういう事だと、貴方は問いかけの視線を己の肩上へと投げるが、リトゥエはその視線にも気づかず、

「え、へ? あれ? なんで? なんで? ちゃんと結界は敷けてるのに!?」

 と、じたばたと自分の尻尾にじゃれつくイヌのような仕草で回転していた。

 正直かなり鬱陶しく、取り敢えず落ち着けと手で押さえつけようかとも思ったが、

「オイコラ、聞いてんのかそこの奴!!」

 と、先程の男が声を飛ばしてくるので気にもしていられない。貴方は仕方なく声の出所へと眼を移す。

 貴方の視線に答えるように脇道の奥から姿を現したのは、一人の男だった。

 ひょろりと長い背丈に、軽い猫背。短く刈った髪の下には細く切れ長な目があり、物騒に輝く眼光は貴方と、そして肩の上で結界を敷き、人の眼には見えぬ存在となった筈のリトゥエをはっきりと捉えていた。

 彼は手にした槍を脇に抱え、脇道の影からゆらりゆらりと。どこか勿体ぶるような仕草で貴方の方へと歩きながら、

「久しぶりだな。またお前と会えるとは思わなかったぜ、冒険者。あの時の借りを今ここで晴らしてやる」

 などと言うのだが。

「…………」

 どうも、現れたこの男は自分の事を知っていて、更に何やら因縁みたいなものがある──と、男の発言からは推測できる。が、しかし、

(全く記憶に無い)

 首を傾げて腕を組み、記憶を探ってみれどもそれらしき事柄は浮んでこない。困った貴方は肩の上で一生懸命結界チェック結界チェックと呟きつつ何かしていたリトゥエをむんずと掴み、

「ふげ! な、何すんの【NAME】!」

 と抗議の声をあげるリトゥエを前方へと突き出し、あの男に見覚えがあるかと尋ねてみた。

「見覚え──? いや、まったく全然無いけど。っていうか貴方、なんで私の事見えるのよ! 調べてみたけど隠匿結界はちゃんと働いてる。相応の手順を踏んだ感知の術式でも使わないと人の眼には見えないのに、どうして私のこと見えてんのよ!」

「そりゃオレの眼がちょいと特殊だから──ってオイ、ちょっと待てよ。えーと、その……もしかしてホントにオレの事忘れてんのか? マジで? 全然?」

 いや待て、そんな心細そうな声を出してくれるなと、貴方は懸命に記憶を穿り返す。


「……」

「…………」

「………………」

「……………………」

「…………………………」

「………………………………、ああ」


 呟き、貴方は思わず、ぽんと手を打った。

「!! 思い出したか!」

 今にも喝采をあげそうな程に盛り上がる男に、まぁ待てと貴方は手で仕草。微かに脳裏に過ぎった映像を手掛かりに、ゆっくりと埋もれた記憶を掘り起こす。

 それは確か、このテュパンの都に初めて足を踏み入れた時の記憶だ。

 船から降りた時に感じた久々に地を踏む感触と、今では慣れたグローエスの空気。それらをしっかりと味わう間もなく訪れた、小さな妖精リトゥエとの出会い。

 そして、そう。

 貴方に助けを求めてきたリトゥエを追いかけていた、二人の男の内の一人が──今、眼の前に立っているこの男だった。

「それ! それだよそれ!! いやぁ、良かった! さすがだなアンタ!」

「ああ──あーあーあー! 居た居たそんな人! っていうか【NAME】凄いね、何であんなどーでも良いこと覚えてんの?」

「ってどうでも良かねぇ! あの時テメェがやった悪戯のお陰でオレがどんだけ恥をかいたか! しかもこの紫チビ、悪戯した肝心のテメェがオレのことを忘れてるってどういう事よ!」

「む……紫チビ!? ソレってもしかして私のこと言ってんの!?」

「テメェ以外に誰が居るってんだ! 人が女口説いてる時にひっでぇ悪戯しやがって、忘れたとはいわせねーぞ!」

「知らない知らない、そんなのぜーんぜん知らない! アンタなんて顔も名前もしーらない!」

「こンの──ええい、良く覚えとけ! オレの名はマヒト・クーゲン! ラカルジャが蜂の都、ウルキュルムの出にして円卓十氏のシオレに仕える二等遣士! テメエみてえな何処の馬の骨ともしれねぇ冒険者や、よく判らん妖精ごときにナメられるような扱いじゃねぇんだよ!」

 手にした槍の石突で地面を勢い良く叩きつつ、マヒトと名乗った男はそう啖呵を切ってみせたのだが。

「…………」

「あれ? 何その無反応」

 ──と、言われても。

 貴方は眉を顰めて頬を掻いた。

 ラカルジャとか、十氏とか。はっきり言うと全く聞いた事の無い用語な訳ですが──と馬鹿丁寧に返す他無い。

「く──そういやここはグローエス! んなこと言っても通じる筈もねぇか……ッ!」

 悔しげに唸るマヒトを見ていると、知らないのが悪い事のように思えてくるから不思議だ。

 何とかフォローしてやりたい所だが、知らないものは知らないのでどうしようもない。

 リトゥエなら知っているだろうかと話を振ってみるが、

「えー? んー……『ラカルジャ』が確か、グローエスの隣国で北東の方にある国ってくらいなら判るけど。でも他の言葉はさっぱり。二等ほにゃほにゃとか、何か役職の名前っぽいけど……まぁ他のお国のマイナーな地位を名乗って自分を偉く見せようって人の役職なんだから、多分知らなくてもぜーんぜん問題ない程度の地位なんじゃないかなー、なんて。少なくとも何処の馬の骨よりも格下なのは、私が保証したげる。戦いの腕前だって、【NAME】の方が断然上だもんね」

 と、途中までは真面目に答えていたリトゥエが、どこか面白がるような調子でマヒトの方を流し見つつ、明らかに煽っているような事を言い始める。

「──こ、このクソ妖精、馬鹿にするのも大概にしやがれ!!」

「やだなー。別に馬鹿にしようとしてるわけじゃないよ? ただ思った事をフツーに話してるだけだし。結果的に馬鹿にしちゃってるかも知れないけどー」

「お、おま、こ、の──!!」

「あはは、怒ってる怒ってる。たーんじゅん!」

 けらけらと笑うリトゥエを指差しながら、マヒトは指差して言葉を詰まらせるだけだ。正に怒髪天を衝くといった調子。

(少々からかい過ぎだ……)

 貴方はこつんと手の裏でリトゥエの頭を軽く叩いて、その事を彼女に報せた。あまり度を過ぎたからかいは要らぬ諍いを生む原因となる。

「──む、御免御免。でもさ、多分私が何か言わなくても向こうは初めっからやる気っぽいけどね?」

 小さく舌を出して笑うと、リトゥエは貴方の肩上からふらりと飛び立ち、ちょんちょんと前を見るよう貴方に促す。

 見れば、顔を伏せて肩を震わせていたマヒトが、凄まじい形相でこちらを睨んでいた。

「……フ、フフフ! まぁいい。まぁいい。確かにオレでは恐らくそいつには勝てん。だがな! たとえ負けると判っていてもやらねばならぬ時がある! そして今がその時だ!!」

 ──いや、そうかぁ?

 と、ビシっと槍の穂先を突きつけてきたマヒトに、貴方は思わず首を捻って返す。どうも始まりはリトゥエの悪戯程度の話であるようだし、そんな無理してやり合うような事でも無いような。

「事でもあるんだよ! 時間もねえしとっとと始めるぞ、喰らえや!!」

 もう問答は無用とばかりに、マヒトは手にした槍を何故か大上段に振りかぶり襲い掛かってきた!



battle
おかしな一人


 見た処たいした腕前でもなさそうな上、どうも相手から奇妙な気配を感じる。取り敢えず様子見という事で、貴方は相手に然程ダメージを与えないよう、適度に手加減して上手く相手の動きを封じようと試みていた訳だが。

「むむぅ……」

 とんとん、と貴方の攻撃を払い、軽くステップを踏んで後ろへ下がったマヒトは、苛立ったように唸る。

「おい、ちょっとお前なんだその戦い方! こっちの行動の邪魔すんなよ! もっと真面目に攻撃してきやがれ!」

 何だそりゃ。

 敵の行動の妨害に徹し、取れる選択肢を削ぎつつ様子を伺うのは、戦術としては極々基本的なモノの一つではないかと、貴方は呆れと疑問の混じった顔で男を見返した。

 が、マヒトはそんなこちらの様子など全く気がついていないらしく、

「……この状況じゃちと取り入るのは難しいか。下手すると両方しょっ引かれかねんし……」

 などと意味不明な事をぶつぶつと小声で呟いた後、すっと矛を収めてしまった。

(ここで止めるつもりなのか?)

 戦闘を開始してからそれなりに時間は経過しているものの、お互い勝負を決める程の一撃を決めたわけではない。マヒトが現れた時の剣幕を思い出すと、こんな中途半端な状態で勝負を取り止めるというのは何とも奇妙である。

「あれ、もしかして降参するの?」

 貴方の考えとほぼ同じ意見だったのか。

 何だか意外、という風な調子で口を開いたのは、戦いに巻き込まれないように少し離れた場所で見物を決め込んでいたリトゥエだ。

「なんかもうちょっと続くのかなとか思ってたんだけど。自分から吹っかけてきたくせに、貴方やる気が足りないんじゃない?」

 拍子抜けだとばかりに男を馬鹿にする台詞を飛ばしながら、リトゥエはふわふわと貴方の傍へと移動。というかこの事件の原因の癖に、戦闘には参加せずに悠々と高みの見物とは良いご身分である。

 マヒトはそんなリトゥエを憎々しげに睨むと、

「ええい、うるせぇな!! こっちにも都合ってものがあるんだよ! 兎に角、今日のところは勝負は預ける! 次は容赦しないからな、覚えてやがれ!!」

 リトゥエと貴方とを順々に指差しながらマヒトはそんな事を怒鳴ると、そのまま貴方やリトゥエが何か言葉を発する間も与えずに、たったかと脇道の向こうへと走っていってしまった。

「…………」

 あまりの鮮やかな逃げっぷりに、貴方は茫然と彼が走り去っていった道の方を眺めて、

「ええと……結局あいつ、何だったワケ?」

 同じく茫然とそちらを見ていたリトゥエの呟きに、貴方は「それはこっちが聞きたい」と返すしかなかった。



「アニキ! アニキ!」

「……おう、シモンズか」

「話が違うッスよアニキ! 打ち合わせ通りに『仲間が冒険者に因縁つけられて襲われてる、助けてくれ』って衛士詰め所に報せて、ちゃんとあの通路に案内していったのにだーれも居ないし! 衛士連中には滅茶苦茶怒らて散々だったんスよ!?」

「いや、うん、その、何だ。上手くあの場所で喧嘩に持ち込めた事は持ち込めたんだが、その後ちょっとしたイレギュラーがあってな。あのまま衛士に見つかると両成敗って事でこっちも取っ捕まりそうだったんで、仕方なくトンズラこいたのよ」

「って、その辺りはアニキがわざとやられまくって調整するって話じゃなかったんスか?」

「のつもりでこっちも動いてたんだが、上手い事邪魔されてなぁ。もしかしてバレてたのかなぁ。つーかよくよく考えるとあの作戦、肝心の紫チビを懲らしめられないよなぁ……」

「はぁ。……まぁ、その辺の事は自分的にはどうでも良くて、重要なのはまだあの『妖精憑き』にコナかけるつもりなのかどうかなんスけど、そこんとこどうすんです、アニキ?」

「どうもこうもねぇっつーの! ここで引き下がれるわけねぇだろうが! 兎に角アイツがこの都にまだ居るって事は判ったんだ。今度こそは──」

「正直やめた方が良いと思うんスけど。妖精憑きに関わるなんて厄の元ッスよ? タダでさえ自分等にはお嬢が居るってのに」

「…………」

「アニキ?」

「そうだな。お嬢が居たか」

「……まさかアニキ、ヘンな事考えてないッスか?」

「判っているぅ。だが、最後の手段としては中々良いんじゃねぇか、それは。く、くく」

「いや、ホント止めた方が良いと思うんスけど」

「くく、ククククククク!」

「……はぁ~」

異端神官   負けるなマヒト、今こそ魔剣唸る刻

──マリハンス繁華街──


 マリハンスは繁華街という名の通り、飲食店が多く軒を連ねる大通りではあるが、別に都の行政がこの通りで飲食店以外の店を出す事を禁じているという訳ではない。なので、大通りに並ぶ店を順番に覗いていくと、十五軒に一軒程度の割合で他の種の店にぶち当たる。

 勿論、マリハンスを訪れる者の多くは食事を目的としてやってきており、その要素に何ら関わりを持たない類の店が、マリハンス繁華街で繁盛している様を見るのは極めて稀だ。店舗の入れ替わりも激しく、長続きしている店は両手で数えられる程しかない。

 その十本の指の中の一つに、『エレン・ペルーの業物屋』という店がある。

 取り扱っている品は、兎に角曰く付きの武器防具である。それらが本来持つ質等は全く考慮されておらず、それぞれの品に纏わる胡散臭い噂話が、ここの店主であるマイス・ペルーの心の琴線に触れるか否かで決められているらしい。付けられている値段も然りだ。

 漂う如何わしさはかなりのもので、マリハンスに並ぶ店の中では露骨に浮いており、商売として見れば明らかに誤ったその姿勢に感じ入った固定客が幾らか存在するものの、所詮は少数。普通に考えれば一年と持たずに潰れそうな店である。

 のだが、その割に歴史は長く、既に二十年近くの年月をこの大通りで過しているとか。この辺りの事情はマリハンス繁華街の七不思議の一つと云われており、様々な憶測が為されているのだが未だその正解は謎のまま。今のところ、店主の背後に余程の道楽好きな金持ちが付いているか、本人自身がソレなのではないか、という線が有力だった。



 そんなエレン・ペルーの業物屋に、夕食を取る前の時間潰しにと足を運んだ貴方であったのだが。

「おお、冒険者っぽい客が! 丁度良い所に来たなあんた!」

 いそいそと店のど真中に商品を並べていた男が、喜色満面といった調子で振り返る。この男がこの店の主であるマイス・ペルーである。

 が、貴方はそんな男を無視して、

「…………」

 沈黙のまま、男が丁度今並べたばかりの品を見た。


 正に『本日の目玉』といった風に、店の中央に置かれた台座に乗せられた一本の剣。

(何というか……)

 呻き、貴方は引きつった顔でその剣を眺める。

 実際に眼で見えるもの、耳に聴こえるものではない。

 ──ないのだが、確かに。

 確かに、店の真中に置かれたこの剣から、非常に宜しくない予感を引き起こす気配のようなものが、店中に広がっているのが判った。


(どうみても呪われてるよな、あれ)

 剣から漏れ出す余りの陰気に、貴方の直ぐ傍で浮んでいたリトゥエも顔を引きつらせている。どうやら自分の気のせいと言う訳ではないらしい。

「……【NAME】にも判る? あれはちょっと、その、酷いね。どう見てもこう、なんか憑いてるというか」

 リトゥエの呟きに、貴方は頷きを返そうとして、

「おぅ、妖精?」

「ふえ?」

 こちらを見ていた店主の眼が、貴方の隣で浮ぶリトゥエを真っ直ぐに捉えている事に気づいた。

「って、あ──しまった、剣から出てる気に、結界が」

 慌てて貴方の背後へと隠れるように動くリトゥエだが、もう遅い。

「なんだ、あんた『妖精憑き』なのか! ならいよいよ持ってこいじゃないか!」

 店主はそう言うと、リトゥエが「憑いてないって!」と返す前に、台座の上から今置いたばかりの剣を無造作に手に取った。

「────」

 それと同時に、剣から渦巻く気配がどろりと店主の身体を這いまわり、その様に貴方とリトゥエは同時に息を呑む。だが、店主はその気配を気にした様子も無く、にこやかな笑みを浮かべつつ貴方のほうへと向き直る。どうも彼は剣から漏れている気配を全く感知していないらしい。

「どうだ、この剣買ってかないか? こいつ、かなりの曰く付きでな。ここまで良い話が付いてる武器は、やっぱ『妖精憑き』みたいな特殊な奴に似合うってモンだろ」

 云って、ちょっと握ってみないか? とばかりに店主が剣の柄を貴方とリトゥエの方へと差し出してくる。

 瞬間、柄から立ち昇る何かの気配が、鎌首を擡げる蛇のような動きでリトゥエに狙いを定めたような、そんな錯覚。

「ちょ、ちょー!! こっち寄せないで! 怖いから!」

「んー?」

 叫びながら貴方の背後へと完全に身を隠した妖精を、マイスは不思議そうに眺める。

「どうした妖精の嬢ちゃん。別に刃の方をそっちに向けてるわけじゃあるまいし。そんな怯えんでも」

「どうしたもこうしたも──ここまで『呪ワレテマス!』って傍から見てても判るくらいアピールしてる剣なんて久々に見たよ、私。オジサン、こんなのどっから見つけてきたの?」

「ああ、クリクル族の行商人がこの前テュパンに流れてきたらしくてな。そいつが取り扱ってる品の中にこれがあったんだ。何でも、鞘に施されてた筈の封印が最近壊れちまって、持ってるのも危なくなってきたからとっとと手放したいってな。つーか、妖精の嬢ちゃんから見るとそんな露骨に呪われてるように見えるのか、これ?」

 店主は首を傾げつつ手にした剣を眺めている。

 外見自体は確かに、大して特徴のあるものではない。せいぜい柄の装飾が少々独特な程度で、あとは極々普通の長剣である。が、あの剣から漂う気配はかなり強烈なもので、先程から店の前を通り掛かる人々も露骨にこちらへ近づくのを避けている。つまり自分とリトゥエが鋭すぎるというより、マイスがそういった気配に対して兎に角鈍いのだと考えた方が良いだろう。

 こういった品を専門で集めていると言う割りに、異質な空気といったモノを読む才能が完全に無いというのはどうなんだ、と言いたくなるが、そういった才が無いからこそこういう仕事をしているのかもしれない。

「でもまぁ、そうか。その辺りの事は俺には良く判らんが、妖精のあんたが言うならコイツはやっぱアタリって訳か」

 うんうんと頷いて見せたマイスに、リトゥエははてと首を傾げる。

「って、オジサン自身はその剣の事あんまり怪しく感じてないんなら、なんでその剣を手に入れたわけ?」

「そのガキ──つってもクリクル族だから実際の年齢は知らんが、そいつが話してたこの剣の噂話がそこそこ興味深かったから取り敢えず仕入れてみたんだ」

「因みに、どんな話だったの、それ」

「ん? いやそんな大した話じゃないぜ」

 店主はそう前置きすると、記憶を漁るように少し視線を外すと。

「確か、クリクルの連中の間でたまにやるらしい何かの儀式用に作られた剣だかなんからしくてな。どうも、生贄の血肉を混ぜ込んで刃を打ったとか打ってないとかで、その儀式の後、剣が意思を持ったように独りでに動いて生き血を求めるようになったとかどうとか。そのままクリクルの村一つ潰したらしいから、この話を信じるなら正に魔剣だな」

「「…………」」

 滅茶苦茶大した話だった。

「……良くそんなの仕入れてきたね、オジサン」

 貴方は呆れたようにマイスを見て、疲れたようにリトゥエの呟きに心底同意するが、彼の方ははんと肩を竦める。

「何言ってんだよ、ここは業物屋だぜ。そう云う品を仕入れないでどうすんだ」

 まあ、確かにそうかもしれないが、しかしこんな露骨に怪しい品物を誰が買うのかと。

「そりゃあんたじゃないのか?」

「…………」

 いや、どう考えても買いませんから。

「え、あれ、マジで? アンタ『妖精憑き』じゃないか。なら買うだろ?」

「どういう理屈か判んないよそれ! ていうか私は【NAME】に取り憑いてないってば!!」

「いや、俺の勘が囁いてるんだよ。この剣はアンタ達に関わる品物だって。つーか『妖精憑き』程の特殊な奴にはこういうのがお似合いなんだって。特別に安くしてやるから」

「私の話聞いてないし!」

 ヒートアップするリトゥエをまぁまぁとばかりに手で押しのけて、貴方はきっぱりと告げる。

 いりません、と。

 今までの経験上、こういった品を手元に置くとロクなことにならないのだ。

 だが、店主はその返事を聞いてもただ「そうかそうか」と頷くだけで、

「まぁあれだ。取り敢えず値段だけは言わせてくれ。この『魔剣ブングルポコマイマイ』──」

「何、その気の抜けた名前」

「クリクルのガキがそういう名前の剣だっていうんだから仕様がねーだろう。で、当店標準価格にして、なんと!」

「なんと?」

「198000rea」

「高ッ!?」

 叫ぶリトゥエに合わせるように、貴方も思わず仰け反る。元々買う気が無いにしろ、売り物の値としては正直はじめて見る桁数には驚かざるを得ない。

 そんな貴方達の反応に、店主はうんうんと満足げな表情で頷くと、

「──の処を、『妖精憑き』なお客様特別価格、198reaでご提供!」

「安ッ! つーかマジ安!!」

 というか、安すぎじゃないそれは。

「安いだろ安いだろ。いやぁ、我ながら勉強したねこれは。ついでに鞘を吊るす革ベルトも一本つけてこの御値段。どうよお客さん」

「ねぇねぇ【NAME】、これ実はお得なんじゃな──むぎょ」

 露骨に乗せられているリトゥエを、取り敢えず落ち着けとばかりに手で脇へと押し退けた。

 ここで押されては駄目だと、頭のどこかで警鐘が鳴っている。貴方は改めて店主に拒否の意思を示した。

「バッカ何いってんだよ。198000の魔剣が198だぜ!? 何分の一だこれ、千分の一の値引き? たとえどんなヤバイ呪いが掛かってたとしても買いたくなるだろこれは」

