• 礎の王格 同者との遭遇

礎の王格   同者との遭遇

──剣都アサーン近傍──


 五王朝の空にあの虹の帯が掛かる以前。王朝中央に位置するグローエス領の北には、アサーンと呼ばれる都があった。

 都の中央にヴォルガンディアという名の巨大な闘技場を持つ、通称『剣の都』だ。

 しかし、今はもう失われた廃都。

 “虹色の夜”以降に起きた“現出”──その影響をまともに受けたこの都は、夜を三つ越える事無くして滅びたという。

 街に暮していた者達の殆どは他の都市へと逃げ延び、夢か現かも判然としない奇妙極まりない現象が頻発するこの地に残ったのは、現出に伴って現れた凶暴な亜獣。

 そして現出発生時の土地概念変質に巻き込まれ、人本来の在り方を壊されて街に縛られた、正に幽霊とも言うべき者達のみだと言われている。



 五王朝領内の情勢が漸く落ち着きを見せ始め、今までは半ば放置されていた危険地域にも手を回す余裕が生まれた、という事なのだろうか。

 現出により滅びたとされる都アサーンに、グローエス国と魔術学院“昂壁の翼”合同による調査団が派遣される事となり、随伴する人員を募集している。そんな話が冒険者達の間に流れ始めてから、既にかなりの時間が経過していた。

 廃都アサーンへと向かう合同調査団の集合地点。軍の者、昂壁の学士、そして冒険者と、雑多な人が溢れる場から、少し距離を置いた場所に貴方は立っていた。

「しかしまぁ、都合良く募集が掛かってたもんだよな」

 傍から響いた声に、貴方は横へと振り向く。隣、腰程の高さがある大岩の上に、長身痩躯の槍使いマヒトが座り込んでいる。岩の横には、斧を担いだ小男シモンズの姿もあった。

 待ち合わせの場所と指定していた支都ルアムザにある斡旋公社にて、リヴィエラ、マヒト、シモンズの三人と合流。そのまま公社の窓口にてアサーンへの合同調査隊の件を確認してみれば、丁度今日出発する予定があるという。本来ならば暫く調査は行われない予定だったのだが、数日前に急遽派遣が決まったらしい。

 正に渡りに船。そして、これを逃せば次のチャンスがいつになるか判ったものではない。慌てて諸処手続きを済ませた貴方と三人組は、半ば飛び入りに近い形で集合場所であるアサーン近傍の高台へとやってきていた。

「――合同調査隊、か。最近は一通りの調査も終えて、これ以上大きな進展は見られないってんで、回数も控えめになってたって話だが」

「そなの?」

 リトゥエがきょとんと声を上げる。アサーン内部へは立ち入らない事になっている彼女だが、郊外で【NAME】達の帰りを待っているという事で、今日もここまではついてきていた。隠匿結界で姿を隠しているが、マヒトは藪睨みながらしっかりと、リトゥエが居る貴方の肩上を見据えている。今日は彼等と共に行動するという事で、普段より結界を緩くしているらしい。もっとも、マヒトはどうやらそういった結界の加減にかかわらず、リトゥエの姿を常に捉えているような節はあったが。

「公社のねーちゃんも、本当なら予定無かったっつってたろ。今日の調査だって、ほれ、ここに居る連中良く見てみろ。気づく事があんだろ」

 言われて周囲を見渡すが、これといって気になるところも見当たらず、首を捻る。順に見渡せば、まず目に入るのが中央に陣取る軍所属と思しき服装の集団だ。その周りに冒険者が多数、思い思いに陣取っており、その中間となる位置には学士らしき者達が固まりを作っていた。

 軍の集団が仲間内で円を作ってこれからの打ち合わせを、冒険者達が所在なげに個々人で時間を潰しているのに対し、学士達の興味は既にこの場にはなく、下方、護法衛士による大結界に包まれた廃都へ向けて熱い視線を送っている。

「……あれ?」

 と、そこで怪訝な声を上げたのは小柄な男、シモンズである。

「あの人達、“昂壁の翼”の人じゃないッスね?」

 言って、短い指で示すのは、学士達の一団だ。彼等は“昂壁の翼”の者達がよく纏っている白色の長衣ではなく、それぞれ統一感の無い恰好をしていた。比較的目立つのは、緑色の短い上着を着た者達。胸元の施された刺繍から察するに、クンアールに所属する何処かの組織からやってきたのだろう。他の者達も、それぞれ所属を示す服なり道具なりを所持していたが、その中に“昂壁の翼”の学士である事を示す目印を持っている者は一人も居ない。

 つまり、

「もう合同ってのは名ばかりで、“昂壁の翼”はアサーン侵入に消極的になってるか、もしくは手を引いていて、今は片方の衛士団だけで動いてるってこったな」

「うーん? けど、軍だけじゃうまく行かなかったから合同調査始めたんだよね。なら、何で“昂壁の翼”無しでもまだ続けてるのさ?」

 だから、回数が減っている、という話ではないのか。

「減らすんじゃなくて、やめちゃうんじゃないの? そういう場合」

 言葉を挟んだ貴方に、かくんと首を捻るリトゥエ。

 もっともな話ではあるが、となると、この現状はどういう事なのだろうか?

 リトゥエと貴方の視線を受けて、マヒトは普段から不機嫌そうな目をより気難しげに細めて鼻を鳴らす。

「そこまでは知るかよ。外から見ても判んのはその程度だ。なんか俺等には判らん旨味でもあんのか、それとも軍としての見栄か。これまでの調査で得た情報で、もう軍だけでもどうにかなるって結論に至った可能性もあるが、ただまぁ――」

 言葉を切ると、マヒトは意味有りげに軍の集団に向ける。釣られて貴方がそちらを見れば、気づかぬ内に彼等の話し合いは終わっていたらしく、組まれていた円陣が解けていた。

「注目!」

 集団の中から他の者達より頭一つほど小さい影が進み出て、周りに集まる冒険者達に対してそう声を張った。

「これより、今回の剣都アサーン調査行についての進行説明を、私、本調査団の指揮を執るグローエス国軍騎士位、ベリーナ・クントースが行う!」

 場に集まっていた者達から、一瞬ざわめきが起き、しかし直ぐに静まる。

 ざわめきの理由は、恐らく声音が甲高い――女のものだったから。直ぐに静まった理由は、そのような事は実力さえあれば些細な点だからだ。

 ベリーナと名乗った女は大柄とは言えず、声も太く通ったものではなかった。歳もまだ若く見える。迫力や威厳を備えたタイプでもなく、彼女を頼りになる指揮者と見るのは難しい。だが、立ち振る舞いや歩く仕草、纏った軽鎧や吊した武器の馴染みようから、少なくとも彼女が相当な実力の持ち主である事は容易に想像出来た。だからこそ、場に集まっていた者達は瞬時に彼女を指揮者と認めたのだ。この程度の目利きが出来ないような冒険者は、そもそもアサーン侵入のような高難度の作戦に参加しようとは思わないだろう。

 しかし、異なる評価を下す者も居るようだった。

「――あの女見る限りじゃ、その線はねーだろな。完全に手を抜いてるじゃねーか」

「みたいッスね。合同調査って名目で続けてるんスから、多分上同士であーだこーだやった結果、あの辺の騎士さん連中が出てきたんでしょうけど」

「それはそれで意外っちゃ意外だがなー」

 そんな二人組の寸評に、貴方は少し驚く。

 彼等からすると、あの女騎士が指揮を執るのは“軍の手抜き”になるのか。

 まさかマヒト達は、ベリーナの腕前を見抜けてはいないのではあるまいな。貴方が慌てて質すと、二人は怪訝な顔で見返し、

「……? ああ、そこじゃなくてよ。ほれ、あいつらどうも衛士団の所属じゃないみてーだし。ちゃんと“国軍”って名乗ってたろ?」

「なもんで、やる気がないのは衛士団の方も同じかと思ったんスよ。あの騎士さん達が、調査隊のトップに立ってるのを許してる訳ですし。丸投げでもしたんスかね?」

 二人から説明が追加されたが、それでも意味が判らない。貴方は困ったようにリトゥエを見るが、しかし彼女も要領を得ないという風に口を曲げていた。

「衛士団じゃない……ってどういう事? あれ、五王朝の軍隊の人でしょ?」

 その問いに、マヒトはシモンズと一瞬顔を見合わせて、

「いや、軍隊って意味じゃ、むしろあいつらの方が本物って言えなくもないんだが……。おいちびっ子、お前五王朝の軍組織ってどうなってるかちゃんと知ってるか?」

「ん? んーっと」

 リトゥエは、迷ったような顔で考え込む。真剣に記憶を漁っているのか、ちびっ子と言われた事に何の反応も示さない。

「……人の国の、しかも組織とかそんな話になると、流石にちゃんとは知らないけど。でも、大雑把には知ってるつもりよ。確か、“衛士団”ってのが五王朝が持ってる軍隊で、それとは別に、すっごい強い“護法”ってのが居るんでしょ?」

 その程度ならば、貴方も知っていた。衛士は五王朝各都市で冒険者として活動していると、よく遭遇する相手だ。街に用意されている衛士詰め所に居る彼等は、実質的には警察に近い仕事をしている為、斡旋公社で都市内の依頼を引き受けた際には搗ち合う事も多いのだ。

 だが、そうした衛士達はあくまで衛士団の末端だ。五王朝首都級の場所に用意された衛士団用の敷地と施設群は、基地と呼ぶに相応しい規模を誇り、そこに詰める衛士団員は上等な武装と高い技量、練度を備える、正に軍隊である。更に、宗主国であるグローエスの都ルアムザには、各国衛士達の選りすぐりが集まる五王朝衛士団が駐屯しており、領の縛りを越えて五王朝各所の難事に適時人員を派遣し、対応していると聞く。

 “護法”については、五王朝衛士団よりも更に身軽な存在で、個人もしくは数人単位で国家単位世界単位の難事に挑む、一騎当千の猛者集団であるとか。要請により衛士団の作戦行動に同伴したりもするが、本来の命令系統は完全に別の、軍からは半ば独立した存在だという話だ。

 そんな風に、貴方とリトゥエで五王朝の軍についてを語ると、マヒトはふむふむと二度ほど頷いてから、

「護法は兎も角、衛士団については違う」

「えっ」

 そうなの? と、驚きで目を瞬かせた貴方とリトゥエに、マヒトはしたり顔で笑う。

「おかしいと思わなかったか。軍隊に“衛士団”なんて名前がついてるのは変だろがよ。職種としての衛士ってのは普通護衛、警衛の専門役割の意味だろ」

「…………」

 言われてみれば、そうだ。

 街中では実際衛士が担当するような仕事をこなしていたため違和感は無かったが、それらは軍隊という大きな括りの中では、あくまで副次的な活動である筈だ。しかし、五王朝の軍隊は、その仕事を組織の顔たる名称部分に持ってきている。奇妙と言えば奇妙な話。

 これは一体どういう事だろうか。答えを知っているであろうマヒトの方へ視線を戻すと、彼は「単純な話なんだが」と前置き、こう続けた。

「お前等の言う衛士団ってのは、実は“グローエスの軍隊”じゃねーんだよ。ややこしいんだが、衛士団は五王朝の治安維持組織ではあるんだけども、軍事組織じゃねーんだわ」

 違いが判らない。

 貴方が顰め面を浮かべて言うと、マヒトは面倒そうに頭をがりがりと掻いて、

「あー。だから、武力組織なのは一緒なんだが、治安維持限定……国内の問題には出張るけど、国外や領同士の争いには関与しない組織ってこった」

「例外は国防――それも五王朝単位での国防時のみ活動可能であるとか、そんな取り決めがあった筈ッスよ。だから、他国侵略に対する自衛にのみって活動制限されてるみたいで」

 ひょい、と脇からシモンズが言葉を足す。どうやらこの小男も、衛士団について自分達以上に詳しいらしい。

 二人とも五王朝ではなく隣国ラカルジャ出身のようなのだが、何故こんな事まで知っているのか。

(いや、だからこそ、か)

 他国人故に、滞在している国についてあれこれと調べる。そういう事もあるだろう。案外、五王朝で暮らしている者達も知らない話なのかもしれない。

「っていうか、なんでそんな変な事になってんのさ……」

 リトゥエの至極真っ当な疑問に、マヒトは「詳しいとこまでは知らんが」と前置いて、

「五王朝設立時に、各国に存在していた軍の大半を、その時併せて設立された五王朝衛士団へ強引に編入させたんだと。互いの国の兵力を残したまんま、何の縛りも無しで合流ってのも色々と危ういだろうからな。判らんでもない処置だが――」

「良くそんな無茶苦茶な話が通ったもんね……」

「全くな」

 各国の軍組織を押さえつけて、外へ向けるための牙を抜く。当時の各国軍上層部にとっては、到底認められるものではなかっただろう。

 しかしそれを実際にやってみせたのは、衛士団がこうして存在する今の歴史が証明している。

「だから、当時のグローエスの頭ってのが余程化け物だったんだろうな。そいつらが纏めて逆らえないくらいによ。大体、名目上だけだとしても、貴族連中達からその立場まで取り上げちまったくらいだし」

 グローエスの上位階級の者達が“旧貴族”と呼ばれるのも、そこが元だ。五王朝成立時の大騒動は噂には聞くが、吟遊詩人達が語るそれらは脚色が酷く、あまり参考になるものでもない。歴史書等を紐解けば詳細が書かれていたりするのだろうが、生憎とそんな経験も無かった。

 当然、リトゥエもこちらと似たような知識しかないらしく、ふーん、と息を吐き、

「いまいちしっくりこないけど、言いたい事は判った。要するに、今ある衛士団ってのは昔あった五王朝各国の軍隊のが寄り合って出来たものではあるけど、正確には五王朝の軍隊じゃなくなった。――って話で、あってる?」

「大体はな。五王朝衛士団の下部組織としてテュパン衛士団とかカルエンス衛士団とかが国単位であるのは、その時の名残だそうだ」

 なるほどね、と貴方は頷き、しかしと怪訝に首を捻る。

 ――凄まじい話だとは思うが、これが今の状況に何か関係ある話なのだろうか?

「というかさ。昔の軍隊の名前がそのまま衛士団ってのに変わっただけだし、やる事に制限はついたかもだけど、別に五王朝の軍隊って呼んでも問題無いんじゃ? そりゃ、細かいとこ見ると違うかもだけどさ。実質的にはそうなんでしょ?」

「実質的にはそうでも、形式的には違うってこった。つーか、さっき言っただろが。五国の軍の“大半”を強引に編入させたって」

 それは聞いたが、だからなんだというのか。答えになっているようには聞こえない。

 貴方は若干苛立ち混じりに問い質そうとして、

「……大半は? 一部は違うの?」

 と、耳元近くで呟かれたリトゥエの声に、目を数度瞬かせる。視界の隅で、マヒトが片側の口角を上げるのが見えた。

「そういうこった。勘が良いなちびっ子」

「こんくらい気づくよ――ってか、いい加減チビチビ言うの止めてよひょろなが」

「ああっ!?」

「なによっ!」

 一瞬でヒートアップする二人を、貴方とシモンズでどうにか治める。

 ちなみに、こうして普通に会話をしているが、裏ではベリーナがアサーン調査行の説明を行っており、軍兵士達は勿論、学士や冒険者達も真面目にそれを聞いている状況だ。集団の輪から離れた場所に居るおかげでこうして煩く騒いでも気にされてはいないが、度が過ぎるのはまずい。もし目をつけられたら単なる注意で済むか判らない。当然、その事は把握しているのか、マヒトもリトゥエも直ぐに静かになる。

「……ったく、話戻すぞ。五王朝成立の時に大半は衛士団に編入されたんだが、ほんの一部はそのまま軍として残されたんだよ。昔の軍上層が頑張ったのか、国のお偉いさんになんか考えがあって残したのか、その辺は知らんがな。そして、それは今も細々と残ってるらしい。実戦力というよりは形式的、儀礼的なものとしてな。一応、近衛としての役目もあるらしいが。んで、これが今現在における、五王朝の正式な“軍隊”っつーわけだ」

「じゃあさ。衛士団を普通の人達が軍って呼んでるのはどーいう事? あくまで通称?」

「この国の連中が事情を理解した上でそう言ってのかまでは知らんが、細かく言えばそうなる。お前等みたいに、完全に勘違いして覚えてる奴らも多いんじゃねーか。」

 ふーん、とリトゥエは鼻を鳴らし、

「まぁ、違いは判ったけど。でも、一応今日来てる人達だって軍隊なんだよね?」

「ていうかあいつ等“が”軍隊だな」

「……判ってるってば。でも、何でそれが駄目って話になるの? むしろ逆なんじゃ?」

「別に駄目じゃないッスけどね。事実だけ言えば、本来は衛士団所属の人間が出張ってくる筈のところに、軍――確かグローエス国軍騎士って言ってたッスか。つまり、グローエス五王朝ではなくて、グローエス領が所有している軍隊の人間が出てきてる。それだけッス」

「俺等が言いたかったのは、五王朝の衛士団も、昂壁の連中と同じようにこの件から手を引きたがってて、後を軍の連中に丸投げしたのかね、とな。“軍”じゃなくて“衛士団”が手抜きしたんじゃっつー話。今日の調査の進行に問題がー、とか、そういうトコは大して心配してねーよ」

 成る程ね、と貴方とリトゥエは一つ頷く。国軍という存在を知った今なら、マヒト達の発言の意味は簡単に理解出来た。

 ――もっとも、そうした説明を経て理解できた発言内容自体には、今ひとつ納得がいかなかったが。

「あぁ? どういう意味だよ」

 何気ない呟きに強く聞き返されて、一瞬、貴方は言葉に詰まる。

 若干の違和感を覚えた程度の話なのだ。言葉として上手く形にも出来ない。もやもやと、漠然とした違和感だけが胸の奥に蟠って納得を阻んでいた。

「違和感、ねぇ」

 貴方がその事を伝えると、マヒトは気難しげに唸り、

「……確かにな。衛士団の方が気張ってるなら話は別だが、昂壁と衛士団、どっちも欠席だってのに、こうして調査団が編成されてんのはしっくりこねーかも」

「へ? アニキ、それは先刻、自分達には判らない旨味やらがあるかもって言ってたじゃないッスか」

「そいつぁ片方――衛士団がやる気ならっつー前提あって、だろ。多分、【NAME】が違和感覚えてんのは、公社で聞いた話がひっかかってんじゃねーの?」

 言われて、ああ、と腑に落ちた。

 そうだ。斡旋公社で合同調査隊の話を聞いたとき、窓口担当の女性は、「暫く調査は行われない予定」と言っていた。つまり、衛士団と昂壁の翼は、調査隊自体の編成を、少なくとも暫くは行わないつもりだったのだ。

 なのに今日こうして調査隊が編成され、更にそこには、衛士団ではなく国軍の者達が隊の中心としてやってきている。

 予定外の、急遽という形で。

「こうして要素を並べてみると、思わせぶりではあるよなぁ。けどよ」

「んー。何かありそうなんだけど、じゃあ何? ってところに行き着く情報が足りないって感じ?」

 全くもってその通り。

 リトゥエの呟きに、場に居る皆は暫し言葉も無く黙り込む。

「……まぁ、あれだ。今日の俺等の目的とは大して関係ねーだろうし、取り敢えず忘れとこうぜ。アサーン入った後は、調査部隊とは離れて行動する気なんだろ?」

 話を振られて、貴方は頷く。

 先刻から聞こえているベリーナの説明では、調査部隊はヴォルガンディア闘技場等があるアサーンの中心区画はおろか内周高位区画にも近付かず、外周低位区画の外縁部に拠点を構えて、危険亜獣の討伐を主として動く予定らしい。アサーン内の何処に“異象”の核が生まれようとしているのか。それはまだ確認できていないが、調査団が拠点を中心に亜獣討伐という局所的な活動を行う予定ならば、早々に別行動を取る必要がある。

「なら、この件はスルーしといて問題ねーだろ。……こういう話の流れになると、衛士団とグローエス国軍の間で実は対立構造があって云々ってのがお約束なんだが、そういう噂も流れてねーしなぁ。大体、衛士団と国軍は、今じゃかなり距離を置いた関係になってるって話だったし。けど、そこ考えりゃ衛士団から国軍に丸投げってのも変ではあるんだよな。国――グローエスの方からごり押しって線もあるが、そうすると何で今頃国が出張ってきたっていう……って、な、なんだよお前等、じっとこっち見やがって」

 そこまでぶつぶつと呟いて、マヒトは周囲の視線に気づき、一歩引く。

 リトゥエは貴方と一瞬視線を合わせてから、

「いや、ちょっと感心してた」

「あぁ?」

「意外と色々知ってるっていうか、情報通っていうかさ。正直あなたの事、見直したかも」

「はぁ!?」

 だって、これまで馬鹿やってるところしか見ていなかったからなぁ、としみじみと二人で頷いてみせると、途端、マヒトが挙動不審になる。

「ん、あー、いや。っつか、何だよちびっ子。急にんな事言いやがって。気味がわりぃな……」

 照れているのか、頭をがりがりと掻きながら視線を彷徨わせるマヒトに、リトゥエはにやにやと笑って、

「だってさ。見た目はひょろなが、顔はチンピラ、態度は悪くて、この前超怪しい魔剣で偉い目にあってたおバカさんが、こんなに世情に詳しいとか普通思わないじゃん」

「喧嘩売ってんのかこの羽虫チビがっ! ってか、魔剣さんバカにすんなよあれマジスゲーんだぞ! 部屋の入り口に立て掛けとくと、盗人は疎か宿代取りに来た親父も追い返す優れ物でよ」

「アニキ、まだあの魔剣処分してなかったんスか!?」

 シモンズを加えて再度ヒートアップし始めた皆を止めようとして、ふと、視界の片隅に暗色の神官衣が揺れるのを見た。

 自然と、意識がそちらへ向く。軍や冒険者達の集団から少しばかり距離を置いた自分達から、更に数十メートル程離れた場所に一人。丘の下方に見える、結界に包まれた大都市の上空を見上げているのは、獣神ベルモルドを崇めるイーマ教団の神官にして宝精召師である娘、リヴィエラだ。アサーンの都に近付いてからずっと、彼女は自分やマヒト達との会話には参加せず、ああして都の周囲、一見何も無い場所を只々見つめ続けていた。

「…………」

 目の前で騒ぐ三人と、遠くに見える一人。

 交互に見、貴方は一瞬の思考を間に置いて、マヒト達を放置する事に決めた。

 ここまでの道中、リヴィエラとは碌に話をしていない。公社で合流した際には全員が緊張していた為かあまり会話が弾まず、生まれがちな間を誤魔化すために公社の窓口で合同調査隊について訊ねれば、既に調査隊は集合場所に集まり始めているという。その後は調査隊参加の手続きに、集合場所となるアサーン近傍の丘への移動と大わらわで、まともに会話をする暇が無かったのだ。しかし今ならば――それもマヒトやリトゥエがこうしてやり合っている間ならば、リヴィエラと二人で、邪魔が入らずに話が出来るかもしれない。マヒト達が居ると込み入った話が出来ない、という訳ではないのだが、どちらかといえば騒がしく、せっかちなあの二人が居ると、どうも会話の主導権をもっていかれがちで、落ち着いて話をし辛いのだ。

 だから今は、良い機会だった。出来ればアサーンへと入る前に、少しリヴィエラと二人で話をしたい。この世界――理粒子にて構築された世界に生まれて、しかし別世界の源である不定理粒子の存在を捉える力を持つ者。この世に在るならば本来不要である筈の知覚を備え、けれども誰とも共有できず、意味も、正体も判らずに今日まで生きてきた、そんな彼女と。

 貴方は軽く手でシモンズに合図してから、そっと距離を取る。マヒトはリトゥエに向かって怒鳴り散らし、リトゥエは疾うに肩上を離れてマヒトの周りをからかうように回っていて、貴方の動きに気づかない。合図を受けたシモンズが「こいつら一人で仲裁するんスか?」と絶望的な表情を浮かべるのが見えたが、一瞬貴方の後方へと視線を飛ばしたシモンズは、何も言わず、マヒト達の間に割って入って殴られていた。

 申し訳ない、とシモンズからは見えていないだろう目礼だけを残して、貴方はリヴィエラの立つ丘の坂中間へと足を向けた。



 踝に届く程度の草を割り、僅かに湿り気を帯びた土を踏みしめながら、貴方は背を向けたリヴィエラの傍へと歩み寄る。

 別段足音や気配を殺すつもりもなく近付き、彼女の直ぐ隣で立ち止まって一秒二秒。軽く名前を呼んでみて、更に一秒二秒。しかし神官衣の裾を風に靡かせて立つリヴィエラは顔を前に向けたまま、貴方の方へ振り向く様子はない。

 リヴィエラと貴方との間は数歩足らず。この距離ならば、普通はこちらの存在に気づいている筈だ。故意に無視でもされているのか、と一瞬考えるが、まだ数える程しか交流していない貴方にも、リヴィエラがそういう振る舞いをするような類の人間ではないのは理解出来ていた。

(と、なると……)

 ちらりとリヴィエラの様子を窺う。

 浅く上に傾いだまま動かない顔は、半ば以上がフードに隠れていて見えない。しかし、その瞳が何処へ向けられているかは、何となく察する事が出来た。どうやら周囲に気を配る余裕もない程に、眼前の光景を見ることに集中しているらしい。

 貴方はリヴィエラから目を離し、想像の中の彼女の視線を追った。

 正面遠く、大都が存在する筈の場所は淡い輝きを放つ結界に覆われて、奥までは見通せない。結界の縁から外へと伸びる道と、広がる平野。天候は芳しくなく、結界上方を包むように広がった薄暗い空からは、今にも雨が降り出しそうだ。

 単に、目で見える光景であるならば、それで終わり。

 しかし、自分は違う。

 そしてリヴィエラも、恐らく違うのだ。

 ――と、そこに都の方から湿り気を帯びた強い風が、草原に己の形を表しながらこちらへ迫ってくるのが見えた。

 一つ、二つと内心で数える間に、正面から迫る風は貴方とリヴィエラの立つ丘の坂中程へと届き、両耳に篭もった音を残して背後へと抜けていく。

 思わず目を閉じて、そして通り過ぎた風の圧力を感じながら目を開けば、

「ん」

 隣、リヴィエラのフードが風に煽られて外れ、長い髪が彼女の匂いを伴ってたなびき広がる。

 フードは背中に下りて、露わになった素顔は、どこか茫洋とした表情。風が完全に収まって、更に数度の瞬きを置いて、被っていたフードが外れた事に気づいたようだ。乱れた髪をまとめるように、片方の手で耳元から項までを梳き流したリヴィエラは、そのまま背中に下りたフードに手を伸ばしかけたところで隣に立つ貴方に気づいたのか、ぴたりと動きを止めた。

「……【NAME】さん」

 暫しぼんやりと、焦点が曖昧な視線がこちらに向けられて、

「【NAME】さん」

 もう一度名を呟いて、その時になってようやく、貴方の目に、彼女の目の焦点が定まる。

「あの。どうか、したんですか?」

 声には応えず、貴方は逆に問い返した。一体何を見ていたのか、と。

 疑問ではなく、確認に近い問いだ。リヴィエラが“本物”ならば、あの都の周囲に渦巻いている流れが知覚出来ている筈である。

 そんな貴方の予想に応えるように、リヴィエラは都の上空に一瞬視線を投げて、

「“光”を、見ていました。私だけに視えていた光」

 そして貴方をじっと見る。

「……でも、【NAME】さんにも視える光、なんですよね?」

 先程の自分と同様の意思が込められた確認の問いには、何処か乞うような期待感も混じっていた。

 けれども、残念ながら正確には違う。

 貴方の眼には、アエルは“光”という形で見えてはいない。アエルは視覚として捉え辛く、感覚的な、気配として感じ取るのが精々。“異象”が顕現する程にアエルが“溜まっている”場所ならば、どうにか薄い靄として見る事が出来る程度だ。

「そう、なんですか?」

 そんな貴方の答えに、リヴィエラは驚きの表情を浮かべる。意外な話だったらしい。

「【NAME】さんの話では、あの光――アエルというのは、【NAME】さんが居た世界ではありふれたものなんですよね? それでも見えないものなんですか?」

 言われて、答えに困る。

 “同化者”としてこちらの世界に来るまで、アエルという存在を見るどころか、意識した事すら一度も無かったからだ。今自分がアエルを知覚出来ているのも、この世界がイーサ――理粒子で構築された世界であり、そこに異分子であるアエルが生じているからこそ、それを“異物”という形で認識出来るのだ。

 そもそも、イーサやアエルは存在の根源となる要素。世界に在るあらゆるモノの形と概念を成す材料だ。見えず、認識も出来ないのは当然。リヴィエラの主張は、例えるなら空気が目に見えると言っているようなもの。それを――しかもこの世界には本来殆ど生まれる事が無いであろうアエルを、“光”として知覚出来る事自体が異常極まりないのだ。

 純粋に、“アエルを目で見る”という点に限るならば、リヴィエラは『礎の世』の人間である自分より優れているという事になる。クーリアが、リヴィエラの事を“得がたい協力者”と言っていたのも頷ける話だった。

 恐らくだが、もし彼女が『礎の世』にやってきたならば、在る物全てが光り輝いて見えるのではないだろうか。『礎の世』の人が皆彼女と同じ力を持っていたならば、きっと酷く生き辛かったに違いない。

 要するに。

 彼女が持つ“眼”が、本当に“アエルを光として見る事が出来るもの”であるのならば。

 この世界においても、そして『礎の世』においても、彼女の力は極めて異質な代物である、という事だった。

 ――だが、それを認め、彼女に伝えてしまって良いのだろうか?

 そう考えたとき、ふと、貴方の心の中に声が響いた。

『止めておいた方がいい、とは思いますよ』

 そろそろ馴染んできた感すらある、己の内側に宿るクーリアの意思だ。こちらの迷いが、誰かに意見を求めたいという無意識の思考となり、心の内で休眠していたクーリアを呼び起こしたのだろう。

『前の食堂での態度と、今のリヴィエラさんの物言い。後、テュパンの地下で出会った時の彼女の様子。この三つが、今、何となく繋がりました』

 唐突に出てきて、一体何の話をしているのか。

 内側から伝わってくる、要領を得ない持って回った言葉に対し、貴方が急かしと不愉快を混ぜた感情を返すと、

『何の話、って、リヴィエラさんが貴方に抱いている拘りの理由の話ですよ。――他人とは違うものが視える自分と、同じ感覚を貴方が得ている。これが、リヴィエラさんが貴方に興味を持った根っこの部分なんじゃないでしょうか。要は、同類意識という奴ですね』

 ああ、と貴方は内心唸る。

 彼女が自分に向けていた強く真摯な視線と、そこから伝わってくる興味、期待、不安。

 これらは全て、自分と彼女の知覚している世界が本当に同じものであるのか――同じであるなら、自分は彼女にとって信用に足る人物なのか、それを計ろうとするが故のものだった、と。こう考えれば、色々と得心が行く。

 リヴィエラにとって、恐らく自分は彼女が視ているという“光”の存在を認め、更に同感じる事も出来、そして“光”の正体が何であるのかをはっきりと示した初めての人間だったのだろう。興味や期待、共感、親近感その他諸々の感情を向けてくるのも宜なるかな、だ。

 ただ、それを前提に考えると、食堂での話し合いの際、こちらが説明した『礎の世』や自分の素性その他諸々に対して「信じられない」という回答が返ってきたのが更に意外に思える。彼女の常識で照らし合わせた場合、こちらがした話は、そういった共感によって得ている好意的な補正を上回る程に信じ難いものだったのだろうか?