 なりません。

 それに仕入れ値は知らないが、まず最初の198000という値付けがそもそも間違っているという考え方は無いのか。

「まぁ、その辺りの話はもう良いじゃないか。取り敢えず持ってけよ。ほれ、テルアミオの山から飛び降りる覚悟でどーんと」

 云って、もう厄介払いでもしたいのかと思わせる程の積極さでマイスは貴方に剣を押し付けてくる。

(……これは)

 このまま店主に捕まっていると、いつかこの剣を買ってしまいそうな気がする。

 ソレは拙い。

 詳しくは判らないが、恐らく非常に宜しくない事になるだろう。


 となれば、取れる行動はそう多くない。


「あ、ちょ、おーい! せめてこの剣持ってけってー!!」

 という叫びを背後に置いて、貴方は脱兎の如く業物屋から逃げ出した。

 

 ──あのヤバい剣の所有権は、次に店を訪れた人物に譲る事としよう。



 その後。

 繁華街でのんびりと食事を終え、そのまま暫く夜の街を楽しんだのち。

 己の宿へと戻った貴方は、自室へと戻る直前、宿の主人から伝言を貰う。

 曰く、


『本日夜、月が最も高く上る刻限にて。

 テュパン南東、クオールフ丘頂上に立つ二本樹に来たれり。

 先日損ねた勝負の行方を、そこで改めて決したい。

 

                 マヒト・クーゲン』


「まひと・くーげん? ……えーと、誰だっけ」

 真剣な顔で首を傾げてみせるリトゥエ。どうやら彼女は本気で忘れているらしい。

 とはいえ、その名には何とか聞き覚えがあったものの、それ以外に関しては正直曖昧だった。主人に礼を述べた後、貴方は部屋のドアを開けながらこつこつと指先で己のこめかみを叩き、既に埋もれかけていた記憶を掘り起こす。

 ──確か、この前マリハンス繁華街で襲ってきた、リトゥエに恨みを持つ男の名だったか。

 貴方がそういうと、リトゥエは「あーあー、はいはいはい」と納得行った顔で二度ほど頷く。

「要するに決闘の呼び出しって事ね。っていうかあんな奴に付き纏われるなんて【NAME】も大変だね~。ご愁傷様」

 元々は自分のせいだというのに、まるで他人事である。

 お仕置きとして軽く指で彼女の頭を弾くと、

「ぷげ」

 という奇妙な声を残してリトゥエは貴方の肩上から転落。

「……痛い。ていうか最近、【NAME】って突っ込み激しくなってきてない?」

 ふらふらと浮き上がるリトゥエに貴方は肩を竦めるだけで答え、そのまま部屋を歩き、取り敢えず寝台の上に腰を降ろした。

「それにしてもあいつ、どうして私達が泊まってる場所知ってるワケ? 何だか気味悪いなぁ」

 まだふらつき気味のリトゥエは、近くのテーブルの上に着地しながら心底嫌そうな声でそう零す。

 それについての推測は簡単だ。

 一番妥当な線としては、彼等がこちらに気づかれぬよう事前に後をつけ、自分達が泊まる宿を割り出したのだろう。

 ここは街中、然して気を張って生活していた訳ではない。向こうが真面目にこちらを尾行していたのならば、恐らく気づく事は出来なかっただろう。

「うーん。まぁ私も思いつくのはその辺かな。なんか大雑把そうな奴に見えたから、私達が全然気づかないような尾行技能を持ってるってのはちょっと意外だけど。……しっかしちょっと悪戯したくらいでそんなに突っ掛かってくるなんて、あいつよっぽど暇なのね」

 リトゥエは呆れたように溜息をつく。

 実際暇かどうかは知らないが、前回の件が中途半端な結果になってしまったせいで、逆にムキになってしまったのではないだろうか。

「また迷惑な話ねぇ。で、【NAME】。どうするの? なんか来いって事らしいけど……正直面倒くさくない? 無視とかどうだろ」

 面倒云々以前に、自分達に恨みのある人間が指定する場所へと、素直にノコノコ出向いて行くのは危機管理の視点で見ると少々迂闊だ。

 しかし、ならば無視するのが良いかというと、それも微妙な処である。

 既に宿が割れている事を考えると、ここで下手に無視すると更に面倒くさい事を吹っかけてきそうな気もする。わざわざ宿を移すと言うのもまた面倒な話であるし、あの男の腕っ節がこちらよりもかなり下と見るならば、ここで無視するより、さっさと出向いて力でもって一気にカタをつけた方が手っ取り早いかも知れない。

 貴方は腕を組みつつ「うーん」と唸り、思案する。


 実際のところ、どうしたものだろう。

 素直に出向くべきか。それとも放っておくべきか?





──負けるなマヒト、今こそ魔剣唸る刻──


「で、アニキ」

「なんだー」

「ホントに大丈夫なんスか? なんか前回はお嬢に話通すみたいなこと云ってましたけど、結局まだ話してないッスよね? 自分とアニキの二人じゃ前々回の二の舞な気がするんスけど……」

「ククク。そこで取り出したるはこの剣よ!」

「…………」

「どうだ!」

「……その、どうだつーか何スか、その異様に怪しい雰囲気撒き散らしてる剣は」

「いや、メシ喰いに行ったついでに見知りの店を寄った時に見かけたんだが、なんか異様に気にいっちまってな。渋るオヤジを強引に説き伏せて譲ってもらってきたのよ。俺の『眼』によると、こいつが秘めてる力はすげぇぜ!!」

「あー、うん。確かに凄い感じはするッスが……アニキ、これ自分で使うんスか?」

「当たり前だろ。お前には貸さんぞ!」

「遠慮します。じゃなくて、アニキ。気づいてないんスか? この胡散臭いというか禍々しい気配というか」

「あー? なんのこった」

「……はぁ。まぁ、アニキの眼は隠された何かを見切るだけしか無理ッスからね。こういう機微を感じ取れというのが酷ッスか……で、いくらで手に入れたんスか、その剣?」

「なんと198000reaの品を5680reaに! とかいうから、何か悪い気がして10000reaで買い取ってきた」

「馬鹿じゃないスか? ていうか馬鹿じゃないスか?」

「二回も言うなよ!」

「いやだってそれ、どう聞いても売り抜け目的の大値下げじゃないッスか」

「お前はあそこの主人のキャラクターを知らないからそんな事が──あ」

「む、ホントに来たみたいッスね」

「のようだな。フフ、この魔剣の露払いとしては丁度いい!」

「それ、直前まで封印剥がすの禁止で。あと、鞘から抜かないようお願いするッス。恐いんで。……しかしあんな呼び出し方だったのにわざわざここに来るなんて、あの妖精憑きさんもかなりお人好しッスね」

「ごちゃごちゃ煩いぞシモンズ! 前回の借り、ここで晴らす! 行くぞ!」

「へいへい」



 然して急ぐ事も無く件の丘を登っていくと、丁度良い頃合にその頂上へと辿り着く。

 二本の樹が寄り添うように聳えるその場所には、二人の男が貴方を待ち構えるように立っていた。

「なんか一人増えてるね」

 周囲をぐるりと見て回っていたリトゥエが、貴方の肩上にとんと着地する。

 その彼女に、状況を尋ねる。姿を隠す術を持ち身軽な彼女に、先行して辺りの偵察を頼んでいたのだ。

 リトゥエはうーんと首を傾げると、

「取り敢えず、あのヒョロ長い奴の眼が届かない場所を調べて回った限りだと、伏兵とか罠とかはなーんも無かったよ。ホントに、あの二人だけで来てるみたい」

 何だか拍子抜け、といった風に肩を竦めてみせる。

 わざわざ街の郊外に呼び出すものだからそれなりに警戒していたのだが、どうやらあちらにはそういった手を打つような思考は無いらしい。

「でも、なんかあの樹の方から変な気配がするのよね。ごく最近似たようなのを感じた気がするんだけど……」

 リトゥエの言葉に、貴方は確かにと小さく頷く。何だか場の空気がおかしいような気は貴方もしていた。

 だが、その原因について思いを巡らす間も無く。

 こちらの姿に気づいたのか、樹に背を預けてもう一人の背の低い男となにやら話していたマヒトが、貴方のほうを向いて声を張った。

「来たか、『妖精憑き』に紫チビ!」

「だから取り憑いてないし、紫チビとか言うな!」

「紫でチビなんだから仕方ないだろう。他にどう呼べと」

「リトゥエ! リトゥエ!」

「判った、リトゥエだな。ではこれから紫チビと呼ぼう」

「アーッ! 貴方ホントにムカつくなー!」

 などと、マヒトとリトゥエが仲良く喧嘩する様を暫し眺めた後。

 既に予想できているが一応確かめねばなるまいと、貴方は改めて呼び出しの用件を尋ねる。

「何の用か、だって?」

 リトゥエと煽りあいを繰り返していたマヒトの視線が、既に脱力気味な貴方のほうへと向けられる。

「そんなものは決まってるじゃねぇか! 前回の決闘の続きだ! あの時は半端な処で流れちまったが、今日はきっちりと決着をつけてやる!」

「流れちまった、というか貴方が途中で逃げたんじゃない」

「あ、あの時は事情があったんだよ! 過去ばかり見てても幸せになれないぞ!」

「それなら私の悪戯も忘れなさいよ」

「ソレとコレとは話が別なのー! やるのー!」

「……そんな駄々っ子みたいなポーズされても気持ち悪いだけなんだけど」

「と、に、か、く、だ! 今日の俺は一味違うぜ! 見よ、この剣を!!」

 何かを振り切るように叫び、マヒトは後ろに廻していた右手をずいと前へと突き出し、その物体に貼り付けられていた紙片をびりりと破いた。


 ──瞬間。

 マヒトが突き出した右手を中心にして。

 つい数時間前に出くわしたばかりの非常に禍々しい気配が、ずるりと這い出した。


「「…………」」

 リトゥエと貴方は同時に沈黙。

(ああ、成程)

 先程から微妙に感じていた怪しい感触は、あの剣から漏れ出していたモノらしい。

「つまり、あの後あいつがお店に行って買ったって事かな。標準価格198000reaのアレを」

 そうなのだろう。実際幾らで買ったのかは知らないが。

「フハハ! 魔剣ブングルポコマイマイが放つこの絶大なる気に圧倒されたか! しかしまだ序章! これはシモンズの作った封印を解いただけ。真の力はここからだぞ!!」

 マヒトは正直酔ってるんじゃないかというテンションで叫ぶと、鞘を左手に、柄を右手に持つ。

「うわ、マジで抜く気だ。恐いもの知らずというか……ねぇ、そっちの人。止めなくて良いの?」

「自分が言った事を素直に聞いてくれるなら、今自分はこの場所に居ないッス」

 マヒトから僅かに後方の位置でこちらを眺めていた──恐らくシモンズという名の男は、心底疲れきった声で呟いて、小さくかぶりを振った。同情を禁じえない。

「さあ行くぞ! 目覚めよ魔剣、ブングルポコマイマイ!!」

 叫びと共に、剣が遂に抜き放たれる。

 鞘内から姿を現した刀身が粘るような輝きを放ち、そのブングルポコマイマイという名前は何とかならないのか、という突っ込みすらも塗り潰す強い光が、一気に辺りを包み込んだ。

 そして充ちた輝きがゆっくりと夜に解け、消え去った後には。


「……あれ?」

 禍々しく波打つ気を纏わりつかせた剣を片手に、小さく首を傾げる子供の姿があった。


「うわー。ポリモルフ……小人化の呪いとかかな。さすがクリクル族の品だけあるね」

 心底感心したような声を上げ、興味津々と言った様子で眺めるリトゥエ。

「ほらアニキ、やっぱりこうなったじゃないッスか。どうすんスかそれ。剣、手から取れます?」

「と、取れない……」

 ぷるぷると手を振るマヒトだが、剣は張り付いたようにその掌から外れない。

「まあ、呪いの品なんてそんなもんスよね。ていうかアニキストップ。あまり剣振り回すとマズい気がするッス」

 シモンズの視線は、マヒトが振り回していた剣に注がれていた。マヒトが剣を離そうと振る度に上下に動く刀身。揺れる度に纏わりつく気配がぐねぐねと蠢き、足元に生えた草がその気に触れた瞬間、しおしおと萎れていく。

「……て、ホントに洒落にならない感じが。あれ、人間に対してもあんな効果あるとか無いよね……」

 リトゥエの呟きに、貴方は自身の顔が引きつるのを自覚した。あの剣に絡み付いている気に触れると、こちらの身体がしおしおと萎れていくとか笑い話にもならない。

「ええい、もうしゃーねぇ! 兎に角!」

 ──と、シモンズと共にあれやこれやと剣を外そうと苦心していたマヒトが唐突に声を上げると、剣先をびしりと貴方の方へと突き付け、

「取り敢えず今日の用件を済ましてから考える! 行くぞ妖精憑き! シモンズ、お前も参加だ!」

「……了解ッス。えーと妖精憑きの方。自分としては別に恨みも何にもないんですが、上からの指示には逆らえないもんで。まあそれなりにやらせて戴きまス」

 シモンズは一度ぺこりとこちらに頭を下げると、斧を手にして回りこむように動き始める。意外と手馴れた動きに、貴方はそちらに注意を引かれかけて、

「ハハ! 剣の手放し方は判らんが、しかしこの得体の知れん力が流れ込んでくる感覚、中々すげぇぞ。使い方だって、ほれ!」

 マヒトの叫びに、慌ててそちらへと意識を戻す。子供の姿になったマヒトが剣を正眼に構えると、剣に纏わりついていた輝きが彼の小さくなった身体全体を覆い、波打つ幕へと変化していく。

 いや、幕ではない。あれは寧ろ、

「……鎧?」

 貴方の内心の考えを読み取るようにそう呟いたリトゥエは、真剣な声音で更に言葉を続ける。

「【NAME】、ちょっとあれは本格的にヤバイかも……。私が見る限りじゃ、滅茶苦茶強固な対抗概念があの輝きに潜んでる。多分、【NAME】が使えるような攻撃じゃ傷一つつけられない」

 では、どうすれば──そう呟く間すらも与えず。

「ククク! これなら勝てる、何となくだが勝てる気がするぜ! さぁ、この必殺のポコマイマイスラッシュ、喰らいやがれぇ!!」

「……ッ」

 なんというネーミングセンス。この状況に関わらず思わず吹き出しかけた貴方に向かって、しかし間抜けな名に反して正に必殺とも言える、どす黒い気を纏った長剣の一撃が迫る!



battle
小さき剣の呪


 最後の儀式技法に賭ける。

 正に鉄壁に等しい輝きの鎧に対して全力の大技をぶち込もうと、持てる力を溜めに溜め、さぁいざ放とうとした瞬間。

「ぬ、が……あれ?」

 正に唐突、といっていいタイミングで、マヒトの身体を覆っていた輝きが解ける。

 覆いを解いたその鈍い輝きの塊は、風に流れる煙が如き素早さでその形をぐにゃりと変え、別の何かを模る姿と為す。現したその影は、今のマヒトとはまた異なる容貌体躯の小人の姿。

 単色のその小人は今まさに技を放たんとする貴方を見ると、一色の内の陰影のみでもって示される顔の凹凸のうち、口に当たる部分を大きく斜め上方へと割き、

 

『────』

 

 無音の笑い声。

 そして貴方の放った力がマヒトに向けて殺到する直前、剣から涌き出ていた形すら持つ気配全てが、ひょいと剣の中へと引っ込んでいった。



「う~、身体の調子悪い」

 マヒトの持つ魔剣から広がり、辺りに充満していた気配に中てられたのか。リトゥエが、フラフラと草の中に墜落して突っ伏す。

 しかし、あの気配自体は既に剣の中に引っ込み、既にこの場は何の変哲も無い夜の丘に戻っている。

 貴方は地面に転がった剣に近づくと、一度躊躇った後、恐る恐るその剣の柄を取る。

「…………」

 何も、起こらない。

 そして刀身からは先程までのような不気味な気配が涌き出てくる事も無く。まるで何の力も持たない、ごくごく普通の長剣であるように見えた。

(どうしたものかな)

 この剣に秘められた呪いが如き力が、今の一件で消滅した。そう考えるのは余りに早計だろう。あの輝きが形取った人影の笑みは、他者を翻弄する事に愉悦を覚える類の陰湿な物だ。下手に関わり合いになるのは危険か。

「となると──」

 呟いて、貴方は視線を巡らせる。

 少し離れた場所には、剣を狙って放たれた貴方の技法の余波を受け、完全に気を失っているらしいマヒトとシモンズの姿があった。

 貴方は暫し考え込んだ後。

 剣を鞘に収めると、並んでぶっ倒れている彼等の上にその剣を寝かせてみた。

 すると、またずるずると剣の鞘から気味の悪い影が滑り出し、二人の周囲をどんよりと包み込む。翳る影の向こう側で、二人の寝顔が露骨に顰められ、うんうんと魘され始める。

 そして見下ろす貴方のほうへと向けて影の一部がするりと己を持ち上げると、その先端部が先程見たような陰影のみで構成された顔のようなモノを形作り、口に当たる部分が左右に細く裂けた。

「…………」

 なんというか。まるで意思──それも何かに害する為にだけ存在するかのような意思が、この剣の中に宿っているらしい。

(下手にちょっかいを掛けられる前に逃げた方が良いか……)

 貴方はじりじりと後退りつつ距離を取り、リトゥエが墜落している場所まで下がると、

「う~ん、う~ん」

 等と唸っているリトゥエを拾い上げてから、脱兎の如くその場から逃げ去る。


 後はもう。

 あの二人が、剣の内に宿っているらしい『何か』に完全に取り殺されない事を、他人事ながら祈ってやる以外に無かった。

 

 ──合掌。

異端神官   お嬢様は高い所がお好き

──マリハンス繁華街──


 テュパンで食事をとるならばマリハンスの繁華街へ行け。

 これはテュパンに住む人間ならば誰もが知っていることだ。建ち並ぶ店はどこも安くて美味く、そして独特の活気がある。

 取り敢えず、軽く食事をとっていく事にしよう。



「よう、妖精憑き。また会ったなぁ!」

 商都テュパン随一の繁華街、マリハンスの夕刻近く。まだ夕食には早い時刻であるためか、人通りはそれ程無い。

 朱色に染まり始めた街路をのんびりと歩いていた貴方とリトゥエは、突然脇道から姿を現した二人の男に行く手を塞がれた。

 何事か、と貴方は目を瞬かせ、そして眼前を塞いだ男達に見覚えがある事に気づく。

 最近ここ商都で妙に縁のある二人組。確か名は──マヒトとシモンズ、だったか。

「……貴方達懲りないねぇ。またやられにきたの?」

 リトゥエの辛辣な言葉に、背の高い方の男が軽くこめかみを引きつらせた。が、表情だけは何とか余裕の笑みを保ったまま、言葉を続ける。

「はん。今回は今までとは一味違うぜ。なんてったって、今日はオレらの主を呼んでるからな。なぁ、シモンズよ」

「いや、まぁそうなんスけど……」

 冴えない返事を返すシモンズを無視して、マヒトが叫ぶ。

「さぁ、リヴィエラ様出番です!! お願いします!!」

 そして、街路を挟んで反対側にある一軒の食堂、その屋根をびしりと指差した。

 ──そこには、赤い夕焼けを背負った人影が一つ。何故か『カシム食堂』と書かれた看板の上で、仁王立ちに近い形で立っていた。

(何だってそんな場所に)

 内心呻きつつ、貴方はその人影を見上げる。

 驚いた事に、その影は丈の長いフード付きの衣に右手に大きな杖、そして左手には何故か小さな紙片を携えた娘。

 彼女は周囲の人々の注意が自分に集まるのを待ってから、大きく息を吸い、そして叫んだ。


「──わ、わわわわ、わた、わた、わた、わた──!!」


「どもってるどもってる」

 半眼のまま呻くリトゥエ。視界の隅では、頭を抱えているマヒトとシモンズの姿も見えた。

「わたしは、獣神ベ、べべベルモルド信奉イーマ教団所属、第二ちゅ、きゅちゅ──痛ッ」

「しかも噛んでるし」

「……ううぅ」

 リトゥエの声が聞こえたのか、長衣の娘は左手に持った紙──恐らくは台詞が書かれたカンペだろう──から顔をあげ、目尻に涙を溜めた恨めしげな顔でこちらを睨んでくる。

「いや、そんな目で見られても」

 リトゥエは呻き、困ったように眉を顰める。

「というか、前口上はそこで終わり?」

「ひぇ? ──あ!!」

 少女は慌てたように周囲へ視線を彷徨わせ、

「え、えと、その……ごめんなさいッ! も、もう一回! もう一回最初っからお願いします!!」

 猛烈な勢いでぺこぺこと頭を下げて叫ぶと、娘はそのまま看板の裏に屈み込んでしまった。

 どうやら、先程突然現れたように見えたのは、単に看板の裏に隠れていただけらしい。

「「…………」」

 暫し、重苦しい沈黙が辺りを包み込む。

「あ~」

 頭を抱え、屈みこんでいたマヒトがふと顔をあげた。

「済まんが……もう一回最初からやっていいかね?」





──お嬢様は高い所がお好き──


「よ、よう、妖精憑き。また会ったな」

 商都テュパン随一の繁華街、マリハンスの夕刻時。そろそろ夕飯時の繁華街は徐々に人通りが増え始めている。

 ゆっくりと朱色に染まり始めた街路で途方に暮れる貴方の前に、脇道へと入る路地から二人の男が姿を現す。つい数分前に見た顔だ。

 確か名は──マヒトとシモンズ、だったか。思い出したくも無いが。

 少々額に汗を浮かべつつ白々しい声を出す背の高い男に、リトゥエが同じような表情で言葉を返す。

「……ホントにやるの?」

「コ、コラ!! 『貴方達、懲りないねぇ』だろうが!!」

「え? あ、あぁ、『貴方達、懲りないねぇ。ま、またやられにきたの?』……だっけ?」

 幾分強張った表情で呟くリトゥエに、男はこくこくと忙し無く頷く。

「は、はん! 今回は今までとは一味違うぜぇ~! なんてったって、オレらの上司を呼んでるからなッ!! ヒャッホゥ、明日はホームランだ!!」

「……というか、アニキもかなり壊れてきたっスね──ぐはっ」

 容赦なく殴られ、地面に倒れ伏すシモンズ。マヒトはもう半分自棄になったような大声で叫ぶ。

「さ、さぁ、リヴィエラ様出番です!! こっちはもうイッパイイッパイです! マジお願いしマス!!」

 マヒトが叫び、街路を挟んで反対側にある一軒の食堂、その屋根をびしりと指差す。

 そこには赤い夕焼けを背負った人影が一つ、『カシム食堂』と書かれた看板の上に立っていた。丈の長いフード付きの衣に右手に大きな杖、そして左手には何故か──というか、台詞が書かれたカンペなのだが──小さな紙片を携えた娘。その娘は周囲の人々の注意が自分に集まるのを待ってから、大きく息を吸い、そして叫ぶ。


「わたしは獣神ベルモルド信奉、イーマ教団所属、第二級上位神官のリヴィエラ・シオレです!」


「キャー、リヴィエラ様ー!」

「どもるなよ、どもるなよ」

 娘の前口上に、投げやりな歓声を上げるシモンズとぼそぼそと呟くマヒト。不気味である。


「我らが大神官長マべール様の教えにより、ベルモルド神の安らかなる眠り護るため、私は法を挫き、世界に混沌を振りまく!

 さぁ、貴様等に我らが神の御力を見せてやろう!!」


 一瞬の静寂。

「ぃよっしゃーぁ!! リヴィエラ様サイコー!!」

「リヴィエラ様ステキー!!」

 どうみても自棄といった調子で叫ぶ男二人。野太い声援が、夕暮れ時の繁華街を突き抜ける。

 だが、肝心のリヴィエラはといえば彼らに構わず、真剣な表情で何かを訴えるようにじっとこちらを見つめていた。見様によっては、何だか泣きそうにも見える。

 一体何なのか。白けた気分で首を捻った貴方とリトゥエの傍へ、

「ほら、アンタらもやってくれ! 泣かれちゃ困る!」

 猛烈な勢いで寄って来たマヒトがぼそぼそと耳打ちする。目が必死である。

「いや、そんないきなりやれって言われても……」

「困るんだよ!」

 完全に退いてしまっているリトゥエがぼそぼそと呟くが、マヒトはそんな事は知った事じゃないらしい。

「え、えーっと! リ、リヴィエラ様ブラボー!」

 勢いに飲まれたリトゥエが叫ぶと、

「…………」

 真剣な眼差しでこちらを凝視していたリヴィエラは、ふにゃりと表情を一変させた。

「えへへぇ、そ、そうですか? いやぁ、ま、参ったにゃはぁ~」

 もじもじと照れたように呟き、真っ赤になって俯いてしまう。

「……で、良かったの?」

「オッケー、バッチリっす!」

 精神的な疲労からかどこかぐったりとした様子で訊ねるリトゥエに、ぐっ、と向かって親指を突き出してみせるシモンズ。本当に感極まっているのか、先程声を張り上げすぎたせいなのか、少し涙ぐんでいる。

 何とも、手間のかかる。

 というか、彼等との間に何やらイヤな連帯感が生まれてしまったような。



「んじゃ、仕切り直しっつーことで……」

 屋根上から路地に降りたリヴィエラの隣にマヒトは立ち、手に持った剣を構え直す。前回の魔剣ブングルポコマイマイではなく、極普通の直剣のようだ。

 まぁ、前回あんな目に合って、まだあの剣を使うという人間が居るとしたら、それは真性の馬鹿以外の何者でもないだろう。というか今になって思い出したが、前回別れ際のあの状況を一体どうやって切り抜けたのか。謎である。

 などと考えている間にも、先程までの「リヴィエラと他多数」という配置から、今はリヴィエラ、マヒト、シモンズ対【NAME】達という対立関係を示した配置へと(暗黙のうちに)移動している。結局、戦いになるらしい。

「で、では、改めまして──行きます!!」

 リヴィエラが懐から巨大な宝石を一つ掴み、宙に投げ出す。そして素早く杖を両手で構え直すと、未だ空中にある宝石を杖で勢い良く殴打。


「覚醒せよ! 宝たる石に宿る精霊よ!」


 叫びと共に、宝石から乳白色の翼を持つ鯱が勢い良く姿を現す!



battle
ラカルジャの御嬢様


「……えっと。『やるな、聖なる秩序を守護する者共よ! しかし、たとえ一度は敗れたとしても、悪が潰える事は消して無い! 我等は不屈! そのことを忘れるな、四柱の犬、律法騎士共よ!!』」

 言って、こちらの攻撃を受けて少しボロボロになったリヴィエラは、びしりとこちらを指差しキメる。

 ──しかし、台詞の大筋は合っている筈なのだが、どこかこう、すっきりしないものが。

「ってゆーかそれ、使うカンペ微妙に間違ってない?」

 呻くリトゥエ。ポーズを決めていた娘の顔が僅かに傾げられ、

「え? あ。ああーー!? これ、対冒険者用じゃなくて、対律法騎士団用のメモ!?」

「真性のボケキャラかこのヒト」

 半眼のリトゥエが呟く間にも、彼女は片手に持っていたメモを投げ捨て、腰に下げたポーチを慌てた仕草でがさごそと掻きまわしはじめる。

「えと、これじゃなくて、これじゃなくて……あれ? あれ?」

 なかなかメモが見つからないらしく、暫くの間ポーチの中に両手を突っ込んで。

「ひゃ」

 そのままポーチを引っ繰り返してしまう。

 ばらばらと路上に散らばる中身。ハンカチに手鏡、他に埴輪を思わせる小さな人形や掌サイズの簡易祭壇。更にはあまり口に出すには憚られるようなものまでが豪快に撒き散らされる。

「ふ、ぐ、ぅ……」

 リヴィエラは引きつった表情で暫し固まり──

「……う、うわ~んっ!!」

「あ。泣いた」

 そのまま零れたポーチの中身を拾い上げようともせず、街路の奥へと走り去っていってしまった。

「…………」

 もう何が何やら。貴方は展開についていけず、半ば茫然とその背中を見送る。

「お、お、お前等ぁー!!」

 と、その声に振り返れば、貴方にやられにやられて路上にぶっ倒れていた二人組が、ふらふらとよろめきつつ立っていた。

「御嬢を泣かせたなッ!? 泣いたあの人の機嫌取るの滅茶苦茶面倒くせーんだぞッ!! サーヴィターとかでガンガン八つ当たりしてくるし!! どーしてくれんだコラァ!!」

 マヒトは額に血管を浮かべて怒鳴るが、そう言われても困る。貴方はリトゥエと顔を見合わせ、肩を竦めた。

「く、くそぅ……お前等、覚えてやがれ! 後で絶対吠え面かかせてやる!!」

「っていうかアニキ、どうもあいつ等とオレ等との間に、なんかこう、どうやっても埋められない絶対的な力の差がある気がするんスけど。気のせいっスかね?」

「ええぃ、それゆーな! というかオレも薄々勘付いているって事も判るだろうに、何故そこをスルーしてくれない! ほら、リヴィエラ様慰めに行くぞ!」

「へいへい」

 男達は路上に散らばったポーチの中身を掻き集めると、慌ててその場から去っていった。



「……なんかさぁ、最近ヘンな連中とばっか縁があるよね、私ら」

 彼等が走り去っていった方向を見据え、溜息混じりにリトゥエが呟いた。

 ──どうも、自分もその『ヘンな連中』の一人だという事を彼女は自覚していないらしい。

「【NAME】、変なこと考えてない?」

 いーや、と貴方は首を振り、そのまま歩き出す。

 この騒動が警邏の連中に伝わる前に、さっさとここから立ち去らなければ。

異端神官   そのプリンっぽいの凶暴につき

──そのプリンっぽいの凶暴につき──


 テュパンで食事をとるならばマリハンスの繁華街へ行け。

 これはテュパンに住む人間ならば誰もが知っていることだ。建ち並ぶ店はどこも安くて美味く、そして独特の活気がある。

 取り敢えず、軽く食事をとっていく事にしよう。



 真昼時より少し手前。宿を出た貴方は、肩上に隠匿状態のリトゥエを伴い、のんびりとマリハンスの街路まで足を運ぶ。

 目指すは、マリハンスに立ち並ぶ大衆食堂の中では随一の人気を誇るカシム食堂。昼食時のピークタイムから少し外れたこの時間ならば、悠々と席に陣取り、時間に余裕のある料理人が作った食事を頂く出来る筈。この辺りの時間の自由さが、仕え事の無い流れ者にのみ許された特権である。

「ね、ね。今日は何食べるの? 取り敢えず私は『フタユメ葉茶』頼んでくれないと拗ねるよ?」

 あれ、結構高いんだよなー、等と小声で世間話をしつつ、マリハンスの大通りへと出る。

 

 同時に、どかーん、と。

 

 冗談みたいに吹っ飛ぶテラスの座席と、買い物客の姿が見えた。

「……は?」

 何事? と横方向へ飛んでいく人々を貴方とリトゥエは茫然と眺める。細道から大通りへと入った貴方の眼の前を左から右へ。景気良く斜め上方向へすっ飛んでいった彼等は、一定の高さまで到達した後、勢いを失ってぼてぼてと落下する。派手に吹っ飛んでいった割に怪我などは一切してなさそうな風で、その事が非現実感を更に増加させた。

「……ねぇ【NAME】、ナニコレ?」

(ええと、)

 ぽかんとその様を見ていた貴方は、同じような顔つきで呟くリトゥエにどう答えたものかと視線を巡らせて、彼等が飛ばされてきた方向──つまり左手側へと振り向くと、そこにはバカデカイ桃色の不定形生物が、ごろんごろんと転がりながらこちらへ向かってくるのを見た。

 ぷるぷると震えながら転がるその物体は、道行く人々や露店などを押したり寄せたりしつつマリハンスの通りを行ったり来たり。

(あれは、『プリュクル』か?)

 以前マリハンスを訪れた時にも、あの桃色の巨大なゼリー生物が暴れる様に出くわした記憶があった。

 ──だが。

「見かけはそれっぽいけど……でも、ちょっとデカ過ぎでしょうアレ。常識的に考えてさ」

 だよなぁ、と釣られてそちらを見たリトゥエの感想に、同意の呻きを漏らす。

 前に退治した時は確か、こちらの背丈に多少届かない程度の大きさだったと思うのだが、今、通りの向こうからごろんごろん転がってくるソレは、それと比べて少なくとも三倍近い大きさ。自重により多少縦が潰れて楕円形になっていて、マリハンスの通りを埋め尽くすように広がりながら、辺りにあるものを冗談のように吹き飛ばしている。何故か道に沿って移動し、尚且つすっ飛ばされてるモノやら人やらに全く損傷がないらしいのが、状況をより胡散くさくしている。

「いやホント何なのあれ? あんなバカデカいプリュクルなんか訊いた事ない」

 訳わかんない、といった風にリトゥエは思い切り首を捻る。

 プリュクルは宝精の一種。一般に宝精と呼ばれる代表七種には属さない下級の宝精で、宝精召士が彼等の意思で呼び出す事はほぼ無く、失敗時等に偶然召喚される場合が殆どといわれる。一般に召喚されるそれは、以前出くわした大きさのモノが平均的な大きさだ。

 そして、宝精は基本的に大きさはどのようなモノも均一である。どのような宝石を使おうが、召士の腕が違おうが、呼び出される宝精の姿形は種類によって決まっており、そこから外れる事は無い。

 ──召士自身が追加の術式を打ち、わざわざ現れる宝精に手を加えるといった事をしない限りは、だが。

「わざわざプリュクルに強化術を施したって訳? でも、そんな手間掛けるくらいなら普通に別の宝精呼び直した方が楽でしょうに……ていうか、なんで基本的に制御できないプリュクルにそんな術式を」

 心底呆れた顔で肩を竦めるリトゥエ。というか、そんな事まで知っているのかと、貴方は感心した顔で彼女を見る。彼女のような妖精種に関係のある術式という訳ではないのに良く知っているものだ。

「ん? ……ああ、うん、人の使う術式関係は、昔に立場上色々と調べてたからそれなりに。でも、確か宝精巨大化の術式って何か欠陥あったような……って、そんな事より、どうしようこの状況?」

 言われて困る。桃色巨大ゼリーはいまだ少し離れた場所を行ったり来たりと何をやりたいのかさっぱりな行動を繰り返しているが、徐々にだがこちら側へと近づいてきてもいる。このままぼんやりしていると、自分も先程横切っていった人々のようにぼいんと景気良く吹っ飛ばされ、顔から地面に突っ込む羽目になるだろう。

「つーかさ、なんで怪我してないのよアレ。普通あんな勢いで飛んで地面に落っこちたらさ、死にはしないまでも大体大怪我でしょ?」

 全く同意なのだが、遠くから見た限りでは別段怪我しているように見えないのだから仕方ない。吹き飛ばされた時と、地面に落ちた時の衝撃だけでもかなりのモノの筈なのだが。

 リトゥエと二人、うーんとばかりに首を捻るが、答えは出ない。

「──って、ぼーっとしてちゃダメなんだってば。ええと、逃げる? 面倒だし」

 リトゥエの提案に、貴方は一拍の間すら置かずに首を横に振った。

「本気? というか今日はやる気だね珍しく」

 おおぅ、とわざとらしく驚いてみせるリトゥエに、貴方は淡々と説明する。

 何故やる気かというと、今プリュクルが大暴れしている場所の直ぐ傍に、本日の目的地たるカシム食堂があるからだ。あと、今日朝食抜いてますので。

「……納得。んじゃ、邪魔にならないように下がってる」

 言葉と共に、リトゥエが貴方の肩を蹴って大通りの右手方向へと飛んでいく。その彼女の小さな姿を完全に見送る事無く、貴方は愛用の武器を引き抜き、ごろんごろんと道を転がりまわっているピンクの物体へと近づく。既に周囲に居た人や置かれたモノを粗方吹き飛ばしたのか、プリュクルの周りには何も無い。通りの人々は遠巻きにしてその謎の物体を恐る恐る眺めている。プリュクルはどうも人を狙って動いているという訳ではないらしく、そんな彼等に向かって突撃していくといった風は無く、ただごろんごろんと道なりに転がるだけだった。

(……なんなんだろなぁ、これ)

 プリュクルは基本的に無制御かつ無脳な宝精。そんなものの行動に意味を見出そうとする事自体に無理があるのか。

 そう結論づけて、貴方は手にした武器を構えて踏み出した。その動きを感知したのか、それとも単なる偶然か。プリュクルの方も貴方の方へと向かってごろんと大きく転がり、貴方の身体を弾き飛ばすように動き出す。

 その向こうには、カシム食堂の看板が見える。こんな桃色ゼリー等とっとと処理して、カシム名物の『ブーゲル腹肉の大蒜香草炒め』を頂くとしよう。



battle
不可思議な大宝精


 どっこらせっ、とばかりに大ぶりに構えた武器を、渾身の力を込めて振り下ろす。

 的が大きく中身が馬鹿なおかげで、少々動作が大きかろうが関係が無い。全く回避の仕草を見せないスライムのど真ん中に、貴方の技法の一撃が突き刺さる。浸透した力が数拍の間を置いて弾けて、プリュクルはその肉体を派手に爆発させて消滅した。

「っ、ふー」

 纏わり付いた気配を払うように、ぶん、と大きく武器を振って、貴方は一息。

 同時に、周囲から大きな喝采が上がる。プリュクルと貴方との戦闘を見物していた通行人達だ。彼らにとっては良い見世物だったのだろう。中には、先程プリュクルに吹っ飛ばされて地面に突っ伏していた人々の姿もある。怪我はしてないまでも、そのような目に合ったというのわざわざこちらの戦いを見物していたとは余程恐いもの知らずなのか鈍感なのか。

(というか……)

 実際プリュクルと戦ってみて判ったが、あのスライム、こちらを体当たりで吹っ飛ばそうとはしてくるのだが、その一撃を受けても何故かたいしたダメージを受けないのだ。普通あれ程の大きさの物体に体当たりを食らえば凄まじい衝撃を受ける筈なのだが、喰らってもぽーんと吹っ飛ぶだけで、身体にダメージはさっぱり残らないという正に見掛け倒しな攻撃は、物理法則を大幅に無視している。正直異常という他無かった。

「おーつかれぃ! 楽勝だね、【NAME】!」

 と、そこへ景気の良い声と共に、リトゥエが空中からひらりと降り立つ。今回は前と違い、隠匿系の結界を敷いたままなのか周りの人々から驚きの声が漏れるようなことは無い。

「何であんなのがいたのか判んないけど取り敢えずやっつけたしさ、早速『フタユメ葉茶』を──あれ?」

 貴方の服を掴んでちょいちょいとカシム食堂の方へと引っ張ろうとしたリトゥエが、突然首を傾げて動きを止めた。

 一体どうしたのか、と彼女の視線を追う。その先は、今さっき消滅させた巨大プリュクルが居た地点の丁度中央辺り。貴方に破壊されてプリュクル自体は既に完全消滅し、普段より妙に物が無いさっぱりしてしまった道の上に、ばたんきゅーとばかりにぶっ倒れている、三つの人影があった。

「…………」

 その内二つは背丈にえらい差のある男達。一つはフード付きの長衣に身を包んだ娘だ。三人とも何やらうーんうーんと唸りつつ気を失っている。

 プリュクルが居た時は姿形も無く、倒した後にいつの間にか現れて何故かぶっ倒れているその三人を、貴方は何ともいえぬ表情で眺めた後、全く同じ顔を浮かべているリトゥエと視線を合わせる。

「ええと、その、なんつーか……どうしよう?」

 何がどういう流れがあって、今目の前で彼等がぶっ倒れているのか。

 理由はさっぱり判らないが、この状況だけで考えるなら──。





──マリハンス繁華街路 カシム食堂──


 少しは事情を知ってるかも──というより、我ながらどういう気紛れだろうか。彼等と少しまともに話をしてみるのも悪くないかと、何故だかそう思えたのだ。

 倒れていた彼等を近場の店、要するにカシム食堂へと連れ込んだ貴方は、寄ってきた店員に話を通す。

「さっきの騒ぎに巻き込まれたお仲間が目を覚まさないから、ちと席貸してってか? ……んー、今から昼飯時だからあまり席埋めたくないんだけど……まぁ、困った時はお互い様ってことで、店長に話つけといたげる」

 と、もう顔なじみにもなった彼女の厚意に甘える形で、食堂の奥へと彼等を運び込んだ。



 安くて美味い大衆食堂として知られる『カシム食堂』には、実はもう一つの顔がある。隣国ラカルジャや環の国リィン・ウナムといった独特の食文化を持つ国の料理を振舞う店としての顔である。

 先刻の騒動より一時間程過ぎただろうか。四人席の南側に座った貴方は、対面と両側に座る三人へ順繰りに視線を送る。

「うわぁ、うわぁ──!! なつかしくておいしーですー!」

 貴方の対面に座って大騒ぎしながら料理を食べているのは、フード付きの長衣に身を包んだ娘だ。名は確かリヴィエラ、と言ったか。

 年頃としては最近漸く成人したという辺りだろうか。内陸の河魚を用いた、ラカルジャ由来な辛い味付けの料理を、水も飲まずに満面の笑みを浮かべてぽこぽこ口に運んでいる。

「…………」

「…………」

 そんな彼女の右手側、貴方から見て左側に座っているのは、既に見慣れた顔といってもいい長身の男、マヒト・クーゲン。その逆側に座る小男は彼の弟分の立場らしいシモンズ・カプレ。二人の前にもラカルジャ料理が並んでいるが、彼等はリヴィエラとは逆に全く手を着けず、マヒトは腕を組んだまま貴方の方を睨みつけ、シモンズは顔を伏せ気味に伺う様にして貴方とマヒトを交互に見比べていた。



 何故こういう状況になったのか。正直自分でも良く判らない。

 取り敢えず気絶した彼等を椅子に運んだ貴方だったが、最初に眼を覚ましたリヴィエラにまずその事を伝えると「まぁ、助けていただいた上にお食事に誘ってくださるんですか!?」と、どうも節々が意味不明な事をのたまった後、置かれていたメニューに目を走らせて「うわ、うわぁ!! ここラカルジャの料理があるじゃないですかぁ!! わたし感激ですぅ!」と激辛料理として知られる一品を即座に頼み、更にはまだ寝たままの二人の分も注文。そして「ええと、あなたは何になさいます? わたし、これがオススメなんですけど。あ、わたしが頼んじゃいましょうか?」と勝手にメニューを決められてしまう怒涛ぶり。

 慌てて止めて自分の料理をオーダーした頃に漸く男二人が眼を覚ましたわけだが、彼等はニコニコ顔でラカルジャ料理について語る己の主と、店の外──先程のプリュクルの事件の被害調査を行っているテュパン衛士達。そして貴方の顔を順繰りに見て、片方は腹立たしげに、もう片方は溜息でこの謎の状況を受け流す事に決めたようだった。



「あれ? マヒトさんにシモンズさん、食べないんです? 凄く美味しいですよ、このスアンツアイユイ」

「……あー、まぁ、なぁ」

「……うー、そのッスね」

 物凄い複雑な表情を浮かべて貴方のほうを睨んでいた長身の男マヒトと、場の空気とこちらとマヒトの態度を見て出方を伺っていた小柄な男シモンズは、小首を傾げて訊ねてくる娘リヴィエラにどう答えたものかといった風に視線を泳がせる。

「取り敢えず、御嬢はそのまま喰ってて貰って結構です」

「はぁ。でも、お二人もご存知かと思いますけど、冷めたらおいしくないですよ?」

「良いッスから、ほら、どうぞどうぞ」

 促され、不思議そうな顔のまま魚を捌き、絡めて口に運ぶ。

「んー……? んー。ぅふ、おいしーぃ」

 途端、ふにゃり笑みを浮かべる彼女であったが、

「──って、あああっ!?」

 貴方やマヒト達が次のアクションを移す前に、突然叫んでがたんと立ち上がった。

「な、何よ!?」

 突然の行動に驚き、隠匿結界を敷いて隠れていたにもかかわらず、思わず大声で反応してしまったリトゥエの事など気にもせず。リヴィエラは仰け反った貴方のほうへと身を乗り出すと、満面に近い笑みを浮べ、

「ええとその! あの、私、まだお礼いってませんでした! 何方かは存じませんが、わざわざ助けて戴いたばかりか、こうしてラカルジャ料理のお店にまで案内してもらって、本当に有り難うございます! 久しぶりに故郷の味を楽しむ事が出来ました!」

 リヴィエラはわざわざ椅子の横に身を移してからぺこぺこと頭を下げはじめる。周りのテーブルに座る客達が怪訝な顔で眺めるが、謝る彼女はそんな事など全く気にせず──というか気づいた様子も無い。

「…………」

 何というかこの娘、凄まじく自己中心的というか、周りの空気を読むという技能を全く持っていないらしい。貴方は眼の前で頭の角度を勢い良く上下させるリヴィエラを止めようと、もう良いから判ったからと適当な言葉で宥める。

「でも、ついついご飯に浮かれて御礼の挨拶も忘れるなんて──って、ああ!? あ、あの、わたし、それ以前にまだ『初めまして』のご挨拶がまだでしたよね?」

 ──はぁ?