 貴方の疑問に、んー? とクーリアの明確な言葉になっていない思考の波が暫し返り、

『どうでしょうね。私はそちらの世界の人間ではないですし、貴方も同様ですから、その辺りの機微を察するのは難しいかもですね。“そういうものだ”と割り切って考えてしまった方が良いかもしれません。私達の世界の話は、そちらの世界の人達にとってはそれ程に現実に即していない話なんだって』

 しかし、マヒトやシモンズ達は案外すんなりと信用していたようにも思えるが。果たして、どちらがこの世界における普通の反応なのか。

『あのお二人に関しても、そう単純な感じでもなさそうでしたけど。信じているフリをしてこちらの情報を引き出せるだけ引き出して、後で改めて真偽を確かめよう、みたいなつもりだったかもしれませんし』

 用心深くクーリアがそう言うが、しかしテュパンの繁華街やフローリアの都で、彼等の活動と結果を直に己の目で見てきた貴方からすると、彼等がそのような遣り手であるという“もしも”が、どうも上手くイメージ出来ない。

 もっとも、先刻の軍についての会話からも、こちらが持っている印象と実際の彼等がズレている可能性は感じないでもないのだが。

『……まぁ、あのお二人とリヴィエラさん、どちらがより一般的な反応なのかっていうのは、結構どうでも良い話ではありますけどね。私達にとって重要なのはリヴィエラさんの方な訳ですし。けどそれを考えると、先刻の貴方の発言はちょーっと宜しくなかったですねー』

 若干、こちらを咎めるような棘を感じた。貴方が居心地悪く発言の意を確かめると、

『ほら、リヴィエラさんは、貴方を自分と同じ人間なんだって感じていて、それで興味や共感、多分親近感みたいなものを持ってたって部分は良いですよね? なのに貴方、さっきアエルを“光”として見えないって事を教えてしまったでしょう?』

 む、と内心唸る。何となく、クーリアの言いたい事が察せられてしまった。

『その後で、更に貴方が今考えていたような話をしてしまうのは、流石にまずいかなー、と。彼女が貴方に抱いていた同類意識がどんどん薄れて、下手すると期待が失望に変わってしまうかも。……あ、でも逆に、その辺りの事を隠しながら共感をもっと煽るような方向で話を進めれば、そのままころっと落とせそうな気もしますね。明らかに世慣れしてないというか、初心そうですし。この路線で攻めてみます?』

「…………」

 全く、傍のリヴィエラには聞かせられない発言である。

 この心に直接届く意思疎通法は内緒話には最適だと思いながら、貴方は僅かな思考の間の後、クーリアの意見に否定の意思を返した。

『む、何故です?』

 当然の問いに、貴方は瞬間で導いた結論までの流れを、クーリアに伝えるために改めて言葉という形で筋立てる。

 これは以前、カシムの食堂でリヴィエラを説得しようとした時にも考えていた事だ。長く協力を仰ごうという相手に虚言を用いるのは、後々面倒な事になりかねない。相手への誠実さを欠いてしまうという倫理面での問題もあるが、致命的な局面でその事が発覚し、亀裂が生まれて退っ引きならない状況になってしまう可能性も考えれば、今の段階で嘘や黙秘を多用するのはまずい。功利的な意味でも、あまり良手ではないだろう。共感を強調するにしても、それは真実のみを用いて行うべきだ。

 という、貴方の思考を読み取って、クーリアからは渋々納得というような感覚が返ってきた。

『……極力、手段問わずにリヴィエラさんを身内に引き込んだ方がいいとは思うんですけどね。でも、【NAME】さんの意見ももっともではありますし、その辺りはお任せします。確かに、リヴィエラさん相手ならなるべく誠意を持って対応すれば、少々無茶な流れでも最終的には頷いてくれそうですし。ハナから好感度高いみたいですからね』

 高いのだろうか? 興味や期待の感情を向けられているのは貴方にも判ったが、好感を持たれているかどうかという話になると、自分では正直良く判らない。

『いやー、私が見たところかーなり高いんじゃないかと。多分、さっきも言った“共感”ってのがポイント高いんでしょうね。これだけ良い感触なのに、最初の勧誘は何で失敗したんだか』

 それについては、先刻自分達では考えてみても無駄、という結論に至らなかったか。

『そうなんですけどね。でも、さっきのリヴィエラさんの話しぶりを思い出すと、こちらが伝えた情報を言う程疑ってる風もなくって、なんかヘンな感じが――』

「……あの、【NAME】さん?」

 と、訝しげな声に我に返る。クーリアとの遣り取りに気を取られて、リヴィエラの相手をするのを忘れていた。

 先刻までのクーリアとの会話は、声を使ったものではなく直接的な思考の交差だ。実時間としては精々数秒も経過した程度。貴方は咳払い一つ挟んで間を誤魔化し、隣に立つリヴィエラの方へと身体を向けた。

「ええ、と」

 彼女とは何の話をしていたのだったか。僅かな間、リヴィエラからされた質問を思い出す。そして、考えていた答えも。

 貴方はクーリアに伝えた事を、そのまま偽りなくリヴィエラに話した。『礎の世』においても、リヴィエラのような存在は稀少であり、この世界でイーサを目で“光”と捉える人間が普通は居ないように、アエルを“光”として視る事が出来る者は、少なくとも自分は聞いた事がない。

 隣、こちらを見るリヴィエラの表情は、先刻よりも少し強張っているように感じる。当然の反応か。そう思いながら、貴方は更に言葉を継ぎ足す事にした。

 稀少ではあるが、それだけだ、と。

 リヴィエラが視ている“光”は空想の産物ではなく、確かにそこに、アエルとして存在している。故はあるのだ。“光”として見えずとも、自分にはそれを感じる事が出来ている。ただ感じ方が違っているだけで、ちゃんと同じものを捉えている。リヴィエラの力は確かに異能ではあるが、それは世の理を完全に無視した、独りよがりなものではない。

 そこまで告げて、貴方は一度口を閉じる。どうにも、考えている事、伝えたい事を上手く言葉に出来ている気がしない。言葉が空回りしているようにも感じる。ただリヴィエラに、同じ世界を共有していると。特別であれ孤独を感じる必要は無いと。それを教えたかっただけなのだが。

 どう言うべきか。うーむ、と腕組みして唸る貴方の耳に、微かな笑い声が届く。

「【NAME】さん」

 伏せ気味になっていた顔を上げると、表情を淡く笑みの形に緩ませたリヴィエラが貴方を見ていた。

「その、ありがとうございます。色々、気を遣っていただいてるみたいで」

 浅く頭を下げる。その様子から、こちらが伝えたかった事――少なくともリヴィエラを案じる気持ちは彼女に届いたのだと判った。

 小さく安堵の吐息をつく間に、リヴィエラの視線がまた、正面遠くに見える廃都の周辺に向けられる。じっと、都ではなく都の周りの空間を見つめているのは、彼女がそこに広がるアエルを視ているからだろう。

 リヴィエラは何処かぼんやりと、貴方から見ると何も無い空間を眺めて、

「言われてみれば、そうですね。【NAME】さんが言っていたように、あれが貴方の世界を形作るものなら、それがいつも“光”として見えてるって、なんだか疲れちゃいそう……」

『ま、ホントにアエルを“光”として捉えてるのか、厳密な話をすると、また違ってそうな気はしなくもないですけどねー』

 と、リヴィエラの呟きに、新たな声が答えを返す。クーリアだ。先刻までの貴方の中でだけ響く思考の波ではなく、大気を震わせて発する音声である。

 驚いたのだろう。リヴィエラが、びくんと大袈裟に身を竦ませるのが見えた。そして何処か窺うような上目遣いで、音が発した根元、貴方の肩上辺りの空間に目を凝らす。

「えっと。お名前は……クーリアさん、でした?」

『そーですよ。お話しするのはこれで二回目ですね、リヴィエラさん。あ、因みに前にも言った気がしますけど、私がこの人の肩の上で姿を消してるって訳じゃないですからね。あの妖精さんとは違って』

「でも、“光”が……」

『この声を造るのに術技を使ってるんで、そのアエルが見えてるんだと思います。手でも突っ込んでみたら判りますけど、本当にそこには何にも居ないですよ?』

 少し興味が湧いたらしい。リヴィエラが恐る恐る手を伸ばしてくる。長衣の袖から伸びた細い指が、弄るように貴方の肩上付近を動くが、当然ながら何も捉える事はない。

 指の動きに従って揺れる空気と気配がどうにもくすぐったく、貴方がもういいだろうかと少し困ったように言うと、リヴィエラの手が火に触れたかのような慌てた動きで引き戻された。

「あ、ご、ごめんなさい」

 彼女はぺこぺこと頭を下げて、そして下げた姿勢のまま、上目遣いにこちらを見る。

「……あの。厳密には違うって、どういう事ですか?」

 と、こちらに言われても困る。貴方がクーリアを促すと、

『んー? いや、あんまりリヴィエラさんが気にする事でもないんですけど……要するにあれです。リヴィエラさんが視てるのはアエルじゃなくて、顕在非顕在問わずこの世界上にアエルが存在する事で生じた“反応”を“光”として視てるんじゃないかってね』

「……?」

 リヴィエラが何を言っているのか判らないという顔で貴方を見るが、クーリアの発言は貴方にとっても意味不明で、答えようがない。

 どういう意味だ、ともう少し詳しい説明を要求すると、『これ以上詳しくと言われても難しいんですけど……』という呻きを挟み、

『アエルって、元々この世界にとっては異質な要素なんですよ。だから、それがこの世界に生じた時点で、どうしてもギャップみたいなのが生まれる筈なんです。それで、アエルって本来は人の目で光として見えるもんじゃないんです。構成状態によって可視不可視は変化しますけど、光源ではない。ならリヴィエラさんが視ているのは、アエル自体ではなくてギャップによって生まれた反応の方じゃないかって思うんです。可能性としてはこっちのが凄く高いんじゃないかな、と』

 クーリアの話は、貴方にも覚えがあるものだ。

 自分が何故この世界でアエルを感知出来るのか。細部は違うが、しかし近しい。結局のところは、他との違和が、物事を区別する標となる。そんな話だ。

 成る程と一応納得した貴方であったが、リヴィエラには捉え辛い話であったらしい。クーリアがそこから更にあれこれと説明を続けるが、眉根を寄せて首を捻るばかりだ。そして話を続けるほどにクーリアの説明は細かく、逆に言えば判りづらくなっていき、最後には言葉も尽きて二人うんうんと唸るだけになってしまった。

『う、うーん、つい口を出しちゃったのは失敗でしたかね。リヴィエラさんからすればアエルが視えてるってだけ判ってれば問題ないと思うんで、そんな悩まなくても。……という以前に、よくよく考えてみると、私がこうして出張るのもあまり良くないかもしれないかな……』

 と、最後をぼそぼそと呟くと、肩上の大気の震えが消えて、

『そういう訳で、後は貴方にお任せします』

 心の内に、そんな思考が響く。

 いきなり出てきておいていきなり引っ込むとは。一体どういう気分の変化か、と貴方が突っ込むと、

『ここで私が前に出て色々とお話をすると、折角貴方に向いている興味がこちらに移りかねませんし。私が横からあれこれ言うより、色々と物知りな貴方が彼女の期待に応える形で教えてあげた方が、リヴィエラさんが貴方に抱いてる印象を、上手く利用出来るでしょう?』

 確かに、対象を分散させるよりは一本化しておいたほうが信用を得やすく、結果説得力も増すだろうが。

(小狡いというか、あざといというか)

 ついでに言えば、こちらに丸投げして楽しようという意思すら感じる。

『いやいや、所詮私は裏方ですし。そういう役は、“同化者”とはいえちゃんと顔を合わせられる貴方のほうが適任なんですよ。ほら、リヴィエラさんにフォローフォロー』

 戸惑った気持ちそのまま、貴方はクーリアが引っ込んだ事と、先刻のクーリアの話はあまり深く考える必要はないと、あれこれと言葉を尽くして伝えた。リヴィエラは未だに引っかかっているようだったが、しかし貴方の言に従ってはくれて、小さくこくんと頷いて、また都の方を見上げる。

 それにしても、先刻からずっと都の方を見ているが、リヴィエラにとってはそんなに珍しいものなのだろうか。普段からアエルを視るという彼女ならば、そう珍しい光景とも思えないが。

 言うと、リヴィエラは僅かに首を振り、

「……こんなに、“光”が踊ってるのは、あまり見たことないです。いつもは、細い筋とか、そんなのが偶に視えるだけだし……。【NAME】さんが言っていた“異象”、でしたか。それが生まれようとしてるからこうなってる――という事なんですよね?」

 そうだ、と頷きかけて、しかし貴方はリヴィエラの視線を追うように都の上空を仰ぎ見て、動きを止めてしまう。

 廃都アサーン。その周囲に蠢いているアエルの渦は、既に“異象”顕現後であり、周辺地域に存在するアエルを吸い上げながら置換現象を発生させているのではないかと、そう思わせるほどに活発で、大量だった。しかし。

『“異象”が顕現している風、でもないんですよね……。この場にアエルが多い理由の方は判るんですけど』

 内側から届いた意思に、貴方は内心頷く。

 グローエス五王朝で発生している現出と呼ばれる現象には、二つのタイプが存在する。一つはその地形を丸ごと別地形に移し替えるもの。もう一つは別の地形が元の地形と交じり合うもの。不定理粒子であるアエルは、土地概念が歪――つまり世界として歪んでしまった、現出が起きた場所に発生しやすいのだが、中でも後者のタイプの方がよりアエルが生じ易いらしい。地形のすり替えが起きた場合は、ある意味土地概念は安定するのだが、二つの地形が交じり合った場合は元と新たに生じようとした土地の概念が反発しあい、安定しづらくなる。その歪みに“王格”の力が作用して、アエルが次から次へと生じるのだという。アエルが渦を巻くほどに存在するのはそれが理由だ。

『逆に土地が安定していない分、アエルの“溜まり”が出来る可能性は低い――つまり“異象”が顕現する可能性が低いっていうのがうちの読みだったんですけど、このアエルの流れからすると、今回はどうも外れみたいで』

 と、ここへ来る前にクーリアが語っていた通り、周辺地域のアエルや、アサーンから生じたアエルが都内、結界の内側へと吸い込まれていく様子は貴方も知覚出来ていた。その勢いは、明らかに“異象”が顕現し、核が周囲の未顕現アエルを吸収していく様子と酷似していた。

 しかし、奇妙な事にその中心であるアサーンの内部で、“異象”が生まれているような気配を感じないのだ。

 “異象”の気配は独特だ。顕現した異質。それを捉えるのは同様の異質である“同化者”の自分なら容易である筈なのに。

 距離が離れているせいなのか、それとも護法が構築した結界がこちらの感覚を阻害しているのか。

 クーリアならば、

『実は私の本体の方でも、いまいち上手く観測できてなくて。でも、周辺は数日前からもうこんな感じで、土地から生じているアエルや、周辺地域のアエルを急激に吸い寄せっぱなしみたいなんですよね』

 ということは、自分達が知覚できていないだけで、内部では既に“異象”が顕現しているという事だろうか?

『でも、置換現象も、崩壊現象も確認出来てないし、都の外――結界の外側に“異象”が移動した様子もないんです』

 普通の“異象”ならば、既に顕現し、周囲を置換し、そして周辺の土地ごとこの世界から消え去っている筈だ。

『だから、なんというか、端的に言いますと――』

 ――少しばかり、おかしい。

 好ましくない形での意見の一致は、胸の内から沸いてでる不安感すらも共有しているような気分になる。

「……あの、【NAME】さん?」

 と、突然黙り込んだ貴方に、不安に思ったのだろうか、リヴィエラが声を掛けてきた。

 先刻も似たような遣り取りをしたような気がする。どうも、心の中でクーリアと意思疎通していると、外界への動きが鈍くなってしまうようだ。

『私のせいにされても困りますー』

 飛んできた思念を無視して、リヴィエラには不安を与えないよう、都内で生じようとしている“異象”のせいで、周囲のアエルが集まってきているのだと説明する。これについては別段疑問も覚えなかったようで、「そうなんですか」とリヴィエラは素直に頷く。

 そんな反応に、貴方はやはり違和感を覚える。先程クーリアとも話した事だ。

 ――本当に、リヴィエラはこちらの言う事を信じていないのだろうか?

 信じていないのならばもう少し、こちらの発言に対して何らかの否定的な意見を述べてもおかしくないだろうに、リヴィエラは時折「貴方がたが言う」と、こちらの言い分が正しいのならばという前置きを挟んでくるだけだ。まるで興味がないかのような一歩引いた態度ではあるが、しかし本当に興味がないのであれば、今こうしてこの場にいる筈も無く、都の周りを渦巻くアエルや、そして自分に対してこれだけ真摯な瞳を向ける事もあるまい。

 思い、それを遠回しに口にすると、リヴィエラは眉根を寄せて何処か苦しそうな表情を作ると、

「……良く、判りません」

 深く、吐息が一つ挟まる。

「私って、きっと馬鹿なんだと思います。どうも、自分の気持ちをしっかりと把握するのが下手みたいで、こうして【NAME】さんのお誘いを受けた理由だって、マヒトさんに言われてやっとはっきりしたくらいで。だから、貴方が話してくれたことを信じてるのか、信じていないのかも、それだって私は、よく判らないんです。信じたくて、でも信じられない? 信じられないけど、でも信じたいの? 信じてるのに、信じられないという事にしたい?」

 数度、首を横へ振る。

「……気持ちが、一杯なんです。【NAME】さん。私にとって貴方は、今まで色々な人が標してくれた“世界”に、一番突飛で、けれど一番近いって感じる“世界”を教えてくれました。でも、不安なんです。本当にそれを信じていいの? って。だって、今まで信じた“世界”は、どれも私を裏切ったから」

 だから、

「私は、貴方の話を自分で確かめてみたいんです。自分の目で見て、貴方の言葉を聞いて、そして私の“世界”は、貴方が教えてくれた“世界”と本当に同じなのかって」

「…………」

 何となく、判った。

 リヴィエラは、恐らくこちらの言う事を根っこでは信じてくれているのだ。それを前提にして疑い、そして確かめている。疑いが前提ではなく、信ずるが前提なのだ。

 それが判って、貴方は己の肩から多少の力が抜けるのを感じた。“異象”を見せることでリヴィエラの信用を得るのが今回の旅の目的だったのだが、それは半ば以上、彼女が同行の提案を受けてくれた時点で達成されていたのだ。ならば後は、しっかりとリヴィエラに“異象”を確認してもらい、信用を深めてもらうだけである。

 安堵の笑顔を浮かべた貴方に、リヴィエラは表情を少し戯けたように澄ませ、

「……もっとも、信じる事が出来たとしても、私はイーマの神官ですから。貴方にご協力出来るかどうかは、また別の話ですけれど、ね」

 それがあったか。

 一転、むぅ、と渋い顔で唸った貴方に、リヴィエラは淡く笑みを浮かべて喉を鳴らす。

 それは、テュパン地下で偶然彼女と遭遇してから終ぞ見なかったリヴィエラの緩んだ表情で、貴方は先刻とは別種の安堵が胸の内に湧くのを感じ、また笑顔となった。

 と、そうして笑い合っていたところに、後方、丘の上で騒ぐ声がした。

 共に振り返れば、結局シモンズはマヒトとリヴィエラの喧嘩を治めることが出来なかったのだろう。騒いでいたのが軍の者達の目についたのか、寄ってくる彼等に対し大声で何事か喋っているマヒトとシモンズの姿があった。何時の間にかリトゥエが姿を消している辺り、流石というべきだろう。

 そのまま眺めていると、軍の兵士とマヒトが向き合って何事かを話し、シモンズが誤魔化すように間に割って入るのが見えた。

 どうやら、放っておくとまずいことになりそうだ。

「……戻った方が良いでしょうか?」

 それもあるが、合同調査の説明を無視してここで話している自分達も見つかったらまずい。

 貴方はリヴィエラに促して、彼女と共に急ぎ足で丘を登っていった。





──狗は力あれど──


 眼前には、剣の都を覆う半透明の壁。五王朝の護法結界師が編んだという封鎖結界だ。

 現出によって現世界へと呼び込まれた異形達を都の内へと閉じるために作り出された世を隔たる壁。その南端に、杖を担いだ数人の結界師が身構えて立ち、更にその後ろにアサーン調査のために集まった者達が控え、結界師達が仕事を終えるのを待っていた。

 前に出た結界師達の仕事とは、調査団が都を包む封鎖結界を越えて、都の内部へ侵入する為に結界に小さな道を穿つ事である。この作業を経なければ、アサーンの都の外へ出ることは勿論、中に入ることも不可能。貴方が調査団に参加した理由も、この結界の突破が個人ではほぼ不可能であるからだ。

 神妙な顔つきの結界師達が構えた杖を振り、大きく印章を描けば、眼前に聳える結界の壁が僅かに揺らぎ、そしてその一部に縦横十メートル程の穴が開く。

 同時、

「……!」

 結界を形成する壁の向こう側。穴を穿たれた事により、今まで壁により隔絶された世界の空気が一気にこちら側へと噴き出す。その空気のあまりの異質さに、集まった者達が皆、小さく息を呑む音が辺りに響いた。

 だが、そんな事で都への侵入に躊躇いを覚える者など誰も居ない。皆、顔に僅かな緊張の色を浮かべつつ、事前の打ち合わせに従い、黙々と動き出す。

 その集団の最後尾には貴方と、そしてリヴィエラ達三人が居た。

「…………」

「たまらんなこりゃ。でも今更逃げる訳にもいかねーか」

「ってか、なんでこんな危ない事になってんスかねぇ……」

 リヴィエラは真剣な表情で杖を握り、マヒトは結界の中から噴き出した気配に冷や汗をかき、シモンズは心底参ったとばかりに頭を押さえる。

「で、こっからどうすんだ?」

 マヒトの問いに、貴方はクーリアと相談して決めた進行予定を話す。

 まず合同調査団と共に結界を通過後、調査団が組織的な活動を始める前に集団から素早く離脱。流れていくアエルの終点へと急ぎ向かい、まだ“異象”が顕現していないならばそこに溜まっているであろうアエルの塊を回収。顕現しているならば核を破壊する。その後は調査団に合流し、彼等の作戦行動に付き合った後に都から離れる。大して面白みもない、普通の行動計画だ。

「あれ、“異象”が出てくる前の状態なら、出るまで待つんじゃないんスか? リヴィエラ様に“異象”を見せるためにここに呼んだって話だったッスよね?」

 予定ではそうだったのだが、と貴方は僅かに口篭もる。

 クーリアとの話し合いの結果、どうもこの場所で生じているアエルの流れが、常の“異象”顕現の兆候とは違っている可能性が高いという結論が出た。故に、極力リスクは排する形で行動を決めようという話になったのだ。先刻、リヴィエラと話した時に得た感触からすると、彼女に“異象”という決定的な形を見せずとも信用を得られる手応えがあった。ならば、わざわざ“異象”の顕現を待つという危険を背負わなくても大丈夫ではないか、と。

 ただ、そういった事をリヴィエラ当人もいる場で話すわけにもいかず、貴方は危険を下げるためという部分のみを彼等に説明する。マヒトやシモンズ達にとってもそれは歓迎する事だったらしく、別段異論ない頷きが返り、

「それはいいけどよ、結局その……アエルだっけか。それがどの辺に溜まってるのかは判ってんのかよ? さっきは、都の中の様子がいまいちわかんねーみたいな言い方してたけどよ」

 それは、と答えかけて、穴を維持している結界師達がとっとと通れとばかりにこちらを見ている事に気づく。調査団の大半は、既に結界の向こう側へと消えていた。

 貴方は話を切ると、三人を促して結界を最後に通り抜ける。そして結界師達が結界に穴を造っていた印章を維持したまま、それを覆う形の簡易な結界の構築作業に入る瞬間を見計らい、貴方は三人に合図を残してするりとその場から離れた。

 調査団を実質率いる国軍の者達は、外敵への注意と、この先の行動指示の為に内側への警戒は鈍く、冒険者達はそもそも他者の動きを意識しておらず、都の中の様子と亜獣への興味しかない。集団から離れるのは容易で、唐突な貴方の動きに虚を突かれて慌てるマヒトやシモンズはおろか、そもそも良く判っていないまま手を引かれてついてくるリヴィエラすら気取られる様子はなかった。

 侵入口となるアサーン南方、名も無い細路地の手前から、一つ路地を奥へと移動。先には大路地――フォンコール街路と呼ばれるアサーンの南北を貫く大街路があり、貴方とリヴィエラ達はその道の端に辿り着いたところで一度足を止めた。

 人の群れから離れると、都の風景により意識が行くようになる。砕かれた街並み、漂う異質な気配、聳える結界は厚く、半透明で封じられた空は薄い紫色に染まっていた。人の不安感や緊張感を煽る事この上ない。

「で、話の続きだけどよ。こっからどこへ向かうんだ? ちゃんとアテあるんだろうな」

「アサーン中を走り回って探すとか勘弁ッスよ~っ?」

 二人の言葉に、貴方は大丈夫だ、と返す。都の中に入るまでは断言できなかったが、今ならきっぱりと答える事が出来た。

 何故なら、都中に広がるアエルが、凄まじい勢いで一点へ――都の中心に存在する巨大な建造物目掛けて集まっていく様子が、はっきりと知覚できていたからだ。

『私にも、観測できてます。アエルの終点は、確か――ヴォルガンディア闘技場って言いましたっけ。あそこみたいです。急に色々判るようになったのは、張られていた結界のせいっていうのもありましたけれど、それよりも土地の歪みの外からじゃなくて内側に入ったからですね』

 貴方の感覚を補足するように、クーリアの意思が貴方の心に伝わってくる。

『ただ……やっぱりおかしいです。終点に集まってるアエルが物凄い高密度になってるのに、“異象”化している様子も、置換現象が始まっている様子もありません。閾値は完全に超えている筈なんです。なのに、ただアエルだけが集中して、しかもこの土地で生じ続けているアエルをまだ吸い込んでる。……うん。吸い込んでるって表現が、多分一番合いますね、この感じは』

 その動きは、貴方も感じていた。“異象”が顕現した際にも、こうしたアエルの強力な吸引現象は発生するが、今この場に生じているアエルの流れは、それよりも更に強く激しいようにも感じる。しかも“異象”の時のように、乱暴で、何事も吸い込み吐き出すかのようなものではなく、より整然と、ただこの現出地形上に生じたアエルを水流で巻き取り、絡め取るような。正に渦の如き流れが、この廃都の中で発生していた。結界の外から眺めていた時でも、周辺地域から集まってきたアエルが緩く渦を巻いている様子は見えたが、しかし中ではより明確に、渦という形を成している。

「っ、【NAME】さん、これは、これが……“異象”の起こしていること?」

 傍に来たリヴィエラの声。彼女の視線は、都内に渦巻くアエルの様子に釘付けになっている。

(これが、“異象”によるもの?)

 リヴィエラの言葉に、貴方は強い違和感を覚えた。

 “異象”とは、一種の現象。それも自然現象といっても良い代物である。

 だが、目の前で生じているこの流れからは、自然現象特有の荒々しさが感じられないのだ。勢いはある、あるが、しかし無秩序さはない。そこに、自然ではなく別の――まるで以前のテュパンでみたアエルの広がりのような、不自然さを感じるのだ。

『距離があるせいで、感知できていないという可能性もありますが。本来なら、これだけの距離なら“異象”の存在を捉え損ねるという事は有り得ませんけれど、これだけ土地概念が歪んでいる場所ですし。取り敢えず、もっと近付いてみる必要があるでしょう』

 内に届く声に頷く。何にせよ、確かめるにはあそこへ行くしかない。

「……凄い。あんな、強い光、見たこともない。あそこに、一体何が」

 と、貴方が己の思考に没入している間に、リヴィエラがふらふらと、街路を一人前へと歩いていく。

 今、貴方達が居たのは都の中心まで続く大街路だ。真っ直ぐ進んでいけば、そのままアエルの終点であるヴォルガンディア闘技場まで、遮る物無く辿り着くことが出来る。

 だが、それは安全な道筋では決してない。ここはアサーン。護法の結界により隔たれ、遺棄された廃都である。その最大の理由が、

「――【NAME】っ!! 左だっ!」

 鋭い警告の声に、貴方は我に返る。

 左、へ視線を動かすより早く、貴方は前へと鋭く足を踏み出して身を移す。すれ違うように、背後、風切る音と共に、鞭状の何かが通り過ぎる感覚。しかし貴方は振り向くことなく走り、マヒトの声に驚いて振り向きかけたリヴィエラの腰を腕で引っかけて地を蹴り、傍に転がっていた大きな石材の影に身を滑り込ませた。

「っ、!? え?」

 一体何が起きたのか判らず、耳元で奇妙な声を上げるリヴィエラを無視して、貴方は石材の影からそっと周囲を窺う。

 まず目に入ったのがマヒトとシモンズ。二人は引きつった顔で武器を構えて、大路の向い側に必死の形相を向けていた。貴方がそのまま視線を彼等の見ている方へと移すと、街路へ繋がる路地から体長数メートル級の亜獣が、獰猛な気配と共にその姿を見せていた。

 その亜獣、四足獣の尾の部分が、音を立てて引き戻されていく。先端には硬質な骨。長さにして10メートルは超えるかという長大な尾だ。先刻、貴方の背後を通り抜けていった音の正体は、恐らくはあの尾だろう。直撃を受けていれば果たしてどうなっていたか。その想像をする間すらも与えずに、四足獣は高らかに一声咆哮を放つと、前足で地面を一度、二度と蹴り、そして大きく身を沈めて。

 石材の背後に隠れた貴方に向かって、突進する。

「――――」

 厚さは掌以上。獣の突進を止めるには十分といってもいい。しかし、これまで様々な危険を潜り抜けてきた冒険者としての勘が、このままではまずいと警告を発する。

 貴方はその感覚に従う事にした。ぎりぎりまで引きつけてから、抱えたままのリヴィエラと共に、石材の影から飛び出す。

 ご、と一度鈍い音が響き、続いて砕ける音。

 身を地面に転がしながら振り返れば、四足獣の頭部から生えていた巨大な角が、あの分厚い石材をあっさりと貫いていた。流石に背筋が凍る。もしあのまま石材を盾にしていたならば、あの角にリヴィエラ共々貫かれていただろう。

「【NAME】さん、リヴィエラ様、こっちッスよーっ!」

 と、叫ぶ声。こっちとは言うが、シモンズ達が居る方に逃げたところでどうにもならないような気が。

 しかしそうは思いつつも、分断された状態よりはマシか、と貴方はどうにか身を起こし、未だ目を回しているリヴィエラの手を引く。

 四足獣は石材に突き刺した角を引き抜くために動きを止めている。今ならばどうにかマヒト達の方まで移動し、上手くすればそのまま逃げる事が。

「って、新手かよっ!」

 そんな考えは、四足獣がやってきた路地から更に別の亜獣が現れ、勇んでこちらとの距離を詰めてくる様子を見て吹っ飛んだ。

 対するこちらは、先刻の回避からまだ体勢が立て直せていない。リヴィエラなどは、休む間もなく貴方に振り回されていたせいで、状況すら掴めているかも怪しい。

 これはまずい。下手に逃げを意識しすぎていたせいで、いざ立ち向かうのも難しいような状況に追い込まれてしまった。

 新たに現れた亜獣が、素早く距離を詰めてくる。半ば諦めながら武器を構え、膝立ちに近い体勢で迎え撃とうとし、

「ええい……くそっ、シモンズ行くぞ!」

「マジッスか!?」

 マヒトの槍と、シモンズの斧。二方の攻撃が、亜獣の外殻に当たる。一見して柔らかな亜獣の外皮が、槍と斧の刃を容易く弾く様子は冗談にならない光景だったが、しかし二人の攻撃は亜獣の気を確かにこちらから逸らしてくれた。

 身体の向きを変えた亜獣、その外皮の突起物から噴き出した網が、鋭くマヒト達の方へと飛んだ。

「ギャー! はええはええっ!」

「あれヤバイ奴ッスよ! 触れると溶ける奴ッスよ!」

 騒がしく叫びながら、二人が一目散で離れていく。逃げ足早すぎだろうとは思うが、しかし貴方とリヴィエラが立ち上がり、そして戦う準備を整えるだけの時間は稼いでくれたのは確かで、有り難い事には変わりない。

「……クォーツ、ルビー、アンバー……うん、行けます!」

 杖を左手に、右手は腰に下げた袋から取り出した宝石を掴んだリヴィエラの声を聞きながら、貴方が一歩前へ出る。リヴィエラは宝精召師。戦職としては治癒神蹟系や儀式技法魔術系と同様の最後衛だ。となれば、前衛は自分が務めるしかない。

 四足獣の亜獣が石材を振り払い、貴方達のほうへと角の先端を向けた。速度を考えるなら、身構えを終えた四足の獣に対して逃亡は無意味だ。貴方は覚悟を決めると、愛用の武器に力を込めて、僅かに腰を落とした。

 追加の亜獣がこちらに興味を戻し、一端離れたマヒト達もまた戻ってくる。その動きを視界外で感じつつ、貴方は一歩前へと出る。瞬間、四足獣も動き、そして戦いが始まった。



battle
滅ぶ都の住人


 貴方が放った一撃を嫌うように、四足の獣が大きく後方へと飛び退く。

 逃がすまじ、と追い縋ろうとした貴方は、地面に着地した四足獣の動きに危険を感じ、足を止めて迎撃の姿勢に入った。

 亜獣は天を見上げると、大きく大きく、口を開いて遠吠えを放つ。

 そして次の瞬間、予想の通り、四足獣の背後が不気味に揺らぐ。続いて空間に破砕音を残しながら、こちら目掛けて何かが迫ってくる感覚。

 目では追えない。大気の動きだけである程度の位置を計り、勘という名の経験の蓄積でもって技法を放つ場所を決める。放った力は鈍い手応えとして返り、弾けて揺れた尾の先端が、一瞬宙にふわりと浮いた。

 貴方と亜獣の間に生じた、力の停滞。

「――覚醒せよ! 宝たる石に宿る精霊よ!」

 その間を裂くように、緊張に染まった声が響いた。

 機としては正に絶妙。まさかリヴィエラは戦闘勘があるのか、それとも単なる偶然か。後者の可能性大だな、と思いつつも、後方に控えていたリヴィエラが呼び出し放った宝精の一撃の後を追うように、貴方は一気に四足獣との距離を詰める。

 リヴィエラが呼び出したのは炎を纏う鱗獣だ。空を走り四足獣目掛けて飛んだ宝精は、接触の瞬間に内包する火を炸裂させる。生じた爆発はまだ距離があった貴方の皮膚すらも薄く焼く程の威力だったが、四足獣は身を揺るがせることなく、その爆発を受け止めきった。

 しかし、四足獣の目を眩ませるには十分。一息の間も置かず、飛び散る火の粉にも構わず獣の傍、皮の薄い首部分が直接狙える位置にまで近付いた貴方は、走り込んだ勢いも乗せるように、全力の一撃を叩き込む。

 鈍い感触。硬質な反発。しかしそれに負けずに攻撃を放ち切る。

 武器を振り抜いた姿勢のまま、四足獣の横をすり抜けた貴方の視界の隅に、飛んだ亜獣の頭部が転がるのが見えた。

「っ、やったっ! 【NAME】さん、やりましたよ!」

 背後、リヴィエラが歓声を上げる声が聞こえる。それを合図に貴方は残心を解くと、ゆっくりと横へと倒れていく四足獣の胴体を見届けながら、深く吐息をついた。

「おーい、大丈夫ッスかー?」

「そっちも無事終わったみてーだな。っつーか【NAME】、お前リヴィエラ様に怪我させなかっただろーな?」

 と、少し距離が離れた場所から、マヒトとシモンズが声を飛ばしてくる。彼等の足元には別の亜獣の亡骸が転がっていた。最初は単に逃げ回っていたようで、こちらも時折あちらの亜獣に援護の一撃を入れていたのだが、終盤では気にする余裕も無くなっていた。ああして無事に倒しているところを見ると、案外、逃げていたのは単なる振りだったのかもしれない。

「しっかし、流石アサーンっつーか。そのへんの亜獣とは格が違いすぎじゃねーのこれ」

「でも、一応自分達でも倒せるのは判ったッスし、案外大丈夫かもしれないッスね?」

 それは確かに、と貴方は頷く。

 廃都アサーンの亜獣は他とは一線を画すといわれていたが、案外やろうと思えば何とかなるのだと。これならば、目的地であるアエルの流れの終点、ヴォルガンディア闘技場へ辿り着くのもそう難しい事ではないかもしれない。

「……【NAME】さん」

 と、そんな事を考えていたとき、傍で、震えた声がした。

 続いて、袖を引かれる。引く手の主はリヴィエラだ。一体どうしたのかと彼女を見て、何処かを見るその顔色が、先刻の喜色から一転し、蒼白に近いものに変化している事に気づいた。

「あれを……」

 視線だけで指し示された方。フォンコールの街路の奥から、何やら地響きのような音と、先刻聞いた覚えのある咆哮が聞こえた。

 まさか、と目を凝らすと、信じがたい光景が広がっていた。

 街路の北方向、高位区画の方からこちらへ向かって突進してくるのは、ついさっき貴方達が死闘を繰り広げた四足獣――の群れだ。

 数匹、ではない。十数、いや数十の規模の群れである。それらが真っ直ぐ、自分達が居る場所目掛けて走ってくる。

「おいおい……ありゃどういうこったよ」

 貴方とリヴィエラの様子を訝しく思ったか、傍に寄ってきた二人も迫ってくる亜獣の群れに気づいて唖然と声を上げる。その間にも、群れはどんどんと距離を詰めて、爪音と、そして咆哮を大きくしていく。

「明らかに、こっち目当てッスねあれ。……もしかして、さっきなんか遠吠えしてたッスけど、あれッスかね」

 シモンズの言葉に、貴方は「ああ……」と思い当たる。四足獣との最後の交差。その前に、あの獣は確かに大きな遠吠えを一つ残していた。

 まさかあれが、仲間に窮地を伝えるものであったなら。

「ってか、ぼーっとしてる場合じゃねーぞ! とっとと逃げねーと!」

 そうは言うが、一体何処に。既に四足獣の群れは姿がはっきりと見える位置にまで近付いてきている。今更逃げてどうにかなるとも思えないが。

『って諦めちゃ駄目ですってー! まだ、細い路地に入るとか地形利用すればいけるかもですよー!』

 今まで黙っていたクーリアがそんな声を飛ばしてくるが、横へと逃げられない状態であの巨体に突進された場合を考えると明らかに愚手である。結局、向かい打つなら広い大路上か、亜獣が上がってこられないような高位置に移動するかしかない。まだ目があるとするなら建物の上か、と貴方はリヴィエラの手を引っ張って移動を開始するが、亜獣との距離はもう数十メートルもない。