「わたし、リヴィエラ・シオレと申します! 獣神ベルモルドを主としますイーマっていう教団の神官を務めておりまして、今はその布教活動の一環としてこっちの方──ってあ、こっちというのはグローエスの事でして、わたしはその、故郷はラカルジャで、あの、あの!」

「御嬢様、まずその、少し落ち着いて欲しいッス。ほら、冒険者の方、呆気に取られてるっすよ」

「え? あ、ああ、そうですねシモンズさん。こういう時は気を落ち着けて、ゆっくりはっきり判りやすく。ええと、まずは気を落ち着けるために深呼吸で。すー、はー! すー、はー!」

「あ、うん。そ、そうッスね御嬢様。取り敢えずはい、すー、はー、すーはー!」

「すー、はー! すー、すー、すー──く、ご、ごほ! っほ、っ、は、はー!」

「お、御嬢様、お茶、お茶! 吸い過ぎッスよ空気!」

 突然両手を振り振り胸を大きく張って深呼吸を始めて、しかも行き成り失敗して思い切り咳き込むリヴィエラを、貴方は恐れすら混じった目で見据える。

(……ていうか、初対面て)

 まさかこの娘、つい最近このカシム食堂の前でこちらを待ち伏せし、大立ち回りをした相手の顔すら覚えていないというのか。鳥頭とかそういうレベルで収まる域では断じてない。

 だが、唖然と固まる貴方の事など全く気にせず、リヴィエラは良く判らない事を立て続けに話しては、自分から躓いたり首を捻ったり、しかし訂正もなにもせずにまた喋りだしては謝ったりぺこぺこしたりを繰り返して。

「……何というマイペース。これ、間違いなく変人でしょ……」

 肩上で囁くように呟いたリトゥエの言葉に、貴方は無言のまま同意の頷き。彼女等についての事柄や、先程のプリュクルとの具体的な繋がりについてをそれとなく訊けたら良いな、程度の気分でこの席を設けた訳だが、このままでは何が何やら判らないまま終わりそうだ。

「はぁ。こりゃアレね。ちょっと手を変えましょ。【NAME】、ここ任せていい?」

 仕方ない、といった調子で貴方の耳元に囁いてくるリトゥエ。その台詞から察するに、彼女に何か策があるらしい。

 何をするつもりなのかと問えば、

「いやほら、【NAME】ってこいつらの事を調べたくなったんでしょ? でもこんな調子じゃ身のある話になんなそーだからさ。──えーっと、ねぇ、貴方! マヒトって言ったっけ?」

 リトゥエは結界を展開したまま、仏頂面でリヴィエラ達の方を見ていたマヒトを呼ぶ。彼は小さな舌打ちの後、鬱陶しげにこちらへと視線を移すと、

「……んだよ、妖精」

 表情そのままな調子の答えを返してくる。その彼の視線が、貴方の隣に居るリトゥエと正面から絡まり、その事にリトゥエは不敵に笑みを濃くした。

「やっぱり。ホントに私の結界とか、無視して視えるのね」

「オレは片目がちと特殊でな。見抜く事に掛けては自信が……じゃねぇ。用件は何だってんだよ」

 リトゥエは不快感を隠さずに促すマヒトの傍へと移動すると、突然、大きく頭を下げた。

「取り敢えず今までの事、全部謝る」

「はぁ? 何をいきなり──」

 突然の事に仰け反り慌てるマヒトに、リトゥエはすぐさま顔を上げて畳み込むようにこう続けた。

「で、私達はさっき貴方達の事をこうして助けてあげた。で、それを踏まえて一つ貴方にお願いをしたいの」

「…………」

「ちょっと貴方と二人で、というかそこの『御嬢様』が居ない場所でお話したいのよ。なんかその子居ると話がロクに進まなそうでさ」

「……何話すってんだよ。話すことなんかねーぞ?」

「いやほら、うちの【NAME】がさ。色々と突っ掛かってきた貴方達にちょっと興味もっちゃったみたいだから、その好奇心を晴らす手伝いをしろって事よ」

「おま、ふざけ」

「街で暴れていたプリュクルが消滅すると同時に、宝精召士か出現かー。この状況をチクれば一発よね。掴まったら貴方の大事な御嬢様はどうなっちゃうのかな。あ、外に衛士が見えた」

「~~っ!」

 どうやら、リトゥエの勝ちらしい。

 がたん、と音を立ててマヒトが椅子から立ち上がる。

「あれ? どうしました、マヒトさん」

 彼女にはリトゥエは見えていない。突然一人立ち上がったマヒトに驚きの視線を向けた。

「リヴィエラ様、少しばかり席を外します。シモンズ、悪いが後は頼む」

「判ったッス」

 素早く貴方とマヒトの両者を視線を送り、小男はあっさりと頷く。彼にも今のリトゥエは見えていない筈だが、それでもマヒトと貴方の態度からある程度の状況を把握したらしい。

「え、用事? ごはん、食べないんですか? おなかすいちゃいますよ?」

「替わりに御嬢が喰っといてください。そうすりゃオレの腹も膨らみます」

「あ、それもそうですね! 判りました、それではわたし、マヒトさんの分まで頑張って頂きます!」

(何を言っているんだお前達は)

 異常な会話に戦慄する貴方の肩から、リトゥエがふわりと浮かび上がる。移動する先は、店を出ようと歩いていくマヒトの背中だ。見送る貴方の視線に、リトゥエは軽く片目を瞑って答えて、長身の男と共に外へと出て行く。

 後は、リトゥエが美味く情報収集してくれることを祈るとしよう。



 昼飯時のカシムである。長居は出来ず、食事が済むと同時に外に出て、リヴィエラとシモンズの二人とはそこで別れた。ちなみに今回の食事代は何故かシモンズが払うと申し出てきて、断る理由も無い貴方はそれを受けた。今回の件に対する彼流の謝礼だろう。

 その後暫く都を散策し、軽く時間を潰してから宿の自室に戻ると、

「おかーえり」

 両手で何とか抱えられる程の大きさの果実をもくもくと食べているリトゥエに迎えられた。


 ──で、結局彼等は何者なのか。


 上着を脱いで適当な場所に引っ掛けながら訊ねた貴方に、リトゥエは「んー」と己の得た情報を纏めるように一つ唸り、

「簡単に言うと布教活動だってさ」

 リトゥエ曰く、どうも彼女達──正確にはリヴィエラのみらしい──は、ベルモルドと呼ばれる神の信徒であり、その普及と実践の為にラカルジャからグローエスへとやってきたらしい。

(ベルモルド、ねぇ)

 正直な話、聞いたことも無い神である。

 グローエスは四柱信仰が主であり、要の四柱ラムーザ、バハル、ネウレトゥ、イトゥニス以外を信仰する者は殆ど居ない。これは東大陸のどこの国でも似たようなもので、例外は唯一神ビャクを国教とするノティルバンや独特の文化が浸透する環の国といった、云わば際物の国のみである。

 が、『殆ど居ない』という言葉から判るように、他の神を信仰する者達が全く居ないという訳ではない。五王朝でも各領で四柱神の中から主と掲げる神をそれぞれ選び信仰してはいるが、国主が神殿勢力と深い関わりを持つオルス以外では、他信仰に対してそう厳しい弾圧など行われておらず、他神を崇める者達も相応の集団を作り細々とでは活動を行っているとか。彼女の出身地であるラカルジャではどういう状態なのかは判らないが、そう五王朝と差があるものではないだろう。

「と思ったんだけどさ。やっぱベルモルドってのがマズイらしくてね。ほら、ベルモルド信仰ってちょっと他の教義とはちょっと趣が違う部分が結構あるじゃない?」

 と言われても、ベルモルドを知らないのだから何が何だか判らない。

 お手上げ、と言った風に肩を竦める貴方に、「ああ、あんまり知名度ないんだっけ」とリトゥエが思い出したように呟く。

 というか、人々の間で信じられている神など全く関係ない『妖精』の彼女が、人である自分の知らない神様についての知識をもっているというの良く判らない話だ。貴方が苦笑しつつそう言うと、リトゥエも似たような顔で小さな肩を僅かに竦めてみせる。

「人の信仰対象というか、『象神種』については色々と警戒してないと危ないからだよ。まぁ、その辺りの事は今はどうでも良くて。ええとベルモルドは確か──」

 黒牛によく似た姿を持つ獣神ベルモルドは、所謂終わりと大地を司る神だという。彼は地の深く深くで眠りについており、今の世界はその背中に積もった土によって作り出されたものだとか。彼は眠りの中で世界のあらゆる出来事を人の眼を借りた夢として眺めて退屈を紛らわせているが、いつか全てに飽きた時に目覚め起き上がり、背に乗った世界を丸ごと破壊してしまうという。彼の目覚めを伸ばすために祈り、行動するのがベルモルド信仰者である。

「で、その教義の性質上、ベルモルド信仰者は快楽主義というか刹那主義というか、兎に角混沌とした状況を作り出そうとする連中が多くて、色々と秩序維持団体とかに厄介がられる場合が多いの。何でも良いから飽きが来ない状態。常に変化する形を求めるからね。だから犯罪者集団扱いされている教団も多くて、その関係で彼女、家に反対されて、半ば家出同然でこっちに来たとか何とか」

 家?

 鸚鵡返しに呟いた貴方に、リトゥエも「うん、家」と返す。

「あの男二人が言ってたじゃない。御嬢って。なんかラカルジャの方じゃホントにいいとこのお嬢さんみたいよ。宝精召士としての修行も家の関係でやってたみたい。所謂『専家』って奴ね」

 つまり、あの二人は教団の人間に付けられたのか実家の方から派遣されたのかは判らないが、兎に角彼女の付き人としてこの街に居るという事か。

「家の方から、ってのが正解みたい。あの御嬢様に自分達が家の人間だってバレると逃げられるから、わざわざあの子が家を出た後偶然を装ってあの子に接触して、家の人間ってのは秘密のまま美味く言いくるめたんだって」

 先程のカシム食堂での、リヴィエラが取った行動と言葉の数々を思い返す。

 護衛対象に取り入るのは酷く簡単だっただろうが……その後、彼女を守る事にどれだけあの二人が苦心してきたかが知れるエピソードと言えた。

「まぁ、向こうさんの素性はそんなとこ。どう、結構美味い事聞き出して来たでしょ」

 うんうん、と頷いて、彼女はしゃくりと抱えた果実にかぶりつく。既に上半分が彼女の口の中に消えている。リトゥエの細い身体の中にあの果実の上半分が収まっていると考えると、やはり妖精って非現実的な存在なんだなぁと実感せざるを得ない。

 ──って、話はそれだけ?

「え?」

 ほえ、とばかりに果実から顔を上げるリトゥエ。口の周りが果汁でえらいことになっているが、そこは一先ず突っ込まず、貴方は続きを口にする。

 彼女等の素性を何となく訊いてみたい、と思っていたのは確かだが、自分が知っておきたかった事はまずあのプリュクルと彼女等を繋ぐ具体的な話と、何故あんなモノを呼び出して大通りで暴れさせていたのかという動機に繋がる部分なのだが。

「え、もう言ったよ?」

 いつ。

「さっき。言ったじゃない。あの子の目的は獣神ベルモルドの布教と教えの実践だって」

 ちゃんと訊いてたの? と少し非難の視線を向けてくる。

(布教と……教えの実践、だって?)

 ──しかしそれは、つまり。

「イーマ教団の教えはなんかこー、凄い派手みたいでね。第一が秩序への反抗、第二が悪事の遂行とか何とか。さっきのプリュクル呼んで大暴れしてたのもその一環だってさ」

 おいおい、正真正銘のテロリストですか。

 こりゃさっき笑って別れたのは失敗だったか、と貴方は頭を抱えかけるが、対するリトゥエはくすりと擽るような声と共に貴方を眺める。

「そこの処はどうだろね? ベルモルドの教義ってのは基本的に神様を退屈させないで楽しませる、喜ばせるってのが目的だから」

 何が言いたいのか。怪訝な表情で顔を上げれば、小さな妖精は悪戯っぽく微笑んで、


「悪事って一言で言っても、国家転覆からちょっとした悪戯まで、結構な幅があるって話。

 ねぇ【NAME】、思い出して。

 あのプリュクルに吹き飛ばされた人達、怪我とかしてた?」


「──あ」

 伺うような彼女の言葉に、思わず声が出た。

 そんな貴方を見て、リトゥエは更に笑みを濃くする。

「まぁ、はた迷惑な奴等ってのは否定しないけどさ。でも正真正銘本当に悪い人達だって訳じゃないんじゃないかなって、私は思うよ」

 にこにこと、彼女はまた手の中の果実をもくもくと食べ始める。

 まさかリトゥエに諭されるとは。どこか打ちのめされた気分のまま、今日はもうさっさと寝るかと寝台に腰掛けて靴を脱ごうと足を伸ばし、

「…………」

 無言のまま、サイドテーブルの上でにこにこ笑顔で果実を食べるリトゥエを見る。

 会話が一段落ついたせいか、リトゥエは瞬く間に果実を平らげていき、最後の一片をひょいと口の中に放り込んで「うまー」と満足げな声と共にころんとそのまま大の字に。

 そんな彼女をじーっと見つめていた貴方は、さっきから気になっていた一つの疑問を口にした。


 ──お前、その果物何処で手に入れたの?


「うまー」

 今思い出したけど、それ確かイルサ通りの有名な輸入店でしか取り扱ってない奴でしょ?

 高級品でしょ?

「うまー」

 お前お金持って無いでしょ? なのに何で喰ってるの? 誰に買ってもらったの?

「おやすみー」

 ねぇ? ちょっと? リトゥエさん?

「……ぐー」

 もしもし? もしもーし?

「…………」

 ちょっとー?


 ………

 ……

 …

異端神官   バカっぽい娘

──酒場ナーマ・アテネゥ──


 ランドリートの都は、主に旧市街と新市街、そして外街の三区域に分けられる。

 都の南にあるボーグボーデンの港を中心とした地域が旧市街。都の真中より少し西側に外れた位置にある、ランドリート政行官邸や都の秩序を守る警備団の本部、百選市場の運営組合などの施設が密集する地域を新市街。

 対し、それらの中心的施設より離れた地域を総じて外街と呼ぶ。

 酒場ナーマ・アテネゥは、外街に属される第二十五架橋の裏手から伸びる細い道を抜けた先。地下へと続く、人の肩程の幅も無い階段の奥にある。

 とはいえ、幅が狭いのは入り口から十数歩の範囲のみで、その奥は広く取られた石畳の踊り場と木製の扉。

 扉を開くと、その奥からは酒気と熱気が絡んだ濃厚な空気が流れ出し、扉前に立つ【NAME】の鼻を掠めた。



 地下に存在するという割に広い店内は、元々この都の地下にあった遺跡群の一部を、店として改築し利用した故のことだ。

 中はやはり少々薄暗い。テーブルごとに照明らしきものが灯されているようではあるが、10メートル四方はある立方に近い部屋の全てを照らし切るには至らないようだ。

 店内は壁の中程より伸びる、明らかに後付と思われる木製の床で上層と下層に分けられており、下の階には部屋の広さに比べると若干小さなカウンターテーブルが一つ。上の階には複数のテーブルがあり、その全てに客らしき人影が照明が生む光の中で揺れている。

 吹き抜けの構造となっているため上階は比較的狭く、幅2メートルも無い床が壁の縁を巡っているだけ。しかも、天井や壁から珍妙極まりない飾りや、正体もはっきり判らぬ剥製などが吊り下げられており、余計圧迫されるような感覚がある。

 逆に、下階は広さの割りにテーブルが殆ど無く、中央に奇妙な空隙が開いていることもあってか、どこか物足りない印象を受けた。

 一通り店内見渡した【NAME】は一息つき、

(さて、まずは……)

 何にしても、食事か酒かを頼まなければ始まらない。

 【NAME】は上階の南側にある出入口から中へと入り、隅の階段を降りてカウンターテーブルに近づく。と──そこで見知った顔と出くわした。

「や。君もここに来たのか」

 カウンター席に座り、【NAME】に向かって軽く手を振ったのは、あの探検家の男ハマダン・オリオール。

 カウンターに備え付けられた椅子はほぼ満席の状態に近かったが、カウンターの内側に立っている人間は、座るオリオールの前で細い酒瓶を抱えて立つ女性以外に居ない。椅子が6脚以上ある事を考えると、少々人が足りていないようにも見えた。

 オリオールの前に立っていた彼女は、彼の前に置かれた小さな杯に赤色の液体を注ぐと、【NAME】に向かい客受けのする笑顔を向ける。

 【NAME】が一つだけ余っていたカウンターの席に座ると、杯を一気に呷ったオリオールが、それに合わせる様に席を立った。

「さて、僕はそろそろ行こうか。じゃ、フランエリエさん。先刻の件と……あと、【NAME】のことをよろしく」

「はいはい。両方ともよろしく頼まれたけど、あんまり期待しないでね」

 立ち去っていくオリオールに、フランエリエと呼ばれた女性は苦笑しつつ答え、彼が階段の上へと消えるまで見送った後。

「ええと。【NAME】さん、だったかしら?」

 彼女は【NAME】の方へ向き直ると、名を問うてくる。素直に【NAME】が彼女に頷けば、彼女は持った酒瓶を両手に抱え直し、ぺこりと小さく御辞儀。

「わたしはここの女将……って言うのかしらね、こういうのって? ……まぁいいわ。取り敢えずそういう人で、フランエリエっていうの。

 オリオールさんのお知り合いって事なら、色々サービスさせてもらうから。どうぞご贔屓に、ね」

 そこでくしゃりと猫のように笑って、手に持った酒瓶を揺らす。

「で、何か飲んでく? それともご飯がいい? ……といってもここ地下だから、あんまり火を使う料理は出来ないんだけど」


 軽く食事を取り、取り敢えず一息。

 さて、適当に情報収集とでも行きますか。



 給仕の女の子から都の噂を聞いた。

「都心大路の方でさー。最近なーんかヘンな技法を使うバカっぽい娘が、色々騒ぎ起してるらしくてさぁ。ああいうのが居ると、アタシ達まで兵隊さんに疑われたりするし、結構迷惑してんだわ。はやいとこ何とかして欲しいわ~ホント」

 馬鹿っぽいとは酷い言われようだが、彼女が言うくらいだから余程のものなのだろう。



「さて。そろそろお店は終いかしらね」

 カウンターテーブルにしな垂れかかるようにしていたフランエリエが、テーブル隅にある小さなランプへ目を向けて呟く。

 見れば、他のテーブルで輝くランプとは違い、彼女の視線の先にあるそのランプだけが、灯す炎を黄がかった赤から、淡く澄んだ碧へと色を変えている。

「あれにはちょっとした仕掛けがあってね。あのランプの灯が緑に近くなったということは、そろそろ朝が近いって事なの。……だけど、あなたも結構な時間居座ったわねぇ」

 言って、フランエリエは含むように笑う。確かに今日は少々長居しすぎたようだ。

 あのランプに灯る火の色が完全な碧となる前に、宿へ引き揚げる事にしよう。

異端神官   都心大路のお騒がせ者

――都心大路のお騒がせ者──


 水の都とも呼ばれるランドリートの都では、街中を通っている河川をヴィーラで渡って移動するのが基本だ。殆どの陸路は途中で河川に遮られ、橋は多いとはいえ全ての道に通されている訳では無い。大型の荷車が数台横並びしてもまだ余裕があるような大通りであっても、場所によっては迂回が必要な事もある。

 唯一の例外は、都心大路と呼ばれる外街、新市街、旧市街の都三区を貫き、ボーグボーデンの港にまで抜ける一本の大道だ。

 この都最大幅を誇る通りだけは、道を横切る河川全てに大型の橋が架けられており、南端となる港から都北西側の縁まで、一度も道を替えたりヴィーラを利用したりせず横断する事が出来た。新市街にあるガーナ・ニレン中央広場も経由しており、細かい路地に迷い込み道に迷った時は、取り敢えず中央広場まで戻ってから、都心大路を伝って目的地付近へと向かうのが都内移動の定石とされていた。

 都心大路は、ランドリートの都の幹線とも言えるような道ではある。道幅はさぞ広く、整備されているのだろうと思われがちだが、実際の所はそうでもない。

 新市街から外街へと続く部分は、新市街部建設を主とした後期都市計画に従って設計されたものだ。都心大路の名にふさわしく、都随一と言っても良い道幅と整備水準を誇る。

 だが、新市街から港へと続く道、特に旧市街区に入ると、下手をすると他の大通りの方が広いのではないのかと思う程の道幅となり、整備についても同様で、旧市街部の通りは総じて舗装も甘く、都心大路もその例に漏れない。一部は水捌けも悪く、雨が降った後には道を覆う程の大きな水たまりが出来て、通行人達がげんなりとした表情で靴を濡らす光景が良く見られた。

 都を管理する行政府も、現状は流石にまずいと考えているようで、これまで幾度か拡張や再舗装の計画を立ててはいるようなのだが、予算や工事に伴う通行止めによる混乱を考えると及び腰にならざるを得ず、結果、現状維持のまま今に至っているようだ。



 そんな大路の旧市街側は、いつにも増しての大混雑だった。

 先日、西大陸から超大型輸送船が着港した事もあり、荷車や人の通りが明らかに増えている。加えて、今【NAME】が歩いている辺りは道幅が特に狭く、荷車二台がすれ違うのも漸くという場所だ。人でみっちりと埋まった道に荷車がやって来る度に流れが滞り、半ば渋滞に近い状態となっていた。

 港近くから新市街にあるガーナ・ニレンの広場目指して歩いていた訳だが、ここを通れば道に迷う事はないだろう、と馬鹿正直に都心大路のルートを選んだのは失敗だっただろうか。目の前の混雑を見て、【NAME】は頬を掻く。

(混雑、もあるが……)

 ちらりと視線を左右に振る。時折目に付くのは、大路の端で監視の目を光らせて立つ警備団の者達の姿だ。

 普段ならば、これ程の数は居ない。理由として思い当たるのは、以前酒場で聞いた噂話。確かヘンな技法を使う女が何か騒ぎを起こしている云々。それを警戒しての事なのだろう。一体どんな騒ぎを起こしているのかまでは聞かなかったが、こうして人が張っているという事は、それなりに害のある騒ぎは確かに起きているが、しかし見張りの眼から然程必死さが感じられない辺り、大きな問題に発展する程の事でもない、と言ったところか。

 何にせよ、警備の目がきつい場所はどうにも居心地が悪い。別段自分に後ろ暗い何かがある訳ではないのだが、しかし些細な難癖を付けられる可能性もある。混雑の事もあるし、別の道を行くべきか。【NAME】はそう考えて、大路から離れようと足の向く先を変えた。

 そんな、突然の動きがいけなかったのだろう。

「……っ、と」

 丁度隣をすれ違おうとしていた通行人の進行方向を遮る形となってしまい、互いの身体がぶつかった。

 浅い衝撃と共に、微かに身が泳ぐ。自分に非がある事が判っていた【NAME】は、足を止めてよろめいた相手に謝ろうとして、

「おい、いきなり向き変えんなよ――って、お前はっ!?」

 突然声音を変えてそう叫んだのは、長身痩躯の男だった。彼は人込みの中、周囲の迷惑も考えずに派手に後ろへ飛び退いて、不穏な気配を濃厚に撒き散らした。

 自分を見る男の表情は、単なる行く手を遮った通りすがりの人間に向けるには険しすぎるもので、【NAME】は怪訝に思いつつ相手を見返す。

 と、男の鋭すぎる目つきを、

(何処かで……)

 見覚えある。

 そう思った瞬間、記憶が一気に蘇った。

 フローリア諸島へとやってきた当日。入った酒場で喧嘩をし、オリオールの助力を受けて勝利し、牢屋に入れられた。

 それはこの島での始まりであり、あまり思い出したくはないが、しかし忘れるのも難しい。そんな出来事だった訳だが、

(全く、運が悪い)

 内心毒づく。

 今目の前で身構える男は、その時の喧嘩相手だった。

「まさかこんなトコで会うたぁな。いろんな意味で丁度良いっつーか。おいシモンズ、準備だ!」

「え、アニキ、まさか……?」

 舌なめずりする長身の男の隣には、背が低く、ずんぐりとした外見の男が居た。シモンズと呼ばれた彼は、引きつったような顔で隣の男と【NAME】を交互に見て、

「ここでやるんッスか!? 幾らなんでも人多すぎなんじゃ……」

「だからこそだろうがよ。この混雑を利用すりゃ、警備の奴らもそうそう近づけねーだろうし、どさくさに紛れてこいつにこの前の借りも返せるってもんだ」

 言って、男が手にしていた槍をくるりと回す。突然武器を振り回し始めた男に周囲から悲鳴が上がり、どよめくような声音と共に人の溢れた都心大路に数メートルの空間が空く。シモンズも諦めたような溜息と共に、腰から吊り下げていた斧の留め金を外した。

(……正気か?)

 若干の前傾、僅かに腰を落として身構えながら、【NAME】は眼前の二人組の振る舞いに唖然とする。

 こんな往来で武器を構える事もそうだが、何より今、都心大路は普段以上の警戒状態にあるのだ。視線を走らせれば、既に騒ぎを聞きつけたランドリート警備団の者達が、後方より声上げ人込みを掻き分けながらこちらへ近づこうとしてきている。

 確かに警備団の歩みは遅いが、到着まで一分と掛かる距離でも無い。男達は、それまでにこちらを叩きつぶして逃げるつもりなのだろうか。前回の戦いの結果を考えれば、そのような楽観的予想が出来る筈も無いのだが。

 相手がどういうつもりなのか今ひとつ読めないが、しかしただ無抵抗にやられる訳にも行かない。【NAME】は武器の柄に手をやりながら、二人の様子を窺う。

 と、

「んじゃ、行くか。――リヴィエラ様! お願いします!」

「は、ははは、はいっ!」

 アニキと呼ばれた男の叫びに呼応するように上がった返事は、高く細い女のものだった。

 声の出所は、近くを移動していた荷車の上だ。全く予想もしていなかった展開に、【NAME】含めて、周囲の人々の視線がそちらへ集中する。

 荷台に積まれているのは大量の薪。その山の頂に、一人の娘が頼りなげに立っていた。つい先刻まで、そんな場所には誰も居なかった筈なのに。一体いつの間にと、場に居る殆どの者達が目を丸くする中、踝まで届くローブを纏ったその人物は、目深に被っていたフードを跳ね上げてこちらを見下ろし、

「……ひぅっ」

 四方から向けられる視線に、明らかに怯んだような顔で身を竦ませた。

「いやいやいや。リヴィエラ様、ビビッてねぇで早く早く!」

「あ、ああ、は、はいっ! えっと……」

 リヴィエラ、という名なのだろうか。娘は男の声に急かされるように、足下に置いていた石塊をよいしょと持ち上げる。

 石は子供の頭程の大きさだ。でこぼこした表面。出っ張った部分は透明感があり、その部分を避けるように無数の亀裂が入っていた。

 リヴィエラはそれを両手で抱えたまま、身体を上下に揺らすことで勢いをつけて、ぶんと上方へと放り投げる。わざわざ勢いをつけた上での行為であったが、元が女の力故か、石は然程も浮かばない。けれどもそれは彼女の背丈よりも高い位置にはどうにか至り、そしてそれが下方へと落ちていく間に、リヴィエラは背負っていた杖を引き抜いて、

「――覚醒せよ! 宝たる石に宿る精霊よ!」

 声と共に、杖をすくい上げるような形で振り切り、落下していく大石を杖の先端部で殴打した。


 瞬間。

 石塊が鈍い音と共に砕け、その破片一つ一つが、淡紅色の身体を持つ巨大なゼリー状の物体となって四方へと飛び散った。


 散ったゼリー状の物体の大半は、【NAME】達の騒ぎに足を止めていた都心大路の通行人達の上に落下した。先刻までは突然路上で始まった喧嘩沙汰を迷惑げに、または興味深げに見ているだけだった彼らだが、突然自分達に襲いかかってきた変事に、一気にパニックとなった。

 現れたゼリー生物は直径一メートル程で、数は凡そ数十。そんなものがいきなり現れ、自分達の上に落下してきたのだから、混乱するのも無理はない。

 ある者は半狂乱になって逃げ出そうとし、ある者はどうにか払い除けるか戦おうとし、ある者は恐怖と混乱で硬直して動けず。それらの秩序無い動きが絡まりあって、誰もがまともな行動を成せずにいた。

 それはランドリートの警備団達も同様で、秩序を失った人の群れに飲み込まれて、完全にその動きを止めてしまっていた。

 例外は、最初から武器を構え、周囲と広く間を取っていた【NAME】達だけ。

 落下してきたゼリーは【NAME】達を避けるように数体、地面に着地し、うぞうぞと跳ね回っている。【NAME】はそちらを一瞥し、こちらに直ぐさま襲いかかってくる気配がない事を確認してから、正面に立つ男へと視線を戻した。

 そんな【NAME】の態度を見て、男が舌打ちする。

「冷静だなテメェ。この宝精召術に驚いて隙を見せてくれりゃ、一気に行けるかと思ったんだが……」

 男の言に、【NAME】は半ば埋もれかけていた知識を掘り起こす。


 ――宝精召術。

 東大陸の一地方で用いられる、宝石を介した召喚術式だ。現世界とは異なる場所へと宝石を介して繋がり、そこから使役存在“宝精”を召喚する技。

 本場の東大陸でもこの術を扱える者はあまり居らず、召喚術が盛んな西大陸であっても異端召喚術として細々と研究されている程度と聞く。

 “宝精”は宝石が持つ属性によって主に七つの異なる格として現れ、それぞれ違った能力を持つという。宝精召術を操る宝精召士は、状況によってそれらを使い分けて戦う、強力な術士である。


 そこまで思い出して、【NAME】は状況の悪さを認識する。

 男の合図に反応して宝精召術を使ったことを考えると、あの女とこの男二人は協力関係にあるのだろう。

 ならば自分は、目の前の男二人に加えて、宝精召士である女を相手にしなければならないという事だ。彼女が呼び出した無数のゼリー状の宝精も、当然ながら敵だ。

 そして争いを仲裁してくれる筈の警備団は、宝精と人々の壁に遮られてこちらに近づけない。少なくとも、この場を自分の力だけで切り抜ける必要がある。

(どうにか、出来るか?)

 自問しつつ、【NAME】は少しでも敵の情報を得ようと、宝精と男達、そして荷台の上の娘へと意識を向ける。

 近くに居る宝精達は、こちらに対して積極的な行動を取るような素振りを見せなかった。他方、通行人達の方に落下していった宝精は、彼らの身体に纏わり付くように跳ね回っているが、それだけだった。

 そして、目の前の二人を見れば、

「っていうかアニキ」

「ンだよ」

「いや、最初の予定と違ってないッスか?」

「言うなよ。っていうかリヴィエラ様ーっ! ピュレじゃなくてどう見てもプリュクル出てんですけど、これ確か召喚失敗した時に出てくる宝精ですよねーっ!?」

 男の叫びは、荷台の上の娘に向けられていた。

 杖を両手で抱え込むように持って、辺りをきょろきょろと落ち着かない様子で見回していたリヴィエラは、顔を半ば泣きそうに歪めていて、

「え、ええと、その、実は石が砕けちゃったからびっくりしちゃって、それで術が上手く行かなくて……」

「あれ判っててやったんじゃなかったんスか!? あんな石、叩いたら割れるに決まってるじゃないッスか!」

「ご、ごめんなさいマヒトさん、シモンズさんっ。で、えと、ど、どうしましょうこれ? 術式の組み立てがボロボロになっちゃったから、この子達、制御も何にも出来てないんですけど……」

「えっ」

「えっ」

「え?」

 男二人が足下で跳ねるプリュクルへと引きつった顔を向けて、その反応にリヴィエラは薪の上でおろおろと狼狽える。

「…………」

 その間に【NAME】は素早く思考を巡らせる。

 目の前で繰り広げられた会話によれば、召喚は失敗し、宝精――プリュクルは召士の制御下に無いという。

 そして彼らは今、こちらへ注意を向けていない。この不意を打てば、案外容易く勝負をつけることが出来るかもしれない。少なくとも、男二人はどうにかなる筈だ。

 となれば、好機は僅か。活かすには、今すぐ行動に移すしかない。

 【NAME】は迷うこと無く身を前へ、間合いを詰めるために爪先に力を込めて、全力で地を蹴り出した。

 と、その時。

「ッ!?」

 一体何に反応したのか、周囲の、そして足下に居たプリュクル達が、一斉に大きく跳ねた。

 視線を動かす事は出来ない。気配から察するに、数は恐らく六体。数メートル程勢い良く跳ねたプリュクル達は、飛び出した【NAME】の動きを追うように宙を飛んでくる。

 まるで、こちらの突撃を読んでいたかのようなタイミング。先刻のマヒト達の会話はひっかけだったのかと疑う気持ちがもたげるが、今更だ。この状況で足を止める事こそ最悪手。このまま一気に行くしかない。

 距離が詰まる。プリュクルの動きに反応して、マヒト達も【NAME】の突撃に気づいたようで、驚きながらも迎撃の姿勢を取ろうとしている。しかし問題は、【NAME】が先手を放つよりも、彼らが迎撃に動くよりも、何よりプリュクルの落下が先という事だ。

 周囲に影が差したのを感じる。頭上に迫るプリュクルが、日の光を遮ったのだ。次の瞬間には、自分は恐らくプリュクルに押しつぶされるだろう。

 【NAME】はそれを理解し、半ば諦めながらも、身体だけは必死に前へと動かし、振りかぶった武器に技法の力を漲らせる――。



battle
都心大路のお騒がせ者


 結論からいえば、勝負はあっさりと付いた。

 一体何がどうなってこうなったのかはさっぱりだが、【NAME】目掛けて殺到してきたプリュクル達のお目当ては、実は【NAME】ではなく。

「ぐ、ぐぬぬ、動けん……」

「息が、苦しいッスー……」

 目の前には、大量のプリュクル達にむぎゅむぎゅと押しつぶされたマヒトとシモンズの姿があった。

 どうやら、プリュクル達が彼ら目掛けて跳躍したのを、自分目掛けて迫ってきたものと勘違いしてしまったらしい。

 【NAME】は攻撃するため二人に走り寄っていたのだから、プリュクル達の動きをそう勘違いするのも致し方ないのだが、

(無駄に脅かされた気がするなぁ)

 戦闘直前は半ば絶体絶命な気分になっていた訳だが、完全に要らない心配だったようだ。【NAME】は安心と拍子抜けが綯い交ぜになった気分で、プリュクルに包まれた彼らを見下ろす。

「マヒトさぁーん、シモンズさぁーん、大丈夫ですかぁー!?」

 近くで止まったままの荷車から、リヴィエラが心配そうにマヒト達を見ている。

「御嬢ーっ、こいつら早く何とかしてくれーっ」

「む、無理ですぅー。制御が出来ないんで送還も不可で、破壊するか時間過ぎるのを待つか以外無いですぅー」

 どうやら彼女個人としては【NAME】に対して危害を加えるようなつもりは無いらしく、戦闘中も戦闘後も、ただはらはらとこちらの様子を見守るだけだった。

 何気なく彼女の方を見ていた【NAME】と、顔を上げたリヴィエラの視線が交差した。

「…………」

 ほぅ、と一瞬、こちらを見たリヴィエラの表情から気が抜けたように感じた。

 が、それは直ぐさま眉根を詰めた、妙な気合いの入った顔つきに変わり、

「あ、あ、あのっ!」

 吃りながら身を乗り出したリヴィエラは、真っ直ぐに【NAME】の顔を見つめて、こう言った。

「か、勝手なお願いで申し訳ないのですけど、マヒトさんとシモンズさんをそこから助けてあげてくれませんかっ?」

「…………」

 えー? と【NAME】は素直に首を傾げる。何故そういう話になるのかが、全くもって判らない。

「何言ってんですか、あんた」

「喧嘩ふっかけた相手に助けてくれってお願いするのは、流石に無理がないッスかねー」

 救助対象であるところの二人からもそんな言葉が飛んできて、意気に満ちていたリヴィエラの表情が途端に崩れた。

「だ、駄目ですか? で、で、でも、そろそろ警備の人達が来ちゃいそうですし……」

 リヴィエラが指差す方を見れば、警備団の者達が通行人達にのしかかっていたプリュクルを次々と破壊している光景があった。

 彼らの手により、プリュクルの数は既に最初の半分以下となっており、通行人達の混乱も収まりつつある。騒ぎの中心であるここにやってくるまで、そう時間は掛からないだろう。

 確かに、身動きが出来ない状態で警備団がやってくるのは、マヒト達からすると非常にまずい筈だ。が、

「それ、その人が自分等を助けてくれる理由には欠片もならないんじゃないッスかね」

「むしろ放置される可能性が高まるぞ、御嬢」

「えーっ?」

 リヴィエラは悲しげな声を出すが、【NAME】はといえばもっとも過ぎる二人の言葉にうんうんと頷く。というか、ついさっきまで喧嘩し合っていた相手と意気投合しているこの状況は一体何なのだろうか。

 苦笑しつつ視線を巡らすと、プリュクルに押しつぶされた二人の内の長身の方が、ゼリーの中から突き出た片手をひらひら振った。

「ほら、てめぇももう行っちまえよ。今回もオレ達の負けだよクソが。全く、今回こそはやれると思ったんだがなぁ」

「うー。また牢屋行きッスかー」

 プリュクルから手足が突き出た状態のシモンズがしょんぼりと呟くが、【NAME】としては同情する余地も別れの言葉を残す必要性も感じず。無言のままその場を後にしようとして、

「うーっ」

「…………」

「うううーっ」

「…………」

「ううううーっ!」

 唸るような声と視線の圧力に屈して、仕方無く振り返る。

「――ぁ」

 すると、ぱーっ、と声と視線の主であったリヴィエラの顔が華やいだ。

「…………」

 【NAME】は無言のまま、指でこめかみを揉み解す。

 そのような、まるで子供のような反応をされると、どうしても捨て置けない気分になる。

(義理もないし、謂われもない。けれども)

 強引に理由を探すならば。

 先刻の戦闘、結果的にはリヴィエラが呼び出した宝精達がマヒト達に飛びついたおかげで楽に戦えたのだから、それを恩と捉えて、彼女の願いをきく事で返す――こんなところだろうか。

 そんな自己弁護にも似た事を考えながら、【NAME】はマヒト達の傍に戻ると、彼らに纏わり付いているプリュクルを技法でもって破壊した。

「……おいおい」

「ふひぃー」

「わぁ――」

 呆れかえった顔のマヒト、漸く息を吹き返したといった風なシモンズ、そして感極まった様子で自分を見るリヴィエラ。

 そんな三人の反応を碌に確認もせず、【NAME】は深い溜息を一つ残して、周囲の人込みの中へと潜り込んだ。


 我ながら何をやっているのかと、そんな事を思いながら。

異端神官   鐘音は真夜中を醒ます

――鐘音は真夜中を醒ます──


 ランドリートの都の南縁に大きく取られたボーグボーデンの港。

 その中央部付近から北へ伸びる数少ない大通りを辿ると、半円形の屋根を持つ石造の巨大な建造物が姿を現す。

 カンカ寺院と呼ばれるその建物は、主に西大陸で信奉される海神カンカに纏わる儀式を行うためのものだ。


 ランドリートを始めとするフローリア諸島を属領とするアラセマ皇国。その国を実質的に運営するのが『六家』と呼ばれる一級貴族達だ。

 その内の一つであるイーディス家は、商家でもあると同時に、カンカに仕える聖職者の家系でもある。

 故に、アラセマ皇国に属する都市などではカンカの寺院が多く建ち、逆に他神の神殿などはあまり見られない。



 今日、そんなカンカ寺院に【NAME】が足を運んだ理由は、単なる参拝でも、寺院が扱う祝祭護符の購入でも無く。

 以前に、外街の酒場ナーマ・アテネゥで耳にした噂。その真偽を確かめようと思ったからだ。

 内容は、確か、


『カンカの寺院にある大鐘楼が、日に二度の決められた時間以外にも独りでに鳴る』


 と、そんな話だったか。

 半ば怪談話にも近い、それでいて大して実害もなさそうな噂話である。話を聞かせてくれた寺院の聖職者にしても、単なる一時の話の種とするだけのつもりだったのだろうが、【NAME】としてはその話が何となく気になってしまったのだ。