 亜獣達が三つ先の細路地の前を通り、二つ先の細路地の前を過ぎる。対し、もっとも近くの建物はまだ遠い。これは間に合わないな、と冷静に思いながらも斜向かいの建物目指して走る。

 そして亜獣達が、最後の一つ先の細路地の前を通り抜けようとした、その時。

「――一番、突撃!」

 路地の奥から高い声が響き、そして次の瞬間、走る亜獣達の横腹を叩くように無数の馬上槍が突き刺さった。

「なっ!?」

「っ、むふっ」

 後方を確かめながら走っていた貴方は、突然の光景に声を上げて立ち止まり、手を引っ張られて後を付いてきていたリヴィエラが貴方にぶつかって潰れたような声を出す。

 しかし、貴方はそんなリヴィエラに構っている余裕もなく、目の前で繰り広げられる光景に目を奪われる。

 路地から飛び出してきたのは、馬上槍を腰だめに構えた国軍兵士の集団だ。本来ならば馬上にて扱う大槍を彼等はそのまま携えて、個人が持つ突進力でのみ扱う。本来ならばまともな威力を発揮する事など不可能な用法である筈だが、しかしまるで弾かれるように路地から飛び出してきた彼等は、高速ですれ違う亜獣に対して確実に槍を突き刺していく。

 側面からの突撃を掛けた兵士達の数はおよそ10。彼等が放った槍は走り抜ける亜獣を最低一匹、最高で三匹を同時に貫き、勢いそのまま路地の反対側へと滑り抜けた彼等が通り過ぎた後には、こちらに向かって突進をかけていた亜獣の数は三割にまでその数を減らしていた。

 そして残った亜獣達も、突然の出来事に驚いたように突進を弱めて身を旋回させ、

「二番、突撃!」

 更なる声に従って路地から飛び出してきた戦士達に群がられていく。

 戦士達は三人が一組となって亜獣一匹に当たり、二人は前衛、一人は後衛として互いを援護するように動いて瞬く間に四足獣を追い詰めていく。それは先刻の貴方とリヴィエラの協働とは全く違う、練度の高い連携だ。

 唐突極まりない状況の変化。その様子を立ち止まり唖然と眺めていた貴方達は、背後から近寄る人物の存在に声を掛けられるまで気づかなかった。

「ちょっと、貴方達」

 振り返ると、そこには見覚えのある女騎士が、二人の騎士を左右につけて立っていた。

 合同調査隊を指揮する国軍の騎士、ベリーナ・クントースだ。彼女は怒ったように貴方達を見て、

「冒険者班は一班が拠点設営、二班が東側警戒だった筈でしょう? 三班はある程度の自由行動は許したけれど、大路まで来ちゃだめじゃないの」

 言われて、ああ、と貴方達は顔を見合わせる。どう反応すべきか。

「あ、あの」

 迷っている内に、挙手と共に声を上げたのはシモンズである。

「何?」

「大路ってなんか来ちゃ駄目だったんスか?」

「――おい貴様等、先刻の隊長の説明を聞いてなかったのか!」

「ひっ」

 と、ベリーナの横に控えていた戦士が大声を上げて、リヴィエラがびくりと飛び上がる。

 しかし当のシモンズはへらへらと笑みを崩さず、

「あはは、実は説明の時に自分達の居た位置が悪くてよく聞こえなかったんスよ。でも、ああいう場所で話を聞き返すなんて事をすると、流れを邪魔しちゃいますし」

「説明の後に、わざわざ隊長が質問の機会を用意してい――」

「ああもう。ちょっとクラズ、理由はわからないけど貴方イライラしすぎだわ。亜獣でも倒して冷静になってきなさい」

「――ごっ」

 突然、ベリーナが剣を抜くと、腹の部分で戦士の背中をぶん殴った。クラズと呼ばれた戦士は、とんとん、と数歩前へと身を泳がせてベリーナの方を振り向くが、あっちいけと手を払う仕草をするベリーナを見て半泣きの顔を浮かべた後、とぼとぼと激戦を繰り広げている場の中へと向かっていく。

 その背中を満足げに見送った後、ベリーナの突然の乱行に絶句する貴方達を見て、

「何?」

「「いえっ! 何でも!」」

 びくーんとマヒトとシモンズが声を揃えて叫んだ。貴方も正直叫びたい気分だったがどうにか押さえて、先刻のシモンズの問いを再度ベリーナに投げる。

 対し、ベリーナはふむと唸り、

「じゃもう一度説明しておくけど、これまでの合同調査の結果、アサーンの大路――特にフォンコールの大路は大量の亜獣達が居所としているらしいのが判ってるの。低位区画のこのあたりは、まだガルカリクススネイルやトルネードクロウラーみたいな比較的弱い亜獣しか確認されていないけれど、高位区画までいけばエボラクラクテス――亜竜や、それ以上の強力な個体も確認されてるのよ。だから、低位区画でもフォンコール大路やその周辺は私達軍の面子が主に討伐するから、貴方達冒険者は細路地や裏通り、あと用水路を回って、小型の亜獣の討伐をお願いします――ってね」

 そういう話になっていたのか。

 一応、マヒト達とあれこれ話している間も、ベリーナの説明は耳に入れていたつもりだったのだが、このあたりの話は一切聞き覚えがなかった。恐らくは、リヴィエラと話すために丘の中程にまで離れていた時にされたものなのだろう。

 その場に残ったままであったマヒトやシモンズは恐らく聞こえていた筈なのだが。二人に視線を送ると、彼等は僅かに口元を引きつらせてそっぽを向いた。

 そんな貴方達の様子をベリーナは一瞥し、小さく息を吐くと、

「ま、そういう事だから、後は任せて早くここから離れなさい。冒険者の指揮は拠点に残してきたオルローズ達に任せてあるから、何かあったらそっちに報告。私も聞きかじりだからあんまり偉そうなことは言えないけど、アサーンで動くときは兎に角囲まれない事、常に亜獣の接近を警戒する事、そして人の手に負えない亜獣も多いから、そういうのとは極力少ない人数で相手にしない事、だそうよ。その辺り、気をつけて戻りなさい。――ほら、行って行って!」

 彼女は手にした剣を、がつがつと砕けた石畳に当てて急かす。別に脅す気はないのだろうが、先刻の部下に対する容赦ない一撃を見ていると圧迫感が洒落にならない。

 とはいえ、別段ここで彼女に逆らって居残る意味など全くない。更にはベリーナは何故自分達がここに居たのかについては大して興味はないらしく、更にこちらに人員をつけて、拠点に戻るまで護衛――もしくは監視をつける気もないらしい。正に願ったり叶ったりで、貴方は彼女にこくこくと頷いて、他の三人を促すとベリーナに一礼を残してその場を後にする。

 一度後方を振り返ると、既に大路での戦闘は大勢が決しており、暴れる四足獣を、先刻ベリーナにぶん殴られた騎士が一刀の下に切り伏せる様子が見えた。

「……いやはや、最初に話を聞いたときは結構馬鹿にしてたんスけど、結構凄まじいッスね、グローエス国軍」

「全くだ。形骸化とかお飾りだとかいう噂はなんだったんだよありゃ。下手すりゃ五王朝衛士団より上だぞあの練度」

 ある程度の距離を取ったところで、マヒトとシモンズがそんな事を言う。貴方も全くの同意見だった。

「でも、助かりました。あの人達が来てくれなかったら、私達、酷い目にあってたかもしれないですし」

 しれない、というか確実にそうなっていただろう。本当に、タイミング良く現れてくれたものだ。

 うんうんと頷いた貴方に、シモンズが少し苦笑いを浮かべる。

「タイミングが良い、というより、あの獣の咆哮を聞いて、そしてうちらの位置やらなんやらを把握した上で、あそこで張ってたんッスよあれ」

「…………」

 そう、なのだろうか?

「ま、どっちでもいいさ。助かったのは確かだし、色々情報も手に入ったしな」

 マヒトの言葉に、貴方はこくりと頷く。

 現状、定まっているのはアサーンの中央に存在するヴォルガンディア闘技場へ辿り着かねばならない、という事。アエルはあそこに集まっている。つまり“異象”が顕現するならそこ、である筈だ。恐らく。

 そしてそこへ辿り着くには、先刻までいたフォンコールの大路を一直線に進んでいくのがもっとも早いルートである。

 しかし、フォンコールの大路には今戦った四足獣よりも更に強力な亜獣が存在するらしく、ただ大路を辿って闘技場を目指すのは自殺行為。

 ならばどうするか。

 そこまでを言葉にすると、リヴィエラが少し思案するように己の顎に親指を当てて、

「……亜獣がいない道を探して、なるべく見つからないようにこそこそしながら闘技場まで向かう……ですか?」

 それしかないだろう。

 遠回りすることは厭わず、兎に角強力な亜獣に見つからないことを最優先に、アサーンの中心にあるヴォルガンディア闘技場を目指す。

「……神経すり減りまくりそうッスね」

「っつーかよ、そんだけ苦労して闘技場に到着したあと、そっから“異象”ってのとも戦わないといけないかもしんねーんだろ?」

 頷くと、マヒトは心底げんなりとした顔で呻き、

「御嬢ー。もうマジで帰りましょうやー。楽しい楽しい自分探しとかもっとヤワいルートでも何とかなりますって。こいつの後ろついてくと、きっとこの先も超ハードっすよこれ」

「…………」

 そんなマヒトの提案に、リヴィエラは数度目を瞬かせて、

「【NAME】さんは、帰るんですか?」

 正直な話帰りたい。

『駄目ですってばーっ! ちょっと今回怪しすぎなんで、最低確認だけはやっとかないとまずいことになるかもですしーっ!』

 が、心の中でそんな風な台詞を延々とクーリアに叫ばれても困るので、行くしかない。

 勿論、そんな話をリヴィエラ達にしても仕様が無いので、単に行くつもりだとだけ伝える。

 すると、リヴィエラはこくこくと二度頷き、

「なら……私も行きます」

 この一連の流れに、貴方は思わずリヴィエラの後方に立っていたマヒトとシモンズに視線を送ってしまう。

「おい【NAME】。お前本当に御嬢に何やったんだよ」

「リヴィエラ様の人を見る目は本当によくわかんないッス。アニキの評価も妙に高いみたいッスし」

「おいこらどういうことだ」

「痛いッス痛いッス」

 漫才を始めた二人を放置し、貴方はもう一度都の中心を見る。

 渦を巻いて、闘技場へと吸い込まれていくアエルの流れ。その中心には一体何があるのか。

 顕現する“異象”か。

 それとも、別の何かか。

「…………」

 どちらにせよ、この目で確かめてみる以外に方法はない。

 ここからどう進めば、ヴォルガンディア闘技場へと安全に辿り着く事が出来るか。

 貴方はそれを懸命に考え始めた。



 騒がしく去っていく冒険者の背中を暫し眺めて、彼女――ベリーナ・クントースは小さな吐息と共に、浅い笑みを作る。

「どうかしましたか、隊長」

 声を掛けたのは、彼女の横に一人控えた長身の戦士だ。

「ん? いやね、民間と一緒に動くなんて久々だから、ああいうのも新鮮だなーってね」

 そう答えながら振り向くと、傷の多い兜の下で浅黒く笑みのない顔が彼女を見下ろしている。

 彼の名はトリオット。国軍内での階級はベリーナより一つ下、実年齢は大凡倍である。実直な性格である彼は、年下の女性であり軍務歴も劣るベリーナにも、敬意を払って接してくれる。上下関係の厳しい軍組織内とはいえ、国軍は人員が少なく、そしてベリーナ達の部隊は実戦参加も視野に入る立ち位置だ。規律よりも実力、立場による線引きよりも仲間としての絆も重要視されるような環境であり、逆に言えば馴れ合いが生じやすい状況でもある。しかし副官を務めるトリオットが、隊が編成されてそれなりの期間を経た今でもこういう態度を見せ、更に上であるベリーナと、下である配下兵士達の仲立ちを上手くこなしてくれているおかげで、適度に近しく、しかし立場は明確という丁度よいバランスが保たれている。クラズのような性質が極端な人材も居るが、それでも大きな問題無く部隊を維持出来ているのは、間違いなくトリオットの力だとベリーナは考えていた。

 彼はふむと表情変えずに頷くと、

「いけませんな。我々も遂に隊長から飽きられてしまいましたか。後で少し、皆で隊長への応答を如何にするか、会議を開く必要がありますな。常に新鮮味を損なわないようにするには、どういった態度と演出が必要であるか。これは婦人方との交際術にも通じる議題と思われますので、会議は活発となるでしょう」

「…………」

 仏頂面で、するりとそんな事を言ってみせる。真面目で律儀な質ではあるが、意外と冗談好きなのだ。周りに部下が居ないときには、時折こういう発言をする。これで人好きのする笑顔の一つでも浮かべながらなら、即座に笑うなり注意するなりの反応が出来るのだが、表情も声色も全く普段通りの重く硬い調子であるため、いつも一拍遅れてしまう。

「……お願いだから止めてちょうだい。貴方達にあんな感じで好き勝手に動き回られたら、私、全力で教育的指導をしなくちゃいけなくなるわ」

「隊長の指導は物理的衝撃が伴いがちですからな。残念ですが、“新鮮味溢れる態度でむさい我々に隊長の興味を引き戻すぞ会議”は中止といたしましょう」

「そうしなさいそうしなさい」

 ひらひらと手を振って、ベリーナはそろそろ掃討作業に入った自分の部下達へと視線を移す。

「土地概念異常環境下での戦闘訓練任務。私達に取ってはなかなか得がたい機会だから、色々実験させてもらおうかと短い時間であれこれ考えてきた訳だけど、取り敢えず一つ目の戦果は上々ってところかしら。雑魚相手とはいえ、アサーンの亜獣相手に一発で数匹は喰えたみたいだし」

 複数の術式補助を受けた上で待ち伏せし、タイミングを合わせて大加速の儀式術式を駆動させて射出。馬を用いず、しかし騎馬突撃と同等の攻撃を、擬似かつ限定的ながら再現する。それが、先刻四足獣の亜獣達を半数以上討ち取った攻撃の正体だ。

「これで一応、馬上槍の使い道は一つ出来たわね」

「徒歩で馬上槍を使うには、ああする以外は、後はもう術式で投げるくらいですか」

「そっちの方が危険はないけど、威力がどうしてもね。馬上槍自体も使い手が握るの前提の構造だから、投げるくらいなら専用の投槍使った方がマシだし。そもそも、そういうのが通じない相手に突破力がほしいって時の案だから。馬が使えるならこんな事しなくてもいいんだけど」

「通常の戦場では怯えるどころか血気盛んですらある軍用馬も、こういった場では使い物になりませんからなぁ」

「なんせ、慣らせないしね。仕方無い事だけど」

 軍馬が血煙漂う戦場で怯えないのは、そういった空気に生まれた頃から慣れさせているからだ。アサーン程の現出地形――露骨に土地概念のおかしい場所で一般的な騎乗生物を使うには、そのような土地に怯えぬ性質が不可欠となる訳だが、正常な自然動物の殆どは土地概念異常が生じた土地を嫌う。勿論個体差はあり、現出地形など物ともしないような性格を持つ者も居るが、あくまで少数。調教し、人工的に作り出すような技術も発達していない。質と数両方を揃えられない限り、軍部隊としては無しの方向で行動案を組み立てていくしかない。

「で、次は何の予定でしたっけ?」

「最初に地形作用型の儀式術式の効果検証などをやる予定だったのですが、先刻の亜獣襲撃の件で後回しにしたので、まずそれを。終えてからは対亜獣用の陣形案の確認ですな。小型、中型種を想定した基本編成は先程の亜獣で試しましたので、次は員構成を集団化しない個人相互補助編成型の検証。その他幾つかを確かめた後は、大型亜獣用の陣形検証に移ります」

「自分で組んだ予定ながら、なかなかにハードね」

「我々が国軍として亜獣戦の実戦経験積める事などそうそうありませんからね。やれるときに最大限の事をやっておくのは当然でしょう」

「まぁ、そうなんだけどね……」

「とは言いますが、先程は少々突発的な戦闘でしたので、状況の確認と態勢の立て直しの意味も兼ねて、少し休憩を挟んでからにした方が良いでしょう」

「そうね。アレが終わったらそうしましょ」

 そこで、二人の会話は一度途切れる。お互いの視線は、大通りの中央で繰り広げられている最後の戦いに向けられていた。

 一際大きな四足獣を相手に、クラズが一対一での戦闘を行っていた。ベリーナの部隊では、軍用の大型獣と戦闘を行う際は基本三人一組で当たるように決められている。このルールは亜獣との戦闘時にも引き継がれる事となり、その確認として先程の戦闘があった訳だが、一部、クラズのような遊撃行動を任せられている者達はそのルールから除外されている。これは、彼等が単騎でそうした存在と渡り合える実力を持つと認められているからであり、それを示すように、四足獣の尾による一撃を避け様に斬り捨てたクラズは、間髪入れずに突撃。迎え撃とうと牙を剥いた四足獣の顔面に向けて縦に刃を下ろし、真っ二つに割り断った。

「クルードスラッシュであの威力なんだから無茶よね」

「彼奴は技法は不得手と早々に見切りをつけて、肉体の鍛錬に全力を捧げた男ですからな。あの程度の恩恵はあっても罰は当たらんでしょう」

 見守っていた周囲の兵士達が歓声を上げて、クラズが満面の笑顔でこちらを振り向く。その顔からは「褒めて褒めて」とまるで仕事をした大型犬がご主人様に向けるような気配が漂っていたが、クラズのような筋骨隆々の大男にそんな態度を取られても正直気持ちが悪い。とはいえ、部下に亜獣倒してこいと言ったのは自分。仕方無く気のない拍手を送ってやると、クラズは感極まるといった風に敬礼を飛ばしてきた。こちらの“気のない”という部分が全く伝わってない辺り、ある意味流石だと感心する。

 一度の溜め息をついた後、ベリーナは皆に対して大きく声を張り、一旦の休憩と周辺警戒、戦闘による武装消耗状況の確認と報告を指示。続けてトリオットが詳細な行動補足と各任務の割り振りを告げる。意気揚々とこちらの傍に戻ってこようとしたクラズには、先刻の冒険者のように勝手な行動を取っている者達がいないか別働隊の指揮監督を行うよう伝えると、至極情けない顔で暫くの間立ち尽くしていたが、その後渋々と都市外縁の方へと歩いていった。

 部下達が各々の役割をこなすために動き始める。それを暫く無言で眺めていたベリーナは、視線を彼等に向けたまま、

「トリオット」

「は」

 短い返事に、ベリーナは少しの間を空けて言葉を続ける。

「……今回の件、貴方はどう考えてる?」

「今回の件とは?」

「この、合同調査団の事よ」

「合同調査団は、合同調査団でしょう。国が計画し、衛士団が率い、昂壁の翼が出向し、冒険者が参加する。廃都アサーンに立ち入り、内部の状況を確認し、情報を収集する調査行ですな。もっとも、我が隊は調査などやる気はさらさら無く、この状況を自分達の訓練に利用しているだけですが」

「……判って言ってる?」

「いえ、質問に答えただけですが、何か?」

 暗に、はっきり言えと告げられている。

 まだ、疑問が上手く形になっていない。ベリーナは考えながら言葉を継ぎ足していく。

「私達がここに、この時期に、こうして派遣されることになった理由が、何かある筈なのよ。それについて、思い当たる事が無いか。それが聞きたいのよ」

 ふむ、とトリオットはわざとらしく顔を傾げ、

「ですが、我々には他に具体的な指示は下りておりません。単に、至急衛士団の代わりに合同調査団の指揮を行うべし。これだけです。つまり、我々に振られた仕事は、合同調査団を率いてこれまで衛士団がこなしていた作業行程をなぞり、そしてアサーンから離脱するだけでは?」

 軍の末端、実働である自分達は、それ以上の事は考える必要は無い。杓子定規的な答えだ。しかしそんなトリオットの発言は、こちらの思考を助ける意味もある。ベリーナの意見とは真逆の回答を合いの手として入れる事で、ベリーナの考えをより明確にし、話をしやすくしてくれている。本当に、よく出来た副官だ。奥方が少し羨ましいが、以前顔を合わせた時には、家での彼のだらしなさについてあれこれ愚痴を言われた気もする。やはりトリオットのような人物でも、家の内と外では違うものなのかなぁ、などと頭の片隅で考えつつ、

「勿論、普通に考えたらそうよね。でも、本来私達国軍にこの任務が回ってくること自体がおかしいのよ。衛士団と国軍は極力距離を置き、互いに不可侵。これは暗黙の了解としてだけど、確かにあるものよ。そしてこのルールにもっとも気を払っているのは私達国軍でも衛士団でもなくて――」

「五王朝、そしてグローエス国ですな」

「――そう。なのに今回、私達は衛士団の代わりにこうして出張ってきてる。訓練や演習以外の、実戦を伴う任務を指示できるのはグローエス国だけよ。だから、国は私達が衛士団の代わりに活動することを容認してることになるんだけど、そこがまず奇妙なのよ。それに、指令についてもだけど、あれ、本当に急遽という指定だったでしょ」

「調査団の編成、参加員数、予算、関連組織への折衝。これらの点は殆どこちらに一任、常識的な範囲であるなら融通し放題という代物でしたが」

「だけど、期日だけにはかなり厳しい制限が掛けられてた。どうにか今日、こうしてアサーンに来る事が出来たけど、かなり際どかったわよね」

 ベリーナの部隊に軍長から指令が伝えられたのは、10日ほど前の話だ。衛士団に成り代わり、合同調査団を組織して10日以内にアサーンへと向かうべし。指示だけならばそれだけであるが、この合同調査団とやらの雛形資料などが一切貰えず、半ば丸投げの形で任されたのだ。交代、引き継ぎであるならば、せめて前任となる衛士団から資料とともに幾人か出向してもらい、それを頼りに編成や準備を行っていくのが真っ当な形だろう。しかし、

「衛士団、そして昂壁の翼とは一切の接触を禁止。我々だけで、しかし極力これまで行われていた合同調査の形式に則って作業を行う。そりゃ手探りでやってたらぎりぎりにもなるわよ。斡旋公社とコンタクト取るのも一苦労だったし。しかも中で何やるか結局具体的に判らなかったから、取り敢えず参加してきた冒険者は適当にその辺うろつかせて、学士も一纏めにしてあとは好き勝手にやらせる形にしか出来なかったし。私達だって亜獣相手に勝手に訓練やるだけですし」

 きちんとアサーンの中で何をやるべきなのか。達成目標が設定してあるならばそれをこなそうと全力を尽くしたのだが、指令の段階でこれではどうしようもない。

「それもこれも、調査団の中核だった衛士団や翼の連中から資料や話を聞けなかったせい。もっといえば、指令がいい加減なせいよ」

「衛士団と国軍は極力接触させず。いつもの国の対応では?」

「なら、私達が衛士団の代わりにこうしてきてるところとチグハグになるわよね?」

 ベリーナが疑問に思うのは、ここなのだ。

 何故自分達は、互いに不可侵である筈の衛士団の仕事を肩代わりすることになったのか。

 国が方針を変えた、というのならば話はわからなくもないのだが、しかし他の部分では自分達と衛士団が関わる事を忌避しているのに変わりはないように見える。

 どこか、しっくりこないのだ。

「指令については、隊長は接受の際に軍長から直接話を伺ったのでしょう。その時にどうして確かめられなかったのです?」

「それは、あの時愚痴ったじゃない。軍長は、この指令は国からの依頼による特別な任務であり、その内容については私は一切言及するつもりはない。ただ指令の通りに私達が働くことを期待するって」

 これについては、ベリーナは今でもはっきり覚えている。

 軍長の部屋にまで呼び出され、そこで指令を受けた記憶。普段は厳つい顔をくしゃくしゃの笑みか、ごわごわの怒りのどちらかに染めている彼が、自分に向けていた無表情が妙に気に掛かった。良くも悪くも、深読みが出来てしまう。そんな態度だ。

「私達が知らない、ここに来なければならなかった理由がある。そんな気がするの。でも、それが判らないから、何だか凄く居心地が悪いのよ」

 ここまでベリーナがいうと、トリオットは少しの間黙り込み、

「……ふむ」

 呟いて、こちらを向いて小さく頷いた。

 ようやく、彼が答える気になった、といったところだろうか。

「改めて聞くわ。トリオット、貴方は今回の件、どう見てる?」

 繰り返されたベリーナの問いに、返ってきた答えは少し焦点をずらしたものだった。

「――私見では、この指令は国の一部派、若しくは軍長も含めた国軍上層の独断によるものである、とみています」

 トリオットは、先刻までの何処かふざけたような調子ではなく、芯の入った声音で語る。

「衛士団と昂壁の翼が合同で調査団を編成し、定期的にアサーンへと入る調査行は、回数を重ねた直近のものでも相応の成果を出していたと聞いています」

「……そうなの? でも、噂だと」

「所詮噂ですよ。実際は違います。嫁の言を信じるならば、ですが」

 そういえば、トリオットの奥方は昂壁の翼の支援組織に属している人間だったか。そちらから情報を仕入れていたというのなら、確かに世間に出回っている噂よりは信憑性が高いだろう。

 しかし、だ。

「なら、どうして合同調査団の回数が減って、実質終了みたいな感じになってたのよ」

 そう。噂では、これまで定期的に合同調査を行っていたものの、最近は調査の進展が頭打ちとなっていて、これ以上の調査は利に合わないと判断した衛士団と昂壁は合同調査団の編成に消極的になっている、という話になっていた筈だが。

 そんな疑問への答えは、

「これがどうやら、グローエスの議院の方から圧力が掛かったようでして。衛士団は当然として、昂壁も半独立とはいえ資本の多くを国に依存している組織ですから。そちらからの話となれば、逆らう訳にもいかないでしょう」

 いきなり、思ってもみなかった話が出てきた。

 ベリーナは仏頂面を崩さないトリオットの顔を思わず凝視してしまう。

「あ、圧力? いったいどういう事?」

「さて。議院にて合同調査の件が突然議題にあげられて、負の意見を次々と付け足され、実態調査の為に調査団の編成は回数減、出来れば中止。状況把握後、調査団続行の是非を決める。判っているのは、こういう話になったというところだけですな」

「胡散くさい事この上ないわね……。大体、負の意見って一体どういうものなの。成果自体は出してたんでしょう?」

「色々と理由をつけてはいるようですが、その殆どには、大した意味はありませんでしたな。粗探しにも近い意見が殆どでしたが、しかし粗であったのは確かです。指摘されれば反論のしようもなかったようで、また、疑惑を払うには調査の受け入れは拒否できない。突然の流れに、支持派も碌に対抗できずに押し切られてしまったようですね」

「はー」

 ぽかん、と間抜けな声が出る。ベリーナにとっては雲の上で行われているような話だ。

「一体、どこから仕入れてきたのよそんなネタ」

「嫁の父君経由での話ですが」

「また嫁か」

 思わず突っ込んでしまったが、これは思いつかなかった自分の頭の回りが遅いだけだと反省する。

 トリオットの奥方が属する昂壁の翼の支援組織とは、つまり旧貴族や富豪で構成されたパトロン集団である。奥方から昂壁の翼の状況を聞くことが出来るように、その親から議院についての話を聞くことが出来るのも当然だ。

「で、義理のお父様は、その簡単に押し切られてしまった支持派という訳? もう少しどうにか出来なかったの?」

「致し方ないでしょう。政治というものは、会場に入る前に既に決着がついているそうですからな。反対派の存在、そしてその動きを事前に把握し、対策を用意する事が出来なかった時点で負けです。他にも、昂壁は内部に反対意見を持つ者達が突然出てきたとかで、衛士団より昂壁が早く手を引くことになったのも、この辺りが原因であるようです。この件を事前に支持派が把握していれば、もう少しどうにかなったのでしょうが」

「……え。議院の方だけじゃなくて、そっちもなんかやられてたの?」

「のようですね」

 手広い、という他無い。

 ベリーナは感心と呆れが綯い交ぜになった気分で、深々と吐息。

「いよいよもって胡散臭いわね……。というか、あなた、そんな事知ってたなら先に話しなさいよ」

「我々の作戦行動自体には不要な話ですから。それに、これらの情報を探ろうとして、実際に集め終えたのはここに来る寸前でしたから、どうにも」

 そう言われてしまうと、何も反論が出来ない。

 声を詰まらせたベリーナに、トリオットは「で、話を戻しますが」と続ける。

「調査団の支持――といいますか、衛士団や昂壁の後援の立場に居る方々は、当然ながらこの状況を自分達への攻撃と判断し、対抗手段を用意しつつ、同時にその裏を探ろうとしたようなのですが……」

「その口ぶりだと、判らなかったというオチ?」

「判らない、と言いますか、意図が読めないというのが正解ですな。多くの議員はどうやら援助団体や、懇意にしている旧貴族は商会、富豪、その他様々な組織から合同調査団への干渉を依頼されたようなのですが、そこから先が引っ張れないようで。しかも、どうやら議員達には衛士団や昂壁、その支援者達へ攻撃するような依頼ではなく、単にアサーンへの合同調査団を中止に持っていくよう働きかけられていたとかで」

「その程度のお願いなら、って、頷く人達も多かったって事かしら?」

「話を聞く限りでは、そのようですな。勿論、議員達が嘘をついているという可能性もあります。ですが、それを踏まえてたとしても」

「意味が判らないわね」

 そうすることで、恐らく誰が利を得ているのだろう。

 これだけの広範囲に、しかも議院への参加資格を持つ位の人間達に対して働きかけるには、どれ程の資産と人脈が必要なのか。しかもそれらを駆使して生じるであろう損失を、調査団の中止という結果で帳消し、ないしは上回る事が出来ると、少なくともこれを仕掛けた者達は考えているのだ。

 腕組みし、暫く頭を捻ってみるも、ベリーナには対象のイメージすら湧いてこない。元々、そういった“上の出来事”には無縁の世界で生きてきた。当てすらつかない。

「正直、私にはお手上げって感じなのだけど、これ、貴方のお父様方はどう考えてるの?」

 肩を竦めて問うてみると、トリオットの方も掌を上へ向けて上下させ、

「世情が判る分、混乱は義父達の方が大きいみたいで。父方は、取り敢えず相手方が望んだであろう結果――アサーンへの合同調査の中止という所に視点を置いて、そこに対して干渉する事で、状況をどうにか変化させる事ができないか、それによって見えない相手の尻尾を掴む事ができないかと、密かに色々手を打ってみる。そんな話になったようですな」

 成る程、とベリーナは頷く。ここでようやく、トリオットが最初に言っていた私見に繋がる訳だ。

「つまり、私達への指令も、その一環だったって事?」

「義父は知らなかったようですが、そういう事でしょうな。国軍の方に繋がりを持つ支持派の何方かが、密かに国軍へ指令を出したか、もしくは軍長自身に働きかけたか、そのどちらかだと見てます」

 この情報を前提に、指令書を受け取ったときの事を思い出すと、また印象が変わってくる。

「軍長の口の滑りが妙に悪かったのも、その辺が理由か」

「ならば、軍長に直接という線が有力ですな。まぁ、大して意味の無い部分ではありますが」

「ということは、私達の指令にアサーンに入ってからの具体的行動が一切書かれていないのも、そこがもうどうでもいい部分だからか。指令を出した人達からすると、調査自体より、こうして調査を行う事で誰かが尻尾を出す事の方が重要な訳ね。……でも、衛士団と昂壁に手伝って貰うのがダメだった理由まではそれじゃ判らないな」

 ここまでの話の流れでは、国軍が衛士団の代わりを務めるという点には、ベリーナが思っていた程に意味は無かったように思える。

 手を引いた衛士団の代わりに国軍が、という微笑ましい話ではなく、相手を釣るための餌として、衛士団が脱ぎ捨てた皮を被って動いているだけ。衛士団と国軍は、今までと変わらず関わりをもっていない。

 つまり、調査団編成に際して衛士団からの資料提供等が禁止されていたのも、これまで通りの相互不可侵に則った話であったのだろうか。

 しかし、それならば指令書に明確に記載がされているのが不可解だ。あのルールはあくまで暗黙のもの。わざわざ指令に禁止事項として書くような類のものではない。

「大方、この指令が正式なものではないのでしょうな。衛士団や昂壁と接触すると、こちらの行動が相手側に伝わって、こうして調査団を組織する前に妨害されてたかもしれない。正式ではなく、議員の一部が独断で寄越した指令であれば、その点について正攻法で攻められれば確実に問題になります」

 国軍を動かすには、相応の手続きが必要となる。グローエス国軍の場合は、議院の許可と国主たるグローエスフォースの認可だ。言われてみれば、指令書には議員署名はあったものの、国主印は捺されていなかったように思う。

「でも、妨害という行動に相手が出てくるなら、それはお父様達からすると望むところなのでは?」

「確かにそうですが。その展開は、恐らく父方にとっては望んでいない形でしょうな。我々へ回ってきた任務は、要は相手側への意趣返しといいますか、そういう意地みたいな面が強いのではないかと、私は見てます」

 つまり、それは。

「――一番は、面子ってこと?」

「そうです。だから、実利よりもこうして私達が調査団としてアサーンに入っている、つまり相手の考えを台無しにしてやった、という風な、そんな状況を相手に見せたかったのではないかと」

「まるで子供じゃないの」

「案外と、金と権力を持った老人というのはそういう事をもっとも気になされるようで。金も権力もあるのですから、残るは体面。当然と言えば当然ですがね」

「それに付き合わされる私達はたまったものじゃないけど。それじゃあ何? 私達がこんなに急なスケジュールになったのも理由がある訳なの?」

「どうやら指令につけられていた期限の方も、反対を依頼された議員達へ暗に伝えられていたらしい日時を推測して決定されていたようですな。最低、この期日までは調査団を編成させないように。そんな感じで」

「徹底してるわねぇ」

 心底呆れたと息をつく。

「……でも、何だか色々掴めた気がするわ。トリオット。良い話を聞かせて貰いました」

「恐縮です。もっとも、今私がした話がどれだけ真実に近いものなのかは一切保障しませんが」

「構わないわよ。どうせ私達、やることが変わるわけじゃないしね。……ああでも」

 そこで少し、ベリーナは考え込むように黙り、視線を移す。

「ここまでの話から推測するに、今この時、アサーンに、調査団が派遣されるのはまずい。そう考える人達が居るのよね」

「恐らくは」

「……なら、こういう考え方もあるのかしら」

 フォンコールの大通りからは、都の中心部までを障害物なく見通すことが出来る。

 遠くに見える、巨大な長方の影。“剣の都”の異名の由来である、アサーン一の巨大建造物を眺めて、ベリーナは独り言のように呟く。

「――今この時、アサーンには、私達が見てはいけないものが存在するって」





──同者との遭遇──


 幾多の危険を乗り越えて、貴方とリヴィエラ達はようやくアサーンの中心、目的地であるヴォルガンディア闘技場に到達した。

 巨大な円形の建造物。その入り口となる扉のない大口の門を前にして、貴方達は高さ数十メートルはあろうかという威容を見上げる。

「不気味なくらい静かッスね」

「っつか、亜獣の気配がねーな」

 マヒトが周囲をきょろきょろと見回すが、亜獣の気配どころか、自分達以外に動くモノが何もない。

 今まで通過してきた場所は、亜獣の姿は無くとも直ぐ近くにその気配や物音、鳴き声などは響いてきていたのだが、この場所にはそれが一切無い。まるで周囲から切り離されているかのような、生気の無い静寂だけがある。

 こういった雰囲気は幾度か味わったことがある。“異象”顕現の現場だ。あれが生じるとき、生物は本能の警告に従ってその場から逃げ出そうとする。闘技場から漂い、近隣にまで広がる空気は、正にそれだ。

 だが、

『……やっぱり、“異象”の存在を感じられません』

 クーリアの思念は、貴方の思考と同じだった。

 この距離まで近付いて“異象”の気配がしないとなれば、まだ“異象”は顕現していないと結論付けるしかない。

 しかし場に満ちている空気はまるで“異象”顕現時のようで、しかも、だ。

「【NAME】さん……ちょっと、その、私……」

 ふらりと、貴方の肩にリヴィエラが寄りかかる感触。様子を確認すると、リヴィエラは堪えるように目を細めて、頭痛を抑えるようにこめかみに手を当てていた。

「お、おい御嬢、大丈夫かよ!?」

「リヴィエラ様、しっかりするッスよ!」

 それに慌てたのは彼女の連れである二人だ。焦った声で傍に寄ってくる彼等に心配をかけたくないのか、リヴィエラはどうにか笑みを作って返すが、血の気の引いた顔で力ない笑みを浮かべられても、余計に心配になるだけだろう。

 リヴィエラの不調。その理由は、貴方にも直ぐに思い当たった。目の前に広がっている、急激かつ大量なアエルの流れの影響だ。

 凄まじい勢いで闘技場の中へと渦巻き吸い込まれていくアエル。終点であるヴォルガンディア闘技場が眼前となった今では、吸い込まれていくアエルの勢いは、遠くから眺めていた時とは比べものにならない程に速い。

 リヴィエラはこの膨大な量のアエルの流れを、“光”として認識しているのだ。それが一体どう見えているのか。彼女にしか判らない事だが、恐らくは無数の光の波が全景を乱舞する、正に目も眩むような光景となっているに違いない。

 せめて、アエルを“光”として見る力を自分で制御出来れば良いのだろうが、

「……無理、です。だって、今までこんな風に視える事なんてなかったから。抑えるだなんて、一度もやったことなくて……」

 貴方の問いに、リヴィエラは頭を振って答える。

 今のグローエスでは虹色の夜による“現出”と、そして『礎の世』よりこちらの世界へやってきている筈の“王格”の影響で、アエルの発生率が格段に増しているが、本来ならばこの世界においてはアエルが発生する事自体稀なのだ。アエルが視えたとしても、精々薄い光が僅かに漂っている程度であった筈で、わざわざアエルが視えないよう努力をする必要性を感じなかったのも当然だ。

『うーん。ここまで敏感なら、アエルに対する感度を鈍くする術技でもかけておいたほうが良かったかもですね』

 内心に届いたクーリアの思考に、貴方は今頃言うなと突っ込む。そういう話は、アサーンに入る前にするべきものだろう。

『いやでも、こうしてアエルを感じてもらう事も、私達がリヴィエラさんをここまで連れてきた理由の一つですし、それを事前に阻害してしまうのもどうかと思ったんですよ。……結果から言えば見事に失敗だったわけですけど』

 その辺りの事を今責めても意味がないのは貴方にも判っていた。考えるべきは、どう対処するかだ。クーリアが言う術技は、今からでも掛けられるのだろうか?