 わざわざこうして足を運んだ理由としては、三つある。

 単なる好奇心、というのが一番目の理由。

 これを切っ掛けに、ランドリートの都において相応の力を持つカンカの寺院とお近づきになる事が出来れば、というのが二番目の理由。但しこれは望み薄と理解はしていた。

 そして最後の理由は、暇つぶしである。

 何にせよ、あまり真面目な理由では無い。気になったというよりは、気が向いたというのがより正解だろう。

 そんな事を考えながら、【NAME】は正門を潜って敷地内に入って周囲を見渡す。真正面には寺院の正堂らしき、余裕を持って建てられた大きな建造物。そしてその左右にはこじんまりとした平屋の建物が一つずつ。

 視線を正面、上方へと向ければ、寺院正堂の屋根上に巨大な鐘と、それを支える鐘楼が見える。半円のドーム状となっている屋根の天辺部に存在するそれは、遠目から見ても判る程立派なものだった。

 屋根の端部には別の鐘楼が見えるが、その中に鐘の姿は見えず、屋根天辺にあるそれとは規模も小さい。どうやら鐘楼としての機能を今も果たしているのは、天辺部にある一つだけで、つまりはあの鐘楼が、噂にあがった大鐘楼とやらなのだろう。

「…………」

 それを暫く眺めてから、【NAME】はこれからどうするかを思案する。

 といっても、現状選択肢は殆ど無い。まずはそもそも、噂自体が本当であるのか。鐘が独りでに鳴るという事象が実際に起こっているのかを確定させる必要がある。

 それを知るには、寺院の人間に尋ねるのが一番だ。【NAME】は適当に寺院の人間を捕まえて、色々と話を聞くことにした。



 それから時間が暫く過ぎて。

 【NAME】は何故か、夜も静まった寺院正堂の屋根上、四方に存在する鐘の取り付けられていない小型の鐘楼堂の一つに身を伏せて、屋根中央に存在する大鐘楼をじっと監視していた。

 最初は、寺院の事務業務を行っているらしい寺院西堂にて、大鐘楼の噂話を詳しく聞いていただけだったのだが。

 勝手な推測込みで理由を考えるなら、まず自分が軍属の冒険者であった事。

 寺院側としても現象自体は確認しているが、それ程重要視もしていなかった事。

 軍経由で正式に解決依頼を提示するより、興味本位で現れた冒険者を利用して解決させた方が安く済む事。

 その他諸々の条件が合わさった結果、何故かそのまま、ただ噂の真偽を訊ねにいっただけの自分に、大鐘楼の鐘が鳴る原因を探る役が回ってきてしまったのだ。

(渡りに船、という事か)

 寺院側からしてもそうだが、【NAME】としても、自分の目でそれを確認出来るという流れとなったのは正直幸運だった。

 もっとも、カンカの寺院は港に近い位置にあり、更には都にある建物としても巨大な方だ。暗く閉ざされた海の方角から来る潮風を遮るものはなく、小鐘楼の影に潜んで、それをどうにかやり過ごしながら状況の変化を待つだけ、というのはなかなか辛い役目ではあったが。

「…………」

 小さく溜息をついてから、【NAME】は視線を巡らす。

 正堂の屋根上へと上がる正式な経路は一本しかなく、最上階のテラスから続く鉄製の梯子のみだ。故に、ここさえ監視していれば、自分以外の何者かが屋上へとやってきても見逃すことは無い。勿論、術式等を使った超長距離からの跳躍や、飛行等を使って直接屋根へとやってくる可能性もある為、あまりそちらにばかり意識を向けているのも問題ではある。

 視界は正直なところあまり良くない。寺院正堂はかなり大きな建造物だ。その屋上ともなれば、都の下方で灯された光も遠い。月明かりも少々心許なく、ここから件の大鐘楼は見えるものの、屋根の全周を見通せる程では無く、所々は暗闇に埋もれてしまっている。

 灯りを点ければ解決なのだが、こちらの存在を察した相手に警戒されてしまうと、まず最初に現象の確認をしたいこちらの目的が果たせなくなる可能性が高い為そうする訳にも行かず。少なくとも二点、大鐘楼の様子と侵入口である梯子が確認出来、尚且つ小鐘楼の影に身を隠せる場所にて待機し、闇に目を慣らす事で補うしかなかった。

 監視という観点でだけ見れば、昼に見張れば暗闇の問題は解決される。だが、寺院の者達に聞くところによれば、大鐘楼が鳴るのは主に夜間なのだという。大鐘楼が定期的に鳴らされるのは朝と夕の二度だ。それ以外のタイミングで日中に鐘が鳴ったという話は無く、ならば夜に張り込まねば監視の意味は薄い。

 一通り辺りを窺ってから、【NAME】は改めて小鐘楼の影に身を落ち着かせる。

 ここからは長期戦だ。夜のいつに現象が発生するかもはっきりしていなければ、そもそも今日起きるかどうかも判らない。適度に気を抜き、しかし油断はせず。微かな緊張感を保ちながら、【NAME】はただその時が訪れるのを待つ。


 そして眼下の灯りが減り始め、空の月が動き、散る星が流れ。

 真夜中は過ぎて、しかし日の出には遠い。そんな時刻になった頃。

 唐突に、鐘が鳴り始めたのだ。



「…………」

 ちょっと待て、と【NAME】は焦る。

 確かに無言のまま数時間を屋根上で過ごし、途中眠気に襲われて頭を傾ぐ事はあったが、しかし屋根上の監視を怠った記憶は無い。その間、ここへと続く梯子に人の姿はついぞ無く、大鐘楼へと近づく者の姿も同様だった。更に言えば、鐘が揺れて鳴る程の海風が吹いている訳でも無い。

 だというのに、今確かに、大鐘楼の鐘は鳴っている。

(……どうなっている?)

 小鐘楼の影から出て、天辺部に目を凝らす。闇の中にぼんやり浮かぶ大鐘楼。中の鐘は微かに揺れているようには見えるが、下方となる【NAME】の居る場所からでは、鐘の舌がどうなっているかまではよく見えない。だが、大鐘楼の中に人が居るかどうかくらいはここからでも判る。

 誰も、居ない。

 大鐘楼の内部には人の姿は見当たらない。屋根の縁を慎重に横へと移動し、その視点を変えてみても、鐘楼の中にそれらしき人影は無かった。

 なのに、また鐘が鳴る。

 音は、寺院の者達が話していた通り、あまり大きくはない。鐘の内側に吊された舌を軽い力で振り、鐘にぶつけた程度の音量だ。

 人の姿が無く、鐘が大きく揺れている風でも無いとすると、何らかの要因で中の舌が揺れて、それが鐘に当たって音が鳴っていると考えるのが妥当だが、一体何が原因で揺れているのやら。

(近づいて調べるしかない、か)

 ――鐘が独りでに鳴る。

 噂通りではあるが、しかしあまり見たくはなかった現実を前に、多少及び腰になりつつも。

 【NAME】は原因究明の為、少しずつ大鐘楼との距離を詰めていった。



 と、

「……ん?」

 大鐘楼まで残り5メートル程にまで近づいたとき。【NAME】は大鐘楼の中に“何か”の気配を感じた。

 足を止め、目を細めて、鐘楼の中をじっと見る。何も居ない、何も見えない、と先刻までは思っていたが、しかし、

(違う?)

 鐘の真下となる位置。垂れ下がった舌周辺の空間が、微妙に歪んでいる。暗闇の中、大鐘楼内の景色が時折ズレているのだ。先刻感じた妙な気配も、丁度そこから漂っていた。

 ちらちらと蠢く歪みが、大鐘の舌に纏わり付く。すると、鐘同様に巨大な舌が、見えない何かに引っ張られるように動いて、そのまま鐘の内側へと接触。同時に、おん、と鐘の震えが屋根上の大気へと伝わっていく。

(居る、な)

 それを見届け、【NAME】は認識を改める。鐘の下部には、確かに何かが居る。

 但し、それは普通の存在ではなく、目では捉えられない何かだ。当てをつけるならば、現世界上での形を明確に持たない、精神か、概念のみの存在か。あるいは、隠身や透化の技を使った何者か、か。

 そうなると、迂闊に近づくのはまずいかもしれない。【NAME】は己の気配を極力殺しながら、鐘楼内へと障害無く飛び込める位置へと身を移動させる。

 こちらの存在には気づいていないのか、【NAME】が位置を移す間、鐘の下の気配が動く事は無かった。また、おん、と鐘が鳴る音を聞きながら、予定の位置についた【NAME】は、続く行動を思案する。

 選択肢としては、ここから話しかける、慎重に近づき接触する、いっそのこと先制攻撃。大体この辺りか。

「…………」

 少しの逡巡を挟んで【NAME】が選んだのは、三番目の行動だった。

 前二つは、危険と相手を逃がすリスクが大きい。相手は良く判らない歪み、かつ視界の悪い夜間だ。極力有利な状況を維持したい。

 それを考えれば、先制で試しの一撃を入れて、良感触ならば一気に押し込む、具合が悪ければ即座に離れてそのまま逃げを打つ、というのが方針としてはベストだろう。物理攻撃でいけば、当たれば何者かの見隠し、外れれば概念的存在と見分けることも出来る筈だ。

 不意打ちの是非については、元々こちらに正義がある状況だ。少々荒っぽく動いても問題にもなるまい、と楽観的に考える。そもそも、そんな事に気を払う必要のある相手かも判ったものでは無い、というのもある。

 武器を改めて構え直し、身を深く沈めて、機を計る。

 鐘の舌がまたゆっくりと動き出して、大鐘に接触し、音が響く。それを合図に【NAME】は屋根を蹴り出すと、大鐘楼の内目掛けて一撃を叩き込んだ。

 狙った位置は傾いた鐘の舌の周り。少し暗闇がひずんでいるような、しかしそれだけでしかない空白の場所を狙った【NAME】の攻撃は――何の手応えも無く、空振った。

 武器を振り抜く姿勢のまま、相手は概念的存在か、と思う【NAME】の傍で、


「ひゃ!?」


 と、明らかな肉声が耳を掠め、更に驚いた。鐘の下を潜る形で大鐘楼を走り抜けた【NAME】は、踏鞴を踏んで立ち止まり、振り返る。

 大鐘楼の中にはさっきまであった筈の気配が無く、代わりにその外側へと倒れ込むような形で、人の輪郭を象るような歪みの線がもがくように揺れていた。

 つまり、

(避けられた、のか?)

 思う【NAME】の視線の先。

「え、な、な、何っ? 誰、誰っ!? や、あ――」

 完全に混乱しきった甲高い声が響き、続いてころんと歪みが屋根上に転がる。その輪郭線が屋根に接すると同時に、線の内側が不透明感を増して、一気に視認しやすくなった。

 人の形をした影となったそれは、暫くばたばたと屋根の上でもがいた後。武器を構えたまま様子を窺う【NAME】の方を見て、

「う、うううっ……。な、何なんですかあなたは。いきなり襲いかかってきて……はっ」

 と、半泣き気味の声を発していた影が、何かに気づいたかのように慌てて立ち上がり、手に細長い棒状の影を握りしめて身構えを取った。

「し、知ってます! あなた、わたしを襲うつもりなんですねっ? でもでも、わたしを侮らないでください! わたしはこれでも――」

 言って、影は右の手を懐に入れると、続けて前へと振る。

 その動作に合わせて影の手元から現れたのは、輝く宝石だ。軽い動作で宙に放り投げられた宝石が、屋根へと落下する前に、影は両手で持ち直した棒の先端で宝石を殴りつけ、叫んだ。

「――覚醒せよ! 宝たる石に宿る精霊よ!」

 同時、宝石が腕ほどの大きさの光り輝く化生へと変化し、紫電の光を帯びながら【NAME】目掛けて宙を走る。

(これは――)

 思う間に、化生が【NAME】に届いた。武器を振り上げて、辛うじてその突撃を凌ぐ。

「っ!」

 柄を握る手と腕に鋭い衝撃、続けて痺れるような感触が残った。

 大気に弾けた雷気を浴びて産毛が逆立つような感覚に襲われながら、【NAME】が衝撃に崩れかけた体勢を何とか立て直す。

 その僅かな間に考えるのは、大鐘楼の鐘を鳴らしていた犯人は、肉体を持たない概念系の存在などではなく、何らかの術式で身を透化させていた人間であった事。

 そして、

「まだですっ! ――覚醒せよ! 宝たる石に宿る精霊よ!」

 犯人は、宝精を呼び出し操る宝精召士だった、という事。

 新たに呼び出された宝精は三体。真夜中の闇の中であっても煌々と輝く、ずんぐりとした体型の蛇だ。宝精は人影が下す号令に従って宙に螺旋を描くように飛翔し、【NAME】へと襲いかかる!



battle
あの鐘を鳴らすのは


「――在らざる身、弥栄す君に、願い乞う」


 徐々に勢いを増し始めた海風の中、独特の発声法によって響き渡る文句。

 【NAME】の一撃を喰らい、屋根の隅に追い詰められた人影から聞こえる声に、【NAME】は緊張感を取り戻す。


「斜のかくらに、伝うはほとう」


 武器を握り直し、相手の様子を窺う。

 距離は大きく離れている。先刻までは透化して闇に沈み、人の形に近い輪郭部がかろうじて見極められる程度でしかなかった相手の身体は、【NAME】との戦闘によって綻びを生じさせていた。

 所々に覗く衣服は単色。手にしている得物は恐らく長杖。顔は見えないが、時折柔らかな色合いの髪が、現れてはまた透明となって消える。

 姿形は未だあやふやで、まだ捉えきれない。はっきりしているのは、影が詠う言葉だけだ。


「有りて成るはな、無くて生るはな、粗たるは鼓盪の垂花なり」


 その言葉自体の意味は判らないが、どういう意図によるものなのかは判る。

 俗に言う、補助歌《コールドライヴ》。術式系の儀式技法を駆動させる際に用いられる、比較的ポピュラーな準備動作だ。

 東大陸では、これら儀式技法の準備動作を戦闘行動に組み込む事で短縮し、所謂“間”を作らずに放つ技術が発達しているというが、補助歌のような発声が必要な類に適用するのは難しいとも聞く。影が今になって詠唱を行っているのもそれ故だろう。

 補助歌は最短で二節、一般的には五節詠唱を行い、それを前動作として儀式術式を駆動させる。

 影の詠唱は既に三節。四節詠唱であるなら間に合わないが、五節以上ならばまだ猶予がある。

(妨害の為に突撃するべきか?)

 【NAME】は一瞬考え、分が悪いと判断する。

 半円のドーム状の屋根。その天頂部付近から、下方となる縁へ。傾斜はそれ程でも無いが、しかし勢い良く突っ込める位置関係ではない。走り降りればそのまま止まり切れず、屋根から地上へと飛び降りる羽目になる。この高さからでは、何らかの術式補助が無ければ大怪我、下手すれば死ぬ。

 ならば凌ぐか、と【NAME】が身構え、動きを逃すまいと目を凝らす先。人影が懐から放り投げたのは、先刻の戦闘で使っていたものと比べて二回りほど大きな宝石だった。


「導きに能え――」


 夜闇の中、微かに射す月明かりを拾い上げて輝くそれ目掛け、影は手にした大杖を振りかぶり、勢い良く殴打する。

 きん、と。

 杖と石とがぶつかり合ったにしては甲高い音が鳴り響き、


「――故に連なる形を示し、覚めよ! 宝たる石を写す精霊よ!」


 一際高く放たれた文句に導かれるように、宝石から先刻までとは比べものにならない強烈な光が走り、そして光は消えること無く、輝く巨大な塊となって空中に留まった。

 揺らぐ光の塊は、そのまま角と翼持つ魚のような形を成し、人影の周囲をぐるりと泳ぐ。今まで影が呼び出していた宝精と比して、体長は数倍。姿形ははっきりと、そして内から溢れる破壊的な力は、遠く離れた【NAME】にも肌で感じられる程だ。

 人影が掲げた杖を大きく回し、先端が円を描く。その動きに合わせるように宝精は影の周囲を旋回し、次第に速度を上げて、そして杖がこちらに振り下ろされると同時。

 放たれた。

「――――」

 力を秘めた数メートル級の巨体が、矢のように迫る。

 対し、【NAME】の選んだ対抗法は至極単純だった。その突進を、技法による全力の一撃で受け流すのだ。

 息を止め、溜めていた力を腕から手へ、手から武器へ、武器から敵へと、技法という形に変換し、伝達した。

「っ、く」

 瞬間、手応えと共に打音が轟く。

 横っ面を叩くように打ち込まれた技法を受けて、光輝く巨体は進路を僅かに逸らし、【NAME】の横をすり抜けて後方へと流れていった。

 その行く末を視線で追えば、宝精はそのままふらふらと頼りなげに宙を泳いだ後、大鐘楼に激突。轟音が響き、衝撃により生じた振動で大きく屋根全体が揺れ、凄まじい鐘の音が都を包む夜の静寂を打ち破った。

 宝精はそこで己を維持する力を使い切ったのか、そのまま光の粒となって消滅していく。

 それを見届けてから、【NAME】が未だ影のような輪郭だけの敵へと視線を戻すと。

「うぅー。だ、駄目ですかぁ……」

 深い落胆、そして諦めが滲む声。

 影は、手にした杖を背中に背負い直して、これ以上の戦闘をする気が無い事を示すように、両の手を上げていた。

 一体どうした、と武器は降ろさぬまま怪訝と目を細める【NAME】に、人影は困ったように顔の部分を傾げた。

「……えと、今の石が、今のわたしが使える一番で、最後の力でした。だ、だから、それを凌がれたわたしは、多分、あなたには勝てないです。なので、諦めますから……」

 そこで、ぐす、と鼻を啜るような音を挟み、

「……これ以上、虐めないで。酷いこと、しないでください」

「…………」

 ――何その、こちらが全面的に加害者みたいな言い方。

 思った事をそのまま声にして出すと、人影からはぽかんとした気配が伝わり、

「え? だ、だって、あなたは“ぼうかん”、という人じゃないんですか?」

 暴漢て。

「で、でもでも、マヒトさんが言ってましたっ! わたしみたいな年頃の子は、何もしてなくても襲われる事があるって! そういう人達は、“ぼうかん”だから、もしそうなったら全力で反撃して、無理そうなら大人しく従う振りして、逃げろって……」

(確かに、警告無しで仕掛けたこちらも問題ではあったけれども)

 まず、こちらは“暴漢”ではない。

 そして、そちらは少なくとも「何もしていない」訳ではないだろう。こうして、寺院屋上まで身を隠してやってきて、大鐘楼の鐘を鳴らしていたのだから。

 相手のペースに飲み込まれないよう、【NAME】は冷静に冷静にと己に言い聞かせながら、そう返す。

「えっ? か、鐘を鳴らすと、襲われても仕方無い、んですか?」

 恐る恐る、といった感じで訊ねられて、【NAME】は「ん?」と困惑した。

 ――言われてみると、仕方無い、では片付けられない、ような。

 立入禁止区域への不法侵入については一応罪の域には入るが、隠れて鐘を鳴らす事については、寺院側もそのような事態は考慮していなかっただろう。

 だから、わざわざ“ならぬ”という取り決めが設けられている可能性は、恐らく非常に低い。

 つまり自分は、建物内ですらない、単なる敷地内への不法侵入者に対し、誰何や警告の声も掛けずに問答無用で襲いかかったという事になるのだろうか。

「…………」

 状況が悪い。それを自覚し、【NAME】は話を変えることにした。

(というか……)

 そうではないかと思ってはいたが、こうして会話をしてみると、もう確定と言ってしまって良いだろう。

 この人影の正体は、以前に都心大路で出会った二人の男、マヒトとシモンズの連れであった、あの宝精召士の娘だ。

 名前は確か――リヴィエラ。


 【NAME】は迷った末、取り敢えず姿を現すように言ってから、一体こんなところで何をしていたのか、そしてその理由を訊ねてみた。

 彼女が鐘を鳴らしに来たのは判っているのだが、何の為に、どういうつもりでそんな事をやっているのか判らなかったのだ。

 対し、まず影の輪郭が強く歪んで、続いて内側から染み出すように、フードを被った長衣姿の年若い娘の姿が現れる。

 その外見には確かに見覚えがあった。都心大路での出来事。荷車の上で、振り返った自分を見て子供のように相好を崩す彼女が、その姿に重なる。

 リヴィエラはフードの奥から上目遣いに【NAME】をちらちらと見て、そして勇気を振り絞るように両の肩に力を入れ、

「え、えっと……理由、ですか?」

 頷く。

「そ、そんなに難しい事じゃないですよ? 夜寝てるときに、突然朝の鐘が鳴ったら、きっとみんな『今が朝だ』って思って目を覚まして、でも『あれ? まだ夜だった?』ってなるじゃないですか。その為に、鐘を鳴らしに来たんです」

「?」

 一瞬、彼女の言う「その為」が何処に掛かっているのか判らなかった。

 少しの間を挟んで、要するに彼女は朝の鐘を夜に鳴らす事で、人を勘違いさせて驚かせる。そんな馬鹿馬鹿しい悪戯じみた事の為に、わざわざ鐘を鳴らしていたのだと理解する。

 ――って、それだけ?

「え、えと、はい。あと、姿を隠して鐘を鳴らしたら、みんな『うわ、勝手に鐘鳴ってる!』って気味悪がったり面白がったりびっくりしたりしてくれるかなって。だから透化の儀法器を使って、隠れて鐘を鳴らしてたんです!」

 頑張ったんですよ、とばかりに胸を張る彼女を、【NAME】はついていけないとばかりに半眼で見る。

 頑張るのは結構だが、何故そんな事を頑張ってるのかが判らない。一体何の意味があるのか。

 【NAME】の心底からの問いに、リヴィエラは両の掌を胸に添えて、何処か夢見るように答えた。

「これが、わたしが信じる教理に沿う事なんです……。ただ決まった生活ではなくて、少しずつ、毎日が違う。定型からズレて、規則から外れて、何か不思議があって、少し不安で、けれど新鮮で、騒がしく。ソワソワしたりドキドキすると尚良しです。ビクビクしたり、オロオロするのもアリですよ?」

 どうにも抽象的で、何をいっているのか良く判らないが、取り敢えずお騒がせな考えで動いてるのは確かなようだった。

(……で、どうしたものかな)

 少なくとも、相手にこれ以上の戦意が無いのは信じられた【NAME】は、武器を納めて屋根の縁、彼女の居る方へと移動しつつ、これからを考える。

 寺院側からの依頼は、大鐘楼の鐘が独りでに鳴るという異常現象の原因究明と、その解決。そして【NAME】の最初の目的は、噂話の真偽を確かめる事。

 原因の究明は既に終わり、噂の真偽も確かめられた。あとはその解決となる訳だが、リヴィエラがやっていた事は単に隠れて鐘をついてるだけで、盗みなどを働いているわけでもない。

 取り敢えずは、不法侵入と言うことで寺院側に身柄を引き渡して、後の対応は彼らに任せる。この辺りが対応としては適切か、と考える間に、【NAME】は半円の屋根を降りきって、縁付近に立つリヴィエラの傍に到着する。

「あ――」

 と、リヴィエラは何故か【NAME】の顔を見上げ、フードの奥で驚きに目を見開いていた。

「あ、あなたは、この間、マヒトさん達と喧嘩して、でも助けてくれた人……?」

 気づいていなかったらしい。【NAME】は苦笑しかけて、いや、と表情を正す。

 照明一つ無い夜の屋根上で、大立ち回りを繰り広げていたのだ。近づくまで顔を碌に確認出来なかったのも当然だ。

 【NAME】にしても、彼女がリヴィエラだと断定できたのはその宝精召術と、彼女の特徴的な声音、言葉遣いに寄るところが大きい。

 勿論身を隠していたから判別の基準がそこだけしか無かったというのもあるが、もし姿が見えていたとしても、それだけでリヴィエラだと認識出来ていたかというと怪しいところだった。

 未だ驚きが抜けていないリヴィエラに、【NAME】は自分が寺院側からの依頼を受けて大鐘楼を監視していた事を話し、彼女の身柄の拘束と、寺院への状況説明。後は、今後このような事はしない約束を寺院側と交わす事を、条件として提示した。寺院側から提案された要求を満たそうとするなら、最低条件はこの辺りだろう。

 さて、呑んでくれるだろうかとリヴィエラの方を窺う。既に提示条件は譲歩できるギリギリだ。拒否された場合は力尽くという選択肢になってしまう。

「わ、わたし、鐘を鳴らしていただけですし、そんなに怒られないですよ、ね?」

 怖々とそう訊ねられるが、【NAME】としては確約は出来ない話で、「恐らくは」という曖昧な答えしか返せなかった。

 けれどもリヴィエラとしてはそんな返事でも良かったらしく、ほっと表情から力を抜いて、

「なら」

 一歩、【NAME】の方へと近づいてくれた。

 どうやら合意は為された。そう考えて、【NAME】も気を抜いた瞬間。


 ――後方で、ごぅん、と嫌な音がした。


 反射的に振り返れば、正堂屋根の天辺部、大鐘楼上部の片側半分が四隅を支える柱の一本と共に崩れ、生じた隙間から、内部に吊されていた鐘がごろんと転がり出る様が見えた。

「「あ」」

 と、リヴィエラと声が揃う。

 その間に、横倒しに正堂の屋根上へと転がり出た鐘は、ドーム状となっている屋根の傾斜に素直に従い、そのまま【NAME】達が居る位置から丁度逆側に当たる方向へと、ごろごろと転がっていく。

 【NAME】達が居る位置、縁から見上げる形となっていた鐘の姿が、奥へと転がる事により屋根の影へと入って見えなくなった所で漸く、【NAME】の金縛りが解けた。

 慌てて屋根を登り大鐘楼のある天辺部へと移動。崩れた鐘楼の破片を踏み越えながら、転がり落ちていった鐘の姿を探せば、屋根の縁から勢い良く地表へと旅立つ巨大な鐘の姿があった。

 唖然とその様を見送って、大凡三秒の後。重量物が土にめり込んだような、腹に響く重音と振動が遙か下方より届いた。

 もう、足早に追うようなことはしなかった。【NAME】は一歩、一歩と足取り重く、しかし義務感に突き動かされるように屋根の縁へと近づいて、そして下を見下ろす。

 カンカ寺院の象徴ともされる大鐘楼の鐘が、寺院正堂入り口から正門へと続く道の真中に突き刺さっていた。

 下にはめり込んだ鐘。上には砕けた大鐘楼。それを交互に見て、【NAME】は茫然と思考する。

 この場合、責任は誰に行き着くのだろうか。

 恐らく、大鐘楼が砕けた理由はリヴィエラが放った儀式術式による宝精突撃によるものだ。あれが大鐘楼に激突した際のダメージが、遅れて結果として現れたのだ。そうなると、この件の責任はリヴィエラにあるとは言えないだろうか?

 だが、あの攻撃は本来【NAME】に向けられたものであって、【NAME】が技法を使って宝精を打ち、その進路を曲げなければこうはならなかった筈。そう考えると、あの宝精が大鐘楼に当たったのは、【NAME】の手によるものだと言えるかも知れない。

 ――いやでも、術を使ったのはリヴィエラである訳だし、やはり彼女の責任が八割、いや九割。

 と、そんな意味の無い責任転嫁を頭の中で繰り広げている間に、状況は更に悪化した。

「――ごごご、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! わ、わたし、こんな事するつもりは無かったんですーっ!!」

 と、屋根の反対側からそんな切羽詰まった半泣きの叫び声が聞こえ、嫌な予感を覚えて【NAME】が全力で駆け戻った時にはもう遅かった。

 先刻までリヴィエラが立っていたはずの屋根の縁に人の姿は既に無く。そして遠く空の向こうには、揺らぐ人の輪郭を乗せた宝精が、身を象る淡い燐光をちらちらと宙に残しながら離れていくのが見えた。

 後に残されたのは無残に破壊された大鐘楼と、

「…………」

 鐘を鳴らしていた犯人を取り逃がし、大鐘楼を破壊した犯人どころか、ここに自分以外の誰かが居たという証明すら出来なくなってしまった迂闊な冒険者が一人。

 どうしよう、と素直に思う。

 【NAME】は頭を抱えてその場にしゃがみ込むが、この状況を打破する手は何一つ思いつかない。

 そんな八方塞がりの中、正堂の屋根と屋内を繋ぐ梯子の下からは、大勢の人の気配が近づいてきていた。



 結論から言えば、大鐘落下の件は、どうにか【NAME】の手によるものとならずに済んだ。

 丁度昼間に鐘楼についての話をして冒険者の監視を許可したせいか、寺院側もそれなりに気にしてくれていたらしく、鐘の音が鳴ったと同時に、下から正堂の様子を確認していた者達が何人か居たらしい。

 彼らは、屋根上にて繰り広げられていた【NAME】と何者かとの戦闘――最後に現れた巨大召喚存在と、それによる鐘の落下に至るまでの一部始終を目撃していたらしく、その証言により、【NAME】が寺院を騙して正堂に入り込み、一人で鐘楼の破壊を行った、という疑いは何とか晴れてくれた。

 もっとも犯人は取り逃がしてしまった上でのこの損害だ。寺院側から提示されていた報酬は勿論無し。加えて、後でやってきた警備団、常駐軍からもこってりと絞られた訳だが、賠償などを要求されなかっただけマシだと考えるべきだろう。

 寺院側としても、一冒険者にそんなものを求めたところで払える筈もないと判っているから、なのだろうが。


 長時間の拘束から漸く解放された【NAME】は、しょぼつく目を擦りながら、先刻までの長い長い取り調べを振り返る。

 結局、【NAME】は寺院や警備団、常駐軍に、今回の大鐘楼の鐘を鳴らしていた犯人の名前を告げなかった。

 高位の見隠しの力を操る何者かが屋根に現れ、鐘を鳴らしていたところを【NAME】が取り押さえようとし、争いになって、そして取り逃したとしか答えていない。

 正直に言ってしまっても良かったのだが、【NAME】が事情を話す際、大鐘楼破壊の責任を完全に犯人へ被せてしまった事もあり、その上で名前を出すのは流石に気が引けたのだ。

 とはいえ、リヴィエラとの戦闘は寺院の者達にも見られている。彼らからの証言を知識のある者が聞けば、【NAME】の相手が宝精召士であった事に気づくのはそう難しくはないだろう。流石にその辺りまでフォローしてやる義理も無いし、そもそも【NAME】からはフォローのしようもない事柄だ。

(……まぁ)

 こちらが気を逸らした隙に逃げ出したのだから、その程度のリスクは背負ってもらわないと割に合わない――そんな事をつらつらと考えながら、【NAME】は都心大路を歩く。

 夜間張り込みから睡眠無しでの長時間の取り調べで、兎に角眠気が酷い。さっさと宿に戻って一眠りするとしよう。

異端神官   新訳ベルモルド神話

――ガーナ・ニレン中央広場──


 宿を出た後、【NAME】は都の船渡しである『ヴィーラ』を使わずに。てくりてくりと通りを歩く。建物の隙間を抜けるように続く小道から大路へ、より大きな道へ向かい深く考えずに歩いていく。

 ──と、唐突に視界が開けた。

 【NAME】の眼前に現れたのは、中央に大きな噴水を持つ茶けた石畳の広場。ガーナ・ニレン中央広場と呼ばれる、このランドリートの都の中心地だ。


 ランドリートの都は酷く入り組んでいる上に川が多く、ヴィーラを降りて一度裏道へと入ってしまえば、都に不慣れな者なら地図を持っていたとしても道に迷ってしまう事が多い。

 そんなランドリートの都を散策する上で良く使われる文句の一つに、こういうものがある。

 

『道に迷ったなら都の真中、ガーナ・ニレン中央広場を目指せ』

 

 ガーナ・ニレン中央広場と呼ばれるそこは、街の中央付近に広がる新市街の正に真中にある、大きな公園だ。

 位置的に都の中心にあるというのも先程の文句が成り立つ一つの要因ではあるが、都内に存在する通りのうち、旧市街を抜ける幾つかの小道を除いたほぼ全てがこの広場へと続いているというのが、この文句に込められた正確な意味だ。

 そうした立地上、都内での流通の中心地となってもおかしくない場所である筈なのだが、この広場にはそうした騒がしさとは無縁な──それこそ街外れにある長閑な公園を思わせる──穏やかな空気が漂っていた。



 そんな広場の外縁部。点々と配置された長椅子の一つにて、【NAME】は見覚えのある人影を見つけ、ぎくりと足を止めた。

 人影は、いつかの二人組――シモンズとマヒトだった。

「お……?」

 相手も不自然に立ち止まった【NAME】に気づいたか、作業の手を止めて、小さく声を上げる。

 前回の経緯もある。反射的に身構えた【NAME】だったが、マヒト達の方はひらひらと両手を上げて、

「そう警戒すんなよ。少なくともこっちは今日お前とやる気はねぇよ」

 そうなの? と目を瞬かせるが、確かに、今日の彼らは武器も手にしていなかった。

「ちーとここ来てから派手にやり過ぎたせいで、警備団のマークが半端なくてな。ほとぼり覚めるまで本格的な“信仰活動”は休止するって事になったんだよ。その延長だ」

「この前にあんたとやり合った都心大路の件も、捕まりゃしなかったッスけど、自分達が発端だったのは目撃されてるッスからねー。あとカンカ寺院の――」

「喋りすぎだ馬鹿たれ」

「あたー!?」

 叩かれて頭を抱えるシモンズだが、カンカ寺院という言葉だけで、【NAME】にはシモンズが何を言いたかったのか判ってしまった。

 旧市街にある海神カンカ寺院の大鐘楼を破壊したという犯人が、宝精召術を操る者だった、という話は既に広く知れ渡っている。これに、都心大路等で騒ぎを起こしていた少女が、この辺りではあまり見慣れない術式を使っていた、という件を結びつけて考えた者は多い。マヒト達もそれを察しており、だからこそほとぼりがさめるまで大人しくしていよう、という事なのだろう。

「っていうか、自分等じゃあんたに敵わないのは判ってるんで、もうやりたくないッス」

「おいこらシモンズ、お前がそんな調子だから勝てねぇんだろうが。ちったぁ根性だせよ」

「いやでも無理なもんは無理ですって。前にもこんなことあったッスけど、そのときも駄目だったじゃないッスか。素直に諦めた方がいいッスよ」

「……っかー、嫌な事思い出させんなや」

 マヒトは暫くごすごすとシモンズの頭を叩き続けた後、不機嫌そうな目を【NAME】に向け、

「つー訳だ。とっととどっか行っちまえよ。邪魔だ」

「…………」

 邪魔とまで言われると、流石にむっとくる。ここは公共の場だ。追い払われる筋合いは無い。

 そんな【NAME】の微細な表情の変化、感情の動きを察したのか、マヒトに叩かれたままじっとしていたシモンズが、慌てて前に出てくる。

「あー、でも、本当に自分等今からやることがあるんスよ。実は――」

「マヒトさーん、シモンズさーん! みんな連れてきましたよーっ!」

 と、シモンズの声を遮って、中央広場へ繋がる大道の一本から甲高い女の声が響いた。

 場に居た全員の注意がそちらに向く。まず目に映ったのは、長衣を着込んだ柔らかい色合いの髪を持つ娘だ。マヒト達の連れであるらしい宝精召士、リヴィエラだ。

 そして彼女の背後には、大勢の子供とその付き添いらしい大人の姿があった。

「おーう。大漁だな御嬢。どっから集めてきたんだそれ」

「えと、近くの小広場を回って遊んでる子達に声を掛けて、あと途中に教幼院があったのでそこの方達とお話しして、一緒に来て頂いたり」

「リヴィエラ様、教幼院はラカルジャにしかないッスよ」

「流石にこんな島の都で学院な訳ねーから、孤児院とかか?」

「そんな大層なもんじゃないよ」

 と、口を挟んだのは子供達の後ろに付いてきていた大人の一人だ。恰幅の良い彼女は、闊達な笑顔のままリヴィエラを顎で示し、

「場所借りて、近くの世話必要な子達を女衆が持ち回りで受け持ってるだけ。そのお嬢ちゃんが子供達にお話を聴かせてやりたいっていうからね。子供同士で馬鹿やらせるよかマシかってお邪魔したけど、何か問題だった?」

「いんや。ま、飴の方は足りるだろうし。ただ、見物料取るのは聞いてるかよ?」

「……初耳だねぇ」

「リヴィエラ様ー?」

 マヒト達と、付き添いの女達の視線がリヴィエラに集中する。リヴィエラは意味も無くぱたぱたと両手を振り、

「え、ええっ? でもでも、“布教”するにはお金とかよりまず人集めた方がいいかなって……」

「御嬢の言い分も判るがなぁ」

「そうなると、飴配るのは無しにしたいッスけど……」

 シモンズの視線が、長椅子の上に置かれた籠に向く。既にその周囲には子供達が数人張り付いており、

「あめー?」

「飴あるぞ飴」

「飴ほしいーっ」

「……まぁこうなるッスよねぇ。こらこら駄目ッス駄目ッス」

 中に手を突っ込みかけていた子供達を遮り、籠を頭の上に乗せる。

 当然、子供達からはブーイングが起こり、中には泣きそうな顔になる子や、付き添いの大人達に何かを訴える子達も居た。

 そんな様子を困ったように暫し眺めて、恰幅の良い女が深々と溜息をついた。

「で、幾らなの?」

 どうやら金を払う気になったらしい。

 しかしマヒトは冷静に、まるで睨んでいるかのような目付きを女へと向けて、

「大した額取るつもりじゃねーけど、そもそもあんたら財布持ってんのか今? 餓鬼の付き添いできてたんだろ?」

「あー」

 女は苦笑いのまま、両手を広げて肩を竦めた。どうやら、無いらしい。

「この人数分となると、家族抱えてるあんたらの財布じゃちと重いだろうし――あ、そうだ」

 と、マヒトが視線を移したのは、完全に話の外にいた【NAME】だ。

 これといって口を挟む必要性も感じず、ぼんやりと他人事を眺めていただけだったのだが。

「おいお前。ってそういや名前聞いてなかったな。なんて言うんだ?」

 いきなり話を振られて驚いた【NAME】は、つい素直に答えてしまう。

 するとマヒトは、はぁん、と顎を撫でて、

「【NAME】か。なら【NAME】、お前ちょっとこの無垢な子供達のために、善意の寄付をしてみる気はねーか?」

 それ善意ではあるかもしれないが、寄付じゃないだろう。

 冷静に突っ込むが、しかしマヒトはその長身を猫背気味に折り曲げながら、にやにやと笑みを見せ、

「いや、寄付寄付。ベルモルド信奉イーマ教団への喜捨、寄付行為だな。なんせオレ達、そこの教団の上級神官とその従者なんで」

 へぇ、と【NAME】は胡散臭げに彼らを見る。

 神官と従者。身なりや立ち振る舞い、言葉遣いなどから考えれば、リヴィエラが神官、残る二人がその従者、という事になるのだろうか。勿論、マヒトの言が本当の事ならば、という前置きはつくが。

 思い、三人の顔に視線を巡らせていると、

「――あっ」

 リヴィエラの視線が【NAME】の視線と絡み、ぴたりと硬直するのを見た。

「って、ああああっ! あの時のっ!」

 叫びと共に、彼女はぴょーんとその場で飛び跳ねて、そのまま走って逃げ出そうとする。

 一瞬、皆が唖然と硬直し、

「ってオイ御嬢、いきなり何処行く!? シモンズ止めろっ!」

「う、うぃッス!!」

 反射的な声に、反射的な動きが追従した。

 がしー、とシモンズに腰ごと抱えられ、リヴィエラのダッシュが弱まる。

「うええ、うえええっ、シモンズさん離してください後生ですからーっ」

 小柄とはいえ男に掴まれて完全に停止しない辺り、リヴィエラの必死さが窺えた。

「わー、なにー? 綱引きごっこー?」

「おー、ねーちゃん力すげーな!」

 子供達は二人の様子に大喜びだが、当事者達は必死である。特にリヴィエラからすると、【NAME】はカンカ寺院の大鐘楼を自分の放った宝精が破壊するのを目撃した人物。それが目の前にいるのだから、焦るのも当然だ。捕まえにきたのかとでも思われているのかもしれない。

 【NAME】としては、既にカンカ寺院の件は片付いている――というより、変に蒸し返して賠償請求の矛先がこちらに向く可能性を発生させるよりは、何も関わらずに過ごしたという気持ちの方が強く、今更彼女をどうこうするつもりはなかった。

「……そ、そうなんです、か?」

 人前である。彼女がカンカ寺院の件の犯人である事を気取られないよう、言葉に配慮しながらそう伝えると、リヴィエラは漸く大人しくなってくれた。

「あ、あの時は、本当にご迷惑をっ」

 そう、【NAME】の前まで戻ってきたリヴィエラはぺこぺこと頭を下げるが、既にもう片のついた話だ。彼女に今更謝意を示されたとして何がどうなる訳でも無い。取り敢えずは素直にそれを受け取り、もう気にするなと終わりを告げてからマヒト達の元へと押し返す。

「ほら、リヴィエラ様はさっさと準備始めてくださいよ。で、その前に――どうよ【NAME】。ご奉仕価格ってことで10zidでいいぜ?」

 まだ【NAME】に未練ありげにしつつもふらふらと寄ってきたリヴィエラを、更に長椅子の裏に置かれていた木板の山の方へと押しやってから、マヒトが先刻の話を蒸し返してくる。

(といわれても……)

 こちらに払う義理など全く無い話。拒否が当然、なのだが。

「…………」

「…………」

 いつの間にか、大勢の子供達と、加えて少数の大人達からの期待の視線に囲まれている事に気づいた。

 繰り返すが、払う義理は無い。更に言えば謂われも無い。

 その筈なのだが、無言の圧力がどんどんと高まっていくのを感じて、【NAME】の額を鈍い汗が伝っていく。



 ――敗北。


 そんな言葉を頭の中に思い浮かべながら、【NAME】は行儀良く座った子供達の群れの後ろで、がっくりと肩を落としていた。

 大した額を支払った訳では無いのだが。手元には引き替えの飴三つはあるのだが。

 しかし結果が示す己の意思の弱さと、渦巻く負けたという感情はどうにもならず、気分が落ち込んでしまうのはどうしようもなかった。

「まー飴でも食って元気出せや。【NAME】。シモンズお手製なんだが、結構良い味だぜ? 薄荷薄荷」

 【NAME】の肩をぽんぽんと、隣に立つマヒトが叩く。

「たったあの程度の御寄進でガキ共はお前に大感謝。飴も貰えて、更には絵語りも見物出来る。良いこと尽くめじゃねぇか。イーマ教団万々歳だろうがよ。毎度ありがとうございます」