『んー、ちょーっと難しいですね。この場所、もうアエルの――吸引? そんな感じの勢いが強すぎて、貴方に寄生してる形の“私”だと、普通のやり方じゃアエルを上手く扱える自信がないです。後、リヴィエラさんが結局何を“光”として捉えているのか。その辺りもはっきりさせる必要があります。一度アサーンの外辺りまで出て、時間を掛ければ何とかいけそうですけれど……』

 流石に、そんな余裕は無い。闘技場の奥へと吸い込まれていくアエルの勢いは、徐々にだが勢いを増し始めているようにも見える。先刻は中心となっている闘技場に近付いたからだと思っていたが、良く良く観察してみれば、純粋にアエルを吸い込む力自体も上がっているようだ。

 その様子を険しい顔で睨んでいると、

『……何だか、嫌な予感がしますね』

 苦みの入ったクーリアの囁きが響く。それについては貴方も全くの同意見だった。

 これ程のアエルが集中しているというのに、“異象”が発生していない。ならば、闘技場の中では膨大な量のアエルが、“核”を軸に顕現化すらもせずに、ただそのままの状態で一点に集まり続けている事になる。通常ならば有り得ない状況だ。何より、置換現象どころか“異象”の存在すら確認できていないというのに、周囲のアエルが急速にこの場所へと吸い寄せられているのが不自然である。

 原因より、結果が先に生じているのだ。

 ならば、それは。

(原因と仮定していたものが、全くの的外れだった?)

 “異象”が顕現するからこその、周辺アエルの集中現象。そう思っていたものが、実は異なる原因で発生していたというのなら、辻褄は合う。

 合うが――ならば一体、何が原因でこの現象が生じているというのか。

 そもそもアエルに関する知識に疎い貴方には、他に思い当たる理由など見当たらず、

『私だって、判らないですよ。こういう事は初めてです。本体の方の“私”なら、集積している情報を当たることも出来るかもですが、今私達が居る場所――現出地形でしたか。ここだと本体の方と上手く繋がる事が難しくて無理みたいですし。普通の現出地形なら何とかなりそうなんですけれど、こういうタイプの、元の地形と別の地形が混じり合ってるタイプだと土地概念の歪みが特に酷いですから、世界の外へは出やすいんですけれど、雑音が多くて精度が保てないんですよね』

 クーリアの方も、こんな風に長々と言い訳を返す始末だ。

『酷い! こんなに頑張ってるのにっ!』

 と、半ば無意識に浮かんだ貴方の感想に、すかさず苦情が返ってくる。心が結構な安易さで繋がっているというのも、便利ではあるが場合によっては困りものだ。

『……とにかく、まずは本当に“異象”が発生していないのかと、闘技場の中で一体何が起きているのか。手遅れにならないうちに、確認した方がいいと思います』

 結局の所は、そこに落ち着く。こうして外であれこれ悩んでいても、真実を想像することは出来こそすれ、真実を確かめることは決して出来ない。真実か否か。判るのは、闘技場の中へと足を踏み入れ、己が目で確かめてみた時だけだ。

 しかし、問題が今、一つ。

 何が起きるか判らないところに、不調のリヴィエラを連れて行っていいものだろうか?

 単なる“異象”の対処ならばと彼女等を連れてきた訳だが、どうも状況はそれに留まらない流れになってきている気がする。

「おい、【NAME】」

 迷っていると、リヴィエラの背中を摩っていたマヒトが貴方の名を呼ぶ。

「御嬢はこれ暫く動けんだろ。この辺りには亜獣も居ないみてーだし、少し休ませたい。あと、俺達も御嬢に付き添わせてもらう」

「自分達、一応リヴィエラ様の従者なんで」

 二人の言に、貴方はふむと考え込む。

 彼等の提案も、そう悪くないものに思えた。高密度のアエルによる影響か、それとも別の要因があるのかは判らないが、闘技場の周囲には亜獣の気配は無い。ここならば不調が収まるまで、あるいは慣れるまでじっと待機していてもそう危険はないだろう。マヒトとシモンズの二人が残るならば、彼女も安心出来る筈だ。

 問題は、闘技場へは自分だけで赴く形になる事くらいだが、むしろ、彼等と一緒に行くよりは良いかもしれない。

 元々の目的は、リヴィエラに“異象”を見せることで、こちらの言を信用させる事であったが、今回はどうも状況が変だ。普通の“異象”討伐ではなく、もっと別の、想定外の何かが、この奥に待ち受けているような気がする。そんな中、アエルや“異象”といった、こちらの事情に対して初めて関わる彼等を連れて行って良いものか。

 単なる“異象”であれば、既に幾度も戦った相手である。リヴィエラ達の事も気にしながらでも対処は出来る。だが、今回は何が待っているのか判らず、彼女等の安全を保障する自信がなかった。リヴィエラには、現状でも既に十分色々と見せることが出来た筈で、ならばこれ以上の同行を強いる必要は無いのではなかろうか。

 リヴィエラ達をここに残して、自分だけが闘技場へ向かう。そう決めかけた時、

「……いえ、大丈夫です。行けます」

 と、貴方の耳に、小さく、しかしはっきりとした声が届いた。

 介抱されていたリヴィエラが、ふらりと立ち上がる。まだ額を押さえて蒼白に近い顔色をしているが、貴方を見る目には強い力が宿っていた。

「リヴィエラ様、無理しちゃダメッスよっ」

 ふらふらと左右に揺れるリヴィエラの身体を、シモンズが慌てて抑えようとするが、逆にリヴィエラは伸びてきた手を取って首を左右に振る。

「まだ少しくらくらしますけど、大丈夫です。これくらいなら、付いていくことくらいは」

「それでもだな――」

 マヒトが何か言おうとするところを、リヴィエラは掌を掲げることで止めた。

「ですから、大丈夫です。大丈夫と、そういう事にしてください。……だって、せっかくここまで来たのに最後で置いてかれるだなんて、やっぱり悔しいです」

 そして、貴方のほうへと向き直り、

「お願いします、【NAME】さん。私も、私だって、ちゃんと、知りたいから」

 言いたいことは判る。けれども、辛そうな様子なのには変わりない。

 この先の展開が不透明な現状では、不調の彼女を連れて行って良いものか。貴方には拭えぬ迷いがあった。せめて、調子が万全ならば。

 どうにかできないだろうか。思い、こういう時に頼りになる相手を思い出す。己の内に住み着いた意識――クーリアに、何か案はないかと意識を向けると、反応は直ぐさま返ってきた。

『んー……。では、貴方の身体を使って、術技をクーリアさんに通してみましょうか』

 しかし、意味が今ひとつ理解できない。

 もう少し判りやすく、と伝えると、

『使う術技は、主に暗示を利用したもので、リヴィエラさんの意識をアエル……というか、“光”から背ける感じにします。この形式なら、アエルにもあまり依存しませんし、周囲の環境にも左右され難い筈です』

 そうか、と内心頷き、いやもう一つの方を詳しく、と更に伝える。身体を使って、とは一体どういう事だろうか。なんだか不穏な気配を感じるが。

『いやいや、そんなヘンな事はしませんよ。単に接触する事で不定理粒子を使った存在干渉をやりやすくするだけですし。今の“私”の状態ですと、そちらのほうが効果を発揮しやすくなるんで。取り敢えず、やってみます。すみませんけれど、リヴィエラさんの額に手を当てて、後極力近付いて目を合わせてください』

 言われた通りにする。

「――わ」

 突然の事にリヴィエラはまるで石像のように硬直し、目を大きく見開いて固まってしまった。視界の隅でマヒトが熱り立つのが見えたが、貴方はこれからリヴィエラに応急処置をし、彼女をこの先へ連れて行けるようにするから大人しくしていろと冷静に告げて、更にリヴィエラには自分の目から視線を移さぬように指示する。

 至近距離で、じっと、リヴィエラの目を覗き込む。硝子玉のような彼女の瞳に、自分の姿が歪な輪郭を描いて映っているのが見えた。

 そのまま数秒が経過し、

(……で、ここからどうするんだ?)

 首を傾げたところで、自分の管理下にあったアエルが若干量、沸き立つように反応するのを感じた。

『今から私の方で術技を使いますので、そのまま動かないで。掌と、目。両方を使って意識を逸らしますから、どっちも外しちゃダメですよ。あと距離もうちょっと詰めてくれると尚良しです』

 厳しいことを言う。

 更に距離を詰め、鼻先が触れあうところにまで寄せる。

「ぅ、……あ」

 正に眼前という位置にあるリヴィエラの顔が、驚きに固まった状態のまま、顔色だけが蒼白から徐々に朱の色へと変化し、その範囲が広がっていく。照れられるとこちらまで照れてくるので止めてほしい所だったが、それを言える空気でもなく、また言ったとしてリヴィエラが自分の意思でどうにか出来るとは思えず、貴方は半ば開き直った気分でリヴィエラの瞳を見つめ続ける。

 掌から生じた術技の光が、リヴィエラの額に移り、そして消えた。時間にして凡そ30秒、しかし体感ではその数倍の時間が経過したように思えた。

『終わりました。もういいですよ』

 ようやくの声に、貴方はリヴィエラから離れる。勢いに押されてかリヴィエラが一歩後ろに下がるが、まだ視線は茫然と貴方に向けられたままだ。結果はどうかと訊ねた声に反応するのも、数秒の間が必要だった。

「あ、え、……っと」

 リヴィエラは周囲を見回して、不思議そうな表情になる。

「何だか、色が無いです」

 光が見えなくなった、ではなく、色が無い?

『そういう暗示です。リヴィエラさんがアエルの何を“光”と視てるのか判らないままでしたから、取り敢えず目が眩まないよう、視束から受け止められる光量を下げてみました。アエルは“光”として視えたままですが、全体的に白いというか黒いというか、そんな感じになっている筈ですので』

「あ……これなら、そんなに」

『アエルの動き自体は判るまま、刺激の方は弱くなっているので、そう辛くはなくなっていると思います。元々、彼女にアエルや“異象”などを見せるために来て貰ったのに、それが視えなくなっては本末転倒ですしね。ただ、視覚に制限を掛けたのは確かなので』

(戦いとなった場合、それらが悪影響を及ぼす可能性はある、と?)

 貴方の思考に、クーリアは続く言葉を作るのを止め、

『流石。ことそういった事に関してだけは勘が鋭いですね、貴方』

 嫌味か、と突っ込もうとした時、ぐい、と腕を引っ張られて意識が内側から外側へ向く。

「【NAME】さん、ありがとうございますっ! 少し見づらくはなりましたど、これなら私、ホントに大丈夫そうですっ!」

 こちらの腕を巻き取るような勢いで胸に抱いて、興奮に染まった笑みで貴方を見上げてくる。その後方には、呆れたように笑うシモンズと、不機嫌そうに顔を顰めたマヒトの姿が見えた。何か言いたげではあるが、しかし無言のまま。貴方がそちらへ視線を送ると、シモンズは肩を竦め、マヒトは舌打ちせんばかりにそっぽを向いたが、やはり何も言わない。その態度を解釈するなら、不承不承ながらも彼女の同行を認める、といったところか。

「それじゃ、早速行きましょう、【NAME】さん。私、あそこが一体どうなっているのか、とても気になります!」

 と、貴方の腕を解放したリヴィエラは、とと、と前に数歩進む。もう興味を闘技場の奥へと移し、真剣な表情をそちらへと向けている。

 そんな彼女に、何か応える言葉を返そうとした時、貴方の右側に、長身の影がひょいと並ぶ。

「ったく。折角うまいこと一番やばそうな所から御嬢を引き離せるかと思ったのによ。この人誑しめ」

 貴方にだけ聞こえる声量で、マヒトがそんな事を呟き、

「【NAME】さんは色々と卒がないッスねー。リヴィエラ様の扱いが上手と言いますか」

 続いて左に並んだシモンズが苦笑いと共にそんな言葉を呟いて、そのまま二人、貴方の横を通り過ぎていく。

「…………」

 ぽんぽんと投げ込まれた言葉二つ。

 貴方は何とも言えぬ微妙な気分で、彼等二人に何か言い返す言葉を探し、

『ほら、ぼーっとしてる場合じゃないですよ。早く行きましょう!』

 内側から響いてきた更なる声にせっつかれて、浮かんだ言葉と感情を、溜息一つで形にせぬまま吐き出す。

(……行くか)

 確かに、今はこの奥で起きている何かを確かめる事に集中すべきだ。

 先行くリヴィエラ達を追い、そして追い越して、貴方は先導するように闘技場の中へと足を踏み込んだ。



 巨大な入り口を潜り、無音の暗闇に包まれたロビーを真っ直ぐに抜けて。貴方とリヴィエラ達は、闘技場の中央に用意された、屋根の無い一面石畳の大きな広場へと出る。

 闘技場の中心。流れるアエルの終着点。

 そこにあったものは。

「何だありゃ……。っつか、まさか、人かよ? こんなとこに?」

 一歩遅れて広場に入ってきたマヒトが、中央を見てそんな声を漏らす。

 闘技の場として用意された大空間に足を踏み入れた貴方達の目が捉えたのは、複雑な紋様によって描かれた巨大陣と――意外極まりない事に、数人の人影であった。

 広場に敷き詰められた石畳の半分以上を占拠する大きな三角を描いた紋様陣は、不気味な赤色で構築されていた。大雑把に見れば単なる三角形にしか見えないが、しかし細部は多種多様な紋様が刻まれており、そして所々には発光する石が配置され、その光がまるで鼓動のように脈打つ度に、赤色の線も怪しく明滅する。

 そして三角形の頂点には、それぞれ一人づつ、計三人分の影があった。

 立っているのは、場違いという他無い給仕服に身を包んだ男女達だ。彼等は皆、独特の韻の声を発しながら、宙空に幾度も幾度も、一心不乱に印を描き続けており、闘技場の中心に足を踏み入れた貴方達の方へ注意を向けることは無かった。

 唯一の例外は、一人。術式陣の中央に立ち、その数メートル上空に浮かぶ像――周囲に集まってきたアエルを猛烈な勢いで吸い込んでいく奇怪な像を見上げていた、老境の男だけだ。

 老人は背を向けたまま、顔だけ貴方のほうへと振り返る。


「――おうやおやおや。まさかの観客の登場か」


 そんな声と共に、口元を大きく引き上げた。

 口奥の歯すら覗かせる深い笑み。大きく見開かれた白色の多い瞳が、ぎょろりとこちらを見据える。傍で、ひ、とリヴィエラが喉を引きつらせる音が聞こえたが、貴方はそれに反応する余裕もなく、向けられた老人の視線から目が離せない。

「全く全く驚いたね。少年達よ、一体全体、今、この時、この場所へ、どうやって入ってきたのかい?」

 くるりと手にしたステッキを回し、彼は踊るような仕草で身体をこちらへと向ける。芝居がかった動きだ。浮いた爪先が宙に綺麗な半円を描き、長い裾が大仰にはためいた。

 貴方と老人、彼我の距離は凡そ50歩程ある。細かい表情や動きを見極めるには厳しい距離だ。なのに、老人の動きは奇妙な程に、貴方の眼に、意識に飛び込んでくる。単純に大袈裟な動作、目を引く立ち振る舞いをしているのも勿論あるが、しかしそれ以上に、老人が醸し出している独特の雰囲気が、人の目を逸らさせない。

「それにしてもおかしなものだ。しっかりしっかりと、昂壁の翼や衛士団には働きかけておいた筈なのだがね。先刻、結界に隙間が空いたように感じたのは気のせいかとも思ったのだが、どうやらそうではなかったようだ」

 老人は独り言のようにそう呟くと、一人納得したように大きく頷く。

「――それで」

 そして、かつん、と。

 靴の底を鳴らし、老人が一歩、こちらへと踏み出す。

 その動きに呼応して、場の気配が瞬時に切り変わった。明確に意識できたのは、自分達に対して“注意が向けられた”という事だ。辺りの空気が、唐突に粘り気を帯びたような感触。

 まるで闘技場に存在する有形無形の存在全てが、自分を注視しているような。老人から向けられた一方からのものではなく、全方からの注目と、それに伴う強烈な圧迫感が貴方を襲う。

 そんな突然の気配の変化は、貴方だけでなく、リヴィエラ達三人にも伝わるものであったらしい。左方、シモンズは気圧されたように一歩後ずさり、右方、マヒトは無形の重圧に耐えるように歯を見せて周囲を見回し、そして後方のリヴィエラは、完全に貴方の背中に隠れるように縮こまってしまっていた。

 致し方ない反応だ。だが、ここで怖じ気づかれ、動けなくなってしまうのはまずい。今、目の前に居る老人は、強者だ。この気配に呑まれれば、いざという時に歯向かう事はおろか、逃げる事すら適わない、首の根を押さえつけられた小動物も同然の立場となってしまうだろう。

 焦る貴方の事など意に介さず、老人は歩を進める。その度に圧迫感は強くなり、更には彼の背後から、濃い靄のようなものが生まれて始める。揺らめく靄は身体の輪郭に沿って蠢いて、老人の姿をぶれさせ、まるで二重写しのように見せる。

『……これは、まさか』

 心の奥で、クーリアが言葉にならない曖昧な思考を伝えてくるが、しかし碌に反応することも侭ならない。

 そして、残り十数歩という距離にまで近付いたとき、老人はようやく続く言葉を口にした。

「少年。君達は一体何者かね? 見る限りでは――」

 老人の大きな目が、シモンズ、マヒト、リヴィエラと通り過ぎ、そして最後に、貴方へ向けられて止まった。

 ほう、と喉を鳴らすような音が響いて、

「吃驚だね! どうやら少年、君は――」

『気をつけてっ!』

 老人が呟く声に被せるように、貴方の心に、半ば悲鳴に近い声が迸った。

『あの人、貴方と同じです! 貴方と同じ――』


『「――“同化者”!」』


「な……」

 外と内、両方からの声に、貴方は一瞬驚愕の声を漏らして、しかし次の瞬間には深い納得を得る。

 そうだ。老人から漏れ出している靄には覚えがある。クーリアが自分を通して術技を使う時や、アエルを回収する際に生じるもの。つまりは、管理下に置かれ、制御されたアエルの片鱗である。

 そして、老人の身体をぶれるように覆うもう一つの気配にも、同様に覚えがあった。あれは、

『あの老人に同化している、私達の世界の住人の存在概念、です』

 己の姿の鏡写し。覚えがあるのも当然だ。本来ならばこうも露骨に同化者の存在を感じる事はない筈だが、同化者が意図的に被同化対象と距離を取ろうとしていた場合は別だ。貴方も、以前アエルの流れを強く感じようとした際に、似たような事をした記憶がある。

『……それに、まずいですよ、これ。あの人、多分本物です』

 本物?

 鸚鵡返しに訊ねると、緊張感を帯びた意思が返ってくる。

『貴方と違って、相応の素養を持ち、専門の訓練を積み、入念な下準備の上で、この世界の存在と同化した――要するに、専門の工作員です』

 そんな事が、一体何故判る。

『判りますよ! あの人が使ってる同化の術技を今どうにか確認出来ましたけど、細かく調整が入った特別製です。私達が貴方に使った“分離同化”みたいな実験的なものじゃなくて、安定性と同化者の能力補助拡張が第一の、実用一辺倒の奴です。方式も、私達の“派閥”が使っている術技とは大きく違ってます。あの人は、同化術技の実験の延長線上でここに居るんじゃなくて』

 『礎の世』の何処かの勢力が、何らかの目的を果たすためにこの世界へ送り込んだ、正式なエージェント――代理人である、と。

『それに、今ああして本来の自分を同化対象と離してるのも、術技を使うための前準備である筈で――』

「そうかそうか。なるほどな」

 と、クーリアの言葉が届く途中で、老人の頷きの声が響き、意識がそちらに持っていかれる。

「ならば少年。君がこうして、この場にやってきた理由は判らなくもないな。僕の“実験”で引っ張られた不定理粒子の行方を追ってきたのかい?」

 正にその通り。

 そして、聞き逃せぬ一言に、貴方は眉をひそめて問い返す。

 ――“実験”?

「うむ、そうだよ。今僕は楽しい楽しい“実験”の真っ最中であってね。もうすぐにでも終わるから、出来ればその間、大人しくそこで見ていてほしいのだが、如何かな」

『駄目です、許可できませんっ!』

 貴方が何か言葉を返す前に、クーリアが鋭く、声を伴って叫んだ。

『あの人は、私達の“派閥”の人間じゃありません。それにこの陣、これは術式ではなく、アエル操作の――術技の陣形です。このアサーンであれ程の量のアエルを集めていたのは、きっとあの人です!』

 同じ“派閥”の人間ではなく。

 そして、これ程のアエルを集めていた人物。

『陣の中身……複雑な上に、独特すぎてまだ構成全て把握しきれてませんけど……でも、今見えてる部分だけでも、これは危険なものだって判ります。これだけの量のアエルを一点に集めて、制御して、その上“異象”顕現の理屈も利用して、何かを……一体、何をしているのですか、貴方はっ!』

 ならば、彼は。

「……どうやら、大人しく見物していてくれる気はないようだね」

 ――敵か。

「では仕方がない。丁度良い、同じ“同化者”同士だ。試しに刃を交えてみるのも、悪くはないだろう」

 どうやら、クーリアの問いに答えるつもりはないらしい。

 ならば、と貴方が武器を構え直す。その動きに老人も合わせ、外套の裾を大きく翻すと、身を僅かに傾け、杖の先端をこちらに向けた姿勢で動きを止めた。

「はは、一度やってみたかったのだが、そうそう機会があるものでもないしな。どれ、少しばかり奮発してみよう」

 老人の背後から湧き出て身体を覆っていた靄は更に濃さを増して、まるで二人の人物が重なっているかのように見える。時折、周囲の空間に弾けるような音と光が舞うのは、

『気をつけてください! あの人、恐らく術技が専門です。戦闘でも、それを使ってくる筈です!」

 術技。『礎の世』で生まれ、発展した、アエルを用いて行使する術の総称だ。

『不定理粒子に直接干渉する術は、理粒子で構築されたこちらの世界に於いては万全とは言えない筈ですが、それでも単なる技法や術式――理粒子に訴えかけて間接的に現象を導き出すものより遙かに強力です。十分に警戒を!』

 厄介な話だ。こちらは碌に使えないというのに。

 貴方は油断なく老人に視線を送りながら、自分の左右、そして背後に居る三人に、少し離れるよう警告を送る。

「……はぁ? ってお前、まさか一人でやる気かよ!?」

「それ、流石に無茶ッスよ!」

 左右からそんな声が上がるが、しかしそんな彼等の腰は完全に引けてしまっている。リヴィエラ達が加勢してくれるなら有り難いのは確かなのだが、しかし本調子ではなく、場や老人の気配に呑まれてしまっている彼等を戦いに出すのは危険だ。逆に足手まといにもなりかねない。

 それを指摘すると、マヒトはぐ、と詰まったように声を漏らし、シモンズは乾いた笑いを溢す。

「ったく、知らねーからなっ!」

「じゃあお言葉に甘えて任せるッスけど、やばくなったら合図するッスよ! ほら、リヴィエラ様も!」

 マヒトがまず離れ、シモンズがそれに続きながら、貴方の背後のリヴィエラに促しの声を飛ばす。

 しかし、背中に居る気配が動く様子がない。一体どうしたのか、振り向きたいが、しかし正面、杖をこちらに向けた老人から気を逸らすことは出来ない。老人の立ち姿は自然体、強い攻め気を感じるものではなかったが、彼から向けられた圧迫感と、漂う靄を介して複数の術技が構築されていく様を前にして、そのような隙を見せることは出来ない。

 仕方無く、視線は前に向けたまま、声だけで様子を窺う。すると、

「……あの、わ、私、私も……っ」

 意味のなさない、途切れ途切れの声。しかし、彼女が何を訴えているのかは判る。そして、それが良策ではない事も。

 もう一度、離れるように促す。だが、返ってきたのは懸命に呼吸を整え、強張った身体を解そうとするリヴィエラの動きだけだ。

 このままではまずい。リヴィエラはやる気だけはあるようだが、身体がついてきていない。もしこのまま戦闘に入れば、碌に身動きも出来ずに老人の一撃を受けることになるだろう。

 マヒト達にリヴィエラを下がらせるよう指示するべきか。しかし、丁度そのタイミングに仕掛けられれば、こちらの動きは大幅に制限されるだろう。隙となるのは変わらず、更に取れる選択肢も少なくなる。

 ならば、

「…………」

 一瞬の思案の後。

 貴方は覚悟を決めると、背後に振り返り、そのままリヴィエラを思い切り後方へ突き飛ばした。

「あ」

 小さな声と共に、驚きの表情を浮かべたリヴィエラの姿が遠ざかる。しかし貴方はそれを見たのは一瞬だ。

 前方からの剣気。明確に生じた隙。そこに来るであろう攻撃を見越し、半ば投げ出すような勢いで横へと身を跳ねさせる。

 故意に隙を作る事で相手の攻撃機会を誘導しつつ、リヴィエラを遠くへと追いやることで危険から脱出させ、己を身軽とする。選択肢としては妥当。後は、相手の攻撃を避けられるかが鍵。

 と、なる筈だったのだが。

「――シバリス!」

 丁度のタイミング。三角の紋様陣の頂点に立っていた一人、浅黒い肌を持つ背の高い男が、そんな大声を上げるのを聞いた。

 横へと飛んだ貴方が地面に着地し顔を上げれば、半ば踏み込みの動作に入っていた老人が、細く息を吐き、僅かに身構えを緩めるのが見えた。どうやら、割って入った声に、完全に気を削がれたらしい。

「シバリス、わざわざ貴方が出ずとも、我々がっ!」

 続けて、叫ぶ声。シバリスとは、老人の名か。焦りと慌てが混じった声音は、闖入者である貴方達の存在に彼が気づいたのが、つい今し方である事を示していた。

 対し、老人は振り返らずに杖を軽く掲げ、

「構うなよ。どうせ“実験”が終わるまで僕は暇なのだから、手が空いている人間が相手をするのが適任だろう。それよりラバナ、気を散らすなよ? まだ“実験”は終わっていない。術技を綻びさせたら、お前、故郷帰しでは済まないよ」

「……は」

 短く、引きつるような声と共に、また虚空へ印を切る作業へと戻っていく。シバリスと呼ばれた老人がそれを見届けて小さく鼻を鳴らす間に、貴方は乱れていた体勢を立て直す。

「済まないな少年。僕の部下が無粋な真似をした」

 無粋どころか、有り難いの一言に尽きた。しかし、わざわざそれを口に出す気もなく、貴方は無言で武器を構える。

 そんな貴方の態度に対して、老人は気分を害した風も無く、改めてくるりと杖を回すと、

「では、改めて始めるとしよう。――せめてこの“実験”が終わるまでは、僕を楽しませてくれよ、少年?」



battle
等しくある者


 貴方の放った一撃が、シバリスが持つ杖を巻き取り、上空へと弾き飛ばした。

 続けて、空いた老人の懐目掛けて更なる一撃は、回避能わずの距離と速度だ。シバリスが纏っていた外套を鋭く切り裂いて、その奥にある肉体に食らいつく。

「ほうほうほう。なかなかだ。なかなかやるものだね」

 確実に、老人の身を抉った。

 その感触は確かにあるのに、しかし結果が伴っていない。裂いたはずの外套は、一瞬きの後には既に元の姿を取り戻しており、外套によって遮られた奥、こちらの攻撃で穿たれた筈の肉体は、先刻までと全く変わらぬ動きを見せる。

「どうしたね、少年。戸惑いがあるぞ」

 ――それは当たり前だろう。確かに、手応えはあったというのに。

 鋭い勢いで返された蹴り足の先端を貴方は仰け反って躱し、身を返して着地しながら呻くように呟く。

 と、どうやらその声は老人の耳に届いたらしい。意外そうに片眉を揺らし、

「何をいってるのかね。規定たる理粒子で生まれた肉と同化し、不定たる理粒子にて存在する僕達だ。たかだか一つの理にのみ沿った力など、無きこととするのは造作でもないよ。――それよりも」

 老人は無手となった右腕を軽く振るう。今度はその動きに合わせて、靄が蠢き、一拍置いて破砕の連続が貴方目掛けて飛んだ。

 アエルを使った術技による攻撃だ。純粋な破壊力への変換は、速く、広く、しかし薄い。

 防御にて耐える、という選択肢が浮かぶが、しかし貴方はその考えを直ぐに破棄し、強引な動きで回避を試みる。

「――っ、は」

 体勢が崩れる事も厭わず大きく距離を取り、寸でのところで攻撃範囲から脱した貴方は、詰めていた息を大きく吐き出し、

「興味深いな、少年。“同化者”でありながら、何故術技を使わない? 今の攻撃など、術技を使えば防ぐのも容易い筈だが」

 怪訝、と老人は首を傾げ、

「己の管理下にアエルが存在していない、という風でもないようだがね。余程慎重な質なのかな。それとも、一撃に全てを注ぎ込む為に温存しているのかな。そうであるなら、期待が持てるが」

『単純に、使いこなせてないだけなんですけどね……』

 声を伴わないクーリアの言葉に、貴方は内心苦笑しつつ頷く。

 だが、シバリスにそう思わせておくのは有益だ。奥の手があると、こちらを警戒させることで、相手の動きをある程度制限できる。

(とはいえ、ここからどうすればいいか……)

 先刻シバリスを切り裂いた攻撃は、貴方の中でも会心とも言える一撃だった。

 だというのに、“同化者”たる老人は、その攻撃により負った筈の傷を、あっさりと無効にしてみせた。

 勿論、実際に無効化されているのかまでは判らない。だが、表面上、態度の上では、ほぼ完全に無効化されていて、それはこちらの攻め気を挫くには十分過ぎた。少なくとも、ただ普通に攻撃をするだけでは駄目なのだと、そう判断せざるを得ない結果だった。

 つまり、今の自分には、老人を倒す決め手がないのだ。

 ならば、早い内に達成目標を変えねばならない。障害となっているシバリスを倒し、術技の陣の効果を調べ、危険ならば破壊し、集められたアエルをどうにか処理する。理想の最善手はこうだが、最初の段階が達成不可能であるならば、達成目標を妥協するか、行動の優先順位を変更するしかない。

 シバリスを倒す事を諦め、どうにか動きを封じるか、この場から引き離すかして、術技の陣に対して干渉できるような余裕を作る。

(……無理だな)

 動きを封じられるならそもそも勝てる。場所の移動は可能な気もするが、それにはこちらが囮になる必要があり、術技陣に対する干渉は何も知らないリヴィエラ達に丸投げする形になる。解析ではなく、単なる陣の破壊ならば彼女等にも出来るだろうが、しかし陣の三方にはシバリスの部下らしき者達が残ったままだ。彼等の力量が読めない状況で、リヴィエラ達を置いていって大丈夫なのか。もし大丈夫だったとしても、陣を破壊すれば、この場に集められ続けたアエルが術技による制御を離れる事になる。そうなれば、高い確率でこの場に“異象”が顕現する事になるだろう。その対処までもリヴィエラ達に任せるのは流石に限界がある。

 色々と、難しい。

 一体どうするのが最適なのか。

 一歩、二歩と立ち位置を変えつつ、シバリスの攻撃を警戒しながら高速で思考を巡らす貴方の耳に、小さく、嘆息する音が聞こえた。

「ふぅむふぅむ。無理に賭けず、機を窺うその姿勢は結構だがね。しかし、少年。君は忘れていないかい?」

 くるりと、老人が己が身を反転させて、気障な仕草で両の掌を上に挙げてみせる。それは戦闘態勢の解除とも言える仕草だ。突然の動きに虚を突かれて貴方は固まり、

「なにせ僕は、“実験”が終わるまで、少年。君の相手をしているだけな訳だし。だから、君もね。そんな悠長に様子を窺っている暇はないと思うんだ。少年の目的が、僕と遊ぶ事であるなら話は別だが、違うのだろう?」

「――――」

 言葉に押されるように、踏み込む。

 しかしその一歩が契機であったかのように、周囲のアエルを吸い込む力が一段と力を増した。

 まるで暴風の如く闘技場の中を吹き荒れて、一点、術技の陣の中央に浮かぶ奇妙な像へと集まっていく。

 アエルの流れは、本来姿無く形持たぬ流れだ。しかしそれを感じる事が出来る貴方にとっては、確かにそこにあるもの。激しい勢いを感じた貴方は、それ以上歩を進める事が出来ずに、その場で踏鞴を踏む形となった。

「【NAME】さんっ!」

 後方、シバリスと貴方の戦闘には巻き込まれない位置にまで下がっていたリヴィエラが、こちらの名を呼ぶのが聞こえた。

「“光”が、あの像を覆い尽くして、真っ白に――!」

 暗示を受けた今のリヴィエラにとって、見える物は全て光量を落としており、アエルの流れは“光”として捉えられていない筈だった。

 そんな彼女でもまだ“光”として視える程に、陣の中央に浮かぶ像の周りには、多量のアエルが集中し、凝縮し始めていた。


「ふむ。どうもどうやら、時間のようだよ」


 シバリスが貴方から視線を切り、背後、空中に浮かぶ像へと振り返る。

 それは“誘い”ですらない、明確な隙だった。今、シバリスの背中から斬り掛かれば、恐らくは確定の一撃を加えられるだろう。

 しかし、貴方は動けない。シバリスが見上げる先。高密度のアエルに包み込まれた像に生じた異変に、意識が釘付けとなっていた。

 生じ始めていた現象。それ自体は、貴方にも見覚えがあるものだった。

 それは、“異象”顕現の現場だ。

 現世界に存在するものを“核”とし、こちらの世界の存在を喰らいながら置換し、周囲に未顕現アエルがある限り入れ替わっていく。

 だが、

『……どういう事? “核”自体が、変形してる……?』

 本来ならば、“核”を中心に周囲の存在へ広がっていく筈が、変化が“核”そのものに対して生じ、その外へと波及していかずに内側にて完結していた。

 それは不気味な光景だった。顕現した筈のアエルが、他存在への置換を発生させず、ただ“核”となった像という存在部分に対して積み重なっていく。存在の上に、存在が重なる。まるで濃い色の染料に、更なる濃色の染料が重ね塗られていくような。最初は人の二の腕程度の大きさだった筈の像には、光を通さぬ無色不透明の影が幾重にも重なり、粘りすら帯びた暗色の塊となって、大きさにして数メートルに至る程に巨大化し、停止した。

 気づけば、アエルの吸い込みは収まっていた。地面に描かれた陣の明滅も止まり、三方にて印と詠唱を続けていた三人は、力尽きたようにその場に座り込んでいる。

 この光景が示す事実は簡単だ。

 彼等が行っていた“実験”が、終わったのだ。

 そして、その成果が、原型となった像の輪郭を残しつつ、空中にて不気味に蟠る暗色の巨影なのだろう。

 シバリスはそれを暫く見上げて、

「す」

 小さく、そう溢した後、

「すすす、すばらしぃっ!! 素晴らしいな、いや、素晴らしいっ! “実験”の第一段階は、完全に成功ではないかねこれは!!」

 絶叫。ぱんぱんと両手を叩きながら、正に歓喜に満ちた声を上げた。

 いきなりの態度に、貴方は先刻までの緊張感溢れる命の遣り取りを忘れ、呆然と老人を見る。

 そんな貴方の視線を全く気にせず、シバリスは喜色満面で小躍りするようなステップを踏みつつ巨影の下方へと回り込むと、身を仰け反らせるように大笑した。

 ――先刻までと、完全に別人になっていないか?

 貴方は疑問で首を捻る。

 最初から何処か奇矯な振る舞いをしていた老人ではあったが、今見せている姿は、それとは質が異なっているように見える。先程までの態度は何処かしら芝居がかったところがあったのに対し、今見せているのは熱狂にも近い、芝居気など微塵のない態度だ。

 まさか、被同化対象か、同化者のどちらかの人格が完全に分離した形で表に出てきているのか、と訝るが、

『いや、同一人物ですよこれ。というか、術技の構成痕見た感じですと、貴方と違って被同化対象と完全に同化するようなタイプではなくて、二存在が半同化して一つの身体を共有するような構成みたいで。人格という部分に限って言えば、最初から片方しか表に出てきてませんね』

 へえ、と一瞬思い、いや、そこはどうでもいいと突っ込む。

 今優先的に把握すべきはそこではない。重要なのは、あの空中に生まれた巨影の正体だ。

『……あ~、そうでした、あまりの事につい現実逃避を……』

 そんな反省の思念と共に、クーリアからは問いが届く。貴方はあれをどう見るのか? と。

 あまりこういった異常に対応する知識を持ち合わせていない。そんな自覚があった貴方は、だからただ、その影から受ける印象だけを答えた。

 浮かんでいた像に影を纏わせ、そのまま巨大化したかのような姿を持つ奇怪な何か。そこから漂う気配は、貴方には覚えがあるものだ。

 しかし、それとは全くの一致はしていない。

 貴方が知るこの気配は、もっと無秩序で、荒々しく、外へと広がり、そして留まりなく消えていく。そんな類のものだった。

 だが、今、光と力を失った陣の中央で浮かぶあの影は、境界を維持し、己の形を律し、内へと抑え込み、そして依り代を芯に蟠る。そんな印象だった。実際、影は未だに空中に浮かんだまま、なんら変化も起こさず、ただ巨大になった像の輪郭を揺らめかせているだけだ。

 それをそのままクーリアに伝えると、感心半分呆れ半分のような感情が返り、

『貴方は、知識はありませんがこういった事に関する勘は本当に鋭いですね。貴方の見解については、そう間違ったものではないと私も考えてます。“私”の感知で観測し、分析した限りの話となりますが、あれは恐らく……でも、まさか本当に……』

 そこまで言葉が届いて、続くクーリアの思念が迷うように揺れて途切れる。代わりに、耳には絶頂極まる声が飛び込んできた。

「かはははっ! か、ごほっ、ごほほっ。……っあー、こればかりは流石僕と言わざるを得ないなっ! 天才などという月並みな言葉では片付けられん才能だよ、何せ――」

 そこでシバリスは、一瞬貴方のほうへと振り返り

「――人工的、擬似的な“異象”を顕現させ、且つ、制御する事に成功した訳だからな!」

『う』

 そ、と続ける声が、頭の中に掠れて聞こえた。

 あの男、今何と言ったか。

 人工的な“異象”を作り出し、制御する?

 そんな事、可能なのか?

『……可能、なのでしょうね。実物がこうして、目の前にある訳ですから。貴方だって、判るでしょう? あれが、そうなんだって』

 どうだろうか。

 自問して、答えは直ぐに出た。巨大な影に対して自分が得たイメージ。それが、老人の発言と矛盾無く合致してしまう。

 自分が感じた、覚えのある気配。それはつまり、“異象”顕現時に“核”から湧き出してくる、周囲を白と黒の空間に塗り尽くしていくあの気配だ。

 しかし、細かいところで違った。“異象”が自然現象特有の暴力的かつ刹那的に力を撒き散らしていたのに対し、今眼前に浮かぶ巨大な影は、“核”となったであろう存在――恐らくは宙に浮かんでいた像――の輪郭を明確に保ち、その内側に本来周囲に撒き散らす筈の力を抑え込んで、己の形を維持し留まっていた。

 成る程。あれが“人の手により生み出され、制御された異象”であるのなら、近い気配ながらも別物。ある意味“大人しい”理由も理解出来た。

 そして、ここへ来るまでに感じていた疑問が連なるように氷解する。

 アサーンの都へとアエルが急速かつ長時間吸い集められ、それでいて“異象”顕現や置換現象発生の気配が全く無かったのは、全て、先刻まで刃を交わしていた老人――自分と同じ“同化者”が行っていた、“実験”によるものなのだと。

「全く、全く全く! ここに辿り着くまでに、一体幾度の術技陣と材料、僕の秘蔵の像を消費した事か! けれども遂に、目標への第一歩を踏み出すことに成功した訳だっ! そうだね、これを僕は擬似にて異なる象徴――“擬象”とでも名付けようかっ!」

 未だ喜びの声を上げながら踊り続ける老人。そんな彼を、貴方は驚きと、そして僅かな感心を持って見る。

 が、

「――だが。だがだが、だがしかし、だっ!」

 貴方の視界の中心で、シバリスは叫びながら、だんだん、と地面を踏みしめる。

 先刻までの会話や、戦闘時に見せていた余裕ある態度が嘘のような、まるで子供の如き大騒ぎぶりである。貴方の視線に篭もっていた一握りの感心の情が一気に萎え枯れていくのを感じたが、勿論、そんな貴方の心情など、興奮しているシバリスに届こう筈もない。老人は唸るような声を上げながら、下方から角度や視点を幾度も変えて、空中の巨影を矯めつ眇めつし、そしてまた叫ぶ。

「っ、あー! 惜しい、惜しいなっ! 第一段階は兎も角、その後がいかんな。これでは維持も、制御も、抑制も、長くは持つまい。机上設計では自分なりに突き詰めたつもりが、やはり実際やってみると違うな! 結果を見てこそ判る欠陥というのが案外と多いよ? これ、境界形成と逆転構造の比率を偏らせすぎたんじゃないかね? おい、メリシェン!!」

 三角の端に居た一人、給仕服を着込んだ小柄な少女に向けて、シバリスは声を飛ばした。しかし、

「…………」

 その人物は石畳の上に大の字になって倒れたまま、微動だにしない。どうやら完全に気を失っているようだ。

 シバリスは反応の無い彼女を苛立たしげに一瞬見やり、

「メリシェン! メリシェン、目を覚ませよ! っ、この程度の術技で動けなくなるなんて笑い話にもならんぞ役立たずが! ――なら、ラバナでもヴィータでもいい! ちょっとこっちこい!」

「……は」

「む……」

 他方、二角の先端でへばっていた二人がのろのろと起き上がり、頼りなげな声を寄越す。一人は、先程老人の名を呼んでいた浅黒い肌色の青年。もう一人は波打つ赤の長髪を持つ女だ。彼等は気を失ってはいないようだが、全身から漂う疲労感は尋常ではない。青年は悄々と、女は気怠げに歩き出す。ラバナという名は、先刻老人が青年を呼んだときに聞いた覚えがあった。ならば女の方がヴィータという名なのだろう。

「……如何な用でしょうか、シバリス」

「人使いが荒い……」

 苦労した様子で傍までやってきた二人にシバリスは一目も寄越さず、忙しない動きで様々な角度から宙に浮かぶ巨影を見比べながら、ただ声だけを投げる。

「おい。おいどうだね? お前達からはどう見える? ん、んー? 後11程、逆転構造側の比率下げた方がいいとは思わないかね? 後、ケツにある不定理粒子の再帰円環導線に幾つか出てる綻び。これ、二式前のに替えた方が効率的と思うかい? それとも一式前の奴の方がいいかい? ん? どうかい? ん?」

 対し、シバリスの部下らしい二人は一度顔を見合わせてから、

「シバリスの仰る通り」

「知らんですよそんなの」

「お前等は本当に役に立たんなっ!」

 またも足を踏みならして憤慨を露わにする老人。もう彼の頭の中にはこちらの存在など微塵も残っていない気がする。

 ――ならば、今なら不意打ちにも近い形で攻撃を加えられるかもしれない。

 一瞬、そんな考えが頭に浮かぶが、老人の傍に寄ってきた二人の内の片方が、シバリス相手に畏まりながらも油断無くこちらへ視線を走らせている事に気づいて、その考えを打ち消す。

 相手は、浅黒い肌の男。ラバナだ。彼等が疲労しているらしいのは確かだが、ラバナの挙措には複数の戦闘系役割――戦種を修めた者特有の、攻撃の機を窺わせない独特の気配がある。腕前はかなりのものの筈だ。彼我の距離を考えれば、こちらが一撃を入れる前に、ラバナから何らかの妨害が入るのは確実。不意を打てないのであれば、状況、戦力比は、むしろ先程までより悪化していると言って良い。

 結局、貴方は動く事も出来ず、身構えたまま状況を見守るしか出来ない。

 これは愚手だと判ってはいた。先刻の戦闘でも押し切れなかったというのに、そこから更に相手側の戦力が増えたのだ。こうなっては勝ちの目は薄く、現状維持が導く結果は敗北しかない。攻めるのは厳しく、現状維持は終わりの先延ばし。となれば、最悪の結末から逃れるには、今すぐここから撤退する以外の手はないが、しかし。

「…………」

 あの不気味極まりない巨影。“異象”に近しい気配を持つ未知の存在を前に、逃げ出して良いのか。

 人も訪れぬ廃都の奥でこのような怪しげな“実験”を行っていた輩。自分と同じ他概念世界から来た“同化者”たる彼等に、背を向けてしまって良いのか。

 正義感とも義務感とも言えない。敢えて言えば意地か。薄く、しかし粘るような執着の念が根を張り、自明の判断を鈍らせる。

 このまま、シバリスが巨影への好奇心を一通り満たすまで動けず、そして二人、ないしは三人の加勢を得たシバリスとの再戦を迎える。数秒、もしくは数分後に訪れる未来を予測しながらも、貴方は武器を構え直した姿勢から前へも後ろへも進むことが出来ずにいた。

 しかし、そんな貴方の予想は、

「よし、よし、よーしっ。良案が浮かんできたぞーっ!」

 一通り巨影の検分を終えたらしいシバリスの叫びによって、あっさりと裏切られる事になる。

 彼は巨影を見上げた姿勢で大きくうんうんと二度頷くと、背後に控えた部下二人へと振り返り、

「と言う訳でだ、僕は屋敷に戻る。後は任せたぞ!」

 あっさりと、そんな台詞を告げる声を聞いた。

 気勢が削がれる。がくんと片側の肩が下がる感覚。意識の内側からも『え、帰るの?』と呆気に取られた言葉が響いた。

 一瞬クーリアと二人、聞き間違えたかとも疑うが、続くシバリスの言葉がその疑惑をあっさりと否定する。

「今回の結果を元に、急ぎ急ぎ、新たな術技の設計に戻らねばな! 何せ僕は忘れっぽいからね。この思いつきを忘れぬうちに、早々形にせんといかんのよ」

 どうやら、本気で帰るつもりらしい。それも急ぎで。

 だが、帰るとするなら、一体どうする気なのだ。この、未だに宙空に浮かんだままの、彼が“擬象”と呼んだ巨影を。

「ですがシバリス、この成果はどうされるので?」

 貴方の心中に浮かんだ疑問は、シバリスの部下達にとっても疑問に思うところであったらしい。問うた青年に、シバリスは先刻とは一転した醒めた視線で未だ浮かび続ける巨大な影を見上げ、

「成功ではあるが、間違いなく失敗作でもある。後始末に関わっている暇は僕にはない。お前達で好きに使うといいよ」

「……いや、使うと言われましても」

 女が心底嫌そうに顔を顰めて一歩引き、逆に青年は一歩前へと踏み出す。

「シバリス。戻られるならば、私も貴方に付き添います」

 その発言に、シバリスは若干困ったように彼を見やり、

「うーん? それならば、お前は僕の指示をどうこなすつもりかい? まさか無視するつもりでもあるまいよ?」

 対し、ラバナは神妙な顔つきで一つ頷くと、視線を横へ移して、

「ヴィータ。お前とメリシェンだけでどうにかできるな?」

「ぁあ?」

 ヴィータと呼ばれた女は、先刻までの気怠げな、どこかどうでも良さげな表情から、下から上へ、鬼面の如き形相でラバナを睨み上げる。

「テメェ、こいつの処理あたしらに投げて逃げる気か? ん?」

 胸元を拳の甲で数度叩かれるが、ラバナは焦りもたじろぎもなくヴィータを見返し、

「しかし、シバリスの護衛は必要だ。――今日のような事が起こりうると判った今ではな」

 そう言ったほんの一瞬、ラバナが鋭く貴方を睨んだ。殆ど気が抜けた状態で彼等の遣り取りを傍観していた貴方は、突然の殺気にびくりと身を緊張させたが、ラバナがあっさりこちらへの視線を切ると、その気配は直ぐさま消え失せた。

 ヴィータの方は、そんなラバナの瞬間の行動など全く気づかなかったらしい。もしくは、全く気にしていないのか。貴方のほうを見る事も無く、ただ自分の威嚇がラバナに通用しないと悟って身を引いた。

「純粋な武で語るならば、私がもっとも適任だろう。何か異論があるならば聞くが?」

「…………」

 ただ、折れたという訳ではないようで、彼女は不機嫌な面で考え込むように長い髪をうねうねと手で弄び始めた。

 ラバナは答えを待ち、ヴィータは何事かを考える。そうして生じた僅かな間の後。

「あ、そーだ。これでいいじゃん?」

 ぽん、と手を打つと、

「あたしとラバナがシバリスの護衛で一緒に帰る。で、こいつの後処理はメリシェンに任せる。これでいいんじゃん? メリシェンの奴なら、こういうの、喜んで使うでしょ。それにあいつ、未だにぶっ倒れたまんまだし、ホント、なっさけないったら。お仕置きの罰には丁度良いわ」

 けらけら笑う女を、ラバナは暫く気難しげな顔つきで眺めていたが、溜め息一つで表情を改める。

「あれこれと駄々をこねられるよりは良い、か。……確かに、私達の中で術技に長けたメリシェンならば、第二段階――制御に失したコレも、“彼女らしく”使ってみせるだろう」

「なら決まり。じゃ、起こしてくるわ」

 足取り軽く、ヴィータが未だ術技の陣の一端で倒れている少女の方へと向かう。

「……お前達の間での割り振りはどうでもいいがね、処理だけはきちんとしておくんだよ。ここを失うのは、まだ少し惜しいからね」

 そんな遣り取りを見て、部下達の間で話はついたと結論付けたらしい。シバリスは二人にそう告げてから、数歩、調子を合わせるように前へと踏み出した。

「シバリス、お待ちを!」

 ラバナが慌てたように叫ぶが、しかし老人は止まらない。

 そして、彼は状況の変化についていけていない貴方のほうを一瞬見て、

「――ではな、少年達。偶然が僕達を引き寄せるならば、また何れ、何処かで会う事もあろうだろう」

 言葉を合図に一歩、更に大きく踏み出し、靄を纏って踏み切る。

 その瞬間、老人の身体が天高く跳ねた。

『うわ』

 内心のクーリアと、驚きの声が同調する。離れた場所でこちらを見ていたリヴィエラ達からも声が漏れたのが聞こえた。

 恐らくは、術技を併用した跳躍だったのだろう。老人の身体が、まるで弩から放たれた矢のように空を貫く勢いで飛び上がる。その速度は目で追うのも難しい程で、慌てて飛ぶ老人の姿を捉えようと視線を空へと転じるも、既に指先ほどの大きさとなったシバリスが、闘技場をあっさりと飛び越えてその向こうへと消える背中を、ほんの一瞬確認出来た程度だった。

「シバリス!!」

 続けて、声と共にまたもアエルが力に変換される気配を感じ、貴方は視線をそちらへと向ける。

 声の主であるラバナ、その周囲に薄い薄い靄が集い、彼の両足に燻るように揺れるのが見えた。

 ――まさか、こいつも、と。

 貴方の考えを是とするように、ラバナが地を蹴った瞬間、彼の足元から強烈な飛沫――利用されたアエルの残滓が散り、青年の身体が先刻の老人もかくやという勢いで宙へと走った。

 そして、更には、

「ぉいい! ちょっとあたし置いてくなってのっ! ――メリシェン、後頼んだからね! ちゃんと指示した通り、“残らず始末”、やっとくんだよ!」

 そう、後方へと叫びつつ、癖髪を揺らしながらばたばたとヴィータが走り込んできて、彼女も前の二人と同様、足元に纏わせた靄を爆発させて、空へと舞う。

 三人、次々と人外の跳躍でもって闘技場の外へと飛び出していく様子を、貴方はただただ呆然と、驚く以外に何の反応も取れずに見送るしか出来なかった。

 そうして、闘技場の広場には未だ身構えたまま固まった貴方と、遠くでぽかんと空を見上げたままのリヴィエラ達が残された。

『……あの』

 響いた声に、ようやく身体の硬直が解けた。貴方は空へ向けられたまま固まっていた顔の向きを元に戻し、大きく息を吐いて肩を落とす。

『……“同化者”、何処か行っちゃいましたね』

 うん、と貴方は素朴に頷く。頷く以外に、上手い反応が思いつかなかった。

『……あれ、恐らく他“派閥”の人間か、もしかしたら“王格”についての情報も持っているかもしれませんし、出来れば捕まえた方が良いんですけれど……』

 クーリアの言いたいことは判る。

 判るが、しかし無理だと、そう言わざるを得ない。

 既にシバリスの姿も、彼に部下呼ばわりされていた給仕服の二人の姿も、影も形も無いのだ。

 術技によるものは当然だろうが、それに加えて技法術式によるものか、はたまた素の身体能力なのか。驚愕の大跳躍により、十メートルは優に超えるヴォルガンディア闘技場の観客席を一飛びで越えていった彼等の後を追うのは、普通の人の身であるところの自分には厳しい任務だ。今から全力で闘技場の外へと走っていっても、シバリス達の背中を見つけることは難しいだろう。

『普通の人の身って、一応、貴方も“同化者”な筈なんですけれどね……』

 そう言われると辛いところだが、今更どうこう言ったところでどうなるものでもない。第一、シバリス達に追いつけたとして、今の自分に、あの老人を倒せるとは思えなかった。

 むしろ、彼が“実験”に乱入してきた自分達に強い害意を持たず、さっさと立ち去ってくれたのは僥倖だったと言えるだろう。もし、彼がこちらに対して何らかの怒りを覚えていたのなら、先刻自分が想像していた通り、シバリスに加えてあの給仕服の二人を加えた再戦となっていた筈で、そうなっていればこちらに勝ち目はまず無かっただろう。

 貴方の冷静な分析に、クーリアからは『そう言われると、全くもってその通りではあるんですが』と残念とも無念ともつかない思念が届き、

『……では、意識を切り替えて、あの“同化者”については忘れて、目の前にあるモノに対して興味を向けるとしましょう。――まだ、終わってはいませんからね』

 そうだ。ここで“実験”を繰り広げていたシバリスは去ったが、その結果と、そして彼の部下が一人、まだこの場に残っているのだ。

 視線を、闘技場の中心。石畳に描かれた術技の陣の中心へと向ける。

 先刻まで老人と、二人の男女が居た場所には、今は一人。

 これも黒色の給仕服に身を包んだ、小柄な少女が立っていた。

「…………」

 シバリス達からは、メリシェンと。そう呼ばれていた少女だ。

 その立ち姿は、何処か茫洋としたものだ。ゆらりと、空気の流れに身を任せるような頼りなげにも思える姿。腰にも届きそうな長い髪は、浅く二本に分けられて背中に流れて、身体の動きに併せて緩やかに左右へ揺れている。顔はこちらではなく、彼女の真上、宙に蟠る巨影に向けられたまま、そこだけはまるで固定されたように動かない。手や腰、背中には武器らしきものを携えている様子は無く、ラバナのように熟練の戦士じみた気配などはない、単なる普通の少女に見えた。

 見えたが、

『普通――な訳ないですよね。さっきだって、“同化者”は当然としても、そのお付きらしい二人まで、拙いながらも術技を使っていたくらいですし』

 そういえば、あの二人や、ここに残った少女は、老人と同じ“同化者”では無いのだろうか。

『それは、貴方の感性通りの筈です。勿論、何らかの手段で徹底的に隠蔽している可能性もありますが』

 クーリアの答えに、貴方は正面の少女をじっと見据える。

 杖を携えた奇矯な振る舞いの老人――シバリスが“同化者”であるのは、直ぐに判った。自分の同類だと、半ば直感に近い感覚で。

 しかし、目の前の少女。そしてラバナとヴィータという二人の部下からは、そういった感覚は全く無い。実際、彼女等からは、老人のように一つの身体にもう一つ別の存在概念が重なっているようなイメージは全く見出せなかった。

 その事から、少なくとも彼女等は、自分や老人と同じ“同化者”ではないように思えたのだが、しかし、ラバナとヴィータの二人は、この世にとって異端の因子であるところの不定理粒子を扱う技――術技を使って見せた。

 ならば、彼女等は何者なのか。

『予想するなら、この世界に生きて、けれどもアエルに対して何らかの適性を持つ人物。……つまり、彼女の同類、と言ったところではないでしょうか?』

 そんな言葉と共に、クーリアが横方向へと注意を促す感覚が届く。

 メリシェンからは、まだ危険を感じない。貴方はクーリアの促しに従って横へと向くと、

「【NAME】さんっ!」

 と、名を呼ぶ声と共に、神官衣を翻してリヴィエラが傍へと走ってくるのが見えた。

 彼女の後方からは、リヴィエラの付き添いである二人が、ちょくちょくと視線を闘技場の中央へと送りながらついてくる。先刻まで貴方と戦いを繰り広げていた老人と、その連れ二人がこの場から立ち去ったことで、リヴィエラ達は取り敢えずの窮地は脱し、もう自分達が傍に近寄っても大丈夫だと判断したのだろう。

「【NAME】さん、怪我、ありませんか?」

 恐る恐ると伸ばされる手。その対応に困り、貴方は苦笑と共に大丈夫と返す。このペースに乗せられると、完全に気が緩んでしまいそうだ。

「……で、結局どうなったんだよこれ。俺等、結構離れてたからいまいち状況が掴めてねーんだが」

「あの化け物じみたご年配は、お帰りになったって事でいいんスか?」

 お帰りなったと、そう考えていいとは思うのだが、しかしまだ完全に安心できる状況でもないのだ。リヴィエラ達にしても、実際はまだ離れていた方が良いかもしれない。

「あそこに浮かんでる、でっけーのか……。ってかあれ何なんだよ実際のところよ。あれが、お前の言ってた“異象”って事でいいのか?」

「それも気になるッスけど、あの滅茶苦茶かわいい女の子は何なんッス? 自分、結構好みなんッスけど」

 何、と訊ねられても、答えられる言葉が貴方には一つも無かった。

 ただ判るのは、あの巨影をこのまま放置していく訳にはいかない事。

 そして、残った少女が、先刻の老人達から何らかの指示を受けて、“後処理”としてこの場に残っている事。

 その処理とやらが、“擬象”と呼ばれたあの巨影の話に限った話であるのなら、それは結構な事だ。その成り行きをここで見守り、問題が生じるようならばこちらで干渉すれば良い。単なる“異象”であり、未顕現のアエルの塊であるのなら、争奪という意味で割り込む意味も出てくるが、ああいう自分達にとって未知の形として顕現してしまっているなら話は別だ。下手にこちらが手を出すより、勝手を知る筈の老人の部下であるメリシェンに任せた方が、安全に状況を処理できるだろう。アエルを確保する利よりも、問題の無い解決を優先したかった。

 が、しかし。

 ヴィータと呼ばれていた女が、最後に投げかけていった言葉がどうにも気に掛かった。

 彼女は確か、少女に対してこう言っていなかったか。


 ――残らず始末をやっておけ、と。


「…………」

 まるで、貴方の思考を読んでいたかのように。

 少女の顔が、上空の巨影から下がり、貴方達の方へと向けられた。





──戯れではなく──


 色は榛。まるで木の実のように丸く大きな少女の瞳が、貴方の瞳へ焦点を結ぶ。

 薄く、色付きの淡い唇が細く開かれて、

「あなたたち、誰?」

 誰。

 誰、と来たか。

 ならば逆に、こちらがお前は誰か、何者かと。そう訊ねる隙が生じたと言える。

 これは意外に、先刻の老人達よりも会話が成立する可能性があるのか、と。そう考えた貴方であったが。

「うん、誰でもいいよね。知らなくても、どうでもいいもん」

 そんな自己完結で、あっさりと梯子を外された。

 思わぬ展開に目を瞬かせる貴方だったが、少女は全く意に介した様子もなく。

「だってあなたたち、わたしの後片付けの兎さん役でしょ? わたしのお仕置きを手伝ってくれるだけで十分だもん。誰かなんて、どうでもいいわ」

 そして鈴を転がすように、少女は笑う。目を極限まで細めて小さく身を震わせる姿は、気まぐれで残虐な子猫の姿を連想させた。

「おうふ。何あれ天使ッスね。お持ち帰りしたいッス」

「お前は本当に歳上も歳下も幅が広くて節操がねーな……」

 隣、気味の悪い声を漏らしたシモンズに、マヒトは心底呆れた風に首を振り、気を取り直して顔を上げると、

「――おい! そこのガキ、てめぇ一体何する気だっ! っつか、上のそれあぶねぇだろ、取り敢えずそっから離れろよっ!」

 マヒトの叫びに対して、メリシェンは笑いを止めて、きょとんと目を瞬かせる。

「何する気? 離れる?」

 鸚鵡返しにそう呟いて、小さく首を傾げてみせる。思ったよりも、こちらの言葉に対しての反応が良い。

 反応は良いが、しかし。

「追いかけっこなのよ? わたしが離れたら、だれが狼さんの目になるの?」

 満面の笑顔と共に返ってきた答えの意味が、全くもって判らない。

 だが、マヒトの方は何やら納得顔で頷き、

「おおうふ、何あれマジ天」

「良いから黙ってろお前。……で、【NAME】。どうすんだあれ」

 でれでれと気味悪く笑うシモンズをぶん殴ってから、マヒトは短く訊ねてくる。

 ――どう、と言われても。

 貴方は戸惑うように、少女とマヒトを交互に見る。そんな貴方の曖昧な態度を、マヒトは辛辣な表情で睨みつけてくる。

「何日和った態度見せてんだ馬鹿かお前」

 ばっさりと切って捨て、更に言葉を続けた。

「完全に敵で、完全にやる気じゃねーかあの態度。俺の判断じゃ、今から全力でガキの傍まで走ってって、おもっくそ槍で突き殺すのが最善だ。やべーぞあのガキ、ありゃ瘋癲の目だ。シモンズがぞっこんな辺り、確実だぞ」

「――――」

 思わぬ意見に、貴方は大きく目を見開いて、

(……いや)

 思わぬ意見、ではなく、自分が無意識に目を逸らしていた意見であった事に気づく。

 外見上は、年端もいかぬ、非武装の少女に対して、危害を加える。

 人道的には是と到底言い難い行為だ。一般的な環境においてならば、無意識に排除してしまっていてもそう責められるものではない選択肢だ。

 だが、今この場、この状況において――その安易な排除は、致命的な事態に繋がりはしないか。

「それじゃ、ヴィーお姉ちゃんに言われたし、後始末、始めまーす」

 少女が手を上へと伸ばし、目に見えぬ何かを掴むように、指先を鈎のように曲げた。

 瞬間、びくり、と。

 上空に浮かぶ巨影が、全身を震わせる。

 その間に、メリシェンは少し表情を困った風に変えて、

「……んー、もう崩れかけてる。こんなのわたし一人に任せるなんて、みんな酷いなー」

 憤慨の声音。彼女が伸ばした手指を動かす度に、空中に浮かぶ巨影の輪郭が歪んだ。

 その動きに注意を惹かれ、貴方は改めて、シバリスが“擬象”と呼んだそれを見据える。

 “擬象”は、暗色の塊によって形作られた巨人の姿を取っていた。身を丸め、両の足を折り曲げて、腕でそれを抱え込んだ姿は、“擬象”の中心に存在しているであろう像の形そのままである。

 貴方がこれまで遭遇した“異象”は、“核”となった存在の内側にアエルを溜め込み、原型となった姿は維持しつつ、周囲のあらゆる存在を侵食するように無差別に置換を行っていた。時折、身体から影色の槍――凝縮されたアエルの塊が噴き出す事はあれ、あくまで瞬間的なものでしかなかった。そして貴方が“核”を攻撃し、その格を中途半端に壊してしまった後は、存在の内側から漏れ出したアエルが、原型となった存在を全く無視した“得体の知れない何か”となり、形を失った“核”の周囲に無形のアエルが蟠る。そんな姿へと変化した。無秩序な、視覚出来る程に濃くなったアエルの風を纏う、不透明な縁。元の“核”が何であったかにかかわらず、同じ姿へ変貌していた記憶がある。

 しかし、目の前に浮かぶあれは、そのどちらとも違う。

 敢えて言えば、二つの状態の中間、だろうか。“擬象”の“核”となっているのは、疑うまでもなく“実験”が終わる前まであの場所に浮かんでいた像だろう。“核”の内側に膨大な量のアエルを溜め込み、そして飽和させて生み出したのがあの巨影。ここまでは間違いではない筈だ。だが、アエルは“核”となった存在の外へと漏れ出していて、しかしその“核”となった存在の形を模すような姿を取っている。“核”が持っていた格は損なわれているのか、損なわれていないのか。そこの判断が付かない。それ以外のも不可解な部分は多数あり、そもそも自分は“異象”についても多くを知っている訳ではない事にも気づく。

 結局は、あれこれ考えても無駄か、と結論付ける。せいぜい判るのは、

「ちゃんと形を整えて……、新しく括りを作って動きを繋がるようにして……、後は、うん。折角兎さんも居るんだし、直ぐ終わっちゃうと面白くないよね」

 ぶつぶつと何事かを呟く少女が動かした手指に合わせ、浮かぶ“擬象”が反応して震えている。

 つまり、メリシェンにはあの“擬象”に対し何らかの干渉を行う術があるだろう、という事だけだ。

『擬似的な“異象”を造り出すだけじゃ、手間が掛かって面倒なだけの、傍迷惑な時限爆弾にしかなりませんしね。あの“同化者”が行っていた“実験”が、自分達の手で制御しうる“異象”の創造を目指した、という話であるなら、そういった用意が無い方がおかしいんでしょうけど……』

 しかし、モノがモノだ。“異象”とは、端的に言えば顕現化寸前のアエルが器一杯に詰め込まれただけの代物。結局の所は、飽和したアエルがこちら側の世界にあふれ出すための中継点でしかない。それをわざわざ制御しようとするくらいなら、“異象”という形を作り出さず、最初から集めたアエルを己の管理下に置き、術技の燃料とした方が手っ取り早く、使い勝手も良いような気もするのだが。

『そうでもありませんよ。どんなにたくさんのアエルがあっても、それ全てを同時に使いこなすには術者自身の適性と、操る術技の質と量両方が必要になりますから。アエルは、ただ管理下に置いているだけでは只の不確かな何かでしかありませんし。けど、“異象”としての形を持っているなら、それは未顕現、無形質でありながら、ある種の指向性を備えたアエルとなります。その指向性を活用できる目的と手段があるのならば、擬似的な“異象”の創造と制御は、確かに有益なものになるかと』

 指向性。

 例えば、近くにある理粒子を基に存在するもの全てと入れ替わり、成り代わろうとするような、か。

『それ以外にも、未顕現状態のアエルの塊でもある筈ですから、“異象”という在り方に沿う形でそのアエルを利用し術技を使えば、通常時よりも容易かつ強力な術技の行使が可能になると予想できます。……これだけでも、結構な利点と考えられますね』

 そうは言うが、造り出すためにあのような術技陣を敷いている時点で、手間が掛かるのは変わらないような。

 貴方が冷静に指摘すると、

『言われてみればそうですけれど……。そのあたりも含めて、まだ“実験”なのでしょうね。若しくは、私達が想像し得ない何かがまだあるのか。何より、その創造の経緯は“異象”とはかなりの違いがあります。“異象”はまず偶然の飽和により“核”が生じ、顕現してから初めて周辺アエルの吸引が発生しますが、こちらの“擬象”は先に吸引を行って十分量のアエルを用意した“核”に集め、そのアエルを利用して“異象”が如き現象を顕現させる。こうして考えると、現象単体での危険度は後者の方が低いかもしれませんね』

 そう、なのだろうか?