 にやにや笑う顔が忌々しい。というかあれは寄進ではなく実質勧進だろう、という反論も正直虚しい。

 諦めて、せめて寄付したzidが浮かばれるよう、視線を前へ。長椅子の裏に立ち、子供達の視線を一心に浴びながら語る娘と、彼女が手にした木板を見つめる。

 集めた子供達を前にして、リヴィエラ達が始めたのは、木板に張った絵を順繰りに見せつつ語る――所謂絵語りと呼ばれるものだった。


“新訳ベルモルド神話 ――暗黒救済グロリアス☆キュート神ベルモちゃん物語――”


 イーマ教団神官職の役目には、伝道による布教活動も含まれるらしい。リヴィエラが今語っているのは、そんな謎の副題を持つ物語だ。

 その内容は、シモンズ曰く、

「ベルモルドと呼ばれる神と、それを戴くイーマと呼ばれる教団の教理を描いたものッス。……一応は」

 一応、という言葉をシモンズが付けたのは、その副題から判るように、本来教団が示している教理を脚色して子供向けの絵物語に改変しているからだろう。

 何せ、主人公であるベルモルド神からして、二頭身程の誇張表現が為された丸っこい牛か豚のような、非常に愛らしい外見をした暗黒救済グロリアス☆キュート神の通称ベルモちゃんである。これだけでも、中身がどれ程脚色されたものなのかが判ろうというものだ。


『ここで遂にベルモちゃんは決意します。ベルモは皆と仲良くしたい。こんな誰も居ない場所から飛び出して、皆と共に在りたいのだ、と』


 声を張って語り、場面に合わせて木板を切り替えていくのはリヴィエラ一人。普段の吃りは鳴りを潜めて、聴き取りやすい明瞭な発声が広場の一角に響く。

 情感込めて語りながら、絵が貼り付けられた大型の木板をタイミング良く交換していく作業は素人目に見ても大変そうだったが、マヒトとシモンズは彼女を手伝うでもなく、【NAME】の隣で単なる観客の一人となっている。

 【NAME】は最初、彼らにリヴィエラを手伝わなくても良いのかと訊ねたのだが、

「イーマ教団の正式な伝道行為は、神官職の者しかやっちゃ駄目っつー事になってんのよ。だから、正確にはイーマ教団関係無いオレらは御嬢から止められててな。手伝えるのは、伝道となる絵語りが始まるまでなのよ」

「まぁ、これが正式な伝道行為と言っていいもんかわかんないッスけどねー」

「聴いてるのはガキとママさんくらいなもんだし、そもそも脚色しすぎっつーか。なんでバトル展開入ってんだよこれ」

「一般受けを狙うなら、格の近い相手とのバトルは欠かせないですってリヴィエラ様が」

 商業的創作作品じゃないんだから、と【NAME】が内心突っ込む間にも、リヴィエラの絵語りは続く。


『必殺技である“救済グロリアスシャワー”で辛うじて勝利を手にしたベルモちゃん。ベルモちゃんは叫びます。どうしてあなたとベルモが戦わなければならないのか。神が持つ定め、それは悲劇しか生み出さないのか』


 ベルモちゃんの台詞は基本硬派路線で詩文的志向が強めだ。あまり子供向けではないよなー、と思いながら、入れ替えられた木板の絵を見る。

 絵の中では、ベルモちゃんが大鷲に似た頭と翼を持つ二頭身の人物を踏みつぶしながら、誇張された大粒の涙をこぼしていた。

 踏まれている人物の造形に、【NAME】は見覚えがあった。確か、主に東大陸で広く崇められている四柱神の一柱――バハルのものだ。

 他教の神との戦闘を入れて、更に自教の神に踏みつけさせるなど幾ら何でも新訳し過ぎである。四柱信仰の信者にばれたら洒落にならないんじゃないのこれ、と【NAME】が引きつる中、語りは更に続き、絵板の消費具合から推測するに、序盤を終えてそろそろ中盤に差し掛かろうとしていた。

「そーいやよ。ここからどうなるんだっけ、シモンズ?」

「一応知らない【NAME】サンも居るッスから、先の事ホイホイ言いたかないんスけど……」

 シモンズの窺うような目に、【NAME】は気にするなと手をひらひら振る。元々、話が気になって見ている訳でも無い。

「なら、……確か元の神話だと、ベルモルド神の象神として持つ特性が完全に発揮される場面ッス。世界全てに広がったベルモルド神の“恐慌”に当てられて、ベルモルド神を除いたこの世に生きるあらゆる者達が、他者を極度に恐れ、狂ってしまう。そんな正しく悲劇的な場面ッスね」

「あー、もうそこか。んじゃ次辺りからか」

 シモンズの説明を聞いて、マヒトがそれだけ呟いて視線を戻す。

 マヒトの呟きの意味は【NAME】には判らなかったが、しかし【NAME】の興味はマヒトの言葉ではなく、先刻シモンズが告げたこの先の展開に向いていた。

 彼の語った内容を、この絵語りでは一体どう表現しているのか。話はどうでも良いとは言ったものの、少し気になった。

 【NAME】の意識が、長椅子の背に新たな絵板を立てるリヴィエラに集中する。彼女は新たな木板を取り出すと、一つ呼吸を置いて息を整えると、


『ベルモちゃんパワー、びびびびび』


 そんな台詞と同時に差し替えられた木板を見て、【NAME】は吹き出す。

 何故かいきなり絵柄が写実的なものになっており、絵の中では、凶貌の獣神ベルモちゃんから放出される暗黒波動に神や人々が巻き込まれ、狂乱する様が躍動感溢れる大迫力のタッチで表現されていた。

 ひぃ、と【NAME】や子供に付き添っていた親御さん含めて、見ている皆が仰け反る中、

「実は三人で分担して描いたんだよなあの絵語り。で、ここからの担当が御嬢なんだが」

「つーか本気出し過ぎじゃないッスかねリヴィエラ様。ベルモちゃんパワーで人狂ってる狂ってる。大人でもトラウマになるッスよあの顔」

 【NAME】の驚きを察してか、隣に居た二人が、淡々と補足してくる。

 ――しかし、なんであんな絵に。

「国に居た時、教養高める一環で絵画術も習ってたんだと。当人は『久々に絵を描けて嬉しいですぅー』とか宣ってたが、ありゃ師匠の人選明らかに間違ってんな。良いトコの御嬢様が描く絵柄じゃねーぞ」

 マヒトの言うとおり、木板に張られた紙には恐怖、狼狽、苦悶――そんな表情の人々の顔が全面に描かれており、背後で弾ける暗色の渦が精神に悪い。

「子供向けって事忘れてんじゃないッスか? ……あ、次もやべぇッスねこれ」

 リヴィエラは観客の反応を全く気にしていないのか、さっさと話を先に進めていた。登場した新たな木板には、


『おかしくなってしまった神様達は、自分をあがめている人達に向かって誤った罰をくだしてしまいます。ばしーんばしーん』


 ぎゃー、と子供達の間で響く悲鳴。

 木板いっぱい、ダイナミックに描かれた地獄絵図は大人でも退く程のもので、リヴィエラが気の抜けた声で「ばしーんばしーん」と言い表した、落雷二発とそれに打たれて焦げ果てる人々の描写は、悪い意味で素晴らしいの一言に尽きた。

 最初の方の可愛い絵に釣られて見ていた女の子達辺りは本気で怖がっており、所々では泣き出している。

「こりゃ、今回の伝道は失敗かね」

「ッスかねー」

 【NAME】の同情に満ちた生温かい視線の先、隣の二人はがっくりと肩を落とした。


 ――ちなみに。

 後で訊いたところによると、最初の方の愛らしい絵は、マヒトが描いたもの、だったらしい。



 そんなこんなで、途中結構な数の脱落者を出したものの。リヴィエラによる絵語り自体は、滞りなく進行していった。

 木板の絵がいきなりリアルになったと思ったら、今度は線と棒の組み合わせになったりと振り幅が大きいせいでなかなか話に集中できなかったが、しかし語られる内容自体は良く纏まっており、筋を追うのは簡単だった。


 ――つまりは、こんな話だ。

 リヴィエラが所属するイーマ教団の崇める神ベルモルドは、ベルモルドという神が持つ“恐慌”という特性によって他の存在と接触出来ない、孤独を強いられた神だった。“恐慌”を司るその在り方は、近づく存在、関わる存在全てにその感情を植え付けて、心を乱してしまうのだ。

 だからベルモルドは長く孤独に世界の隅で己を沈ませていたのだが、ある時その寂しさに耐えられなくなり、どうにか他の存在と交流を持てないかと考え、ついには行動に移す。

 最初はどうにか特性を抑え、信者となる人々や、夢見の神のような友人とも言える存在を得る事に成功し、上手く行くかと思われたその行為も、途中不幸なすれ違いや誤解などが重なり、結局は他の神々との争いに発展してしまう。

 この結末は、到底ベルモルド自身望んでいないもので、ベルモルドは他の存在との共存の道を諦めて、以前と同じ、いや以前以上に孤独な道。己の存在を封じて深い眠りに就く事を選択する。


「……で、では、ここで、皆様に質問ですっ」

 と、そこまで話したリヴィエラが、唐突にそんな事を言い出した。

 ――というか、今まで流暢に喋っていたのに、何でいきなり吃りだした。

「ここまでは木板の裏に書いてある字読んでただけだしなぁ」

「元々あがり症な上に人見知りッスから。自分の言葉を喋ろうとすると、あんなもんッス」

 はぁ、と【NAME】が呆れの色濃い吐息を返す間に、リヴィエラは質問を観客として集まった皆に投げかける。

「な、何故ベルモちゃんは、自分の封印、眠りという選択肢を選んだのか、判りますか?」

「喧嘩しちゃうのがイヤだったからじゃないの?」

「……えと、それだけなら、最初に居た世界の隅に引っ込むだけでも構わないですよね?」

 それもそっかー、と答えた観客の女の子が頷く。すると今度はその後ろに居た利発そうな少年が手を上げ、

「敵対した者達からの報復を恐れて、己の存在を封印して隠蔽し、争いから逃げようとしたのではないでしょうか」

「え? ……あ、ええと、そうか。それだと理屈が通っちゃいますね。困りました、そういう話がしたかった訳じゃないんですけど……」

 目を白黒させて頭を捻るリヴィエラ。

 伝道師が説法で逆に論破されてどうするのだろうか。しかも子供相手に。

「一般受け狙ってバトル展開入れたのが敗因ッスね」

「元の神話のままなら、豊富な回答例から返しを引っ張ってくりゃいいんだろうけどな。変にアドリブ入れっから」

 部下二人から他人事臭全開の評を貰っているのも知らず、リヴィエラは暫しうんうんと唸った後、

「す、すみません。質問変えます。ベルモちゃんが眠りという選択を取ったのは、ベルモちゃん自身のある感情を慰める方法の一つでもあったんです。その感情は、一体何だったのか。判ります、か?」

「…………」

 反論できないからと質問自体をあっさり変えるという割り切りも凄まじいが、変えた内容がまたぶっ飛んでいた。

 ここまでの展開で、ベルモちゃんの感情を描写する場面は幾つかあったが、しかしそれら全てが、単なる逃亡ではなく、自己の封印と眠りという行動でこそ慰められるものであったとは到底思えなかった。これでは明確な答えが導き出せない。

 簡単に言ってしまうと、質問自体が悪い。若しくは、話が悪い。

「で、えっと……」

 リヴィエラはきょろきょろと観客達を見回して、

「あ――」

 何故か、【NAME】の所でその視線を止めて、瞬間、嫌な予感が背筋を走る。

「じゃ、じゃあ、そこの冒険者さんっ! 答えてくださいっ!」

 予感通りの結果に、えー? と思わず呻くが、周囲の視線は既に【NAME】へと集中して、何か答えねばならない空気を演出してくる。

 【NAME】は諦めの嘆息を深々とついてから、改めて先程の質問について考えてみる。

 数秒の間の後、脳裏に浮かんだ結論は、やはり先刻と同じ。簡単に言うまでもなく、質問が悪いか、話が悪い。

 ――まぁ、何を答えてもいいんだろうけれど。

 こういった場での語り手側からの問いというものは、聞き手に反応をさせることで彼らの関心を語り手側へ引き戻すための、一種の手管だ。

 なので、ここでの答えが正解でも不正解でも、あまり意味は無い。取り敢えずは、正否問わず彼女が想定する範囲内の答えを出してやればそれで良い筈だ。一つ前の質問は、返ってきた答えが彼女の想定する範囲外のものだったから詰まってしまったのだろう。普通ならば、そこからでも自分が望む話の流れへ強引に持っていくものだが、それすら出来ずにやり直す辺り、彼女の話法は極めて水準が低いと言える。

 そんな事を考える間、同時に幾つかの回答候補を頭の中に思い浮かべて、【NAME】はふむと小さく唸る。





――新訳ベルモルド神話──


 どういう反応が来るのか。つい悪戯心が芽生えた【NAME】は、何も答えず黙り込んでみた。これは恐らく、リヴィエラが想定する反応の外にある筈だ。

 すると、

「だ、黙っちゃ駄目ですっ。こういう沈黙が、ベルモルド神――じゃなくて、ベルモちゃんがもっとも嫌うものなんです……!」

 怒られた。しかも、結構語気強く。

 単に困っておろおろしてしまうかと思ったのだが、どうやら沈黙という答えは、彼女の信じる教理に従うとあまり好ましくないものであったようだ。

「なら、せーかいはー?」

 手を上げてからの子供の問いに、リヴィエラは肩の力を抜くように一つ呼吸を置いて、

「正解は、孤独を紛らわせるために、です」

 予想外の答えに、と【NAME】は目を瞬かせる。

 孤独を紛らわせる為に、孤独な眠りにつく。その繋がりが見い出せなかった。


 何故と、観客の皆が、無言で問う。拙い手法と最初は思ったものの、彼女の、問い掛けることで己に注意を集中させようという目的は、上手く達成できたらしい。

 そしてリヴィエラは、疑問の視線に答えるように、そろそろ底が見え始めた木板の群れから新たな一つを取り出し、皆に見えるよう長椅子の背に乗せた。

 描かれているのは、地の底にて眠りにつくベルモちゃんと、傍で寄り添うようにしている色薄い影だ。


『ベルモちゃんは思い出します。最初に友達となってくれた神、今はもう居ない神が教えてくれた力。授けてくれた希望。眠り、己の内に描く夢の中で、世界を俯瞰し、皆の心の有り様を感じ取る術を』


 そういえば、そんな話が絵語りの序盤にあったことを思い出す。

 夢見を司る神との友誼と、その最後。神が持っていた特性の移譲が、ベルモちゃんの特性の暴走の引き金にもなった事。

「元の神話じゃ、ベルモルドを亡き者にしようとした妖精の女王だっけ?」

「そッス。ベルモルド神は苦も無く女王を喰らって夢見の力を得るッスけど、それ以外にも色々と影響が出て、“恐慌”の特性が世界を覆うようになってしまうって流れだったッスかね」

 それは、随分とベルモちゃんの話とは違うような気がするが、良いのだろうか?

「地母種を喰ったなんて話にするとどうにも生々しいし、ガキだと地母と象神との違いもわかりづれーからな。纏めて神にして、友達関係に仕立て上げた。なんせ元が一神教だから、こんな改変入れちまえば、そりゃ話も結構違ってくるさ」

 勿論、

「変えてねぇ、いや、変えられねぇとこもあるがな。ベルモルドは他の存在と仲良くすんのを諦めて、夢見の力を使って世界に生きる様々な存在の心を感じる事で、自分の孤独を慰めることにした。この部分はベルモルドの伝承の勘所だから、変えようがねぇ。だから、どうしようとオチは至極後ろ向きな話になっちまうんだよ」

 心底つまらなそうにマヒトが言う中、リヴィエラが木板の裏に書かれた文章を読み終えて、次の木板に手を伸ばしていく。


 ――そうして、話は終盤へと入る。

 ベルモルドは皆に別れを告げて、己の特性が外へと溢れぬよう硬く封印し、独り地中の底へと沈んでいく。

 誰にも迷惑を掛けないために。皆に楽しく騒がしく生きて貰うために。

 ベルモルドは、自身が居なくなった世界を夢として感じる事で、叶えられなかった望みを今も慰めているという。

 だからこの世に生きる我々は、一人孤独に眠る神が寂しくないよう、騒がしく、変化に富んだ生活を心がけねばならない。

 そうしなければ、我慢しきれなくなったベルモルドが眠りから目を覚まし、ひょっこり様子を窺いにきてしまうかもしれないから。


 以上が、リヴィエラが語るベルモルドという神の逸話だった。



 絵語りが終わり、子供達は付き添いの大人に連れられて、広場から去っていく。

 口々にお別れの声を飛ばす子供達に、広場の出入り口まで見送りにいったリヴィエラがぶんぶんと手を振って返す様子を、【NAME】はぼんやりと眺めていた。

 何気なく考えるのは、先刻の絵語りの内容だ。

 眠りにつくベルモルド。その神は夢としてこの世の様子を感じ取っていて、寂しさと退屈を紛らわせている、と。

 その話を聞いて、思い出す言葉があった。この間、カンカ寺院の正堂屋上にて、リヴィエラと相対したときの事だ。彼女は確か、自分がわざわざ隠れて大鐘楼を鳴らしに来た理由を、こう言っていた。


『これが、わたしが信じる教理に沿う事なんです……。ただ決まった生活ではなくて、少しずつ、毎日が違う。定型からズレて、規則から外れて、何か不思議があって、少し不安で、けれど新鮮で、騒がしく。ソワソワしたりドキドキすると尚良しです。ビクビクしたり、オロオロするのもアリですよ?』


 成る程と、苦笑する。

「あ? どうしたよいきなり」

 そんな【NAME】の様子に、既に木板の片付けに入っていたマヒトが怪訝な声を出す。

 別段隠す事でも無い。いや、と前置き、【NAME】は思った事をそのまま話した。

 つまり、リヴィエラやマヒト達が、ランドリートの都で時折騒ぎを起こしていた理由も、先刻リヴィエラが語ったベルモルドの伝承が根っこにあるのだろうか、と。

「あぁ」

 マヒトは一瞬、木板を重ねる手を止めて、

「ま、そういうこった。あれがリヴィエラ様の“信仰活動”って奴。結構加減が難しいんだぜ?」

「やり過ぎると、本気で治安組織に目をつけられちゃうッスからねー。正直、大鐘楼の件は肝が冷えたッス……」

 積み上げた木板を抱え持ったシモンズは、若干顔を引きつらせていた。

 シモンズの言い分は良く判る。大鐘楼の件は確かに大事だった。もしあの時犯人としてリヴィエラが捕まっていたら、只では済まなかっただろう。

「ってな訳でな。さっきも言ったけど、暫くは活動自粛して、布教に専念するって事にしたのよ」

 それが今回の絵語りなのだろうが、しかし子供を集めて話を聴かせるだけでいいのだろうか?

 布教というのなら、もう少し真面目に、老若男女を問わずに話して聴かせるような形にするべきだろうに。

「我らが主様がこれで良いっつーんだから良いんだろうさ。大人よりもガキ共相手に啓蒙した方が受け入れられやすいってな。大方、教団に通ってたときにそんな事を教わったんだろうよ」

「個人的には、何時もの荒っぽい奴より、こういう暢気な活動の方が平和でいいんスけどねー」

 追っかけ回されたりしょっ引かれたりする事もないッスし、と深々と溜息をつくシモンズからは、普段の苦労が偲ばれた。

「つーかそもそも、ベルモルドなんてマイナー神、そうそう広まるもんでもねーしな。フローリアじゃ受け入れられる下地すらあるのか怪しい。徐々に、知名度を上げることを目的にやってくくらいで丁度良いのさ」

 話を聞く限りでは、ベルモルドは畏れの神だ。下世話な話になるが、そういった神は人に利を齎す神々と比べるとどうしても受けが悪い。

 神跡という、形となった加護は奉る神々によって際立った違いが生じるという訳ではないのだが、しかしというべきか、だからというべきか、神が持つ特性は案外と重要視されがちなのだ。

 東大陸で広く信じられている四柱信仰にしても、ラムーザのような正義を謳う神と、ネウレトゥのような悪戯や多少の罪悪に繋がる要素を持つ神では受け入れられ方に違いが出る。ベルモルドのような“恐慌”の特性を主として持つ神となると尚更だろう。

 その辺りの事情を考えれば、マヒトの言う事ももっともだった。まずはベルモルドという神の名を知らしめ、更には極力好意的に受け止められるよう伝える。その手法として、絵語りという選択はそう悪くはないのかと思えた。

「よっし。んじゃ、オレ等は引き上げるわ。今回は毎度あり。お前からの善意の寄付は、今日の晩飯に有り難く使わせて貰う」

「失礼するッスー」

 言って、木板を抱え上げたマヒトとシモンズは声と視線で別れを告げ、未だ子供達の方に手を振り続けているリヴィエラの傍へと歩いていく。

(……そういえば)

 ふと思いつき、【NAME】は去り行く彼らの背中に、一つの疑問を投げかけた。

 【NAME】がこのランドリートの都に初めてやってきた時、酒場にて喧嘩沙汰となったのが、彼らとの出会いだった訳だが、つまりはあの喧嘩も、彼らの主が掲げる“信仰活動”の延長だったのだろうか。

 そんな【NAME】の問い掛けに顔だけ振り返ったマヒトは、片の口角を上げて眼光鋭く【NAME】の方を見て、

「んな訳ねーだろ。お前がいらん口出しをしてくるから、ムカついただけに決まってんだろうがよ」

 そうですか、と苦笑いと共に返すしか無かった。

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