『恐らくは。どうやら“擬象”の方は顕現後の周辺アエルの吸引が無いようですし。事前に集めきったアエルだけで“擬象”という存在を維持する形式のようですね。だから、周辺への被害という視点で言えば、こちらのほうがマシです。ただ、集める事になるアエルの量自体は同じか“擬象”の方が多く、そして“異象”のような無差別な置換――周辺地域へのアエルの放散が無い分、高密度のアエルを維持したまま存在し続けます。なので、戦闘力という視点で言えば、あの“擬象”は、“異象”よりも上でしょうね。それに』

 加えて、と声無き声が続き、

『気をつけてください。あの女の子は――“擬象”を操ります』

 言葉が促す先。視界の正面で片の手を上げていたメリシェンが、ゆっくりとその手を引き下げる。

 それに併せて、空中で身を抱えていた巨影がゆっくりと手を解き、己が全身を開いていく。

 先刻までは数メートル程だった姿は、凡そ十メートル超に。これまで見てきた“異象”と比べ、際立って大きい訳ではない。だが、醸し出す迫力と威圧感は比べものにならぬものだ。

 人の姿にも似た四肢持つ形が、ゆっくりと少女の隣に降りる。足がまず地に着き、続いて両の手が。その手足の先端に備わる大鎌にも似た鋭角の刃が、耳障りな音を立てて石畳を噛む。高密度のアエルであることを示す濃厚な靄が、全身からたなびく無数の帯となって広がっているのが見えた。それはまるで巨人を包む鎧のようであり、巨獣を飾る鬣のようでもあった。

 眠りから目覚めていく獣。或いは、蛹から羽化していく蝶を思わせる変貌。

 あれが、“擬象”の本来の姿なのか。貴方は戦慄と共にその様子を見つめる。

「……あ、うあ」

 傍で、リヴィエラが引きつった声を上げるのが聞こえた。その表情は驚愕と怯えに満ちている。“擬象”が顕現する前の状態や、顕現後の身を竦めていた状態ですら怯え気味だったのだ。今の、覚醒状態とも戦闘状態とも言える“擬象”の前では、こういう反応になってしまうのも無理からぬ事だろう。何せ、貴方自身が身動きも出来ず、ただ見守るしか出来ない程なのだから。

「おい、【NAME】! ぼーっとしてる場合かよっ! ――ったく」

 マヒトが腰だめに槍を構えるのが見えた。普段や、貴方と戦った時に見せていたような、どこか大袈裟で悠長な態度ではなく、隙無く余分も無い最小の動作。当然ながら動きも速く、貴方が何か声を返す前にマヒトは鋭く前へと踏み込み、少女との距離を詰める。

 一人駆けてくる長身の男の気配に、“擬象”の制御に集中していた少女は、あら、ときょとんとした表情を一瞬浮かべ、

「おイタはダメよ兎さん。退屈なら、この子達と遊んでて」

 空いていた片手の指を小さく鳴らす。すると、

「?! って、何だよこれっ!!」

 “擬象”の周囲、たなびくように広がった帯から逸れた靄が、別個の溜まりとなって蟠り、濁った渦のような形状を保って停滞。マヒトは、眼前に現れたそれにメリシェンへの突進を封じられる形となり、焦りの声を上げて踏鞴を踏む。

 唐突に現れたそれにも、貴方は覚えがあった。

『“異片”ですか、あれは……』

 響くクーリアの言葉に頷く。

 “核”を損傷し格を失った“異象”から漏れ出したアエルが、周辺に存在する現象を依り代に生まれる小規模な“異象”。“異象”と対峙した時には、これの対応にも苦労したものだ。区別して呼ぶならば、“擬片”とでも呼ぶべき存在だろうか。マヒトも、突然出現した“擬片”に完全に足止めされて、メリシェンの傍に近づけていない。

 メリシェンの動きと、その後に起きた流れから察するに、“擬象”は“異片”相当の存在を任意に顕現させる事が可能なのだろう。それがメリシェンの制御下に置かれているのかどうかまでは判らないが、

『……流石に、まずいかもしれません』

 伝わるのは、鈍く、迷うような思考。クーリアの惑いは、貴方にも容易く理解出来るものだった。何故なら、貴方も同様に考えていたからだ。

 目の前に在る、アエルで形作られた巨影。それを従え操る、謎の少女。

 ここで自分がやるべき最良の行動は、巨影を砕き、少女の素性を質して、あの“同化者”たる老人の情報を得る事なのだろう。

 だが、今すぐ。今すぐに。あの巨大な影が、動き出す前に。

 やるべき事など全て投げ捨て、リヴィエラ達の襟首を引っ掴み全力でこの場から逃げ出すべきではないか。そんな考えが、頭の中から離れないのだ。

 しかし、その迷いが結論に至ることはなかった。

「はい、出来上がり」

 そんな少女の邪気の無い言葉と共に、“擬象”が一歩、巨体に似合わぬ滑らかさで足を踏み出した事で、それまでに取り得る事が出来た多くの選択が、無情に消滅したのを悟る。

 予想以上に速い。今から逃げたとて、確実に追いつかれる。

「――さあ、出番よ狼さん。兎さん達が待ってるわ」

 これから起こる出来事を想像してか、愉悦に染まったメリシェンの声が闘技場に響く。

 それを合図に、“擬象”が駆けた。

 全身よりアエルの靄を噴き出しながら、まるで命持つ獣のように荒々しく、そして巨体に似合わぬ恐ろしいまでの速度で襲いかかってくる巨大な影。

 対し、貴方に残された道は、僅かに一つ。

 迫る“擬象”を全力で迎え撃つ、戦いの道だけだった。



battle
擬格なる象徴


「あー。駄目だなこりゃあ」

 我ながら驚く程に気の抜けきった声が出たが、それも致し方なかろうとマヒトは思う。この先の事を考えると、頭が痛いどころの話ではない。

 独り言が聞こえたのだろう。傍ではらはらと闘技場の真中で繰り広げられる戦闘を見守っていたリヴィエラが、驚いたようにこちらを見る。

「……え? でも、【NAME】さん、勝ってますよ、ね?」

「リヴィエラ様! 横横、危ないッス!」

「え、あ」

 シモンズの警告に、リヴィエラが不完全な状態で止まっていた宝精召術を再開。そのまま横へ放つ。

 生み出された宝精が飛ぶ行く手には、空中に渦巻く奇妙な歪み。光輝く宝精の突撃を喰らい、歪みは影色の飛沫を撒き散らしながら燻るように消滅する。

 【NAME】がメリシェンと呼ばれていた少女操る巨大な影を相手にし、マヒト達が周辺で発生する小さな歪みの渦を処理する。この役割分担は戦闘を開始して直ぐに成立した。

 理由は単純で、マヒト達ではあの影の化け物の相手は荷が勝ちすぎたからだ。単なる亜獣であるならばもう少し話は違ってきたのだろうが、あの影は物理的な攻撃が通用しない概念のみの存在にも近い代物で、現在のマヒトやシモンズではどうしようもなかった。唯一、リヴィエラの宝精召術ならば多少通じるようではあったが、巨影の動きは素早く、戦種の特性からも前衛としては戦えない。

 結局、【NAME】が巨影と直接刃を交え、マヒト達が距離を取って小さな影――【NAME】は“擬片”と呼んでいたか――を相手にしながら、時折リヴィエラが援護の宝精を巨影に向かって飛ばす、という形に落ち着いていた。“擬片”であっても、マヒト達が扱う普通の槍や斧では効果的な攻撃を加えることは難しく、マヒトとシモンズが技法や拙い術式で牽制しながらリヴィエラが宝精召術で落とすという流れにならざるを得ず、当然、そのような状態ではリヴィエラが【NAME】の援護を出来る場面も限られてくる。実質、【NAME】は巨影と一騎打ちしていると言っていい状況ではあった。

「それで、マヒトさん」

 消し飛んだ“擬片”を安堵の吐息と共に見届けて、一拍。リヴィエラが慌てた様子で振り返る。

「駄目って、どういう事です? ほら、【NAME】さん、今だって」

 リヴィエラが前方を指差す。その先では、不気味な影色の帯を全身より立ち上らせた化け物目掛けて、【NAME】が次々と技法を放ち、化け物を圧倒していた。

 一体どうやっているのか。マヒトには全く理解出来ないが、【NAME】の一撃一撃は、マヒト達の攻撃を容易く無効化していた化け物を覆う帯を。その奥にある身体を。いとも容易く砕いていく。

 確かに、あの場面だけを見れば、【NAME】が優勢であるように見えるだろう。

 しかし、だ。

「よく見てくださいよ、御嬢。ほら、【NAME】が攻撃した所」

「…………。あ」

 気づいたのか、リヴィエラが口元を抑える。

 丁度マヒト達が見守る中、【NAME】が攻撃を仕掛け、巨影の肩の部分を大きく抉った。

 しかし、【NAME】が一撃を放ち終えて、化け物の反撃から逃れるべく後ろへと飛び退ったときにはもう、肩に与えた筈の抉れは、元の状態へと戻ってしまっていたのだ。

 つまり、与えた傷が、即座に回復されている。

「勿論、全く効いてねーって訳じゃないんでしょうが。あの化け物自体の大きさが、最初より少しばかり縮んでるように見えますしね。多分、自分の身体を形作ってる影を組み替え直して、傷を元に戻してんでしょう」

「で、でも、それならこのまま押し切れれば……」

 リヴィエラが縋るようにそう言う。

 確かに、修復しきれない程に傷を与え続ければ、【NAME】は勝てるだろう。マヒトが見立てた通り、負ったダメージを修復する度に本当に身体が小さくなっていっているなら、傷の修復にも限度があるという事。ある程度まで化け物の身体が小さくなれば、そこから一気に倒す事が出来るかもしれない。

 しかし、その望みは薄いだろう。何故なら、

「……【NAME】さんはあれ、さっきからもうずっと全力なんッスよ」

 斧を構えて背後を警戒しつつ、シモンズがマヒトの代わりに応じる言葉を作る。

「人の限界越えてるくらい、後先考えねー程に力を振り絞って戦ってるッス。だからこそ、長くは持たない。休む間もなく振ってくる攻撃を避け続けて、その上で相手に通じるレベルの攻撃を叩き込み続けて、ようやくあのでかい影が少し小さくなったか程度なんッスよ? 押し切るなんて、無理ッスよ」

「…………」

 リヴィエラは何故か裏切られたような顔でシモンズを、そしてマヒトを見る。だが、そんな顔をされても、続く言葉は変えられない。夢を見させるのは簡単だが、しかし直ぐに覚める夢に時間を浪費するほど、現状に余裕は無い。

 マヒトはがりがりと頭を掻き、口調を荒くして言葉を続ける。

「確かに、今は押してるだろうさ。けど、綱渡りな事には変わりゃしねぇ。どれだけ追い詰めても、一発、直撃を貰っちまえば終わりだ。化け物を削り切る前に、体力が尽きちまっても同じ」

 と、直ぐ傍の異変に気づいたマヒトはそこで言葉を切る。

「ふ」

 細い呼気。数歩前に出て、新たに生まれ出ようとしていた“擬片”の中心目掛けて己の槍を突き込んだ。

 術式を絡めた突きの技法だ。穂先に絡まった小さな炎が、集まり掛けていた影と干渉し合い、飛沫と火の粉を散らして消滅する。

 この程度の規模――まだ渦となり歪な形を得ていない影の状態でならば、こちらの攻撃でも対処は出来る。とはいえ、完全な物理攻撃では駄目だ。あっさり無効化され、逆に突き入れた武器が影に喰われてしまいかねない。炎を纏わせる技を使う事で、ようやくどうにか効果を与えられる。そんな相手だ。

 まだ“擬片”となる前の状態に攻撃してこの通りなのだ。【NAME】が今相手をしている化け物に対して攻撃を通そうとするなら、一体どれ程の力が必要となるのか。

 そんな一撃を、【NAME】は戦闘が始まってから延々と放ち続けているのだ。それによる消耗はかなりのものだろう。

 【NAME】とは距離があり、更にこちらに背を向けている状態だが、それでも容易に、【NAME】の身体に疲労が蓄積し続け、限界が訪れつつあるのが判る。動きが徐々に鈍くなり、上下に揺れる肩は息の荒さを示している。

 つまりは、終わりが近いのだ。

「で、でも……でもっ!」

 リヴィエラは納得できないように、意味も無い言葉を焦りの色と共に吐き出す。一体どういう理由によるものなのか、リヴィエラはどうも【NAME】に対して強い思い入れがあるらしい、奴が敗れるというこちらの予測は、どうしても信じ難いようだ。

 しかし、状況がまずいことは既に彼女も理解出来ている筈だ。今、自分達が考えるべきは、【NAME】の勝利を信じる事ではなく、【NAME】を如何にして助けるか。もしくは、【NAME】の敗北の後、如何にしてこの場から脱出するべきか、だ。

 とはいえ、助けるといっても今の自分達ではあの戦いに割り込むことも隙を作る事も難しい。折良くリヴィエラが“生命の危機”を感じ取ってくれたならば“奥の手”が使えるのだが、それが使えるようになる兆候も感じ取れない。恐らくは、【NAME】という“頼り”が居るせいで、リヴィエラの危機感が薄くなっているのだろう。それを煽るために戦闘の直中に彼女を放り込むなり、芝居を打つなりという方法もあるが上手く行く保障はなく、何より“奥の手”を使ったとて、あの化け物をどうにか出来る自信が全くもって湧いてこなかった。

 ならば【NAME】を見捨てて逃げるか、という話になるが、それをリヴィエラが認めるとは思えない。無理矢理引っ張っていくにしても、人一人担ぎながらえっちらおっちら逃げ出す事になるが、

(まぁでも、最善なのはコレかね?)

 【NAME】が頑張っている間に、こちらも頑張って離れるしかない。【NAME】には悪いが、何せ自分達がここに残っても精々応援程度にしかならないのだ。奴にしても、巻き込んだ連中共々やられるよりは、こちらだけでも逃げてくれと思ってくれるに違いない。

 そう結論付けて、いざ行動に移そうとした時。

「お、【NAME】さん、やる気みたいッスよ」

 シモンズの声に、マヒトは意識を闘技場の中央で繰り広げられている戦闘に向ける。

 化け物から噴き出した無数の影槍を潜り抜けた【NAME】は、完全に後先考えていない、全力の連続攻撃を仕掛け始める。攻撃後の回避を考えず、ただ次の攻撃、更なる攻撃に繋げていく、一辺倒の猛攻。それは相手を打ち倒すまで攻撃を続けるという覚悟を秘めたものだ。

 逆に言えば、倒す前に体力が尽きたとき、そして攻撃の間に反撃を受けたときの為の余力を残さぬものであり、

「あ――」

 その光景を見て、リヴィエラが掠れた声を漏らす。

 儀式技法もかくやという、盛大な一撃。打ち上げるように放たれたそれは、化け物の上半身の大半を削り取り、その中心にあった像――化け物が誕生する前に、空中に浮かんでいたあの像だ――の姿までも露出させる程だった。

 好機である。推測するに、あの像は化け物の中心、心臓とも言える代物なのだろう。後は、化け物が損傷を修復する前に像を攻撃、破壊できれば、少なくともこの敗北へ続く均衡状態に変化をもたらす事が出来る筈。

 しかし、そうはならなかった。像目掛けての攻撃、止めとなるはずの攻撃が、来ないのだ。

 何故だ、と目を見張り、マヒトは視線を下ろして【NAME】の様子を確かめて、声にならない呻きを漏らす。

 【NAME】は、完全に力尽きていた。

 先刻の、化け物の上半身を吹き飛ばした一撃を放った姿勢のまま、しかし片足だけを折り、地面に膝をついた状態で止まってしまっている。あの一撃が、【NAME】が残していた余力全てを注ぎ込んでのものだったのだろう。化け物の身体半分を破壊し、勝利したと言っても過言では無い状態に持ち込みながら、後一歩が足りなかった。

 ならば今から自分達があの像に、と。そう思考する間にも、化け物の身体は修復される。

 一目で判る程に身を縮めたものの、既に元の巨人と等しき姿となり、そして身動きを止めた【NAME】目掛けて、何の躊躇いもなく攻撃を繰り出す。

 修復された左の手による、すくい上げるような一撃は、石畳の地面すら容易く削るほどの威力だった。それをまともに喰らい、【NAME】はその身を上方へと跳ね上げさせる。

 ふわりと浮かんだ身体。それが上昇から落下へと移る間に、化け物は大きく右の腕を振りかぶる。

「はい、発射ー」

 下方、メリシェンがそんな声と共に化け物と同じ仕草で身をよじり、そして手を前へと突き出す。少女の身軽な動きと同期するように、渦巻く影槍を纏った化け物の拳が、浮かぶ【NAME】目掛けて打ち放たれた。

 接触。通常の打音とは質の異なる、金属同士を引っ掻いたかのような耳障りな音が闘技場に鳴り響く。

 思わぬ音に顔を顰めた次の瞬間、今度は別種の鈍い音。それは化け物の拳により打ち落とされた【NAME】の身体が、マヒト達の直ぐ傍の地面に叩き付けられた音だった。

 ――あ、こりゃ死んだか。

 そう、冷静に考えてしまう程の、身体が破裂していないのがおかしいと思える勢い。石畳の上で一度大きく跳ねて、そして力を失った手足を身体に巻くように地面に転がる様は、完全に死体のそれだ。声を失い、ただよろよろとリヴィエラが【NAME】に取りすがるのを止めようかと一瞬迷う。彼女が思い入れていた相手の死に様を、間近で確かめさせるというのは忍びない。

 しかし、

「頑張ったね、兎さん。そのお陰で、追いかけっこする時間が思ってたより短くなったわ」

 響いた声に、そのような些事に気を割いている暇はないと認識する。

 影の化け物の隣に立つメリシェンが、にこやかに微笑む。嗜虐に染まり細められた瞳が自分達を捉えるのを感じた。

「でも、これでおしまい。それじゃ、次の兎さん達、お相手宜しくね?」

 続く言葉に促されるように、先刻まで【NAME】と対峙していた化け物が、その標的を変えるのが判った。

 途端、身体に震えが走った。まるで、自分が肉食獣に射竦められた小動物になったかのようだ。相手は影で形作られた巨人。化け物に目などない。意思すらあるかどうか判らない。なのに、生物の性とでも呼べばいいのか。化け物が自分達にその照準を合わせた事だけは、何故か理解出来てしまう。

「……アニキ、どうするッスかこれ」

 傍で、引きつったシモンズの声。一応斧を構えているようだが、しかし顔は奇妙な笑みの形で固まっており、腰は完全に引けている。

「どうったってな。戦うか? あれと。お前一人で」

「いやッスよ! 確実死ぬじゃないッスか! せめてアニキも付き合ってくださいよ!」

「無茶言うなよ、それじゃ俺まで死ぬじゃねーか」

「むぎぎ」

 そう会話する間にも、化け物が一歩前へ距離を詰めてくる。襲いかかるような動きではなく、単なる移動。既にこちらが戦う事も逃げる事も出来ない状態なのだと判断しているのだろう。【NAME】が戦っていた時は化け物の後方に控えていた少女も、今は化け物の横でゆっくりと歩を進めて、完全に油断している。

 ならば一気にあの女を。

 一瞬そう考えるが、先刻それに失敗したばかりの身としては、どうしても躊躇いが湧いてくる。

 というか、無理無理。何が無理かって、あのメリシェンとかいう少女が見かけ通りのか弱い少女ではありえないところでもう無理だ。マヒトは諦観と共に首を振る。

 先刻、こちらがメリシェンへ突進を仕掛けた時も、そして【NAME】が化け物と戦っていた時も、彼女は冷静に戦況を見定めて、的確に手を打っていた。今、ああして隙を見せているのも、つまりはこちらが動いても如何様に対処できる自信と、そして目論見があるからだろう。

 そしてマヒトには、その予測を上回るだけの手は現状無い。つまりはお手上げである。

 となれば、後はもう先程決めた方針通りに逃げるしかない。状況は悪くなっているが、しかしこのまま嬲り殺しにあうよりはマシだろう。それに、【NAME】がやられてくれたお陰で、“手が無い現状”を変化させる事が出来るかもしれない。思い、マヒトは期待と共にリヴィエラの方を見れば、

「……って、御嬢? 何やってんだ?」

 気づけば、彼女は死体に取り付いた姿勢のまま、両の手を胸に添えて懸命に術式を行使していた。垣間見える式の構成は神蹟のものだ。リヴィエラは宝精召師であるが、神蹟を操る聖職者でもある。中級程度の神蹟ならば失敗無く扱える程度の技量は持っているのは知っていた。だが、救急蘇生の神蹟が扱える程の力量を持つとは聞いていない。何より、あれだけのダメージを受けて死亡した人間を蘇生するには、個人が使える儀式術式でも厳しい筈だ。

 恐らくリヴィエラは、有り得ない希望に縋って術を使っているのだろう。非情な話であるが、今はそんな事をしている場合ではない。さっさと逃げる準備を、と促そうとして、

「何って……治癒術式に決まってます! ほっといたら死んじゃうっ!」

「――って、生きてんの!?」

「生きてますよ! 息はありますし、意識も、朦朧としてるみたいですけれど途絶えてません。凄く危ない状態だけど、これならちゃんと処置さえすれば……」

「意識まであんのかよ!?」

 確かに、改めて確認してみれば、うっすらと目を開き、身体を小刻みに震わせている。動かない身体を無理に動かそうとしているようだ。

 ホントに人間かこいつ、という素直な感想が脳裏に湧くが、逆に状況は更に厳しくなったと歯噛みする。死体なら兎も角、生きているなら放置していく訳にもいくまい。リヴィエラも本気で抵抗するだろう。その上、彼女は完全に【NAME】の治療に意識を割いていて、今目の前に迫っている自分達の危機に意識が回ってない。

 それでは困るのだ。この絶望的な状況をどうにかするための“奥の手”が使えない。

「御嬢! それより前、前見ろ!」

「まえ?」

 ぽかん、と声。リヴィエラの顔が、こちらからマヒトが指差す闘技場中央へと向き、

「――ひ」

 既に距離にして十メートルも無い位置にまで近付いていた巨大な影に、リヴィエラの身体が硬直する。本当に、最初はあれ程怯えていた化け物の事を意識の外に追いやっていたらしい。本当に一つの事しか考えられない性格だ。この状況に至って呆れの感情すら湧いてきたが、

「……来たか」

 次の瞬間にやってきた力の気配に、リヴィエラについての雑感など頭の隅へと追いやる。

 全身が淡い光に包まれ、身体の内側から普段の自分では考えられない程の力が溢れてくる感覚。意識が極限まで高揚し、知覚が鋭敏化する。横では、シモンズからも同様の輝きが生まれていた。

 これが“奥の手”。リヴィエラの危機に反応して活性化する、ラカルジャの名家シオレ氏特製の起請術式だ。この効果により、マヒト達には強力な補助術式が掛かり、条件は限定的ながらあらゆる能力が飛躍的に上昇する。

 これならば、いける筈だ。

「シモンズ。お前御嬢な。俺は【NAME】で」

「……連れてくんスか? 厳しいッスよ?」

「流石に捨ててくのは寝覚めが悪いだろうが」

 シモンズは深々とわざとらしい溜め息をつき、

「アニキは本当、見た目通りの半端な善人ッスよね」

 殴るか、と考えたが、じゃれ合っている場面でもない。

「んー? いきなり元気になったのね。これなら、さっきの兎さんくらいは頑張ってくれそう」

 身構えたこちらの様子に、対抗の意思を感じたのだろう。メリシェンが至極愉しげに笑う。

 彼女からすれば、標的があっさりと狩られるよりは、多少なりと刃向かってくれる方が嬉しいのだろう。自分が圧倒的に格上である事を自覚した上での発言。それは間違いではないが、だからこそ判断が甘い。

「行くぞ」

「うぃッス」

 瞬間、マヒト達は動いた。掴んだ。走った。

 時間にして、恐らく一秒と経過しているまい。

 その僅かな間に、マヒトは【NAME】を掴み上げ、シモンズは硬直したままのリヴィエラの腰を引っ抱え、闘技場の広場から姿を消していた。

「――え?」

 広場から建物の中へと飛び込む間際、メリシェンの呆然とした声が聞こえた。彼女からすれば、正に突然、標的がその場から消え去ったのだから当然の反応だろうが、

「悪いが、餓鬼の遊びに付き合ってやる義理もないんでね」

 マヒトは振り返る事無く、全力で闘技場の外を目指した。



 【NAME】とリヴィエラを抱えて、マヒト達は闘技場の外へと飛び出し、都の大通りを駆け戻る。既に速度は三分の一程にまで落ち込んでいる。リヴィエラが“取り敢えず危機を脱した”と判断したため、活性化していた起請術式の効果が早々に弱まっているのだ。

 本格的にこの術式が駆動するのは初めての経験だったが、効果時間と判定がここまでシビアだとは思わなかった。

 今も危機は継続している訳で、それをリヴィエラも認識はしているとは思うのだが。術式の完全駆動には、今まさに命を失うというような、それ程の危機感でなければ駄目という事なのだろうか。だとするなら、下手をすると術式が活性化した瞬間に庇護対象が死亡している可能性もある訳で、

(こりゃ思ったより使えねーぞ……)

 完全駆動の効果は思った以上ではあったが、今後のリヴィエラの護衛計画も、少々修正が必要なのかもしれない。

 もっとも、今この場の危機を無事切り抜けて、今後という機会が生じるならばの話だが。

「おい、シモンズ! まだいけるかよ!?」

「な、なんとか……でも、これ切れたら色々厳しいッスよ!」

 背丈のあるこちらは兎も角、小柄なシモンズでは術式の補助が無くなれば荷物加えた人一人を抱えて走るのは難しい。半死の怪我人ではなく無傷のリヴィエラをあちらに任せた選択は間違ってはいない筈だが、それでも物理的に厳しい。その物理的な所をどうにかしてくれていた術式の効果が完全に切れてしまえばアウトだ。再度リヴィエラが限界の危機を感じてくれればまた活性化してくれる可能性もあるが、それを当てにするのは厳しい。元々、無理矢理能力を引き上げるような無茶な術だ。恐らく、術が一度切れてしまった時点で、こちらの身体に大きな反動が来る筈。それまでにどうにか安全圏まで逃げ切らねばならない。あの化け物と少女が後を追ってこなければそれで安心、なのだが。

「……無理だよなぁ」

 背後から轟音。一瞬視線だけで振り返れば、闘技場の入り口部分が派手に吹っ飛び、その奥から巨大な影が躍り出てくるのが見えた。その横にはメリシェンという名の少女も居り、彼女は周囲を見回してこちらの背中を捉え、影に向かって新たな指示を出す。

 影の動きは当然、少女が駆ける速度も相当だった。対してこちらは肝心の起請術式が終了間際。猶予は殆どないだろう。

「どーしたもんかね」

 折角脱出したまでは良かったが、これは即効で追いつかれて終了か、と天を仰いだその時。

「アニキ! 前、前! これいけるッスよ!」

「……ああん?」

 喜色で叫ぶシモンズに、マヒトは怪訝な顔で前へと視線を戻し、

「おおっ!?」

 マジか、と小声で呟く。丁度良いところに、丁度良い連中の姿があった。

 軍の部隊である。

 マヒト達が今走っているのは闘技場から続く大通り。つまりはアサーンの都に入って最初に亜獣に襲われた、あのフォンコールの大通りである。そこでマヒト達は彼等に救われた後、大通りを離れて迂回路を通った訳だが、彼等は大通りをそのまま敵を倒しながら進軍していたらしい。

 人数は以前見たときとほぼ変わらぬ数十人。その先頭中央には、横に長身の男を伴って立つ、鎧を着込んだ小柄な姿――あの部隊のみならず、今回の合同調査隊の長でもある騎士、ベリーナ・クントースの姿があった。

 ベリーナは高速で走るマヒト達を視線で捉え、

「貴方達、何でこんなところに――」

 驚きの表情で何事かを言おうとして、しかしマヒトに抱えられた【NAME】の姿と、その後方より迫る巨大な影を確認し、直ぐに表情を引き締めて身構える。

「総員戦闘準備! 一番二番は左右展開、結界併用で道を塞いで。五番以降は滅質術式準備。それぞれ聖断剣、熾光舞、呼雷嵐、分界檻、残りは何でもいいけど被らないように。急ぎなさい!」

 ベリーナの指示に、兵士達が素早く反応する。その動きの早さに舌を巻きながら、マヒトは彼女達の横を通り過ぎる。

 一瞬、彼女等にあの厄介な化け物を押しつけて良いものかと歩を緩めかけたが、そんな微細な動作すらもベリーナは見逃さない。

「いいから、後は私達に任せて、貴方達は一度拠点まで戻りなさい」

 横目、ベリーナが見ているのはマヒトに背負われた【NAME】だ。

「怪我人を連れて残られても邪魔なだけよ。あそこなら、治療も十分に出来る筈です。手に負えないようならオルローズに任せなさい。彼女なら、死んでなければ何とかしてくれるわ」

「……悪い、助かる」

 全くの正論に、そんな言葉しか返せない。

 対し、ベリーナは小さく息を吐き、

「私の指示を無視して、また勝手に彷徨き回ってた事については、後でゆっくりと釈明を聞かせてもらいます。だから、早く行きなさい。見たところ結構派手にやられてるみたいだし、間に合わなくなっても知らないわよ」

 恐らくはわざとだろう、気楽な態度を作ってひらひらと手を振ってみせる。横に立つ男も無言ながら、視線だけで早く行けと告げていた。

 ここまで言われては任せるしかない。マヒトはもう何も言わず、足だけを再度速める。リヴィエラを抱えたシモンズは既に先行している形だ。自分と違い、シモンズには足を止めるという考えなどさらさら無かったらしい。追って来たマヒトに気づき、若干速度を落としたシモンズは、横に来たマヒトに冗談めかした調子で、

「アニキは本当、普段はそういうのさらさら見せないのに、ヘンな場面でだけ甘くなるっつか、気を遣う癖、直した方が良いッスよ」

「うるせぇよ」

 憎らしい口を利くシモンズの頭を何時もの調子で叩こうとして、手が空いてないことに気づき、舌打ち混じりの言葉だけで済ませる。

 口調はふざけが入ったものだが、しかしシモンズが本気で忠告しているらしいのはマヒトにも判ってはいる。

 しかし、これはもう性分にも近いもので、更にはここぞというときで出てしまうものだ。意識して直せるならば、とっくに直っている。シモンズもそれを知っているからこそ、冗談めかしつつも事ある毎に言ってくる。煩わしくも有り難い、妙なところで気を回せる弟分だった。

 そうして、マヒトは一瞬だけ背後を振り返った。

 流れていく風景の向こう。自分達を追って来ていた化け物が、軍部隊が構築した陣の前に速度を落とすのが見えた。勢いに任せて突進し、軍部隊を強引に突破してこちらを追ってくる可能性も考えていたが、どうやら“擬象”を操る少女メリシェンは、無理に軍部隊の陣を押し通ろうとする程こちらに対して執着を持っていなかったようだ。

 助かった、と思う反面。マヒトはその動きから、メリシェンの外見や態度から受ける印象とは逆の冷静さを感じ取り、湧いてくる不安を消し去れない。

 幾ら相手が得体の知れない化け物であり、それを操る少女の戦闘勘が優れているとはいえ、後を引き継いでくれたのは数十人規模の軍部隊である。多少被害は出こそすれ、後れを取る事は無い筈だが。

「…………」

 僅かに首を横に振る。既に選択は為されたのだ。根拠のない不安があったとて、己の力でそれをどうにか出来る訳でも無い。今自分がやらねばならないのは、ただ走る事だけだ。

 身体に掛かる起請術式の効果が完全に抜けていくのを感じながら、マヒトは合同調査隊の拠点がある都市外縁目差し、全力で大通りを駆け続けた。



 去って行く冒険者達を暫し眺め、つい先刻も、こんな感じで彼等を見送った事を思い出し、ベリーナは小さく笑う。

「隊長」

 トリオットの声に笑みを収めて、ベリーナは前へと視線を戻す。

 前方、両翼を広げた陣形を作ったベリーナ達から凡そ三十歩の距離で、その化け物は停止していた。

 その姿形は、明らかに生物ではない。黒い影で出来た四肢持つ、体長10メートル級の巨体。形状は人のそれに似ているが、前の手は地についた姿勢を取っているため、四足の獣にも見える。亜獣との戦闘経験が殆ど無いベリーナには、経験ではなく事前に調べて得た知識でしか判断できないが、強いて上げれば概念系の存在――実体を持たぬアストラル、霊体系の亜獣であるように思えた。だが、影の手足から伸びた鋭い爪先は、大通りの床にしっかりと喰い込んで、石を軋ませる音すらも立てている。それは、ベリーナが知る“存在概念のみの存在”の定義とは一致しないものだ。

 単なる影であるように見えて、けれども現実に影響を与えうる身は持っている。

 そういった存在をどう呼ぶのか。亜獣の分類に然程詳しい訳でも無いベリーナには答えを出せず、ただこれまでアサーンで対峙してきた亜獣達とは一線を画す、油断出来ない存在であると、その認識だけを確かにする。

 この廃都アサーンには何かがある。そんな曖昧な予想だけを頼りにこうして都の中央まで進んできたが、果たしてこれがその“何か”なのか。残念な事に、元の予想が曖昧すぎるため、何と出くわしたとしても“これがそうだ”という確信を得られないのが何とも間の抜けた話であるが。

「……さて。どうしようかしらね」

 呟き、意識を切り替える。目の前に居る敵を如何にして打ち倒すか、戦闘集団を束ねる長として思考する。

 思い浮かぶ手はいくつかあるが、それが通じるかどうかは試してみなければ判らない。対亜獣の経験情報が碌に無いというのも大変だ。実際に攻撃してみて、何がどれ程通じるのかを調べなければならないのだから。勿論、知識としてはある程度仕入れてはいるが、所詮は知識でしかない。実戦の場にて己が目で見て、己が身で感じねば、借り物ではない、本当の知識として身についてくれないのだ。

 幸い、化け物はこちらの陣形か、展開された結界に戸惑ってか、身動きを止めてくれている。ならばその間に先制し、流れを自分達の方に傾けてしまうべきだろう。

 そう考えて、ベリーナが部下達に指示を出そうとしたその時。

「あなたたち、誰?」

 甲高い、何処か舌足らずな声が影の化け物の傍から響いて、ベリーナは驚きで口を噤んでしまった。

 まさか、化け物が喋った訳でもあるまい。思わず己の副官を見ると、トリオットは一点、化け物の後ろ脚の陰に視線を止めて、僅かに目を見張っている。

 一体そこに何がとベリーナがそちらを見れば、ひょこんと陰から一歩、横に人影が滑り出てきた。

 現れた人影は、

「女の子……?」

 意味が判らない。ベリーナは両の眉を寄せて、突然出現した少女を怪訝と見る。

 年の頃は若く、背も低い。顔立ちも併せて、幼いと言える程だ。長い髪は肩を通して前へと垂らされて、暗色の給仕服を飾っている。

「さっきの兎さんのお友達?」

 唇が動き、また高い声が響く。声の主は、どうやら彼女で問題無いようだ。一つの疑問は解消されたが、しかし続けて大量に出てきた疑問に、ベリーナは言葉も無く固まる。

 一言で表すならば、場違い。あらゆる要素が、この場と見合っていない。

 戸惑うベリーナに対し、少女は隣に居る化け物を全く恐れた風も無く、ただその傍に立って、こちらをじっと眺めている。

「隊長、ご注意を」

 囁くトリオット。彼の視線は化け物と少女から一切も離れない。

 彼の言葉は短く漠然としていたが、しかしトリオットの態度も合わせれば、何を言いたいのかは伝わる。

 要するに、あの少女は。

「……あの亜獣のお仲間?」

 半ば事実の確認に近い小声の問いに、トリオットは小さく顎を引く。

「もしくは逆に、亜獣を従える側――召喚士《サマナー》か元素操士《エレメンタラー》か。寡聞に、彼の職種であのような化生を操れるという話は聞いたことがありませんが」

「よね。とはいえ……」

 何にせよ、あの少女は普通ではない。

 ベリーナは臨時とはいえ合同調査団の頭を務める身である。今回の調査行に参加した者達は、冒険者であれ全員の顔を確かめているが、その中にあのような少女の姿は無かった。

 だというのに、彼女はここに居る。上位の結界士が数人がかりでようやく穴を開けることが出来るほどに強固な、護法の手による結界の内側に、だ。

 この閉じられた廃都において、このような場面、このような状況、このような態度にて在る者が、ベリーナの知る世の理に沿う存在である筈がない。

 あれは少女の姿をした亜獣。ベリーナは内心で断じ、隣の化け物と同等の警戒心を彼女に向ける。

「ねえ、聞いてるの? あなたたちはどなた?」

 と、少女から再度の問い掛けが来た。身構えた部下達が、自分に意識を向けるのをベリーナは感じる。

 この集団の頭はベリーナだ。答えるならば自分だろうが、ではこの場ではどう答えるのが最適か。

 何か助言はないかとトリオットに一瞬視線を送るが、彼は何事かを考えるような険しい顔つきを、前方の化け物と少女――いや、少女の身体へと向けて固まっている。彼の琴線に触れる何かがあの少女の身体にあるのだろうか。単純に好みで凝視しているだけだったら彼に対する認識を少し改めないとなぁ、と一瞬思い、こんな場面でこんな事を考える自分の方が問題があるな、と冷静に己を戒める。

 改めて、少女からの言葉を考える。

 意味は単純だ。お前は何者か。どうやら彼女は人の形をした化け物ではなく、少なくとも言葉を、それもこちらがある程度は理解出来る言葉を話してくれる相手であるらしい。もっとも、だからといって只の人間である可能性は限りなく低いが。

 僅かな安心と、そしてそれを訊ねたいのはこちらだという言葉を押し殺して、まずベリーナは自分の所在を明らかにする事にした。集団から数歩前に出ると、こちらに視線を向けた少女に、ベリーナは大きく声を張る。

「私はグローエス国軍騎士位、名はベリーナ・クントース。この集団の長を務めています。私達は今、国の主導による剣都アサーン合同調査団の一員として、ここで都内の状況の検分と、発生している亜獣の討伐駆除を行っています。それで、あなたこそ何者――」

「合同調査団?」

 と、ベリーナが続けようとした問いを遮るように少女が呟く。

 その言葉が彼女の記憶の何処かに引っかかったらしい。少女は少し悩むように首を捻り、

「合同調査団。それ、知ってる。お爺ちゃんが言ってたわ。……えっと、そうだ。“合同調査団に見られるとまずいんだよ”。そう言ってた」

 思い出せたらしく、そんな言葉と共にこくこくと、少女は二度ほど頷いて、


「――そっか。まずいんだ」


 瞬間。

 少女の雰囲気が、周囲の空気ごと変わったように感じた。

「隊長、後退を」

 と、背後から声。同時に、トリオットと他の兵士達が数人、横から前へと、ベリーナを守るように出てきた。

「トリオット?」

「嫌な予感がします。三番の指揮を頂けますか。私が、最初に当たります」

「どういう事? 説明なさい」

 ベリーナの当然の問いに、トリオットは何時もの仏頂面のまま、小さく唸り声を上げる。

「……無茶いわんでください。予感ですから説明できるようなもんじゃありません。それに少し、あの娘を近くで見てみたいんです」

 この緊迫した空気の中、そんな少女愛好的発言をされても困る。

「いきなり何言ってるのあなた。奥さんに言いつけるわよ?」

「意味が判りませんが。……どうにも、見覚えがあるような気がするんですよ」

「そういう軟派の手法があるって聞いた事あるけど」

「軟派ならもう少し上手くやりますよ。――三番! 私を主軸に、鏃陣を組め! 突から平に、返して後番が刺せ!」

 了解、ともっとも近くに居た数人が、前へと飛び出すトリオットに続く。

「ちょっと、トリオット!? ……ああもう、一番二番、合わせて援護! 儀式術式進行報告を!」

 ベリーナがそう叫ぶ間に、トリオットは長身を限界まで前に倒し、驚くべき勢いで加速していく。

 その標的は化け物ではなく、化け物の傍に立つ少女だ。選択としては妥当だろう。あの化け物をもし少女が喚び出したのであるなら、召喚主を倒せば後が楽になる。もし違ったとしても、見るからに手強い化け物とやり合う前に、少女を先制して潰しておくのは良手である。

 年端もいかない、か弱い少女目掛けて、トリオットは全く躊躇いを見せず手にした武器を下段から振り上げる。軍人として鍛えられた彼だ。敵と認めたならば、老若男女どのような相手であろうとその刃に迷いはない。

 間合いはぎりぎり。刃の先端が、丁度少女の身体を断つように走る。

 対し、少女は回避も防御も無く喰らった。トリオットの得物は長剣。彼女の胴に斜めの斬線が入り、給仕服がはらりと裂けた。

 次の瞬間、その線から血が噴き出す。そんなベリーナの想像が現実となる前に、トリオットの後に続いていた兵士達が次々に少女へ襲いかかる。続いたのは合計四人。二人は左右から足を地面に縫い止めるように槍を突き込み、その後ろから走り込んだ二人はすれ違いざまに少女を横切りした後、振り向き、止めの斬撃を返す。

 胴に正面から一撃、脇左右に二撃、足に二撃、その上、背へ二撃。

 それだけの攻撃をただ受けて、少女は小さな唇を開き、

「いやだ、痛い」

 呟いて、そしてそれで終わりだった。

 そう、終わりだ。

 少女が動きを止める様子も無い。本来ならば発生する筈の切り痕からの出血も無い。彼女は一切の傷を負った風も無く、己の身体――裂けた服と、身に入った点と線を見下ろし、少し不快気に顔を顰めて、

「あーあ。折角の服が破れちゃったじゃない。ヴィー姉に怒られちゃう。あなたたち、わたしに戯れついてどうするの?」

 視線を向けられて、攻撃後の姿勢で固まった兵士達が慄然とした表情を浮かべるのが、離れたベリーナの位置からでも見えた。

 その反応も当然だろう。技法による複数撃。本来なら致命に等しい攻撃を幾度も喰らった人間が、平然と話しかけてくるなど、彼等の常識を越えた事態。異常という他無い。

 しかし、少女はそんな彼等の反応など意に介した風も無く、自身の身体に残った筋を払う。すると、身体に残っていた筈の切り傷がその動作だけで消え失せる。いや、正確にはあれは切り傷ですら無かったのかもしれない。血すら浮かばず、ただ影色の線が伸びている様子は、人の身体が斬られた痕だとするにはあまりに不自然すぎた。

「もう。動きづらい」

 続けて、少女は両足を貫いている槍に手を伸ばす。

 柄に手が触れると、まるで泡が弾けるようにして柄が円状に消滅し、その消滅は彼女の足へと向けて連続して、そのまま地面を穿っていた槍の先端まで到達。己の足を縫い止めていた物体が消滅したのを確認して、少女は軽く足の具合を確認するように動かし、

「うー、靴まで穴が空いちゃったわ」

 少し足を持ち上げ、甲を見えるようにして憤慨するように溜め息をつく。

 槍によって穿たれた靴の向こうには、つい先程まで槍に貫かれていたとは到底思えぬ、滑らかな肌色が見えた。

「…………」

 その有り様を、ベリーナ含めた軍の人間達は呆然と見る。

 思うのは一つ。

 この少女は、やはり人ではない、と。

 例えば技法には、強烈な常的回復能力を与えるものがある。あらゆる攻撃を無効化するものがある。特定の技法に対して絶対の回避を行うものがある。

 しかし今、少女が見せたそれは、その何れでもない。

 技法でもなく、術式でもなく、ベリーナ達が一切知らない何らかの力が働いて、ベリーナ達が持つ常識が全く覆されたのだ。

 行動に対して齎された結果が、一切合切一致していなかった。

「これは、狼さんじゃなくて、わたしがちゃんとお仕置きをしないといけないかー」

 少女の直ぐ傍に居た兵士達が、蹌踉めくように一歩、後ろへ下がる。

 今、自分達が攻撃を仕掛けた相手が、己の常識の範疇内に居る存在ではないのだと。それを無意識に察しての、反射的な行動だった。今すぐここから、逃げなければならないと。

 しかし、それは遅すぎたと言う以外に無かった。

「まぁ、見られたらまずいって言ってたし、結局はお片付けはしないと駄目なんだけど。――それじゃ、はい」

 少女が片手を傍の化け物に掲げ、そして逆の手を背後の二人に向けた。

 化け物の身体が僅かに崩れて、その影の塊が少女の掌に吸い込まれる。逆に兵士達に向けられた手先には、名状しがたい、煙るように嫌悪を煽る気配が生まれた。

 それを認識したベリーナが、背筋に走った怖気に身を震わせた瞬間。

「お」

「ぎ」

 そんな短音を上げて、少女を背後から斬り付けた兵士二人が、円状に身を捻れさせた後、千切れるように消滅した。

「……は?」

 何が起こったのか理解出来ず、ベリーナは掠れた声を漏らす。

 続けて、兵士が立っていた場所に何かが弾けるような音が生じ、濃い血の霧が広がる。まるで特定の空間自体が切り取られ、捻り潰されたかのようだ。切断の境界は兵士の膝あたりにあったようで、支えも無く残された四本の足が、血煙の中、ゆらゆらと揺れて倒れた。地面に転がった瞬間、まるで染料のような赤色が、足の断面から大通りの道に広がっていく。

 あまりに突然の出来事に、少女以外の誰もが、今目の前で起きた現象を上手く現実の事として捉える事が出来なかった。

 しかし、そんな彼等の事情など、少女にとっては全くもってどうでもいい事であるようで、

「次は、あなたたちね」

 左右、柄の途中より先を失った槍を構えたまま、顔を引きつらせて固まる二人に、少女が掌を向けた。

 向けられた掌から、またも生じる未知の気配。それを感じ、ようやく身体を縛る緊張が解けた二人の兵士は、言葉にならぬ悲鳴を上げながら逃げ出そうとする。

 だが、それも無駄な行動だった。

「ひいぃいい――あ?」

「待て、いやだ――え?」

 離れようとする勢いそのまま、すとんと彼等は腰から地面に落下した。

 仰向けに暫く滑り、何故自分達が転倒したのか理解出来ずに混乱のまま立ち上がろうとして、二人は己の足が全く無くなっている事に気づく。

「おい、何だよ、なんだよこれ。嘘だろ。おい、う、あ……暗く、う」

「足がぁ! 俺の足が、ああ、足、血、血ぃ出てる! 出てるよ! 止まれ、止ま、ああ、あああ……」

 そして生じた切断面から止めどなく流れ出ていく血液を押しとどめようと掌で押さえているうちに、そのまま身を丸め、動かなくなった。

「足におイタをされると面倒なの、これで判ったでしょ?」

 少女は丸虫のような姿勢で転がった二人を見下ろして、幼子に物を教える教師のような口調でこくこく頷き、

「最後はあなた」

 そして正面。既に斬撃の残心を解き、しかし更なる攻撃を加えるでもなく、逃げる素振りを見せるでもなく。ただ自然体で立ち、じっと少女を見下ろしているトリオットに向き直る。

「――トリオット、逃げなさい!」

 そこでようやく、声が出た。

 あれはいけない。とてもいけない。亜獣と同じと考えろなどと、勘違いも甚だしかった。

 少女が起こした現象。その流れが一切見えないのだ。技法や術式に依らない超常の力は亜獣達も備えるというが、それらも結局は理粒子に何らかの干渉を行い、現象を起こしている筈だ。しかし、少女が起こした一連の現象の間、ベリーナには一切の理粒子変化を感じ取れなかった。これでも、術士としての戦種も幾つか修めた身だ。理粒子感知の才能は相応にあると自負している。だというのに、だ。

 あの化け物と、あの少女は、自分達の力が及ぶ埒外にある。

 ベリーナが判るくらいだ。軍人としての経歴も長く実戦経験豊富なトリオットであれば、今の己の状況を、ベリーナ以上に理解出来ている筈だ。

 しかし、トリオットは全く動かない。

 一体何故、と一瞬考え、そして行き着いた答えに、ベリーナは深く絶望する。

 つまりはもう、彼は助かる事を諦めているのだ、と。

「あなたはどうしようかしら。おなかから裏返りたい? それとも手足を口と繋げてみたい?」

「…………」

 少女の問いは、全くもって理解しがたいものだった。それはトリオットにも同様なのか、彼は何事も返さずに、ただその場に立ち、少女を見据えたままだ。

 しかし、まだ問答をする気であるのなら、先刻即座に殺された兵士達と違い、猶予がある。

 ベリーナは如何にして窮地にあるトリオットを助け出すべきか、停止しそうな思考を懸命に動かして考え始め、

「――そうだ」

 突然聞こえたトリオットの声に、つい意識をそちらへ向けてしまう。

「お前。思い出したぞ」

「なぁに?」

 小首を傾げる少女からは、これから自分が殺す者が一体何を言うつもりなのか愉しむ、質の悪い興味の色が見えた。

 けれども、それはベリーナにとっては至極有り難い余裕だ。その興味があれば、少なくともトリオットが何かを話している間は、彼女はトリオットに攻撃をしない筈だ。

 ――ならばその間に、どうにかトリオットを助ける術を。

 そうしてベリーナが思考に没頭しようとした間際。

「お前が着ている、その服だ。そうだ、見覚えがあると思っていたんだ。以前に寄り合いで妻と行った、あの家だ」

 トリオットは、己の言葉に興奮したかのように一歩、前へと踏み出し、

「カーライルっ! 確か、あの家の召使いが、そのようなふ」

「駄目よ」

 一言。トリオットの頭が爆発した。

 頭蓋の上部だけが弾けて四散し、脳漿がまるで散らされた花の蜜のように飛び散り、両の眼球が飛び出して下方へとこぼれ落ちていく。

「――――」

 余りにも唐突すぎる、予想外極まる事態に、ベリーナは声を上げることも出来ず、ただ目を見開いてその様を凝視する。

 釘付けとなった彼女の視線の先で、残された身体が左右に揺れて。かくかくと残された顔の下半分、顎だけが上下に動くのが微かに見える。

「くが、くを、みみぃぃ、い」

 奇妙な動きで開閉する口から漏れるのは、言葉にならない歪な声でしかなく。

 最後に全身をびくびくと痙攣させて、数瞬前までトリオットだった肉塊は、完全にその身動きを止めた。

「これで本当に、完全な“後始末”をしなきゃいけなくなっちゃったわ」

 少女と化け物。彼等を広く囲うように陣取った軍人達は、自分達の部隊の副長が生者から死者となる様子を、完全な静寂でもって見送り、

「あなたたち、大人よね? なら――“大人しくしていてね”?」

 掲げた手に飛び散った血飛沫の一片。それを苛うように払いながら少女が放った言葉と視線に、己が彼女の新たな標的に据えられた事を悟った。

「おおお!? うおおお、おお!」

「う、うああああ!!」

 それが契機であったかのように、残る兵士達が一斉に動き出す。

 だがそれはもう、これまで都の強力な亜獣達を連携で屠ってきた歴戦の兵士達の戦闘行動ではなく、心を恐慌と混乱に囚われ、ただ本能の赴くままに攻撃し、或いは逃亡しようとする、ただの無秩序な動きでしかない。

「だ、駄目よ! 勝手に動かないでっ!」

 そこでようやく我に返ったベリーナが慌てて叫ぶが、状況はもう、彼女の指揮が及ぶものではなくなってしまっていた。

 完全な、個々の判断による行動。しかし、そんな状態であっても、兵士達が行う攻撃なり逃亡なりは、これまで積み上げられた訓練と経験よって高く磨き上げられたものであり、化け物と少女へ殺到する技法は、彼等が操る最上級。後方より飛来する術式は、十分な補助歌が乗せられた強力な儀式術式だ。

 それら全てに対して少女は逃さず注意を払い、ふーんむと鼻を長く鳴らす。

「これだけ的が居ると、みんなを逃さず“後片付け”するのは大変かも」

 少女が、化け物へ向けて掲げていた手の指を数度動かし、何事かを呟く。

「狼さん、あなたの形を抑えてる括りを解くわ」

 決死の形相を浮かべ、少女と化け物目掛けて突っ込んでくる兵士達。その彼等の前で、これまで大人しくしていた化け物の姿に変化が生じる。

 巨大な影から涌き立つように蠢いていた影の帯が、するりと、解けるように周囲へと広がったのだ。

 そして、まるで影の帯の締め付けによって化け物の形を整えていたかのように、人と獣の境にあるような四肢持つ形を保っていた影が、揺らぎ、広がり、その存在を無秩序な闇色の塊へと変えていく。

「さあ、狼さん。自分の身体を燃やし尽くして、跡形も無くなるまで――」

 恐慌のまま化け物に攻撃を仕掛けようとしていた兵士達が、不気味に変容する相手の姿に、その狂気すらも削がれて棒立ちになる。

 逆に、少女を狙っていた兵士達は、化け物の変化の原因と思しき彼女を何としても殺そうと、手にした武器を全力で振りかぶり、

「――戯れではなく、狩りを始めなさい」

 振り下ろす間際。

 影の塊が、行動を開始した。



「……おかしい」

 影の化け物が動きを開始して、どれだけの時間が経過したのか。

 瞬きほどの時間であったようにも思うし、数分は過ぎたようにも感じる。

 だが、経過した時間がどれ程であれ、今目の前に広がっている結果が、その短い時間の間に引き起こされたものであるのは確かだった。

「……こんなの、おかしいわ。だって、有り得ないでしょう? これは」

 一体何が起きたのか。

 ベリーナはその様子を己の目で見届けていた筈だ。なのに、思い出せるのは至極断片的な像でしかなかった。

 動き出した影が、少女に襲いかかる兵士達に触れた瞬間、兵士達の身体が瞬く間にすり潰され、血煙と無数の肉片へと変わる姿。

 化け物目掛けて放たれた、術士隊による数人掛かりの滅質術式が、その効果によって生まれた現象諸共色を失い、打ち消されていく光景。

 まるで雲のように広がった影に向けて、少女が手印を切ると同時に生じた無形無色の円が、逃げ惑う兵士達を残らず捉え、彼等の身体を様々な形状に捩じ曲げ、壊し、繋げていく様子。

 どうやってそのような事をしているのか。それは全くもって判らないままだったが、しかし生み出された結果は目の前にある。

 少女と化け物に攻撃しようと近付いた兵士達は勿論、遠く離れた位置から術式を放った者も。

 何の考えもなく全力でその場から逃げ出した者や、冷静に己が保身を第一として身を隠そうとしていた者も。

 攻めるなり、逃れるなり。なんらかの行動を起こした者は全て、化け物と少女の手により、命ある人とは違う、“人ではない何か”へと変えられていた。

 今、化け物を囲んでいた軍部隊の中で生きているのは唯一人。

 状況に暴走する彼等をどうにか抑えようと声を張っていたベリーナだけだった。

「おかしくはないわ」

 響いた声に、ベリーナはうつろに彷徨わせていた視線を、声のした方へと力なく向けた。

 前方数メートル。そこには裂けた黒色の給仕服と前に垂らした長い髪を、兵士達の血の粒で彩った少女が、戦いが始まる前のまま、一切の傷を負うことなく立っていた。

 彼女の発した言葉の意味をベリーナは理解出来ずに少しだけ考えて、自分が半ば無意識に呟いた言葉に対する返しであった事に気づく。

「だって、これは狩りだもん。逆らう子。逃げ出す子。それでまず遊んでから、最後に首を差し出してる子を戴く。普通でしょ?」

 少女の言が、何を意味するのか。

 それを理解したベリーナは、完全に折れていた心に、小さく火が灯るのを感じた。

「誰が! 誰が、お前のような悪魔に!」

 口にして、酷くしっくり来た。あの少女は正に魔。悪しき魔と呼ぶに相応しい存在だ。周囲に転がる既に兵士達の中には、人の心を持つ者であれば到底行えないような、惨たらしい有り様になっているものもあった。

 少女が持つ力であれば、最初の兵士達のように即座に命を奪うことも可能であっただろう。

 なのに、どうして、あのような意味も判らぬ形状に、人の身を弄ぶ必要があるのか。

 沸き上がってくる憤怒の感情を乗せて、ベリーナは少女を睨む。

 対し、彼女は困ったように首を傾げ、

「違うの? なら、わたしとしても都合がいいんだけど。思ってたよりあなたたち頑張らなかったから、この子の“後始末”がまだ終わってないの」

 言って、少女は横へと視線をずらす。

 少女の隣には、大きさにして一メートルほどの、薄い影のようなものが漂っていた。

 あれが、戦闘前には全長10メートルは超えていた筈の化け物の現在の姿だ。透け始めた影の中央には、奇妙な姿勢の人を象った像が見える。

 ベリーナの記憶では、影が形を失い始めた後、大きな攻撃や何らかの現象を起こす度にその身体が縮み始め、少女の合図を受けた際には、まるで影の身体が削り取られるように消滅していた。

「……その影、一体、何なの?」

 思わずの問いに、少女は少し考えるように首を捻り、

「まぁ、話してもいいか。これはね、この世界じゃない力の塊なの。ちょっと、うちのお爺ちゃんの都合で、これに仮初めの形を与えて持たせてたんだけど、このままほっとくのもまずくてね。だからわたしは、これを使って“後始末”をしてるの」

 理解しがたい言葉と、理解できる言葉が交じった返し。意味をベリーナが考える間に、少女は更に言葉を続ける。

「“後始末”は、別にわたしが適当に術技として使っちゃえば良かったんだけど、丁度さっきは、兎さん役がいてくれてね。やっぱり相手がいてくれたほうが色々とやりやすいし、面白いから。わたしも楽しくやってたんだけど、その子達には逃げられちゃって。でも、かわりにあなた達が来てくれたから、これだけ短い時間で、殆どを片付けられたわ。手伝ってくれて、ありがとう」

 言って、にっこりと微笑む少女。

 その態度は、完全に遊び相手へ向けるような代物だ。遊んでくれてありがとう。そんな素朴な感謝。

 けれども、それによって自分達が失ったものは何だ。周りに転がる、部下だったものの跡。少女の傍に未だ倒れたままの、頭の上部がない死体。

「……許さない」

 少女の言葉から、どうにか情報を手に入れよう――そんな考えなど、あっさりと消し飛んだ。

 ベリーナは己の表情が、醜い憤怒の形に歪むのを自覚する。

「許さないわ。貴女」

 告げた先。少女は少し驚いたように目を瞬かせ、

「あら、やる気なの? 良かった! まだ少し、この子のアエルが残ってたから。あなたがさっきの兎さんくらい強かったら、この程度なら直ぐに片付けできちゃうわ」

「――――」

 手を合わせて、朗らかに笑う少女に、ベリーナは心を留める為の紐が完全に切れたことを悟った。

 愛用の剣を手に、飛び出す。未知の存在と相対した恐怖に強張っていた身体は、内に猛る怒りに解され、己の想像以上に鋭く動いた。

(使う技法は――)

 間合いを一気に詰めながら、放つ技法を選ぶ。

 トリオット達が見せてくれた結果から、単なる攻撃では全くの無駄である事は既に判っている。あの少女自身が人ではない別の何かなのか、それとも未知の力を使いこちらの攻撃を完全に無効化しているのか。どちらが正解であるのか、それともどちらも正解か不正解かは判らないが、単純な物理攻撃では駄目だ。

 しかし、単なる術式攻撃も同様であるのも判っている。部下達に指示した滅質術式の殆どは、いとも容易く打ち消された。唯一分界檻――対アストラル用の境界識断絶術式だけは多少の効果があったように見えたが、生憎とベリーナにはあの術に近しい効果を持つ技を習得しておらず、何より分界檻にしても、致命となるには程遠い結果だった。

 技法。術式。共に、それ単体では彼女に通用しない。何かが足りないのだ。あと思いつくのは魔術神蹟を絡めた複合物理攻撃だが、それも単なる消去法による予想でしかなく、通じる理由など全くもってありはしない。

 しかし、別の方針を探っている猶予はもうない。ベリーナは思いつくまま、複合攻撃を主体としつつ、己が持つ最大の力を放つ構成を組み立てる。

「っ!」

 至近に至る。少女の瞳は、走法による惑わしを入れたこちらの前進を正確に捉えており、左の手は傍の影に、右の手は迫るこちらに向けられている。

 死は眼前にあった。ならばこそ、ベリーナは迷い無く、全力を放った。

 初手。プラズマブレード。雷光を帯びた刃が少女の腕を薙ぎ、紫電と共に両断する。

 二手。クロスブレイク。十字に交差する剣線は、胴目掛けてではなく、初手で断った腕の線に重ねるように走る。三本の線の交点に生じた灰色の影が、少女の腕を繋ぎ止めきれずに広がっていくのが一瞬見えた。

 三手。ソードリフト。しかしその様子を暢気に眺める暇などない。腕を連続で攻撃した事により、少女からの反撃は一応無いと割り切り、本格的な攻撃へと入る。クロスブレイクの縦斬りの姿勢から、強引に刃を返し、打ち上げた。手応えは薄く、跳ねた刃は少女の身体をそのまま素通りしかける。それでは困るのだ。

 四手。強引にレッグバイターを割り込ませる。ソードリフトにより上へ回った剣をぐるりと回し、その勢いを利用して地を這う位置から宙への蹴り上げを敢行する。こちらの手応えは明確だ。どうやら、斬撃や刺突は通す形で無効化するが、衝撃に対してはそのまま受ける形となるらしい。もっとも、ダメージを与えた感触は微塵もなく、変化は少女の身体がふわりと宙へと浮かんだ事だけ。

 しかし、ベリーナの狙いは相手を浮かせることだ。結果に問題は無い。彼女は宙に跳ねた標的目掛けて、己が習得している最大威力の技法を放つ。

 トリプルクレセント。

 瞬間的に同調強化が施された刃でもって、三度。三重の孤月が少女の身体目掛けて走った。

 理粒子による破壊の力を纏った剣身が描く軌跡は、空中に暫しの断線を残す。それに支えられるように、少女は空中に縫い止められた。

(これなら――)

 一般には未だ広まっていない、超高位の滅質剣技法である。これで倒せなければ、もうベリーナに打つ手はない。それ程の奥の手だ。

 技を放ちきった姿勢のまま、ベリーナは己の成果を確かめ、

「すごーい。アエルも使わずに、わたしにこんなに攻撃を効かせてくるなんて!」

「……う、あ」

 身体を光に分断されたまま、にこにこと手を叩く少女に、ベリーナは愕然と呻くしかできなかった。

 己の決死にして渾身の一撃が、全く通じなかった。

 それはもう、怒りで無理矢理燃えさからせていた彼女の戦意を凍らせるには十分過ぎる結果だった。

「は、はは」

 掠れた声は、笑いにも近い声になって漏れる。構えの姿勢から膝が折れ、手からこれまで幾度もの戦いで命を預けてきた剣がこぼれ落ちた。

「でも残念。これでお終いみたいね」

 その間に、空に少女を留めていた光が失われて、地面に四肢をついたベリーナの前へと彼女は降り立つ。そして掌を傍の影に向けると、その影が薄くなっていく変化に合わせて、ベリーナが少女に与えた切断面も、遡るように元の姿へと戻っていった。

 そして全く傷の無い姿を取り戻した少女がベリーナを見下ろすと同時。ベリーナも又、四つん這いのまま強張った顔をあげていた。

 向き合う顔。絡み合う視線。

 しかし、互いが視線に秘めた感情、浮かべた表情の性質は、全くの正反対だった。

「ねぇ? まだ全然、“擬象”のアエルを減らせてないんだけど、もっとがんばれないかしら?」

「…………」

 もう言葉も生まれてこない。ベリーナは空白の思考のまま、浅く首を横に振り、

「そっか」

 それを見た少女は、しょうがないとばかりに溜め息をつく。

「なら折角だし、わたしがあなたを使って全部処理しちゃうわ」

 そして身を屈めると、本人も気づかぬ内に涙をこぼすベリーナの頬にそっと手を当てて、

「――ねぇあなた。自分の身体に、足がどれだけくっつくか、知りたいと思わない?」

 少女はまるで、天使の如き微笑みを浮かべてそう問うてきた。

「……え?」

 目を丸く固まるベリーナに、ほら、と少女は一方を指差す。

 何も考えられずに少女の指し示す方をみたベリーナは、先刻までそちらを見るまい、考えまいとしていた、“人ではない何か”を、まともに見てしまう。

 そこに転がっていたのは、一つの胴体に四本の足がひっつけられた良く判らない何かだ。腹から足を生やした形で倒れている兵士は、あーあーと意味の無い声を漏らしながら、光のない瞳をこちらに向けていた。

「あれは嫌? なら、頭をくっつけるのでもいいわよ? ほら、それ」

 指差す。見る。

「あああ、こっち、こっち見るなよお前! 気持ち悪い! 気持ち悪い! 痛い、痛い! ああ、あああっ!」

 叫びながら地面をのたうち回る兵士。その肩には、別の兵士の頭部が張り付いていた。うつろな視線は本体となる兵士の顔を正面に捉える形で固定されていて、兵士はその頭を引きちぎろうとしては、痛みが走るのか奇声をあげて暴れ、しかし頭をちぎろうとする行為を止めようとしない。

「え? ……え?」

 ベリーナの中に、これまでとは別種の焦燥が生まれる。

 もしかして、自分も。

 自分も、あの“人ではない何か”になるのか? このまま普通に殺されずに?

 掠れた声での問いに、見下ろす少女は満面の笑みを浮かべて、

「そう! あなたは丁度最後だから、アエルが尽きるまでやってあげるわ!」

「いや」

 子供のように首を振る。

「大丈夫、安心して。少なくともアエルが無くなるまでは、つけられるだけつけてあげるから」

「いやよ。やめて」

 振る。首を振る。

「まず最初は足がいいかしら。それとも腕がいいかしら? ねえ、それより何処につけてほしい? 希望はある?」

「やめて。やめてやめてやめて」

「あら駄目よ? どこにいくの? ほら、じっとしてないと。あ、そうだ。あなたには特別に、わたしの事を言い当てたあの男の人の身体とひっつけてあげるわ。だから喜んで?」

「うそだうそだやめていや、許して、ごめんなさい、ごめんなさい、謝るから、やめて、しないで」

「うーん。まず動けないようにした方がいいかしら。ほら、少しだけがまんしてね。直ぐに気持ちよくなるから」

「やだ。やだぁ。誰か、助けて。おとうさん、おかあさん、かみさ――あああ、あああああ――っ!!」



 暗闇に閉ざされていた意識が、ゆっくりと光を取り戻していく。

「……【NAME】さん?」

 己の名を呼ぶ声が耳に届く。声は直ぐ傍だ。未だ霞む視界。うっすらと開いた瞼の隙間から、身を屈めて貴方を見下ろす人影が朧に見えた。

 目を凝らすが、目の翳みは未だ治まらない。全身はふわふわと浮かんでいるように手応えがなく、しかし身体の芯に重りでも入れられたかのように動かない。

「【NAME】さん、目、覚めました!? 私の事、判りますかっ!?」

 見下ろす影が、こちらに取り付くようにしながら声を掛けてくる。

 その言葉の意味を理解するのに、数拍掛かった。その間に、ぼやけていた視界が鮮明になっていき、半ば微睡みの中にあった意識も覚醒していく。そして意識がはっきりしていくにつれて、不確かであった五感も戻り始めて、

「っ、ぐ」

 麻痺していた痛覚が戻った瞬間、全身に走った鈍い痛みに貴方は歯を食いしばる。

「わ。だ、大丈夫ですか!? しっかりしてください!」

 そんな貴方の突然の変化に驚いたのだろう。人影がびくんと飛び跳ねて、続いて貴方の両肩をもってがくがくと揺さぶってくる。

 痛い。凄く痛い。揺れる度にとても痛い。

「え? あ、わーっ! ごめんなさい! ごめんなさい!」

 その度に走る激痛の波に貴方が思わず叫ぶと、人影は慌てて貴方の身体から手を離す。その拍子に、浮かんでいた上体が地面に落下し、

「っ、っつー!」

「あああっ! もう、本当に、ごめ――」

 衝撃によって全身に走った一際強い痛みに暫く悶絶していた貴方だったが、強烈な波が去ると全身の痛みが弱まったように感じた。明らかに錯覚なのだろうが、しかしこれならば動く程度は何とか出来そうだ。貴方は苦労して身体を起こすと、未だにぺこぺこと頭を下げる人影にもういいからと告げる。発した声は掠れてはいたが、どうにか聞き取れる言葉として出てくれたらしい。頭を下げていた人影が、ほっと安心の息を吐くのが見えた。

(……ええと)

 取り敢えず、今の自分が置かれている状況を把握しようと、貴方はぐるりと辺りを見回す。

 記憶が確かならば、自分はアサーンの都の中央にあるヴォルガンディア闘技場にて、“擬象”と戦っていた筈だ。

 しかし今居る場所は、都の外縁と思しき一角。緩やかな曲線を描く大道の隅であった。傍には巨大な結界の壁が聳え、背後には崩れた建物の壁があり、そして周りには多くの人の気配があった。地面についた手の裏には生地の粗い布の感触があり、どうやら自分はこの敷物の上に寝かされていたらしい。傍には同様の布が幾つか広げられており、その上には何人かが寝かされている。彼等の身体には包帯や治療の痕があり、更には丁度寝かされた一人に対して術士系の兵士が神蹟による治癒術式を施していた事から、つまりはここは、怪我人の為に用意された救護用の場所なのだろう。

 そこまで確認して、一息。

 貴方は直ぐ傍に座る人影に、状況の説明を求めた。

 一体、自分が“擬象”にやられた後、どうなったのかと。

 グローエスでは珍しい形状の神官衣を着た、明るい髪色をフードから零す彼女――リヴィエラは、貴方からの問いに少し考えるように頭を揺らして、

「えっと、逃げました」

「…………」

「……?」

 続きの言葉を待つ貴方の視線に、リヴィエラは小首を傾げて返す。

 いやあの、もう少し詳しくお願いします、と思わず改まった口調で促すと、困ったように眉根を寄せるリヴィエラ。

「詳しく、ですか? えと、【NAME】さんがばたんした後、マヒトさん達が突然きゅーっとして、凄く早足になったんで、私と【NAME】さんが掴まれて、闘技場から出たんです。そうしたらあの女の人達に会って、早く行けと言われた通りに、ここに逃げたんです。怖かったです」

 びっくりするほど判りづらい。

 判りづらいが、しかし想像は出来る。大雑把に解釈するなら、マヒト達に引っ張られる形で闘技場から脱出し、その途中で合同調査団の誰か――リヴィエラが“あの”と言う辺りから、恐らくはベリーナの事だろう――に会い、彼女の指示に従って、調査団が構築していた拠点にまで逃げた、という感じなのだろうか?

「は、はい! そんな感じです!」

 口に出すと、リヴィエラはこくこく頷く。

 成る程、と頷き、そして貴方はリヴィエラの言葉をもう少し吟味してみる。

 ベリーナと会って、早く行け、と言われた。

 これは、“擬象”にやられた自分を見て早く治療を受けさせるようにという指示と解釈できるが、別の見方も可能だ。ベリーナ達は少人数ではなくかなりの規模の部隊として活動していた筈だ。その中には治癒術式にも長けた兵士達も何人か居ただろう。なのに、怪我人の自分に対しそれらの人員を割こうとせず、さっさと後方の拠点にまで連れて行けと言った。つまりは、そういった余裕が彼女等に無かったという事になる。

 何故か。浮かぶ予想はそう多くない。もっとも有り得るのが、逃げたしたリヴィエラ達を追って来た“擬象”の相手を、彼女達が受け持った、という形だろう。

 それで合ってるのだろうか? とリヴィエラに確かめれば、

「そう、そうです! 【NAME】さん凄いです! 嬉しいです!」

 理由は良く判らないが大喜びするリヴィエラ。ぱちぱちと両手まで叩いていた。

 盛り上がるのは結構だが、別にクイズをやっている訳では無いのだけれども。

「あ、う」

 貴方が冷静に指摘すると、一気にリヴィエラが盛り下がった。浮き沈みが激しい。

 というか、リヴィエラの説明に“擬象”についての言及が一切無かったのが逆に恐ろしい。本当に、一体どういう手段で逃げたのだろうか。あの“擬象”は動きの速さも相当なもので、ただ走って逃げる程度では即座に追いつかれるような相手であった筈だが。

「え、えっと……その、ご、ごめんなさい。私、こういうお話をする時、大体上手く伝えられなくて。あと、私もなにがどうなったのか、よく判ってないところもあって……」

 だろうなぁ、と苦笑する。擁護する気も起きなかった。

 そんな貴方の態度にも、リヴィエラは誤魔化しにも似た笑みを浮かべて、

「ここに来たときも、【NAME】さんの事を説明するのに、上手く通じなくて。シモンズさんがお話して、マヒトさんが名前を出して、やっとオルローズさんって方に治療をお願いできたんです」

 続くリヴィエラの判りづらい話を解釈すると、そのオルローズという人物は、今回の合同調査団の中でグローエス軍部隊が連れてきた術士の中でももっとも優れた治療技術を持つ、衛生班のトップであったらしい。どうやら“擬象”からの攻撃を受けてこちらが負ったダメージは相当のものだったようで、一応は聖職者としての力を持つリヴィエラは勿論、他の神蹟を扱う冒険者や兵士達にも対処出来ず、彼女の手を借りることが出来なければかなり危ない状態であったようだ。

 貴方からすると、オルローズとやらがアエルに関わる攻撃を喰らったこちらの身体を、良くどうにか出来たものだと感心してしまったが、

『――別に、あの女性が一人でどうにかしたって訳じゃないですよ』

 と、内側から響いた声は、貴方の考えを否定するものだった。

『“擬象”の攻撃は、貴方と私で反射的に防いだ事もあってかなり軽減出来てたんですけれど、やっぱり浸透したダメージもあって。私の方で懸命にどうにかしてたんです。貴方に死なれると、こうしている“私”もなくなっちゃいますから。宿主の意識が無い状態だと“私”の意識も一気に不活性状態になっちゃうんですけど、そこをどうにか気合いでやりくりしながら、術技使って、ね』

 声の主であるクーリアは、心底疲れたといった調子で言葉を作る。

『それでどうにか最悪の事態は免れる状態まではもっていけて、あとはじっくり回復していくのみって流れを作る事には成功したんですけど、どうも彼女、その私がやってた治療の方を、どういう形でかは知りませんが見抜いたみたいで。そこを補強する感じの術式を幾つか掛けてくれたんです。お陰で、私の方の作業が捗って、結果貴方はこうしてかなり早い段階で目覚めることが出来た、という訳です。つまり、主な手柄は私と言えるでしょう。さぁ、感謝してくれてもいいんですよ? どうぞどうぞ?』

 恩着せがましいので感謝する気が失せた。

『酷い!』

 というか、感謝して欲しいならこの全身に残った痛みも取り除いて欲しかった。

 どうにか上体は起こしたものの、僅かな身じろぎをするだけでも身体の芯に響くような痛みが走る。お陰で、それ以上動く気にもなれず完全に身体を硬直させている状態だ。

『無茶いわないでくださいよー。それ貴方の身体が解けるのを無理矢理止めてた結果なんですから、むしろ痛みだけで済んでる事に感謝してくださいよ。痛みがあるのは生きてる証拠! ですよ!』

 などと言いながらも、先程からクーリアの管理下にあるらしいアエルが貴方の身体に纏わり付いて、痛みを吸い取るように働いてくれているのは感じていた。それに加えて、オルローズという人物が施してくれたのだろう神蹟の効果が持続して発揮されているのも感じる。この調子ならば、今すぐは厳しいがそう時間も掛からず動けるようになるだろう。

 己の身体についての懸念が一通り無くなって、そこでようやくマヒト達について気を向ける余裕が出来た。

 リヴィエラの先程の話から察するならば、自分とリヴィエラを連れてここまで無事に逃げてきている筈だが。

 傍に居るリヴィエラに訊ねると、

「えっと、マヒトさん達なら、さっき来た人の相手を……」

 逸れたリヴィエラの視線を追えば、マヒトとシモンズは貴方が居る場所からかなり離れた場所で、大柄な騎士らしき人物と何事かを言い合っていた。正確には、マヒトと騎士が怒鳴りあっているところをシモンズがどうにか抑えようとしていたようだ。大声で何かを叫んでいるが、距離があるためか貴方とリヴィエラのところまでは良く聞こえず、話の内容までは判らない。

 一体何を話しているのだろう。知っているか? と隣のリヴィエラに視線だけで問うが、彼女は緩く首を横に振る。

「判らないです。あの人がここに来て何か話し始める前に、怪我人の前で騒ぐのは良くないってマヒトさんが言って、あちらに移動しちゃったんで」

 そうして貴方とリヴィエラが見守る中、どうやら話を終えたらしい二人がこちらに戻ってくる。二人は何事か考え込むように渋い顔をしていたが、こちらを見て表情を驚きに変える。

「もう起きたのかよ、【NAME】」

「うわぁ。ホントに無事みたいッスねー。いくらなんでも頑丈すぎじゃないッスか?」

 呆れとも感嘆とも取れる微妙な反応。貴方は苦笑で流して、改めて彼等に現在の状況の説明を求めた。

「……って、私説明したのに……」

 隣で悲しげな声がしたが、一方ではなく多方から話を聞く方が状況を正確に掴めると言い訳して宥めつつ、マヒトとシモンズの様子を窺う。二人は顔を見合わせて、

「説明っつってもな。【NAME】があの化け物にやられちまった後、こりゃまずいってんでちょいと“奥の手”使って逃げたってだけなんだが」

 簡単に言うが、あの“擬象”から逃げ切るというのは余程の事だろう。

 貴方が追求すると、マヒトはどう説明するか迷うようにがりがりと頭を掻き、

「だから“奥の手”……要するに、おもくそ身体強化できる術みたいなもん使って、全力で逃げただけだ。まぁ、それでも後を追いかけられて……」

「あの化け物と天使なお嬢さんに追いつかれそうになったんスけど、逃げる途中で軍の方々と出会って、丁度良いんでそのまま任せてきたッス」

 ふぅむ、と唸る。どうやら“奥の手”とやらを詳しく説明する気はないらしいが、貴方としてもそこにはそれ程興味も無かった為、そのまま流す。知りたかったのは、リヴィエラの曖昧な話がどの程度真実であったのかという所だったのだが、どうやら大筋は問題無いらしい。

 だが、そうなると気になるのは、自分達の代わりに“擬象”の相手を務めてくれた軍部隊の事だ。

 単なる“異象”相手だとしても、アエルの存在を知らない者が何の対策も無しに挑むのは、どれだけ数の優位があろうと自殺行為に近い。何せ、攻撃を通用させるだけでも相応のコツがいる上、逆に相手からの攻撃は対策をしていなければ基本素通しである。慎重に、時間を掛けて試しながら戦えばその辺りの対応も出来るだろうが、今回の相手は“擬象”。単なる現象ではなく、人の手による制御を受けて刃を向けてくる敵だ。一気に攻め立てられれば、そのような猶予など与えてはくれまい。

 となれば、彼等は果たして無事なのかどうか。

「それで、さっきの人は一体なんのお話を?」

 と、リヴィエラの声に、黙考していた貴方の興味もそちらへと向く。遠くから見ている限りでは、何やら口論になっていた気がするが。

 先刻マヒト達と話していた騎士は、既にここから離れて、大道の逆側にて待機していた兵士達に対し声を飛ばしている。声に従い動き出している彼等の様子から察するに、どうやら戦闘を含めた行動準備を始めているようだ。

 マヒトとシモンズはまたも顔を見合わせて、若干言いづらそうに口篭もった後。

「……それが、だな。俺等が後を任せた、あの軍の部隊。合同調査団の団長らしいあの女も含めた、今回の調査団の中じゃ中核だろうあの部隊な」

 マヒトの言葉に、貴方が思い出すのはフォンコール大通りでの亜獣戦の際に助けてくれた、兵士達の一団の姿だ。やはりリヴィエラ達が逃げる間に出会ったのは彼等だったのか、と頷き、

「どうも、あの人達が予定の帰還時刻になっても戻ってこなくて、連絡の方も一切出来なくなったって話らしいんス。それで、捜索隊を出すから最後に部隊と接触した自分達に、現場まで道案内をしろって言ってきたッスよ」

「よっぽど心配なんだか知らねーが、今すぐ今すぐって煩くてな。こっちはお前の事もあったしで少し待てっつって、言い合いになってたんだよ。取り敢えず、少し時間は貰ったけどよ」

 予定の時間に帰ってこず、連絡も取れない。

「……あの、それって」

 おずおずと、横からリヴィエラが何かを言おうとして、しかし重い空気に押し返されるように、そこで言葉を途切らせた。

「…………」

 暫しの沈黙。貴方は小さく唸り声をあげて眉の根を寄せ、マヒトとシモンズは苦い表情を浮かべ、隣のリヴィエラも不安そうに顔を曇らせている。

 シモンズが告げた言葉の意味。そこから導き出される結末の予想

 それは、自分達を助けてくれた彼等が、そのまま“擬象”の手により全滅したのではないか、という予感だ。

 大きく一つ息を吐き、貴方は己の内側に呼びかける。

『……っと、はーい。今、貴方の身体の治療で忙しいんで手短にお願いします』

 反応するクーリアに、貴方はさっさと用件を告げる。

 都の中に存在しているアエルの分布状況を調べて欲しい事を。

『それについては、貴方も感知くらいは出来てると思うんですけど』

 その感知についての自信が無いから、こうして呼びかけているのだ。

 現在、アサーンの都中はアエルの気配が殆ど残っていないように貴方には感じられていた。現出地形の境界、空間の狭間から湧き出している新たなアエルの気配を除くと、後は殆どが残滓。それらも現世界の補正力をモロに受けるくらいに弱まって、直ぐに消失してしまう程少量だった。

 だが、それはおかしい。

 自分達は“擬象”という高密度のアエルの塊に追われていた筈なのだ。距離が離れたとはいえ、あれだけのアエルの塊である。感知できない筈がないのだが、しかしそれが感じ取れない。

 ならば理由は何だと考えた時、まず自分の感知能力に問題が生じている可能性に思い当たった。何せ“擬象”による一発を貰った後だ。その影響で感覚もおかしくなっているかもしれないと。だからまず最初に、その可能性をクーリアに確かめる事で潰そうとしたのだ。

 だが、クーリアからは考えていたものとは違う答えが返ってきた。

『それについては問題ないと思いますよー。だって、私の方でも同じですし』

 同じ。否定ではなく肯定。それはつまり、

『“擬象”はもう無くなってますね。完全に、消滅してます』

「…………」

 考える。

 逃げた自分達の代わりに、あの軍の部隊が“擬象”相手を引き継ぎ、そして今、“擬象”の気配は無くなっている。

 以上の情報から推測すると――つまり軍の部隊は“擬象”の討伐に成功した、という事なのだろうか?

 正直に言えば、意外だった。彼等にとっては初対面ともいえる“擬象”相手にどう戦い、勝利する事が出来たのか。疑問が強く残る。

 だが、過程の疑問は兎も角、彼等が勝利という結果を得られたならば、それは歓迎すべき、非常に喜ばしい結果であるのは確かだ。

 少しばかり気分を明るくした貴方であったが、

『それだけなら、その可能性もあったんでしょうけど……』

 と、そんな考えに水を差すように、少し沈んだ調子のクーリアの思考が届く。

『予定時間になっても帰ってこなくて、そして連絡が完全に途絶えている。この情報を加味すると、軍の方々が“擬象”を討伐したという可能性は低いと思います。あの厄介な存在相手に、何の知識も無く当たって勝てる筈もないですし』

「…………」

 確かに、そうなのだ。今ひとつ、情報が噛み合ってない気がする。

 問題無く討伐に成功したのなら、その後拠点へと戻るのも、連絡を寄越すのも容易だろう。なのに、それが無い。

 半ば相打ちに近い結果で、軍部隊が大きな被害を受けた結果、帰還も連絡も出来なくなった――という想像も出来るが、そもそも距離自体大して離れている訳でもないのだ。一人二人無事であるならば連絡くらいはつけられる筈。

 では、一体どういう事だろうか?

『……判りかねますが、少なくとも、“擬象”は既に存在していないのは確かだと思います。なので、ひとまずの危機は去ったとそう考えても大丈夫でしょうし、状況の確認のために、一度戻ってみるというのも手ではありますけど……』

 クーリアの提案は、貴方も考えていたものだ。折良く、マヒト達が捜索隊参加の要請を受けている。それに従う形で、捜索隊と共に状況の確認に向かえばいい。自分達のみではなく捜索隊も同行するというのなら、途中アサーンの亜獣に襲われても対処に問題は無いだろうし、現場についたとしても既に“擬象”は存在していない筈。あの術技を操る少女については読めないが、彼女一人ならばそれ程危険な相手ではないだろう。

 ならば、と決めて、貴方は痛む身体に鞭を打つ。

「わ、【NAME】さん? 大丈夫なんですかっ!?」

 突然立ち上がった貴方に、リヴィエラが慌てて寄ってくる。自分が痛い訳でも無いだろうに、その表情は泣き出す寸前のように歪んでいた。

 そんな彼女を軽く手を挙げて抑えてから、貴方はマヒトとシモンズに、捜索隊の道案内に自分もついていく事を告げた。対し、二人は驚いたように目を瞬かせ、

「本気ッスか? 今起きたとこッスよね?」

「一応、俺とシモンズだけでも構わねぇって事で話はつけてたんだがな。別に無理せず寝てても良いんだぞ?」

 二人もそれなりにこちらを心配してくれているらしく、休んでいて構わないという意志が言葉の裏に透けて見える。

 しかし、貴方は首を振り、一緒に行くと、改めて告げた。

「……あの」

 と、傍で声。振り向くと、リヴィエラは顔を顰めて、眉を詰めて、泣き出す、というよりはむしろ怒っているようにも見える顔で貴方を見上げていた。

「どうして、そんなに無理をするんですか?」

 真剣な声音で言われて、貴方は僅かに首を捻る。

 無理。これは、無理なのだろうか?

 単に危険は少ないことと、状況を確かめたいこと。その二点を抑えた上での結論ではあるのだが。

 貴方はリヴィエラにそれを説明するが、リヴィエラの表情は変わらない

「【NAME】さん、身体はまだ痛いままなんでしょ? さっき、あんなにやられて、気を失って、ぐったりして。私が治そうとしても全然おいつかなくて、今にも死んじゃいそうで、どうしていいかわからなくて」

 片側の腕に、軽く負荷が掛かる感触。袖口を彼女に掴まれた事に気づくのに、一瞬の間があった。

「それで、それで、なんとかここまで逃げ切れて、オルローズさんにどうにかしてもらって、その後私も何回も術を掛けて、それでやっと目が覚めたばかりなのに。立つのだってやっとで、戦うなんて、無理ですよね? なのに、行くんですか? それでまた、さっきみたいな事になったら、どうするんですか?」

 いやだから、恐らく“擬象”はもう居ないと。

 そう説明を繰り返すのだが、リヴィエラは顔を伏せ、貴方の袖を掴んだまま、小さく唸って左右に振るだけで反応しない。

 対応に困って、貴方は正面で微妙な顔でこちらを見ている二人に「どうにかしてくれ」とアピールするが、

「お前があんなあっさりやられちまうから悪いんだよ。おかげで、御嬢にとってお前の……いや、それよか、アレだ。マジで別に来なくていいぞ? さっきのお前の話聞く限りじゃ、危険はねーんだろ?」

 正確には、危険は少ない、といったところか。

 貴方の訂正に、なら、とシモンズが声を上げる。

「ここで大人しくしててもらっても、別に問題無いんじゃないッスかね? 案内くらいなら自分達だけでもこなせるっていうか、【NAME】さんが来ても、気を失ってたから案内できないでしょうし。それとも、【NAME】さんが居ないと、ヤバイ事になる可能性があるとか? なんていってたッスかね。“異象”がどうこうってのの関係で」

 シモンズの問いに、貴方は判らないと答える。

 ここから感知出来るアエルの状況だけで語るならば、既に自分が何かをする必要は無い気がする。都内に集い飽和していた非顕現アエルも、“擬象”の形を作り出していたアエルの塊も、既にその気配は殆ど無くなっている。自分やクーリアの対処が必要な状況ではもう無い。

「なのに、来るんスか?」

「頑固だなお前も。なんでそんなついてきたがるんだよ。理由言えよ理由」

 理由。

 それを問われて、貴方は己の内に目を向ける。

 拘る理由。一体あの“擬象”がどうなったのか。それを確かめるため、という部分が大きい。軍部隊とやらがどうやって“擬象”と戦ったのか。それを痕であれ確認することで、後の糧にする事が出来るかも知れない。

 だが、自分の内側を掬って、どうやらそれだけではないらしい事に気づいた。

 見つけた感情。それに言葉を割り当てるなら、恐らくは――責任感、だろうか。

「責任、ですか?」

 思った事をそのまま口に出していた貴方は、何時の間にか顔を上げて、じっとこちらを見ていたリヴィエラに小さく頷く。

 ――己が破れた事により、本来ならば戦う必要が無かった者達に、自分の敵を押しつける事になってしまった。

 それはまるでこちらの世界の問題事を、そちらの世界の者達に投げつけてしまったような感覚で、どうやら自分は、その事に対して居心地の悪さ、無責任さを感じているらしい。

『……別に、貴方が無責任だと思う必要はないでしょう』

 と、心の外側にそんな思考が触れてくる。

『だって、貴方はあくまで“派閥”の指示で、仕事として“異象”の処理をやってるだけなんですから。予想外の相手が出てきて、上手く対処ができなくて、もしそれでそちらの世界に被害が出たとしても、貴方が責任を感じる必要はないでしょう。貴方は、自分が出来る範囲で、良くやったと思います』

 そしてもし責を負うとするならば、と意思を挟み、

『今回に関して言えば、あの“擬象”を生み出した“同化者”と、その存在を掴めずに安易に貴方だけをここに向かわせた私達でしょう。だから、気にせず、ここで休息を続けても構わないと思いますよ。私としても、その方が治療楽ですしね』

 最後、こちらの気を緩めるような調子でクーリアは告げて、そのまま意識が離れていく。

 クーリアが言いたいことは判る。こちらの事を気遣ってくれているのも判る。

 だが、納得が出来ない。これが全てだ。理屈ではなく感情。責任ではなく責任感。結局のところは、自分の心の問題でしかないのだ。

 だから、行きたいと思う。

 少なくとも、自分の敗北が齎した結果を、自分の目で確かめたい。代わりを務めてくれた者達が無事ならば礼を。危機ならば救助を。せめて、それくらいはしたいのだ。

 そんな取り留めなく考えた事をリヴィエラ達に話し終えて、貴方は小さく一息つく。

 他者を説得するためというよりは、己の内側を形にしただけの言葉の羅列だ。これでは彼等の反対を覆すのは難しい。

 さて、ならばどうしようかと考え始めたところで、

「……判ったよ」

 マヒトの意外な言葉に、貴方は思わず彼を二度見してしまう。

「んだよ、その変な顔は。取り敢えず、お前が行きたいって気分だけは伝わったから。もうそれでいいって言ってんだよ。ったく、人が珍しく気を遣ってやったらこれだってんだから、こっちが馬鹿みてぇだ」

「まあ、【NAME】さんがそんなに行きたいっていうなら別にそこまで反対はしやしないッスけど、ホントに大丈夫なんッスか? せめて普通に歩けるくらいでないと、軍の連中にドヤされるッスよ? あっちは結構気が立ってるみたいッスし」

 続くシモンズは、視線で先刻マヒトとやり合っていた騎士を示す。見れば、彼は集まりの悪い冒険者の一団に対して怒鳴り声を上げて指示をしていた。連絡途絶している軍部隊は、合同調査団の長を含めた主部隊だ。あの騎士が焦るのも判らない話ではない。

 身体の様子を確かめるように、動かす。

「――――」

 走る痛みは、塞がりかけの傷口を裂くような鋭さがあった。それが全身に掛かってくる感じだ。しかし、クーリアの術技やオルローズの掛けてくれた術式によるものか、痛みそのものは少しずつだが弱まってきている。これならもう少し時間があれば歩く程度なら可能だろう。

「判ったよ。じゃあ、俺と【NAME】が捜索隊につく。シモンズ、お前はリヴィエラ様の護衛として残れ」

「了解ッス」

「え?」

 当然のように告げるマヒトと、頷くシモンズ。その遣り取りを前に、ぽかんと声を上げたのはリヴィエラだ。

「ま、待ってください! 私も一緒に行きます!」

「いや、止めといた方がいいでしょうよ。自分では気づいてないかも知れませんが、御嬢。あんた、かなり疲れてる」

「疲れてるって……そんなのマヒトさんやシモンズさん、それに【NAME】さんだって同じでしょう? なのに私だけ残るなんて!」

「……なぁ、シモンズ。俺、お前残すって言ったよな」

「自分、密かに人数に数えられて無いんスかね……」

 男二人が小声でぼそぼそと囁き合うが、リヴィエラの耳には全く届いていないようで、

「それに、【NAME】さんの身体の事もありますし。――まだ、痛むんですよね?」

 それについては、今更否定しても大して意味は無い。詰め寄るリヴィエラに若干引きながらも頷くと、なら、と彼女は未だ袖を掴んだままだった手を貴方の胸に添えて、空いている逆の手で素早く印を切り、呼気を整え、浅く言葉を放つ。瞬間、淡い光が胸元に置かれた手に灯り、そこから暖かな感触が身体の内側に流れ込んでくる。

 神蹟系の治癒術式。即時的な身体修復ではなく、本来人体が持つ代謝能力の活性と、痛覚等の鈍化を主眼に置いた系統の術式だ。直接的な外傷などに対して効果は薄いが、原因のはっきりしない不調や軽い病などには覿面に効く。冒険者ではこういう類の術式を習得している者は少ないが、リヴィエラは本格的な聖職者としての修練を積んだ身ではあるらしい。ならば施療行為を行うための一環として、こういった術を習得していてもおかしくはない。

 広がる暖かさが、痛みを和らげていく。

「どう、ですか? 【NAME】さん?」

 窺うようにこちらの目を見るリヴィエラ。術の効果は確かにあった。これならば、今すぐに歩き出す事も十分可能であるように思える。貴方は礼の言葉と共に早速数歩歩いて、

「あ、ダメです!」

「――っ、?」

 突如ぶり返した痛みに、びきりと動きを止めた。

「私が使える程度の術式だと、常的に効果を発揮し続けられなくて。術者の私が常に患者さんに接触して、力を込め続けないといけないんです」

 慌てて寄ってきたリヴィエラが身体に触れると同時に、その接触部分からまた暖かな感触が広がり、痛みが引いていく。

 つまり、それは。

「はい。なので、【NAME】さんが今すぐに捜索隊についていくという事でしたら、私も一緒にいかないとダメですよね?」

 それは貴方だけではなく、マヒトやシモンズにも向けられた言葉だ。

 マヒトは苦虫を噛み潰したような顰め面。シモンズは困ったような諦めたような苦笑いで、一歩後ろに引くとマヒトと貴方へ交互に視線を向ける。シモンズのその仕草から察するなら、“そちらに判断は任せる”と言ったところか。

 貴方としては、リヴィエラがついてきてくれるならば痛みは大幅に軽減される訳で、有り難いのは確実。彼女を連れ歩く危険に関しては、先刻の予想通りだ。リヴィエラが共に来ることについての異論は殆ど無い。

 となると、後はマヒト次第、という事になる。

 マヒトは一瞬貴方を見て、その内心を察したらしく舌打ちせんばかりに口を曲げ、そしてリヴィエラへと視線を移し、

「…………」

 怒っているような、泣き出しそうな、どちらとも取れるような真剣な顔で見上げてくるリヴィエラに怯むように一歩下がり、そして深々と溜め息をついた。

「判りましたよ、御嬢。全員でいきましょう」

「マヒトさんっ!!」

 喜ぶリヴィエラに、マヒトは一瞬微笑ましいものを見るように顔を緩めて、

「おい【NAME】。これでもしあの化け物がまだ残ってたりしたらどうなるか、判ってんだろうな」

 多分、大丈夫な筈、なのだが。

「……なら良いが。それじゃ、行くぞ。あのうっさい騎士さんもどうやらお待ちかねみてーだしな」

 マヒトが背後を振り返る。そこには既に部隊の編成を終えたらしい騎士が、苛立たしげにこちらを見ている姿が映った。



 ――そうして。

 責任という言葉を胸に、捜索隊の一員として現場に向かった貴方が目にしたのは。

 地獄絵図という他無い、凄惨極まる光景であった。


「……これ、は……」

 何だ、と思うしかない。そんな代物が、大路の至る所に転がっていた。

 その状況を例えて言うならば、無邪気な子供が人形遊びをした結果、というのが近い。

 ただ、違いが一つ。その人形が粘土や木彫りで出来た代物ではなく、本物の人の身――軍部隊の兵士達の死体を使った遊びであったという事だが。

「は、はは。……流石に。流石に、な。これ程のシロモン、初めて見るぞ」

 隣、マヒトの漏らす声は完全に上ずっていて、その更に向こうに立つシモンズは、言葉を作ることも出来ず、ただあんぐりと口を開けて固まっている。

 彼等の視線は眼前に転がる物体群に釘付けになっていた。

 その一つを誤解無く表現するならば、身体を丸めて蹲った人体の背中から、人の腕だけが十本、円を作るように伸びた死体だった。

 生きてはいない。生者の気配はしない。背中から伸びた手に統一性はなく、あるものは太く、あるものは細い。他者が持っていた手をそのまま背中に突き刺したかのようだ。しかし、破れた服の奥、その腕と背中の接点は驚く程滑らかで、不自然な形状である筈なのに、破綻が無い。まるで二つの粘土を一つに繋げたかのように、その境は完全に存在しなくなっていた。

 そしてその傍には、似たような“人形遊び”の結果が無数にあった。

 あるものは下半身が無く、そこから別の上半身が三つ、くっついたような形で伸びて、折れ曲がった三つの頭部で支えるような体勢で立てられていた。

 あるものは四肢が無く、本来手足があった場所には人の頭が四つ生えて、合計10の生気の完全に途絶えた瞳をそれぞれ在らぬ方へと向けていた。

 他にも。他にも。他にも。

 人の部品を好きに外し、好きに取り付け、そして飽きて放り捨てた。

 そんな“人形遊び”の後が、幾つも転がっていた。

「ひ、うう、ぐ」

 背後からくぐもった声が聞こえて、そこで金縛りが解けた。

 振り返れば、目をこぼれ落ちそうな程に見開き、顔色を真っ青にして口元を抑えるリヴィエラの姿があった。

 そんな彼女に、貴方が何か言葉を掛けるより早く。

「ぅ、え、――お、ぇ……」

 ひく、と喉を鳴らして身を折り、えずいた。

 膝をついて、固形物の殆ど無い胃液が地面に零れる。饐えた臭いが一瞬広がるが、しかしこの大路を支配する圧倒的な血の臭いには敵わない。

 彼女が吐いてしまうのも致し方ない。そう思えるほどに、今、目にしている光景は正気を保ちがたい、異質な代物であった。そのまま、幾度も咳き込み、身体を苦しそうに揺らすリヴィエラ。未だ身体に残る痛みに堪えながらその傍により、背中を撫でる。

 リヴィエラが、こうして強い反応を示してくれた事で、少しだけ冷静さを取り戻す事が出来た。

 貴方は辺りに立ち込める臭いを感じぬよう、鼻では無く口で一度、深く呼吸をしたあと、改めて周囲を見回し、そして己の内側にいるクーリアに呼びかける。

『何でしょう』

 返ってきた反応は硬い。それも当然か。クーリアも、貴方の知覚を借りる形で、この光景を認識している筈だ。

 だからこそ、端的に問う。これは“擬象”によるものか、と。

『違うでしょうけれど、そうとも言えるかもしれません。貴方も感じているでしょうけれど、あの人達の全身から、アエルによる干渉の痕跡が確認できています』

 それは貴方にも判っていた。繋げられた部位の接点部分に、うっすらと靄のようなものが残っているのが微かに見える。

『“擬象”ではありません。あれは、あのような繊細な干渉が出来るような代物ではないでしょう。まだ、制御も不完全であるように見えましたし。だからこれは、恐らく』

「…………」

 “擬象”の手によるものでないなら、残るは一人。

 あの少女が、これをやったのか。

『術技による不定理粒子を用いた存在域干渉。かなり高等……というよりはもう、これは固有の能力や資質のレベルの技ですね。存在に対する剥離と接着。同質の防御手段を持っていたなら兎も角、そういった術を全く持っていなかった方々からすれば、どうしようもない代物でしょう』

 しかし、あの小さな少女一人で、これだけの兵士達に対し、このような行為が可能なのだろうか? 術技の元となるアエルにしても、一人では到底賄えないかなり量が必要で、

「あ」

 思い至る。

 軍部隊は明らかに全滅している。彼等は“擬象”と少女に敗北したのだ。

 しかし、“擬象”の気配はかなり早い段階で消失していた。それはつまり、

『あの女の子が、“擬象”を構築していたアエルを使って、軍の人達を弄んだんでしょうね。……成る程。あの子が言ってた“後始末”ってそういう事も含むのか』

 どういう意味だ、とクーリアに問うと、

『あのまま“擬象”を残していたら、何れ制御を離れてそのまま“異象”へと変化し、そして置換を起こしてこの都をそのまま消失させていたでしょう。でも、あの連中はそうするつもりは無かった。女の子は“擬象”を構築しているアエルを兎に角力として使いまくって“後処理”をして、それが終わったから後は放って帰った。だから、本当に……』

 ――ここに転がっている歪な死体達は、あの子が遊んだ後なのだと。

 心底嫌悪するようにクーリアは思考し、そしてそれ以上の問答を嫌うように、貴方の意識の底へと沈んでいった。

 はぁ、はぁ、と浅いリヴィエラの吐息が聞こえる。未だ苦しそうではあるが、どうにか吐き気は収まったようだ。

 貴方はリヴィエラの背に手を添えたまま、ゆっくりと立ち上がり、辺りを見回す。

 捜索隊としてやってきた者達の反応は様々だ。軍兵士達の半分は自分達の仲間が有り得ない形へと変化した様子に嘆き、悲しみ、怒り、そして恐怖していた。 冒険者達の大半はこの場に近付く事も嫌うように、遠巻きにして、異物を眺めるような視線でこちらの様子を見ている。

 捜索隊を率いていたあの大柄な騎士は、二つの死体の前で膝を付き、空へ向けて吼えるように慟哭していた。彼の前に転がるのは、男と女が絡み合うように癒着した歪な死体だ。全裸の身体はそれぞれ人体のパーツが入れ替えられており、顔だけは中心から割った半分を互いにくっつけるような形になっていた。

 その顔には、見覚えがあった。

 合同調査団の長である女騎士ベリーナと、その副官らしき男のものだった。

「…………」

 貴方は呆然と考える。

(――これが)

 これが、自分が敗れた結果か。

 つい先刻、自分は一体何を考えていたのだったか。

 そう、確か、責任。

 責任? この結果に対する責任。

 そんなもの、一体どうやって、誰に取ればいいのか。目の前に転がる、自分の代わりとなったそれらに?

「は」

 引きつった笑み。喉からは掠れた音が漏れた。それが何に対しての失笑であったのかは、貴方自身、良く判らなかった。

 そんな自分をじっと見上げる、苦しげで、真剣な視線にも気づかないまま。

 貴方はただ、目の前に広がる結果を肯定することも否定することも出来ず、眺め続ける事しか出来なかった。

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